第四詩 灰刃風庭—黄昏に愛された少女—
昼下がり。
学園の校門前には、柔らかすぎるほど穏やかな日差しが差し込んでいた。
白石で組まれた門柱の影が、地面に長く、ゆるやかに落ちている。
風は弱く、校内に植えられた街路樹の葉が、わずかに擦れ合う音を立てるだけだった。
校門を一歩越えたところで、アスハは足を止める。
「さぁて、今日はどこを見に行こうか?」
顎に指を当て、視線を空へと泳がせる。
腰のあたりで、骨尾の先がゆらりと揺れた。
──思案している時の、癖。
その横で
「歴史……聞かない?」
欠伸を噛み殺すように、短く答える声。
猫耳を揺らしながら、六猫クルミが半眼で空を見上げている。
声は眠たそうだが、気配は周囲にきちんと張り巡らされていた。
「この国の成り立ちは興味無いでしょ?」
「……ない」
即答。
微塵の迷いもない。
アスハは小さく笑って、肩を竦めた。
「だと思った。それに違和感の正体を探さなきゃ」
「……ん」
短い相槌。
クルミの耳が、わずかに前へ向く。
「じゃ、どこ行こっか?」
その問いに、クルミは答えなかった。
代わりに、ふいっと方向を変えアスハの手を掴む。
「あっち……匂い、強い」
「あっち?どっち?」
引かれるままに、数歩。
クルミの歩幅は小さいが、ためらいがない。
校舎の裏手へ。
視線が抜けた先に、広く開けた空間が見えてくる。
「ここは……演習場かな?」
石造りの外壁に囲まれた、半円形の広場。
地面は踏み締められた土と砂が混じり、ところどころに剣の擦過痕が残っている。
「多分。アスハ、あれ」
「そういうことね、クルミが感じた一人がいたわけだ」
クルミの視線の先。
そこでは、
一人の男子生徒と──
珍しい、黒髪に赤いインナーカラーを覗かせた少女が、向き合っていた。
互いの手にあるのは、刃引きされた直剣。
鋼がぶつかるたび、乾いた音が低く響く。
「……ほー。結構強いね、黒髪の子」
アスハの言葉に、クルミは答えない。
ただ、じっと。
瞬きもせず、二人の間合いを見る。
剣が交わる。
一歩、踏み込む。
退く。
その少女の動きは静かだが、無駄がなかった。
踏み込みの深さ、下がる速さ、刃の軌道。
「ねぇクルミ。わたしと黒髪の子、どっちが強いかな?」
クルミは、少し考えるように間を置いたあと、小さく首を振る。
「まじか……ちょっとショック」
クルミはその言葉には反応せず、代わりに、ふっと耳を伏せた。
「能力、使う……でも、ダメ」
クルミの頭は揺れない。
だが、尻尾が静かに足の間へと収められる。
──恐怖を感じた時の仕草。
アスハは無意識に視線を鋭くする。
───クルミが恐怖を感じるレベル……浅金の人以上に警戒度を高めないと、か───
剣戟の音を聞きながら、アスハは息を整える。
「……なるほどね。でもさ、あの子見てる限りだけど、多分獲物違うよね?」
「うん、多分……長物?」
視線は、少女の足運びを追う。
「だよね。間合いの取り方が直剣の倍くらいかな?剣には慣れてないみたいに不自然な間合いがあるね」
クルミは短く頷いた。
「ちなみにクルミならどう?能力ありで」
「多分……勝てる」
「……まじ?」
思わず声が低くなる。
「能力ありのクルミといい勝負ができるかもってことでしょ?あの子やばいな」
二人は、しばらく無言で打ち合いを見守った。
剣が弾かれ、一瞬の隙。
男子生徒の喉元に、直剣の切っ先が添えられる。
動きが止まる。
「ま、参りました」
乾いた声。
少女は、剣を引いた。
──黄昏の光が、確かに、彼女の横顔を染めつつあった。
演習場に、短い静寂が落ちる。
勝敗が決したあとに訪れる、特有の間。
