LXXVI.〈孤影の英雄〉トイフェル・ヴェヒターは忘れられたくない 伍
指輪の形をした魔術具を、左手の薬指にはめる。
魔力を込めて、魔術具を起動させる。
指輪にはめられたルビーの宝石が小さく光った。
伸びるままボサボサに伸ばしていた黒髪は、根元から美しい金髪に変化していく。
慣れない手つきで、髪をハーフアップに結う。
鏡を見れば、そこには確かにアンジェリーネ・ヴェヒターに見える人間が立っていた。
「……アンネ」
声も、確かにアンネそのものだ。
ただ、一点。瞳の色だけが異なる。
春を思わせる若草色は、冷たいオパールの瞳に。
たったそれだけのことだというのに、違和感が大きい。
(あぁ……そういえば二つ名、決めなきゃな)
アンネの姿を見ていると、不思議と昔の思い出が思い返される。
貴族学院編入前には、国に二つ名を報告しなければならない。
――フェルトもちゃんと考えてつけるんだよ。
アンネは、〈光明の英雄〉。
――暗闇を照らす明るい光。希望。助けを求める人たちをそういう風に導いてあげられるように。
なら、俺は何だろうか。
「……孤影」
(アンネがいない俺は、一人だから)
〈孤影の英雄〉トイフェル・ヴェヒターが始まった瞬間だった。
今日は、ルネティアに会う日。
彼女と別れてから、すでに三年が経過していた。もうすぐ、俺は貴族学院に通わなければならない。
(どうやって接するべきか……)
ロデス家屋敷から歩いてやって来たルネティア。
あまり寝ていない俺とは違って、以前より身長が伸びていそうだ。
「久しぶり」
「お久しぶり、です、アンネ様」
ふわりと嬉しそうに笑ったルネティア。
彼女は俺を見て、小さく固まった。
「……目の色は、どうされたのですか?」
「あ~、これね、後遺症なの。〈魔王〉の攻撃を直接くらっちゃってさ~。目の色は変わってるけど、視界にそれほど影響はしてないから、大丈夫だよ」
「そう、ですか……」
ヤトールの言った通りだ。こうすれば、これ以上は詮索されない。
あ、と思い出したルネティアは俺に問うた。
「トイフェル様はどちらに?」
「え、あ~、フェルト?」
(……どうして、俺を心配するんだ)
「いやー、無理させちゃってたから、今は体調が悪くてね。また顔を出せると思うよ。どうかした?」
「いえ、何でも。気になっただけ、です」
ルネティアにとって、俺はどうでもいい存在じゃないのか。
ルネティアにとって、俺はアンネを奪っていく存在じゃないのか。
俺にとって、ルネティアって何なんだ。
ルネティアにとって、俺って何なんだ。
顔を隠すように、踵を返す。
表情を取り繕った俺は、ルネティアを見た。
「行くよ、ルネティア!」
「……え」
「どうかしたの、ルネティア?」
固まったルネティアに、俺はできるだけ優しさを心掛けて微笑む。
「アンネ、様?」
傷ついている。
アンジェリーネが、ルネと愛称で呼ばないことに。
「ん? なあに? ルネティア」
「……っ!!」
感じたのは、少しの背徳感だった。
「…………はい、行きましょう、アンジェリーネ様」
無表情を取り繕ったルネティアに、俺は頷いた。
(これで、アンネと呼ぶのは、俺だけだ)
◇◆◇
その日から、ルネティアは英雄家に住み込みで働いている。
研究に没頭していたので、屋敷は三年間ほどほぼ放置されていたのだ。
掃除から食事まで、彼女は何もかもやってくれた。
「そういえば、トイフェル様は二つ名をお決めになっていらっしゃるのですか? 発表はされていないと思うのですが」
「あ~、そう、だね」
「じゃあ、行ってくるね、ルネティア」
「……はい、いってらっしゃいませ、アンジェリーネ様」
まだ、アンジェリーネと呼ぶことに慣れていなさそうなルネティア。
わざわざ、彼女をルネと呼べば、彼女もアンネと呼ぶのだろう。アンネと呼ぶ人間が二人になってしまう。
独占欲と、少しの背徳感が、俺をそうさせた。
貴族学院につけば、女性教員に案内されて、俺は一つの部屋に到着した。
「こちらでございます」
「どうもありがとう、先生」
できるだけ、親しみやすく笑みを浮かべた。
案内を終えた教員と別れ、俺は中に入る。かなり広く、側近部屋もある。
ここは、本来なら皇族用に用意された部屋だ。
学院長が賄賂に弱かったのと、皇族が現在在学していないため、特別に使わせてもらえることになった。
変装魔法の研究で出た失敗作を売り払って金にしているので、あまり金には困っていなかったので、それを使った。食費もまともに使っていないので、金はある。
ついでに、家具も購入し、中に運んでもらっている。
指輪を外し、机の上に置いておく。常に魔力を消費してしまうのは欠点だ。
(……魔術具に魔力を貯められるようにした方がいいな)
そうして、アンネとトイフェルの二重生活が始まった。




