1.完成してしまった薬
「ようやく出来た!」
その日、学院寮のある部屋で、眼鏡をかけた男爵令息が歓声を上げていた。彼の名はユン・ターレン。
彼は学院の授業の傍ら、夜な夜な変わった研究に打ち込んでいた。そして、ようやくそれが完成したのだ。
彼は小さな領地を持つ男爵家の次男であったが、兄はもう5年も前に学院を卒業しており、しかも男爵家にしてはそれなりに優秀だった。このままだとユンは兄の補佐をするか、他の領地で雇ってもらうしか道がない。
国の騎士や王宮・王都勤めはあまり向いていそうではなかった。ユンより力のある者や賢い者はいくらでもいたし、ユンは学院にいるうちに否応なしに自身の限界を見せつけられたからだ。
(兄上はすごいな……俺はあんな風にはなれそうにはないや)
ユンの兄は学院でも30位ほどの比較的上位成績者だったようだが、ユンの成績は下から数えた方が早かった。
彼が成績不振な理由は他にもあった。彼はずっと、1つの研究に没頭していたのだ。
その研究とは"人の心を読める薬"を作ること。
そう考えると、彼の能力は学力向上にはあまり活かされなかったが、それでもある種の天才だったと言えるだろう。特殊方面においてあまりにも天才だった彼は、学院を卒業するまさにその年、本当にそれを完成させてしまったのだ。
ユンはその頃にはもう、卒業後は実家の領地経営を手伝うことが決まっていた。なんとか学院を卒業できる程度の成績では、実家以外で働くのは難しいであろうと判断されたのだ。
(でも、この薬があれば、成り上がれるかもな)
ユンはニマニマと笑った。
(人の心さえ読めれば、領民を説得することも、領地間の外交も、女を好きに操ることだって、なんでも簡単にできるはずだ)
ユンは短絡的にこう考えたのだ。
「よしっ!今日は俺の天才デビュー日!」
だから、薬が完成した卒業式の日の朝、ユンはその薬の効果を確かめるために、深く考えず、瓶の中に詰めたばかりの青い薬を飲んだ。
その瞬間から、確かに薬は抜群の効果を発揮した。あらゆる人の心の声が聞こえ始めたのだ。
でも、彼は失念していたことがあった。
それは、人の心の声が聞こえると常に脳内がうるさいこと。人間は大体常に思考しているため、全てが聞こえると非常に煩いのだ。
(うるさいな……少しは黙れよ……)
そう思うが、人間が思考を止めるわけもないし、ユンに他人の思考を止める権利もない。
そもそも、薬を飲んだユンが悪いのである。
その時何故か、ユンはふと両親の会話を思い出していた。
「隣の領地の伯爵様はご子息がかなり秀才だとか」
「タキと同じ年齢の子だったな。本を読んだら全て絵のように頭に入ってしまうらしい。そんな頭脳が欲しいものだ」
「そうね……。でも、タキは学院でもかなり優秀なのよ。あの子もそれに近い才能があるかもしれないわ」
タキは、ユンの兄であった。
「そうだな。あいつが領地に戻ってきて一人前になるまでは頑張るとするか」
「そうね!あの子は賢いから、きっとすぐに楽ができるわ」
天才だからといえども、あらゆる方面で天才なわけではないが、多くの人間は大概何故かそう思っているものだ。ユンの両親もそうであった。
だが、実情はどうだろう。ユンが薬を飲んでから聞こえ始めた、学院内の様々な人々の思考はこんな感じである。
(まだ……寝たい……)、(うっわ、あの子卒業式でもあんな見た目?ダサっ!)、(卒業式出たくねー!)、(やっとこの学院から解放される!明日から旅行!ビバ卒業!)、(卒業式だるっ。早く卒業証書だけ渡してくれねーかなー)、(なんか今日は収まり悪ぃな……)
(昨日抱いた女、結構良いケツしてたな。もうちょい金出せば生でいけたかなー)、(ジョン様と最後に一度だけでも話したい……)、(今日の俺イケてね?イルミ様、俺のこと見てくんねーかなー)、(この学院も今日が最後かあ……。もうちょっと後輩に声かけまくってたら、あと2人ぐらい落とせたな)
(卒業式用の男達の衣装結構イケてるう。ケンマ様もちょっとかっこいいかも……)、(うーん、今日の私、可愛すぎでしょ!学院内でシルク様やヒイロ様と一夜の過ちなんてこともあったけど、このビジュならナギニ様もいけたかも……。卒業式の後、婚約者のトンギ様を上手く撒けたらナギニ様を誘ってみちゃおうっと!)、(トイレ!漏れる!)