剣を下ろした者と、下ろさせられた者の間にだけ流れる空気。
「いやー、さすがルシナさん。全然敵いませんでした」
男子生徒が、少し息を切らしながら頭を下げた。
その言葉に応じるように、
黒髪の少女は剣を引く。
刃先が地面を擦る音すら立てず、
静かに、自然に。
少女はぺこりと軽く一礼すると、
演習場の端へと歩いていった。
無駄のない足取り。
勝者であることを、誇示する気配はない。
アスハは、その背を一瞬だけ目で追ってから、
敗れた男子生徒へと声をかけた。
「やぁやぁ、いい勝負だったよ少年!」
突然の声に、男子生徒は目を見開いた。
「えっ──」
次の瞬間、
視界に映った銀白の髪と、揺れる骨尾。
「し、神獣天人様!?み、見てたんですか」
背筋が音を立てて伸びる。
声が裏返り、足元がもつれる。
「惜しかったねぇ」
男子生徒は慌てて首を振る。
「そんなことないですよ。僕では彼女に敵いません。何せ彼女は入学以来誰にも負けたことがないんですから」
「誰にもは言い過ぎじゃない?」
「実際戦闘訓練で負けてるところを見たことがありませんから」
アスハは、顎に指を当てる。
「ほほー。じゃあさ、ちなみになんだけど、誰ならあの子に勝てそう?」
男子生徒は、少し考えるように視線を逸らした。
「そうですね……」
間を開け、今までの訓練を思い出す男子生徒。
「お互いが試合をしているところは見たことがありませんが、彼なら勝てるかもしれません」
「彼?誰のこと?ここにいる?」
男子生徒の声が、少しだけ敬意を帯びる。
「いませんよ。あの人は特別ですから」
アスハは微笑みながらうなずく。
「特別、か。その人の特徴を教えてもらえる?視察期間中に会うことがあるかもしれないから」
「ええ。いいですよ」
男子生徒はわずかに胸を張った。
「彼の名前はアルト様。どこかの王族のようですが、あいにく僕のような小市民では、お近ずきになることも叶わずですが」
「アルト……」
一瞬、耳の奥で音がした気がした。
男子生徒は続ける。
「はい。あ、特徴ですよね。目が覚めるような浅金の髪色をしていますよ」
───……っ!?───
内心で、何かが弾けた。
だが、アスハの表情は崩れない。
呼吸も、視線も、平静のまま。
「浅金の髪色ね。ありがと」
「いえいえ。お話出来て光栄でした」
男子生徒は深々と頭を下げ、足早に演習場を後にした。
その背を見送り、アスハはゆっくりと息を吐く。
───浅金の髪色。ここで絡んでくるんだ。アルト、ね───
クルミがアスハの袖をちょんとつまんだ。
「……大丈夫……?」
小さな声。
心配をそのまま形にしたような響に、アスハはゆっくりと微笑んでうなずく。
「うん、大丈夫。心配してくれてありがと」
そう言ってクルミを抱き上げる。
「心配してくれるクルミ可愛いなぁもう」
クルミのしっぽが嬉しそうに揺れた。
演習場では、その後も幾組かの試合が続いた。
剣の音。
掛け声。
砂を蹴る足音。
やがて──
夕陽が、低く差し込み始める。
オレンジ色の光に染まる広場。
その端で、黒髪の少女が佇んでいた。
剣を収め、どこか遠くを見つめる横顔。
黄昏色が、その輪郭をやさしく縁取る。
───あの子に話しかけるのは、また今度でいいかな───
太陽がさらに傾き、演習場に長い影が落ちる。
やがて、帰寮の鐘が静かに鳴り始めた。
アスハとクルミは、顔を見合わせる。
「さ、帰ろっか」
クルミは、無言で頷いた。
校舎の影が、二人の前に伸びる。
並んで歩く足音が、石畳に重なる。
視察期間中のアスハとクルミは、いつもこうして、一日の終わりを迎えていた。




