XXXIV.〈ヴェヒターの結界〉ルネティア・ロード・ロデスは役立たず 前編
私の名前は、ルネティア・ロデス。ロデス家の一人娘、八歳。
家にお父様とお母様はいない。いつもお仕事だから。
使用人はいない。ロデス家の人間は、自分のことは自分でできるようにならなきゃいけないから。
だから、毎日お洗濯をして、掃除をして、食材を買いに行って、ご飯を作る。
それが普通。他の貴族なんて知らない。
「ただいま、ルネ!」
優しい声が飛んできた。お父様とお母様が帰って来たのだ。
私は口をもごもごとさせる。
「……おかえり、なさいませ」
昔から、私は感情表現が乏しかった。でも、お父様もお母様もそれを否定しなかった。一緒に過ごせた時間は少なかったけれど、たくさんの愛情を注いでくれた。
◇◆◇
そんなある日のことだった。お父様は、私を仕事場に連れていく、とおっしゃった。
ロデス家は〈英雄の臣従〉。〈英雄〉様のお世話から屋敷の護衛など、さまざまなことをこなす。お父様とお母様もその一人だった。
「……私が行って、いいのですか?」
私は幼いながらも、疑問に思った。
「いいんだよ。ルネと年の近い方もいらっしゃるからね。きっと仲良くなれるさ」
そう言って、お父様は私の頭を撫でた。
「こんにちは、ルネティアさん」
そう言って、私を出迎えてくれたのは、天使だった。
ハーフアップにされたサラサラの金髪。若草色の瞳は、まるで春の野原のように柔らかい色をしている。
「……エリック・ロデスの娘、ルネティア・ロデス、と申します」
私が少し言い淀みながらもそう言うと、天使はフワリと微笑んだ。
「エリック、少しルネティアさんとお話したいな。お借りしてもいいかな?」
「えぇ、どうぞ。ルネ、頑張るんだぞ」
お父様は私に激励を残し、私たちは別室に向かった。
その部屋に入ったのは私を含めて三人だった。
そうなってから、ようやく私は、天使の後ろにまた別の男の子がいることに気が付いた。
肩まで伸ばされた黒髪。目にかかるくらいにまで伸ばされているせいで、瞳の色が見えにくい。でも、よく観察すれば、美しいオパールが見えた。
「改めまして。わたしはアンジェリーネ・ヴェヒター。よろしくね」
先程の淑女のような笑みとは打って変わって、天使は無邪気に微笑んだ。
「……アンジェリーネ、様」
「アンネって呼んで!」
「……アンネ様」
「そう! 貴女のことは、ルネって呼んでもいい? 可愛い名前だよねっ」
年頃の少女らしく、天使は微笑む。私がコクリと頷くと、「やった」と花が咲くような笑みを零した。
「あっ、こっちはわたしの従弟なの」
「……」
「フェルト! ちゃんと挨拶しないと!」
むぅ、とアンネ様は黒髪の男の子を見る。
「……トイフェル・ヴェヒター」
そう言って、トイフェル様はそっぽを向く。
「あ~、ごめんね。悪い子じゃないんだけど、こう……心を許すのに時間がかかる子なんだ」
「いえ、大丈夫、です」
そうして、この日から私は〈英雄〉の屋敷で過ごしていくことになる。
◇◆◇
数ヶ月後、〈英雄〉の屋敷にも慣れてきた頃。
「アンジェリーネ様は少し当主様とお話があるみたいだから、先にお部屋に行っておいてね」
そう、お母様に言われて私はいつもの部屋に入った。
「……何だ、お前か」
中にいたのはトイフェル様だった。いつもながら、不機嫌そうである。
私はぺこりと会釈だけして、いつものソファー席に座った。
「……」
「……」
無言の空間が続く。私は考えることをやめ、ボーッとしていた。
トイフェル様は私──というより、アンネ様以外と仲良くなろうとしなかった。アンネ様は「心を許すのに時間がかかる子」と評したが、まず仲良くなる気がなさそう人だった。
すると、トイフェル様が口を開いた。
「アンネと仲良くするな」
私は目を見開く。そんなことを言われるとは思っていなかったからだ。まず、話しかけられるとすら思っていなかった。
「どうしてそんなことをおっしゃるのですか?」
ただ、疑問だった。
「アンネは、僕のだ」
簡潔すぎた。子供の私にも、大人の私にも理解できなかった。
少しだけ感じられたのは、独占欲。それだけだった。
「……や、です」
「は?」
「アンネ様は、トイフェル様のものではないですし、私はアンネ様と仲良くしたいです」
珍しい、私の意思表示だった。
トイフェル様も、私が反抗したことに少し驚いた様子を見せる。
「おま──」
その時、扉が開いた。アンネ様だ。美しい金髪が揺れている。
「やっほー! ……二人共、仲良くなったの?」
「そんなわけないっ!」「有り得ませんっ!」
「やっぱり仲良しじゃん」
と言って、アンネ様は大笑いしていた。
「はーい、今日は訓練だよ〜」
先代当主の従弟、ヤトール・ヴェヒター様。四十代後半くらいの男性だ。子供はおらず、こうして私たちの指導をしてくれている。戦闘では治癒士を務めることが多い人だが。
(当主様は怖いけど、ヤトール様は怖くない)
「じゃあ、前回の続きから行こうか。アンジェリーネが八勝二敗。トイフェルが六勝四敗。ルネティアが一勝九敗だね」
改めて突きつけられる自分の弱さ。
お母様は「二つ年上なのだから、当然よ。寧ろ、一勝できたのだから凄いわ」と言ってはいたけれど、一応負けず嫌いなので、悔しいものは悔しいのだ。
「それじゃあ……」
「ハー、疲れたー!」
アンネ様は、んんーと伸びをした。
土魔法を使えるのはトイフェル様だけだが、三人泥だらけである。
アンネ様が一番綺麗だが、その後にトイフェル様が水魔法で汚れを落としたので、ピカピカである。結局のところ、私が一番汚いのは変わらない。
「大丈夫だよ、ルネも絶対強くなれる! 筋がいいって、ヤトールおじ様もおっしゃってたし!」
そう言って、アンネ様は私を励ましてくださる。
──そんな日々がずっと続くと思っていたのに。