(アルバムもう出来たのか。お、この子可愛い。へー、学院にこんな子いたんだ。3年もいたのに気付かなかったなー。お、この子もいける)、(最近ずっと筋トレしてた甲斐があったな!俺の肩辺りの筋肉マジでイケてね?)、(明日から王宮勤め!これで俺もいよいよ出世街道を……。上司が連れてってくれる夜の店がなかなかいいらしいんだよな……。俺はバニーちゃん系がいいな)、(はぁ……すっきりしたあ……。やば、ちょっとムラムラする)
これが脳内に、幾重にも同時に響く状態で延々と流れ続けるのだ。
「うえ……気持ち悪……。頭痛い……」
ユンはまるで乗り物酔いかのように気持ち悪くなってきた。
そもそも、人の性事情はともかく、トイレ事情まで知りたかったわけではないのだ。憧れのあの子のトイレ事情まで流れてくるのであれば、もう幻滅どころの話ではない。ユンが勝手に聞いてしまうだけではあるが。
(天才って……もしかしたらある意味大変なのかもな)
ユンは薬のおかげではあるが、天才たちと同じ状況になってようやく、その心境の一端に触れることができた。
「マジできつい……。他人の考えが邪魔をして自分の考えが纏まりにくい……」
人の心を読む薬を開発するのであれば、人心を操る妄想をする前にまず、人の心を読む対象や範囲、発動条件など、調整しなければならないあらゆる波及障害を事前に理解し、制限できるか研究する必要があった。
せめて自身で試し飲みする前に。
大概の薬は、効能よりも副作用が問題なのである。
だが残念なことに、ユンはもう薬を飲んでしまっているものだから、今からその副作用を消すことはできない。それに、研究で集めた材料や資料も、そんなすぐに手に入れられるようなものではなかった。
ユンは仕送りをかなり節約しながら、地道に様々な材料を集めたのだ。所持金はもうすっからかんである。
「目の前の情報と頭の中に流れてくる情報って……同時並行で制御……するの大変かも……うぇっぷ」
流れてくる情報や受け取る情報が多すぎると、自身本来の思考を制御することが困難になる。そこから情報を統制して発信するのは尚更のことであった。
ユンは、その材料集めをしている時に市場で出会った、手相占いの不思議な老婆のことを今更のように思い出していた。
「やあ、そこの青年。どうやら、今熱心に取り組んでいるモノのことで悩んでいるようだねえ?」
「婆さん、俺は占いをするような金はないぞ」
「おやまあ、そうかい?でもきっと役には立つさ。聞いとくれ」
「何が目的だ?」
「わははは、若いねえ青年。そこの井戸でちょいと水を汲んでくれ。ここにずっといたら喉が渇いてね。でも、わたしゃ足が悪いのさ」
老婆は確かに足が悪そうであった。そばには古ぼけた杖が置いてあるし、立ちあがろうとするが筋力がないのかよろよろしている。
「それぐらいなら」
ユンはそう言って老婆が差し出した木の椀を手に取り、井戸から水を汲んできてやった。
「ああ、助かった。ありがとう」
「んじゃ、俺は行くから。次は別の人を呼んでくれ」
ユンがそう言って立ち去ろうとすると、老婆は言った。
「まあまあ、そう急ぐんじゃないよ。若いもんはせっかちだねえ。青年が取り掛かってるコトは、ちょいと普通じゃ達成できないかもしれないよ」
ユンは少しイラついたが、話を聞くことにした。
「でも、完成する前にこいつを一緒に入れてやったら、結果は違うかもしれないねえ」
