第一詩 召命遠偵 —風の国へ—(2/2)
◆ 宿・酒場(夕刻)
宿の一階は酒場になっており、暖色の光が柔らかく揺れている。
旅人や商人たちが賑やかに談笑し、魔導楽器が低く独特の音を鳴らしていた。
アスハが扉を開けた瞬間、クルミが袖を掴んで立ち止まる。
「……アスハ、あれ」
「え? どれ?」
クルミが視線で示した先——
店の奥の小さな舞台で、一人の少女が詩を読み上げていた。
淡い紫の髪が揺れ、手元の簡素な竪琴をつま弾く指は繊細で、
声は澄み、どこか湿った風のように胸を撫でる。
「……あれ、詩人」
アスハは目を凝らす。
「詩人? 吟遊詩人? ……って、あれ……セシリアじゃない?」
クルミは匂いを確かめるように鼻を動かし、コクリと頷く。
「セシリア……匂い……一致」
「なんであの子、こんなところで吟遊詩人やってんの?」
「知らない」
「なら突撃だーー!」
アスハは手を振りながら舞台の近くへ駆け寄る。
セシリアの歌い終えた声が酒場の空気に溶ける。
観客のまばらな拍手が散り、照明がふっと弱くなる。その隙間で、彼女はアスハたちに気づいた。
「あれぇ? アスちゃんとクルちゃんじゃん!
すっごい久しぶり!」
セシリア・オルコット。
オルコット騎士爵家の末娘であり、若き天才歌姫。
アスハの大切な友人の一人だ。
軽く跳ねるように手を振るその仕草は、昔と変わらない。
クルミは表情をほとんど動かさず、淡々と手をあげた。
「……久しぶり」
アスハはひと呼吸置いてから、真正面から切り込む。
「なんで吟遊詩人の真似事なんてしてるの?」
なんでもない問いに、セシリアは途端に視線を泳がせ、
頬をかきながらバツの悪そうな笑いを浮かべる。
「いやぁははは……ちょっと、路銀が……」
アスハは深いため息をついた。
「いつもみたいに歌えばいいのに。その方が需要あるでしょ」
「ちょっとギルドとトラブっちゃってさ、今は顔出しづらいんだよね」
「なにやってんのさ……」
アスハの眉は呆れの形をつくっているが、
目元には“再会の嬉しさ”が隠しきれずに滲んでいた。
セシリアは肩を落としつつも、どこかほっとしたような表情で二人の席へ腰を下ろす。
彼女は旅人たちのざわめきの間に、小動物のように丸く収まった。
「ていうか二人はなんでグランセリアに居るの? お仕事?」
「そ。なんか霊脈異常っぽいから調べて来いってさ」
「神獣様は大変だねぇ」
アスハは机に置かれたメニューを取り、ひょいっとセシリアへ向ける。
「あ、セシリア何か食べる?」
「いやいや悪いよっ!」
セシリアは両手を前に出し、大げさに手を振って遠慮を示す。
その手をアスハが軽く掴む。
「いいって。どうせその分ならまともに食べれてないんでしょ?」
図星を刺されたセシリアは小さく肩を震わせ、
やがて観念したように視線を落とした。
「うっ……じゃあ、お言葉に甘えて」
「あ、お酒はダメだからね」
「飲まないよ!」
三人の声が、一瞬だけ酒場のざわめきを押しのけた。
温かく、懐かしく、そして静かに再び繋がった縁の音だった。
酒場の雰囲気は柔らかく、三人の会話は温かい波のように広がっていく。
こうした“普通の夕食”は、アスハにとって久しぶりだった。
翌朝。
風の匂いが濃い。
王都グランセリアは早朝にもかかわらず賑わいがあり、様々な制服の学生らしき若者たちが軽やかに通りを駆けていく。
アスハとクルミは、その流れに逆らうように勇者育成学園へ向かった。
◆ 勇者育成学園
学園の正門は、光を含んだ巨大なアーチが霊脈に合わせて淡く震えている。
