LXV.〈青嵐の英雄〉、飛ぶ
パァンと音がして。気が付くと、戦場に戻ってきていた。
(……何とかなった、のか)
「ハァ……少し落ち着く時間がほしいわ。貴女と顔を合わせていると、本当に嫌いになっちゃいそうだもの」
光のない虚ろな鮮血色の瞳をアダに向ける〈魔王〉。
アダが杖を構えようとした次の瞬間、腹に強い衝撃が走った。
そのまま、吐いてしまいそうな感覚に陥る。
「カハッ……」
「じゃあね、少し離れていて」
〈魔王〉が、アダに蹴りを入れたのだ。
そのまま、身体に力の入らないアダは天高く飛ばされてしまった。
(ここからどうしようか……)
痛い。だが、血は出ていない。腹に残っている感覚は、足ではなく何かに覆われていた。大方、結界か何かでも張っていたのだろう。
(あぁ……だから嫌なんだ)
どこまでも、〈魔王〉はこちらを舐めているのだ。
空から地上を見下ろせば、〈魔王〉と〈英雄〉の誰かが戦っているのがぼんやり目視できた。
早く戻らなければ。だが、どうやって戻るのか。
感覚だが、100mほどの高さ。70mほどは皇都方面に飛ばされている。
湖が見え、段々と武官たちが戦っている様子も見えだした。
(このまま軌道を変えて、戻った方がいいか? いや、一旦着地した方がいいな)
大きな放物線を書いて、アダは落ちていく。魔獣と武官たちが戦っている辺りに着地しやすい場所を見つけ、その辺りに行けるよう微妙に風を調整していく。
(杖を出すのは、直前。風で飛ばされったら元も子もねぇ)
重力によって、かなり勢いがつけられてアダは落ちていく。
アダは少し焦って、早く杖を出してしまった。
「あ……」
アダの想定通り、空気抵抗によって杖はアダの手から離れて行ってしまった。アダとは違う軌道を描いて、何処かに行ってしまう。
(ヤバい)
杖なしで魔法を使うか?
杖がなければ、どれだけ魔法を使うのが不適切なのか。一度、杖を持ったことのある者は知っている。例えば、百の魔力を出したとして、杖を使えばほぼ全て百に近い数字の魔力が実際に使えるが、杖なしではそうもいかない。十に届くかどうか、というレベルしか使えない。
風の魔法を使ったところで、着地するどころかアダの体重に負けてしまうだろう。
激痛に耐えようと、アダがギュッと目を閉じる。
だが、予想していた痛みはない。恐る恐る目を開けると――
「誰かと思えば……アダさんではないですか」
のほほんとそう言ったのは、レクメリア帝国武官団第一師団団長、エックハルト・オティラだった。
「助けてくれて、本当にっありがとう存じます!」
「いえいえ~、急だったものですからね、びっくりしましたよ」
エックハルトが引いてくれた風のクッションから降り、アダはバッと頭を下げた。エックハルトは穏やかに頷いているが。
エックハルトはオティラ侯爵家の弟だ。現在は五十代らしい。もうすぐ武官団団長にもなると噂のある人物。〈魔王〉関係で、第一師団に行くことが多かったルネティアとアダは、よく世話になっていた人だ。副師団長ミーナの上司にも当たる。
「あちらはどうですか?」
「……何とも言えません」
「そう、ですか……」
アダの答えに、エックハルトは眉を下げる。
「すみません、杖どこにあるか分かりますかね……。さっき落っことして」
「あぁ、それで」
探知魔法を使ってもらい、場所を把握したアダは杖を取る。
「助けてくれて、ホントありがとう存じました、オティラさん。すみません、もう行きます」
「えぇ……ご武運を、〈青嵐の英雄〉様」
「……はい!」
自分の肩書きで呼ばれ、アダは大きく頷いた。
飛行魔法を行使し、全速力で戻る。木の上を飛ぶと、空を飛ぶ魔獣からの攻撃があるので木下を低空飛行する。
すると、アダの後ろを魔獣が走って向かってきた。
(何だよっ、くそ! 急いでるっつうのに!)
飛行魔法を行使しながら攻撃ができないわけではないのだが、魔力を使いすぎて回復薬を多用するのは避けたいのだ。常備できる回復薬にも限度があるし、わざわざ飲むために飛行魔法を止めなければならない。
(あぁ、もう、どうすんだよっ、俺!!)
そうこう考えていると、知らない声が聞こえた。
「フォーマカードゥ!」
「ヒェーログラシ!」
業火と、氷の刃が飛んできて、魔獣に刺さる。氷の刃が心臓を貫いたらしく、魔獣は灰になって消えていく。
「行け! 早く、〈魔王〉のとこ戻れ!」
「魔獣のことは気にするな!」
「私たちが何とかするからっ、絶対に勝って!」
知らない者たちだ。アダと関りがあった師団は第一師団のみで、他との交流はほぼない。
でも、アダを助けようと、こう言ってくれている。
「行け! 〈青嵐の英雄〉!!」
今度は知っている声だ。第一師団の者の声。
「ありがとう、みんなっ!」
できるだけ声を張り上げて、アダは叫んだ。それだけ言って、杖に魔力をたくさん込めた。
(行け、早く。……早く)




