XXXV.〈ヴェヒターの結界〉ルネティア・ロード・ロデスは役立たず 中編
それは夜中、〈英雄〉の屋敷ではなく、ロデス家の屋敷で眠っていたときのこと。アンネ様と出会ってから、約一年後のことだった。
「ルネティア!」
お父様とお母様が私の部屋を訪れた。
「ルネティア、落ち着いて聞いて」
お母様が諭すように私に言った。二人の様子からして、緊急事態なのは予想がついた。
「〈魔王〉ヴェルシェールが現れたの」
(……〈魔王〉?)
聞いたことがなかった。実のところ、最後に〈魔王〉が現れたのは遠い他国で五百年前だし、そのときは大きな被害もなかった。知らないのも無理はない。
「お父様たちはね、それを討伐しに行かなきゃならない。国の危機を守るためにね」
私はコクリと頷く。〈英雄の臣従〉なのだから、行かなければならないのは理解できる。
「ルネは、今から〈英雄〉の屋敷に行って欲しいんだ。お父様とお母様と一緒に。あちらはここより強固な結界が張られているんだ。……でも、ルネが不安なら、ここにいても構わないよ。どうしたい、ルネ?」
お父様は首を傾げた。
正直なところ、一年ほどは〈英雄〉の屋敷に通っているし、両手足では数えられないくらいにはお泊まりも経験している。一人でここにいるよりかは、あちらの方がいい。それに、お父様たちの負担もそちらの方が減るのだろう。
「分かりました。〈英雄〉の屋敷に向かいます」
「ルネ……!」
不安げだった顔から、アンネ様の表情がパッと明るくなる。緊急時であるが、それが少し嬉しかった。
「……聞いた?〈魔王〉の話」
「はい」
私はコクリと頷く。アンネ様は不安げに目を伏せた。
そのとき、扉が開いた。ヴェヒター家当主であり、アンネ様の父君だ。後ろにはヴェヒター家の人間が勢揃いしている。そこには、トイフェル様やお父様、お母様の姿もあった。
アンネ様は不安げな顔を隠し、真顔になる。この約一年間過ごしてきて分かったことは、アンネ様はヴェヒター家の人間にはあまり心を許している人が少ないらしい。取り繕った表情を見せないのは、トイフェル様とヤトール様くらいだ。
「……これより、〈魔王〉討伐に向かう」
低く、重い声が部屋に響く。
「ヴェヒター家からは、私、────ヤトール、トイフェル。ロデス家からはエリック、リヒェーレ」
リヒェーレ、というのはお母様の名前だ。
(……やっぱり、私は連れて行ってもらえないんだ)
お父様やお母様の口ぶりからしても、そうだとは思っていたから、そこまで大きなショックはなかった。
目を見開いたのは隣にいたアンネ様だった。
「……駄目、です」
ポツリと、アンネ様が呟く。
「お父様──いえ、当主様、わたしを連れて行ってください」
「何故だ? 其方は次期当主になると──」
「……っ。では、辞めます。今、辞めます。トイフェルに次期当主の座は譲ります。ですから……!」
「な、なんでっ!? アンネ、僕が行く! アンネが危険に晒される必要なんてないんだよ!!」
トイフェル様が叫んだ。
だが、アンネ様はトイフェル様ではなく、当主様の方を向く。
「……お父様、おっしゃったじゃないですか。わたしが男児だったらどれだけ良かったか……と。トイフェルは男の子だから、そちらの方がいいのではないか、と迷っていらっしゃったはずです」
(……!)
そんなことを、娘に言ったのだろうか。もしくは、娘が聞いているとは思っていなくても、そんな発言をしたのだろうか。
(……当主様は、ヴェヒター家のことしか考えていない)
世間的に見れば、普通のことなのかもしれない。良いことなのかもしれない。
でも、その言葉はどんな鋭利な刃物よりも鋭い刃となってアンネ様を傷つけたことだろう。
現に、そう言ったアンネ様の手は強く、強く握られてぶるぶると震えていた。
「……」
アンネ様の苦しい言葉にも、当主様は黙っている。
「アンネ……駄目! 行かないでっ。僕が、僕が行けば丸く収まるから……」
「駄目。わたしが行く」
「アンネっ! 分かってよ! 僕が行くから……アンネを守りたいんだよっ」
アンネ様の頑なな態度に、トイフェル様は泣きそうな顔でそう言った。
それを醜い争いとしか評さないであろう当主様が口を開いた。
「来るのは誰でも良い。約二時間後に、〈魔王〉は復活する見込みだ。一時間後に出発する。それまでに誰が来るのか決めよ」
そう言って、当主様は去って行こうとした。
「お待ちください」
アンネ様は当主様に耳を借り、何かを受け取っていた。
(何をもらったんだろう……?)
