寄す処 ④
ただ、前へ走る。
どこまでも遠く、誰もいない場所へ。
何で、まだ生きているんだ。
何で、俺は……まだ、こんなふうに、走れているんだ。
一丁前に足を動かして、腕を振って、呼吸して、涙を浮かべて。
全部。
全部、赦されていい訳がなかったのに。
あの人の顔を、目を、声を、あれだけ真正面からぶつけられて――。
「俺はお前を赦さない、赦すつもりもない。お前がどんな顔していようが、どれだけ汗を流していようが――!」
そうだ。
俺は確かに、誰かの人生を終わらせた。
あの人にとって大切な娘を、家族を、たった1人の人間の未来を。
くだらない理由で、俺が殺したんだ。
誰かの手伝いをして、感謝されて、仲良く笑って。
そんな資格、俺にあるのか?そんなことして、何になる?
「数え切れぬ犠牲者の上に立つ権利が、アイツにあるはずがないだろうッ!! 」
「……今すぐこの場で、イレイノムに喰われてくれた方がよっぽど納得がいくんだよッ!!」
そうだよ、死ねばいいんだ。
もう俺に生きる意味も価値も――。
「その先に進むことは、お勧めしません」
「ッ!」
Dエリアと外との境目。
そこへ足を踏み掛けた時――。
ラスタさんの声が、俺の背中に突き刺さった。
「ラスタさん、止めないでください」
「…………私は貴方をどうすべきか、分かっていません」
「なら俺の意思を汲んでください、俺は……もう消えたいんです」
「……………………」
「俺はこの世界で、何かをしないこともすることも許されないんです。なら、もう消えるしかないじゃないですか」
「ミナト…………」
「あなたやクロムさんにも、これ以上迷惑は掛けられません」
「私は、お勧めしないと言っているんです…………」
「行かせてください!お願いします」
「やりたいのにやれないってのも、酷な話だろ?」
「それが本当に、貴方のやりたいことですか?」
「…………はい」
「消えたいんですか?」
「はい」
俺の言葉に、嘘はない。
ラスタさんも、それを感じ取っているはずだ。
「…………分かり、ました」
「ありがとうございます。あっ――そうだ……これ」
ポケットに入れていた手紙を、ラスタさんに手渡した。
「こうなるかもってずっと思ってましたから、作業の前にペンと紙を拝借してました。クロムさんに……渡してください」
「………………」
ラスタさんは何も言わず俯き、黙って俺の手紙を受け取ってくれた。
「……俺も良かったって思いました、あなたと一緒に働いたこと。こんな思いしたらいけないんですけど……思っちゃったのは事実ですから、言わないといけませんよね」
「……………………」
「さよなら」
「…………さようなら」
結界の外。
皆の場所から、俺は抜けた。
俺は、廃墟の間を駆けていた。
足が荒れた地面を蹴る度、足に重くなって動きを妨げる。
疲労が残ったままの身体は、まるで鎖でも巻かれているみたいに重い。
心臓がバクバクと脈打っている。
けれど、それ以上に、胸の奥の焦りが煩くて仕方なかった。
「どこだ……ッ、ラスタ⁉」
少し先、結界の境。
さっきまでミナト君と一緒にいたラスタが、じっと立っていた。
その場から動かずに、ただ結界の外へ眺めていた。
俺は全力で駆け寄る。
「おい、ミナト君は…………何だよ、それ」
「……彼が残していきました」
ラスタは俺を見ずに外を見詰めながら、俺に折り畳まれた紙を差し出す。
俺は取り、畳まれた紙面を広げる。
そこには俺に宛てたメッセージがあった。
「貴方に渡してくれと、手渡されました」
「…………行かせたのか!?」
「……はい」
「ッ、何でだよッ!!」
気づけばラスタの肩を、俺は掴んでいた。
彼女は、まだ振り返らない。
「ミナト君は死にに行こうとしてるんだぞ⁉分からなかったのか!!」
「……やりたいのにやれないのも酷な話だ、と……貴方が仰っていたので」
「それとこれとは話が違うだろッ!!」
力一杯彼女の肩を引っ張り、強引にでも振り向かせた。
「ッ!」
ラスタの目に、涙が零れていた。
それを見た瞬間、言葉が、息が、止まった。
普段、冷静な彼女が、初めて泣いていた。
初めて、彼女の心の奥底を感じ取れた。
「分からないんです……何も――」
「………………」
「教えてください。彼を止めれば良かったのですか…………許せば良かったのですか、責めれば良かったのですか。私から流れるこの涙は一体何なのですか…………」
声が震えていた。
今にも崩れ落ちそうなほど、不安定だった。
「俺にだって分からないさ…………でも、俺は人を守る為にアンサラーになったんだ。だからミナト君を見捨てる真似はしない!」
