LXXVII.〈孤影の英雄〉トイフェル・ヴェヒターは忘れられたくない 陸
「ごきげんよう、アンジェリーネ様」
「うん、おはよう! 良い朝だね」
「アンジェリーネ様は、いつもお元気ですわね」
俺は「そんなことないですよ〜」と謙遜しつつ、自分の席に着いた。
入学してから、一ヶ月。編入してから、かなり上手く周囲を騙せていると思う。
トイフェルは自室と、別日試験以外では顔を見せない。
そのせいか、明るいアンネを俺は何とか演じられている。
(一生……か)
俺はいつまでこれを続けるのだろうか。
そう思ったところで、俺は考えるのをやめた。
──そうすると決めたのは、俺自身なのだから。
◇◆◇
そうして、そのまま誰にも話すことなく、俺は貴族学院を卒業した。
「ヴェヒター家の方々は優秀なんですなぁ」
三年間、そう言われるように生きてきた。
アンネの名に恥じぬように、研究の合間に勉強をした。アンネには一位を取らせて、俺は二位として。
それから、途中で女性の身体らしくする魔術具も指輪に加えた。基本的に貴族学院が終わってから、始まるまではほぼ研究か勉強しかしていない。
隈ができても魔術具でアンネの姿になれば、隈は隠れてくれた。
そして、卒業祝いとしてもらえるのは、魔石獣だ。成人の証でもある。
顔の大きさほどもある魔石を魔力で染め上げる。
そして、変形させる。どんな動物になるかは、できてからのお楽しみだそうだ。
「お初にお目にかかります、主様。ヒルベルトと申します」
「ヒルベルト……」
「はい、主様」
俺の魔石獣であるヒルベルトは黒い毛並みの狼だった。目の色はオパール。
(こうして、アンネの姿でもトイフェルの魔石獣になるのか……)
黒い毛並みであり、雄であり、無口よりであり――とかなりトイフェルらしい特徴だ。
「……」
俺は、ゆっくりと指輪を外した。
ハーフアップになっている髪を下ろす。
ヒルベルトは驚いた様子もなく、俺を見上げた。
「それが、主様の生きる理由なのですね」
「……あぁ、そうだよ」
もう、俺自身の声は聞き慣れなくなってしまった。
(重症だな)
ぼんやりと、それだけを想った。
◇◆◇
そうして、成人して正式な〈英雄〉となった俺は、国中を忙しく飛び回っていた。
小さな魔獣騒ぎくらいならば、武官たちが何とかしてくれるが、それだけでは回らないことも多い。
「ありがとう、〈光明の英雄〉様」
「息子を救ってくれて本当にありがとう、〈英雄〉様」
誰かを救えば、誰かがそう言ってくれる。
これが、〈光明の英雄〉アンジェリーネ・ロード・ヴェヒターを残すことなのだと思えた。
こうすれば、誰かの心に〈光明の英雄〉は残ってくれる。
そうやって生きて、四年が経過した。ルネティアも成人し、〈英雄〉家で再び働いている。
あるとき――孤児院を襲っていた数人の魔族を狩ったときのことだ。
「〈英雄〉様、すごかった!」
「ねぇ、何であんなに強いの?」
「〈英雄〉様、すっごくかっこよかった!」
「オレも大きくなったら〈英雄〉様みたいになりたい!」
キャッキャと俺の周りではしゃぐ子供たち。
そこで唯一、その輪に入らぬ子供がいた。
壁の端っこで、小さくなっている赤褐色の髪の子供。髪はザンバラに切られているので、正直男なのか、女なのかは微妙なところだ。
少し観察してみると、エメラルドの瞳がこちらを捉えた。
「……っ」
そして、合った目はすぐに逸らされた。
そこにあったのは、憧れだった。
(あぁ……)
俺と同じだ。
憧れたものに対して、自分から近づけない。
ならば、俺の方から近付いてやればいい。アンネのように。
「ねぇ、君」
「……?」
声をかければ、エメラルドの瞳が再び、こちらを見つめた。
「君の世界はどんなものだ?」
子供は答えない。
(また、一緒)
急にそんなことを言われても、分からないに決まっている。
「ごめんね。急に」
しゃがんで、赤褐色の髪を撫でると、エメラルドの瞳がキラキラと輝いた。少し頬も紅潮している。
(……あ)
〈英雄〉の資格。〈英雄〉の資格がある人間には、同じく〈英雄〉の資格がある人間も何となく分かる。感覚なので、正式に儀式を行ってみなければ分からないが。
(……これで、陛下も黙らせられるな)
そろそろ後継者を見据えろ、と散々言われてきたのだ。だが、アンネとトイフェルの二重生活を送る俺には、難しいどころの話ではない。
避けていた問題が、やっと解決してくれるだろう。
「ねぇ、先生。この子、買い取っていいかな?」
そう言えば、孤児院長はすぐに了承してくれた。
ヒルベルトに乗り、〈英雄〉の儀式を受けさせるべく屋敷に戻る。
「えぇ~、何でアダなの?」
「オレも連れてってよ!」
「私も~っ!」
そう言う子供たちに「ごめんねぇ」とだけ言って、屋敷に向かった。
「ねぇ、君の名前は? アダって言うの?」
「……」
コクリ、とアダは頷く。
こういうところも、何だか似ているなぁ、と思った。
元々、肆話で終わらせる予定だったんだけどなぁ……。