その他も、我関せずと言わんばかりに当主様の後をついて行った。お父様とお母様は心配そうに見ていたが、邪魔はしないようにと出て行った。
残ったのは、私、アンネ様、トイフェル様だけである。
「行くのは私だよ。……フェルト、分かって?」
アンネ様は眉を下げて微笑む。
「……行かないで、ください」
子供の心は残酷だった。
私はアンネ様の袖を掴んでいる。行かないでほしい、と思ってしまった。
初めての、友達がいなくなるのは、嫌だった。トイフェル様より、アンネ様に残ってほしいと願ってしまった。
(……ううん、違う。私は二人で笑っていてほしいんだ。そこに私がいる必要は、ない)
「……ルネ?」
「行かないで、ください……アンネ様。私が行きますから」
「ルネ!? いやいや、待って。おかしいって!!」
アンネ様は目を見開いた。
「当主様は誰でもとおっしゃいました。私でもいいはずです!!」
トイフェル様はアンネ様が戸惑っている間に、畳みかけようと口を開く。
「君を必要としている人はたくさんいるんだよ! これから先だって、〈光明の英雄〉になってみんなを助けるんでしょっ!?」
「……っ別にいいよ!!」
アンネ様は大声を上げた。
「わたしが助けたいのはみんなじゃない。国でもないよっ! 友達、だけだもん……。フェルトとルネ――大切な人たちだけを助けられればそれでいいから!」
そこで言葉を切って、アンネ様は私たちを見上げた。
「だから……行かせて?」
「……っ、でも!」
「私はっ……」
「……そう」
アンネ様は短く呟いてから、何かを二つポケットから取り出した。指先程度の小さくて丸いものだ。
「はーい! とって!」
そして、その何かを私とトイフェル様に投げる。私たちはそれをキャッチした。よく見ると、魔術具だろうか。それに触ると魔力が吸い出されて光る。
「……アクヴィーテ」
(……!!)
アンネ様が何か呟いたと思ったら、結界が展開された。
恐る恐る触れてみれば、それを通り越すことはできない。普通の結界であれば、中にいる者に害意を持つもの以外は入れるものだ。
(対人結界……!)
この結界に私たちは閉じ込められてしまったのだ。
(私たちが、アンネ様を追いかけていかないように……)
「ごめんね、フェルト、ルネ」
アンネ様は眉を下げて微笑む。
「待ってくださいっ! 出してくだい!!」
「アンネっ!! やめて! 解いて、お願いっ!!」
トイフェル様が叫ぶのをアンネ様はただ黙って見つめる。
「アンネ、様……っ!」
「大丈夫だよ。お腹は空かないように設計してあるから」
それだけ言って、アンネ様は踵を返した。
「……お願い……行かないで、僕の太陽」
ぼそりと呟かれた言葉にアンネ様は止まる。
「お願いだ。僕を……解放して。君がここに残って」
「駄目。二人を守るのは私だからね」
そう言って、アンネ様は去っていった。
「……ダーカニール!」
トイフェル様は結界の中で闇魔法を放った。
それなら私も、と私も杖を出す。
「ツィルーフリア……! ツィルーフリアっ!!」
(アンネ様、どうか開けてくださいっ……!)
いくら頑張っても、結界は壊れない。
当たり前だ。私やトイフェル様よりアンネ様の方が魔力量が多いのだから。
「アンネ様……」
魔力が枯渇し、私は力尽きて気を失うように眠ってしまった。
(どうか、生きて帰ってきてください……アンネ様)
後編長かったらすみません……。




