LXXIII.〈孤影の英雄〉トイフェル・ヴェヒターは忘れられたくない 弐
「〈魔王〉が出た。お前を連れて行くことにする」
(は?)
急にアンネの父――ヴェヒター家当主から呼び出されたかと思えば、単刀直入にそう言われた。
言葉が短すぎる。
(〈魔王〉? 〈魔王〉って何だ)
こうして、僕まで呼び出している時点で、相当な戦いになるのは予想ができた。これまでの戦いで、子供たちまでもが参加を許されたことはなかったからだ。
しかも、魔の長ではなく、〈魔王〉。
十年に一度現れる魔の長。歴史的に強かったと記録されているのは、麒刀や炎華・氷姫だ。炎華・氷姫は〈聖女〉クリスティーネが戦ったため、侵攻は広まらなかったそうだが、麒刀にいたっては、国までも滅ぼしている。周辺国が同盟を結び、何とか収めたそうだ。
国を滅ぼした魔の長より、〈魔王〉の方が強いはず。
(……アンネは、行くのか)
「他は……アン、ジェリーネは行くのですか」
「アレは次期当主だからな。行かせん」
「そうですか」
僕はホッと安堵の息をつく。
アンネがいかないならばいいのだ。アンネが、危険にさらされないのならば。
「当主様、そろそろ」
「あぁ」
部屋の外から声をかけてきた男性に、当主は頷く。
僕たちは部屋から出ると、ヴェヒター家並びにロデス家の人間が勢揃いしていた。
いないのは、アンネとルネティアのみだ。
僕は、最後尾にいるロデス家当主夫妻の後ろにつき、彼らについて行く。
主に会議などで使用する部屋に入ると、アンネとルネティアがいるのが見えた。ぴったりとくっついている。アンネは無表情だが、先程までルネティアと話していたのだろう。
アンネはヴェヒター家の殆どの人間に、素の表情を見せない。
「……これより、〈魔王〉討伐に向かう」
低く、重い当主の声が部屋に響く。
「ヴェヒター家からは、私、────ヤトール、トイフェル。ロデス家からはエリック、リヒェーレ」
全員の名前を呼び終わると、アンネが目を見開いた。
「……駄目、です」
ポツリと、アンネが呟く。少し遠くて、よく聞こえなかった。
「お父様──いえ、当主様、わたしを連れて行ってください」
「何故だ? 其方は次期当主になると──」
「……っ。では、辞めます。今、辞めます。トイフェルに次期当主の座は譲ります。ですから……!」
「な、なんでっ!? アンネ、僕が行く! アンネが危険に晒される必要なんてないんだよ!!」
僕は叫んだ。だが、アンネは僕ではなく、当主の方を向く。
僕のために、当主になることを決めたアンネ。
今度は、僕のために当主になるのをやめて、危険な場所に行こうとしている。
「……お父様、おっしゃったじゃないですか。わたしが男児だったらどれだけ良かったか……と。トイフェルは男の子だから、そちらの方がいいのではないか、と迷っていらっしゃったはずです」
(そんなことを、アンネに言ったのか?)
元々あまり好きではなかった当主のことが、大嫌いになった。
アンネを傷つけるなんて、殴っても気はすまない。だが、今すべきことではないだろう。僕は、グッと我慢する。
「アンネ……駄目! 行かないでっ。僕が、僕が行けば丸く収まるから……」
「駄目。わたしが行く」
「アンネっ! 分かってよ! 僕が行くから……アンネを守りたいんだよっ」
アンネの頑なな態度に、僕は少しだけ涙が溢れそうになる。
「来るのは誰でも良い。約二時間後に、〈魔王〉は復活する見込みだ。一時間後に出発する。それまでに誰が来るのか決めよ」
そう言って、当主は去って行こうとした。
「お待ちください」
アンネは当主に耳を借り、何かを受け取っていた。
(何をもらったんだろう……?)