門をくぐると、中心にそびえる白塔が視界を支配した。
塔の頂から流れ落ちる風は、まるで透明な滝のようで、触れれば指先が痺れそうなほど清冽だ。
「ここ、相変わらず立派だよね……」
アスハのぼそっとした呟きに、クルミが小さく頷く。
「高い……揺れてる……好き」
「クルミは本当に“高さ”好きだね……」
軽口を交わしつつ、二人は学園長室へ通される。
重厚な扉が静かに開くと、白銀の髪を整えた初老の男が深く頭を下げた。
「お待ちしておりました。九席様、六席様」
アスハはソファに腰を下ろすことなく、そのまま問いを投げた。
「あなたがここの責任者?」
「はい。ゼルド・グレイフと申します」
ゼルドの声は穏やかだが、背筋は緊張しきっていた。
神獣天人を前にして無理もない。視線が時折アスハではなく、彼女の骨の尾へと向く。
慣れていない者は皆そうだ。
アスハは淡々と問い続ける。
「単刀直入に聞くけど、霊脈にイタズラしてないよね?」
ゼルドは慌てて両手を振る。
「滅相もございません! そのような恐れ多いこと、我々教論はもちろん、学生たちにも……」
「だよねー」
アスハは少しだけ息を抜くように肩を落とした。
敵意も嘘も感じない。
「クルミ、どう? どっか匂いする?」
クルミは部屋の空気を深く吸い、霊脈の“揺れ”を確かめるように目を閉じた。
「……しない。今は」
「そっか」
アスハは一歩前へ進み、声をわずかに低くした。
「では神獣天人第九席の名において命じます。
——霊脈異常の原因究明、解決に至るまで滞在します。
わたしたちへの協力は惜しまないこと、諍いの種を持ち込まないこと。
守れますか?」
ゼルドは背筋をさらに伸ばし、深々と頭を下げた。
「もちろんでございます。明日、全校集会にて全生徒にも周知いたします」
「よろしい。それじゃ、一度宿に戻るね。また明日」
「お待ちしております」
部屋を出たあと、アスハはふっと息を吐いた。
(やっぱり、嘘じゃない。
……じゃあ、この異常はどこから?)
クルミも同じ疑問を抱いているはずだった。
その証拠に、彼女の尾がわずかに揺れている。
◆ 宿・酒場 ― 夜の底へ
宿へ戻ると、酒場は昨日よりも静かだった。
客はまばらで、霊脈灯の光がテーブルに淡い影を落としている。
アスハは椅子に腰を下ろし、クルミも無言で向かいに座った。
しばし沈黙が落ちる。
「クルミ、どうだった?」
アスハが訊ねると、クルミは小さく首を振った。
「嘘……言ってない」
アスハは店員が持ってきてくれていたマグカップを手に取り、軽く揺らす。
「おっけー、それなら明日からは普通に動けそうだね」
だが、その言葉とは裏腹に、アスハの表情は曇っていた。
霊脈の揺れは、ノエンスでも、飛行船内でも、そして王都でも僅かに“ぶれている”。
その“揺らぎ”が何を意味するのかは誰にも分からない。
「しっかし霊脈異常が人為的じゃないとなれば、一体……?」
アスハの呟きに、クルミは静かに目を伏せた。
猫の尾の先で空気を探るように揺らし、“何か”を感じ取ろうとする。
酒場の扉が、不意に風で軋んだ。
まるで夜そのものが、二人の会話を聞きに来たかのように。
アスハは背筋を伸ばした。
───明日になれば、もっと揺れが強くなるかもしれない───
胸に不安が刺す。
だが同時に、彼女は“使命感”を燃やしていた。
───大丈夫。
わたしは九龍アスハ。
この揺れの原因……絶対に見つけ出す───
風が窓を叩き、ランプの火が少し揺れた。
その揺れは、まるで——
“始まりを告げる合図” のようにも感じられた。




