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2.始まった山小屋生活

 だから、卒業後、ユンは引きこもりになった。


「ユン!いつまで寝てるんだ!」


 (初日だからきちんと教育しないとな!)


「気分が悪いんだ……今日は休ませてくれ……」


「本当に顔色が悪そうだな……」


 (卒業式後の馬車移動が身体に応えたか……?)


 初日はそう言って心配してくれた両親や兄も、3日も経つと、流石に医師を呼びつけた。


「身体診察上、明らかな発熱や腹痛、発疹、神経学的異常はなさそうですが、確かに脈が早く呼吸も浅いですね。吐き気止めなどの薬を出しておきます。ただ……ここで出来ることは限られていますから、症状が続くようであれば、きちんと治療院に行った方がいいでしょう。それに……場合によっては魔法使いたちの領分かもしれません」


 (熱もない気分不良ねえ。横になってばかりだからかねえ?痩せているから万が一とは思ったが……、胸の音を聴いても空気が漏れているわけでもないようだ。治療院に行かないとこれ以上詳しい検査は無理ですなあ。呪いだと専門外ですしな。くわばらくわばら)


 医師は不穏なことを言い残し、帰って行った。


「魔法使い?あんなほとんど存在しない奴らをどうやって見つけるんだ」


 (大体、魔法使いなんて本当に実在するのか?)


「まずは治療院かしら……」


 (そんなにお金はないけれど……でも今のままよりも……)


「ユンは仕事をしたくないだけじゃないのか?」


 (チッ、サボりたいだけだろ。昔から出来は悪いし学院の成績も悪いし、仕方なしに家で面倒を見てやろうと思えば働かないし。ほんと役に立たない弟だな)


 家族は好き勝手なことを言った。


 病気や苦しんでいる相手のつらさは、他人にはなかなか分かりにくいものである。特にそれが、目に見えない形であればあるほど。


 (気持ち悪い……。近くにいる人間の思考は他よりハッキリ聞こえるのは分かってきたな……。遠くにいる使用人の心の声は、虫の鳴き声だと思えば耐えられるようになってきた……かもしれない。でもやっぱ、複数人そばにいるときつい。でも、学院より、マシ、だ)


 徐々にユンはそう思うようになっていた。


 (学院よりここの方がマシってことは、人がいない山の中なら……楽になれるかもしれない)


 いつまでもこのままでは限界がある。どうせ困ったことに、ここにいても実家内の家族や使用人たちの心の声まで聞こえてしまうのだ。ユンは父親に直談判することにした。


「父上、人がいないところにしばらく行かせてくれ。何年かだけでいい。帰ってきたらその年数分は食事以外の給金はなしでもいい。このままじゃ限界だ……」


「そうか、本当にきついなら治療院でもいいんだぞ?」


 (いくつかリスクはあるが、このままでは使い物にならん)


「治療院に何年も通うような病弱息子じゃ、キチガイと思われるだけだろ?」


 実際、そのような噂を立てられている例が隣の領地にいたからこそ、ユンの両親はかなりユンの状態を気にしているのであった。その例とは、見た本の内容を絵のように覚えられてしまうという秀才な伯爵令息のことであった。彼は天才にも関わらず、治療院通いを続けているのである。


 事情を知らない領民は、


「何か重い病気があるんだろうか?」


「公表されてないから相当重い病気だろう。世継ぎを作れないかもしれないな」


「頭がおかしくなったんじゃねえか?見たものをそのまま記憶できる人間なんているわけねえ」


などと噂していた。


 ユンの家族だって、


「あんなに頭が良かったのに勿体無いな」


「賢いというのはただの噂だったのかしら……」


「いつもあいつは少人数としか話さないようなやつだったからな」


と、伯爵令息の事情にそこまで詳しくもないのに、勝手な憶測で物申していた。


 噂やデマで相手を貶めるのは、誰にでも簡単にできる、最も手軽な犯罪に近い。


 そして、デマではなく事実であったとしても、わざと特定の個人の悪評を拡散することや、特定の個人が隠している個人情報を拡散することも、実はそれに類似した犯罪である。それを、名誉毀損やプライバシーの侵害という。それらはこの国の法律では罪に問うことができた。


 それに、個人の尊重や幸福追求権として、貴族たちは私生活をみだりに公開されない権利によって守られているはずだった。


 更に、貴族たちは商人との繋がりが深いことも多く、そういった危険性の高さから、個人情報の保護を目的とした法律なども設定されていたのだ。


 それなのに、天知る地知る我知る人知る……四知を知らぬ者は、意外に多いし、無知の知がない者はもっと多いのだ。


 きっと彼らは、自分が天側だと思っているに違いない。


 人間が天まで浮いたら墜落する未来しか見えないが……。いや、彼らには羽か魔法があるのかもしれなかった。


「そうだな……いいだろう。幸い、所有している山に、山管理のための山小屋がいくつかある。そこで山管理人として暮らすことは出来るだろう。だが、長くても3年だけだ」


 (それ以上となると流石に社交や世間体に差し支える)


 日に日に青い顔でやつれていくユンを見ていた父親は、3年間だけ、領地の山小屋で暮らすことを許可した。


「だが、そこでは全てを1人でやる必要があるぞ。決して楽ではない。冬は屋敷よりよほどきつい環境だろう。それでも行くか?」


 (屋敷の中で働いた方がずっと楽なはずだが……。屋敷の空気が悪いのか?)