その他も、我関せずと言わんばかりに当主の後をついて行った。ロデス家当主夫妻は心配そうに見ていたが、邪魔はしないようにと出て行く。
残ったのは、僕、アンネ、ルネティアだけである。
「行くのは私だよ。……フェルト、分かって?」
アンネは眉を下げて微笑む。自己犠牲をするときの表情だ。
しばらく睨み合いが続くと、ずっと黙っていた少女が口を開いた。
「……行かないで、ください」
泣きそうな表情で、ルネティアはアンネの袖を掴んだ。
「……ルネ?」
「行かないで、ください……アンネ様。私が行きますから」
「ルネ!? いやいや、待って。おかしいって!!」
僕はアンネに同意した。
(話をややこしくするなっ!)
「当主様は誰でもとおっしゃいました。私でもいいはずです!!」
(確かに言ってたけど……)
だが、戸惑っているアンネに畳みかけるなら今だ。押せば、何とかなるかもしれない。
「君を必要としている人はたくさんいるんだよ! これから先だって、〈光明の英雄〉になってみんなを助けるんでしょっ!?」
「……っ別にいいよ!!」
アンネは大声を上げた。
「わたしが助けたいのはみんなじゃない。国でもないよっ! 友達、だけだもん……。フェルトとルネ――大切な人たちだけを助けられればそれでいいから!」
そこで言葉を切って、アンネは私たちを見上げた。
美しい若草色に瞳に、僕とルネティアが映る。そして、可愛らしく首を傾げた。
「だから……行かせて?」
「……っ、でも!」
「私はっ……」
「……そう」
諦めようとしなかった僕とルネティアにアンネは短く何かを呟いてから、何かを二つポケットから取り出した。指先程度の小さくて丸いものだ。
「はーい! とって!」
ニコニコに笑ったアンネは、何か僕とルネティアに投げる。僕たちはそれをキャッチした。よく見ると、魔術具だろうか。それに触ると魔力が吸い出されて光る。
「……アクヴィーテ」
(……!?)
アンネが何か呟いたと思ったら、結界が展開された。
ルネティアが触れてみれば、それを通り越すことはできない。普通の結界であれば、中にいる者に害意を持つもの以外は入れるものだ。
(対人結界っ……!?)
この結界に僕たちは閉じ込められてしまったのだ。
(これじゃ、アンネを守れない……っ)
「ごめんね、フェルト、ルネ」
アンネは眉を下げて微笑む。
「待ってくださいっ! 出してくだい!!」
「アンネっ!! やめて! 解いて、お願いっ!!」
そう言っても、アンネはただ黙ってこちらを見ているだけだ。
「アンネ、様……っ!」
「大丈夫だよ。お腹は空かないように設計してあるから」
それだけ言って、アンネは踵を返した。
(どうやったら、アンネは結界を解いてくれるの)
自問しても、答えは浮かばない。
「……お願い……行かないで、僕の太陽」
懇願のような言葉に、アンネの足は止まる。
今なら、ここだ。今、押せば何とかなるかもしれない。
「お願いだ。僕を……解放して。君がここに残って」
「駄目。二人を守るのは私だからね」
そう言って、アンネはそのまま去っていった。
(どうしたらいい。どうしたら……!)
「……ダーカニール!」
思いついたのは、結界に魔法を放つことだった。僕は杖を出し、全力で結界を壊そうと魔法を行使する。僕よりアンネの方が魔力量は多い。全力でぶつかっても、壊せるかは分からない。
すると、ルネティアも同じように魔法をぶつけ始めた。
何分、何十分、何時間――果たしてどの程度、時間は過ぎてしまったのだろうか。
魔力が尽きてしまったのか、ルネティアはずるずると倒れていく。
「アンネ様……」
しばらくすると、寝息を立て始めた。
「フォーマカードゥ! ウォナルアーテ!」
アンネ以外には教えていないが、僕には全属性の魔力保持者だ。いろんな魔法を使うが、あまり効果はない。
段々と意識を保てなくなってきた。
(神様)
どうか、アンネを助けてください。
アンネさえいれば、僕は生きられるから。
――全ての神々に、願ったはずだった。




