XLI.真っ黒な世界のルシアン・レクメリア 中編
「……どうしようか」
「何やってんだ?」
独り言のつもりだった。
後ろから現れたのは、一人の少年──だと、当時思っていた人物だ。本当は少女である。だが、肩にも届かぬ短さの癖っ毛に、ズボンを穿いていた。そして、声も顔立ちも中性的だったので、仕方がないとは思いたい。
「……きれい」
私はポツリと呟いた。エメラルドの瞳を見て、ただそう思った。白黒ばかりだった世界に、また色が増えた気がした。
デュークの深い海のような青の髪。
フェリシアンの眩い光のような金の瞳。
そして、この子の全てを優しく包み込む自然のようなエメラルドの瞳。
「おーい、大丈夫かよ」
「……あ、うん」
「んで、お前何してんの? 見たとこ、貴族だろ。……お忍びか? それとも、逃亡か?」
どうやら、この子は私を知らないらしい。一応、魔術具によって、目立つ銀髪は香色に変えているので、バレる可能性は低いだろうが。歯に衣着せぬ物言いも、リアン以外は絶対にしてくれないので、嬉しさすら感じる。
「……とりあえず、お忍びと答えておこうかな」
実際は偵察なのだが、それを言って皇族であることがバレでもしたら最悪だ。そう考えて、私はそう答えた。
「なぁ、アンタの名前は?」
「……ルシアン」
名を言ったらバレるかもしれない。それでも、名を呼んでほしいと願ってしまった。
「へぇー、いい名前じゃん。ルシアン」
(……いい、名前)
初めて言われた。皆、綺麗とか、美しい名前だと褒め称えるけれど、私に取り入りたいからだろう。
嘘を見破るのは得意だ。目の前のこの子は、嘘をついていない。取り繕わぬ、本心からの言葉。
──それが、何よりも嬉しかった。
「……ねぇ、君の名前は?」
「名乗るほどのモンじゃねぇよ」
「俺は名乗ったんだから、君も言ってよ」
(……俺。初めて使った)
何というか、こっちの方かしっくり来る気がする。
「ハァ、もう……アダだ」
「アダ……カッコイイ名前だね」
俺がそう言って微笑むと、アダは照れくさそうにそっぽ向いた。
「んで、ルシアンは迷子な感じ?」
「……はぐれたんだ」
「…………はいはい」
少し頑なな声になってしまっただろうか。アダが呆れたように、俺を見た。
(そんな目で見られるなんて、初めてだ)
「ちなみに、目的地は?」
「……孤児院」
俺がそう答えると、アダは大きくエメラルドの瞳を見開いた。
「ど、どうしたの?」
「……いいよ。俺知ってるから案内したげる。着いてきて、ルシアン」
「うんっ」
俺は、アダに着いていくことにした。単純に困り果てていたというのもあるが、美しい色を持つ人間をもっと知りたかったというのもある。
「ねぇ、アダ。君は貴族なの? それとも平民?」
「……さぁな。俺は平民だと思ってるが、対外的には貴族かもしんねぇ」
「何? どういうこと、それ?」
俺が首を傾げても、アダは肩をすくめるだけで何も言わなかった。
「……そーだ。めちゃくちゃ混んでるけど安全な道か、すっからかんだけど危険な可能性のある道、どっちがいい?」
アダは意地悪そうな顔で言った。
俺は迷う。先程は混んでいるが安全な道で、護衛とはぐれたのだ。正直なところ、危険というのは皇族から遠ざけられる。ほんの少し、興味があった。
「すっからかんな方で」
「了解。……あ、お前の身に何かあっても、俺は責任とれねぇからな?高貴な身分とかじゃ、ねぇよな?」
ジィッとアダは俺を見つめる。尤も、俺がこの国一偉い人間の息子だとは想像もしていないのだろう。されていても困るが。
「んじゃ、行くぞ!」
アダと俺は狭い道を走り出した。
最初は良かった。薄暗くて狭いが、それだけ。
「あぁん?こんなとこで子供が何やってんだ?」
「……よく見ると──上物じゃねぇか! これはいいぞ」
ガバガバと下品に笑う男二人。
(危険ってこういうことだったのか……)
俺は何もできず、固まっていた。
反射的にアダの方を見上げると、アダはくくっと笑っていた。
そして、手を差し出したかと思うと、そこには杖がある。
「ごめん、ちょっとこれ持ってて」
「えっ、あ、うん」
アダがずっと抱えていた紙袋をどっさりと置かれる。落とすほどではないが、かなり重い。
(これを持って平然と歩いていたのか……)
「カルス・レスツィメーア!」
アダがそう言うと、緑に光る矢ができた。アダの瞳の色によく似ている。
(緑は風。アダは風の魔力保持者なのか)
「行けぇっ!」
緑の矢はそれぞれ男二人に向かっていった。
まさか魔法を使われるとすら思っていなかった男たちはヒィッ、と情けない声を上げて走っていってしまう。
ちなみに、矢は真っ直ぐ飛んでいくものらしく、途中で建物にささり、跡形もなく消えていた。
(変なの……)
「アイツら、驚いてたな。俺はともかく、ルシアンは貴族だって分かる服装だろうに」
「年齢的に幼く見られたんじゃない?」
「それはうぜぇな」
む、とアダは顔を歪める。どうやら、アダは人から舐められることが嫌いらしい。
そうして、そこからは特に危険なこともなく。
「ん、着いたぞ」
少し開けたところに、小屋のようなものが建っていた。少しオンボロである。
「……これが、孤児院なのかい?」
「そうだけど?」
驚いて尋ねる俺に、アダは呆れたようにそう返した。
当たりをキョロキョロと見回すと、扉の辺りに自分が引き連れてきた護衛たちがいるのが見えた。
「……あ」
足音なのか、気配なのかで俺たちに気づいた護衛はこちらに近づいた。
「でっ……ルシアン様、ご無事で何よりでございます!」
(……絶対『殿下』って言おうとしたよね。アダにバレたらどうしてくれるんだ)
幸いにも、アダは全く気づいていない様子だった。
「ルシアン様、そちらは?」
「あぁ、君たちとはぐれた後、アダがここまで案内してくれたんだ」
「なんと! 大変感謝申し上げます、アダ様」
護衛たちがバッと礼をすると、アダはビクッと驚いている。
「お礼をしなければ。どこか食事にでも」
「いい」
子供なので、食事と言ったのだろうが、アダは即座に断った。
よく観察してみると、アダは冷や汗をかいているし、呼吸が少し乱れている。
「……そろそろ行ってもいいか」
アダはジッと護衛たちを見上げた。
「……ほら、食材もあるし。早く冷やさねぇと。……じゃあな、ルシアン」
ひらひらと手を振って踵を返すアダに、俺は口を開いた。
「ねぇ、アダ! ……また、会えるかな?」
「知らね」
「……」
「ま、一回くらいなら会えんじゃね?」
少しデレた。
(俺としては、一回と言わずもっと会いたいけれど)
「……またね、アダ」
「ん、また。ルシアン」
別れは呆気なかった。
(……寂しい、な)
美しいエメラルドが見えないのも、燃え盛るような赤褐色が見えないのも。
(絶対に、また会って見せるからね、アダ)