老婆が差し出したのは小さな屑のような魔石だった。黒のようなのに中が時々キラキラと光る魔石は、小さくても高価なことが容易に予想できた。
「こんな高価そうなもの受け取れるようなことはしてないが……?」
「もう生い先短い私が持つより良いだろ?それに、何かを成し遂げる時に、ちょっとした手助けは必要なもんさ」
あの薬には、老婆がそう言ってくれたクズ魔石も入れたのだ。確か。
それは卒業式の朝方のことだった。まだ日は登る前で、薄暗く、魔灯の光の中でそれは行われていた。
「よし!この学院の図書館にあったボロボロの羊皮紙に書いてあった材料はこれで全部だな!」
ユンは学院に入学してから3日目に、図書館で変な羊皮紙を見つけた。その羊皮紙は何故か全然綺麗ではなく、あちこち破けたり傷が付いていたが、むしろそれが余計にユンの興味を引いたのだ。
揃った材料を分量通りに入れ、ユンは鍋を掻き混ぜたのだが、何分経っても中身は羊皮紙に書いてある通りの青色の液体にもならず、鍋の湯の中で材料がぐつぐつ煮立っているだけである。
むしろ、材料がプカプカ浮いているばかりで、浜辺に大量のゴミが流れ着いている海辺を彷彿とさせた。
大体、枯れ木や貝殻だけならともかく、鉱石や、採取した土まで入っているのだ。
一瞬、幼児の頃の砂場遊びを思い出したユンだったが、それとは次元が違うと、頭からその思い出を振り払った。
まあでも、本人が真剣だったところで、外から見れば同類であることはよくある。つまり、頭の中身はほぼ幼児であった。
材料は、混ざる気配すらない。
「うーん……?ついでに……あの婆さんから貰った魔石みたいなのも入れてみるか」
ユンはあんな魔石を見たことがなかった。だが、今のままでは何年混ぜ続けても薬にはなりそうにもなかったから、つい出来心で、その得体のしれない魔石らしきものを鍋に入れたのだ。
その瞬間、鍋の中身はキラキラと輝きを放ち、青色の液体となった。
「ええっ!?」
そうして呆気なく薬は完成し、冒頭のセリフとなったわけである。
材料を集め始めたり、そうして集めた材料を鍋に入れて混ぜ続けたりと、時間はそれなりにかかっていたから、ユンの心境としては、ようやく、というのが妥当なところであった。
(あれから一度もあの婆さんには会わなかったな……。生きてるんだろうか?水も1杯と言わず、何杯でも注いでやれば良かったな)
ユンは、なんとなく居心地が悪い思いがした。薬が完成したことを教えて喜んでくれそうなのは、その老婆ぐらいしか思い浮かばなかったからである。
それに、今の困った状態を解決するためにはあの薬の効果を打ち消す薬の研究をするか、人里から離れるしかなさそうだ。
(もしかしたらあの婆さんなら解決策を知ってたのかもしれない)
ユンはうっすらとそう思った。
でも、連絡先すら知らない彼女に会えることはもうなさそうである。
ユンは顔色の悪いまま卒業式に参加した。もし卒業式にすら出ないのであれば、卒業式用の衣類を用意してくれて、おそらく卒業式を後方で見守っている両親にも申し訳ない。
それに、女の心がこんなにも最悪だなんてこと、ユンは初めて知ったのだ。
(人の心なんて読めてもいいことなんてあまりないんだな)
女の心も男の心も、読めない方が人間としては幸せかもしれない。
ユンにとっては今更ではあったが。