 ユンは頷いた。


「無理だと思ったらいつでも帰ってきなさい」


 これは父親の優しさであった。山小屋は環境によって、本当に厳しいこともあるからである。


 (まあ、どうせそのうちに根を上げて帰ってくるだろう)


 しかし、父親の心の声が常にユンには聞こえていたせいで、その優しさは少し伝わりにくかったが……。




 ユンは山小屋に着いて、ようやく解放された思いがした。やっと人の声が届かない場所までこれたのだ。


 (薬のせいで全ての範囲で人の心の声が聞こえるようになってたら最悪だったな)


 幸か不幸か、薬の効果は数メートルしか影響がなく、それはユンにとって本当に良いことであった。


 薬も強すぎれば毒である。


 この薬はユンにとってもはや毒になっていたが、毒の中でもまだマシな範囲だろう。


 薬を飲んでから何日も効果が続いていることも、能力の持続時間が長すぎるという強力なメリットなのかデメリットなのか、彼にはもう分からなくなっていた。むしろ、この気持ち悪さが一生続くというなら悪夢でしかないから圧倒的なデメリットだろう。


「誰の心の声も聞こえない!最高だ!」


 山の空気は澄んでいた。春だからかもしれない。


チュンチュン、チチチッ


 昼は小鳥の鳴き声がそばで聞こえ、夜には虫の鳴き声が聞こえる。長閑な山の中であった。


「竃はあるな。食料は持ってきた分が1ヶ月分はあるから、まずは薪割り……。その後、近くの川の位置を確認して、水汲みと、水をこの濾過器で濾して……。あとは食料確保か」


 薪割りと簡単に言ったが、ユンは初日、薪割りと水汲みをしただけですぐに腕が痛くなった。元々あまり鍛えていなかったし、筋肉があまりない細い身体だった。それに、屋敷ではあまり食欲が湧かず、ほとんど食べていなかったからかもしれない。


「痛え……。もっと鍛えとけば良かった」


 何事もそうである。それまで何を積み上げてきたか、ある日突然要求されることがあるのだ。


 理不尽にも。


 1週間もすると、ようやく筋肉痛には少し慣れてきた。3日目なんて最悪だったのだ。背中の筋肉痛は、痛さが落ち着いてくると痒くなり、ユンはその気を紛らわせるためにまた薪割りをする羽目になった。


 痛みと痒さなら、痛みの方がまだマシなこともある。


「身体中をくすぐる拷問なんかもあるもんな……。痒みの方が無理だな。あの拷問を考えた奴はきっと悪魔だ」


 ユンは、あの日1日、痒さに耐えた後からそう思っていた。あの日は夜中も寝れる気がしなくて、剣を振るったり色々と動いたのである。


 経験したことがないものを大したことがない、と言える者は、本当にその状況になったことがある者だけである。


 大したことがなくても、死ぬほどの辛さになる事はいくらでもあるのだ。特に子どもでは。


「おかげで山小屋用の椅子も作れたし、薪のストックも増えたけど……。経験しないと分からないことも沢山あるんだな」


 その日からユンは毎日の山小屋の作業に、必ず身体を鍛えるような労働を入れることにしていた。


 そもそも、山小屋生活がどちらかというと、身体を鍛える作業が多かったというのもあるが。


 ウサギなどの小動物が獲れる罠を仕掛けるにも、剣や水筒を装備した上で道具を担ぎ、しかも山をそれなりの距離歩く必要があった。


 木の実が採れる場所をチェックしたり記録したりするにも、木に登ったり降りたりを繰り返さなければならなかったし、時々木の上に見つけた鳥の卵を採るのも、そうであった。


 そして、湯を沸かしたり燻製を作ったりする間には狼を撃退出来るよう剣を振るい…こう考えると、逆に身体を鍛える方向にならない作業はかなり限られていた。


 1ヶ月もすると、忙しく過酷な山小屋暮らしには慣れてきたユンだったが、人肌寂しくなることも増えてきていた。


 そんな孤独なユンの山小屋に、ある日突然美少女が訪ねてくるとは、この時彼はまだ予想もしていなかったのである。

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