ラスタは俯いたまま押し黙っている。
「たとえ、ミナト君が望んだことだろうが……俺は止める!」
「しかし、それは――」
「ミナト君の意志は関係ない!俺は、彼に生きて欲しいって思うから追い掛けるんだ!!お前はどうなんだ⁉」
「私…………」
「悔しいんだろ、止めることが出来なくて……だから泣いてるんだろ!!」
「悔しい…………そうか。だから私は――」
ラスタは、流していた涙を拭い去り、弱くなっていた彼女の顔が、元の冷静沈着な顔に戻った。
だがその目には、これまでとは違う、確かな熱が宿っている。
「一緒に、ミナト君を止めに行くぞ!」
「はい!」
ラスタはしっかりと頷き、共にミナト君の捜索をするため、結界の外へと出た。
俺達は走る。
「ミナト君はどっちへ向かった⁉」
ラスタは指を差して答える。
「あそこの山の方角です…………!」
「分かった!」
それ以上の会話は無く、俺達は黙々と一直線に進み続ける。
同じ方向を見詰め、同じ目的を持って行動する。
前と変わらないはずなのに、今は――。
どこか、違っている気がした。
どれくらい歩いただろう。
気づけば、もう人の気配はどこにもなかった。
アスファルトの道路、枯れ草の上を踏む音だけが、自分の存在を証明していた。
俺が今いる場所に、安全地帯はない。
いつイレイノムが現れ、自分に襲い掛かって来るか分からない状況だ。
分かっている。
だからこそ俺は、歩いているはずだった。
なのに――。
戻りたい。
そんな思いが、ふと過ってしまう。
違う、違う、そんな訳ない。
覚悟はした。
今更、何を期待してる。
許されないのに、もう2人に顔など持ち合わせていないのに。
でも……。
クロムさんは、何も知らずに俺を助けて、俺に仕事を託してくれた。
ラスタさんは、何も言わずに手紙を受け取ってくれた。
眩しかった2人と一緒だった時間。
あの作業の時間、ただ誰かと肩を並べて、何かのために手を動かしていた時間。
忘れられなかった。
それは、俺にとって楽しくて、優しくて、嬉しいものだった。
だから思い出すだけでも――。
「……馬鹿だな、俺」
こうして、足が止まってしまう。
冷たい風が頬をなでていく。
涙か汗か分からないものが、瞼の端に滲んでいた。
思っては、いけないのに。
2人にまた受け入れられたいと、望んでしまう。
どうしたら俺の行いが赦されるのかと、考えてしまう。
そんな時に――。
視界の端で、奇妙なものが目に入った。
「剣…………?」
ほんの十数メートル先。
崩れかけた歩道の脇に、古びた一振りの剣が不自然にも突き立っていた。
西洋の物語にでも出てきそうな、古風な意匠を柄に拵えた剣。
「何で、こんな物が……」
どうしてかあの剣から目が離せない。俺の足は自然と剣の方へ進んだ。
捨て置くことも出来たのに。
けど何故か、あの剣に惹きつけられてしまう。
突き刺さったまま、誰にも拾われずにあるそれが――。
まるで、俺だけを待っていたかのように見えた。
「……………………」
歩く。
一歩、また一歩と近づく度に、胸の奥がざわついた。
鼓動が速くなる。息が荒くなる。
あの剣を見てから何かが、俺の中で目を覚まし始めていた。
「……ッ」
間近に迫った瞬間、俺は震えた。
この剣から発せられた熱い振動が、俺の身体を撫でたからだ。
俺は理解した。
この剣には間違いなく、力があると。
ただの金属ではない、ただの武器でもない。
言葉も発さず、動きもしないのに。
手を伸ばせば、自分を変えてしまう程の何かを得られると確信出来た。
証拠も、根拠も、何もいらなかった。
頭ではなく、心臓が、それを知っていた。
何かを殺す力。
何かを守る力。
何かを変える力。
自分にはないものが、確かに剣にある――。
「……………………」
あの戦いを思い出す。
イレイノムから皆を守り、撃破して、感謝される姿を。
もしこれを握って、剣が俺に力を与えてくれるとしたら――。
俺はもう一度、人の為に何かが出来るかもしれない。
そんなことは許されない、きっと救われようとする偽善だ。
でも――。
全ての人生を引き換えにして偽善を成し続ければ、本当の善になったりはしないだろうか。
そんな都合の良い理屈が、あり得ないことぐらい分かっている。
けれど、それでも。
この剣を前にした俺にはもう、何もせず消える選択は出来なくなっていた。
指先が、柄に触れる。
「ッ!」
正体の掴めない振動が、心の奥で震えた。
感じたことのない体内の感触に、鳥肌が立つ。
この剣を抜けば、俺は今のままでいられなくなるかもしれない。
いいのか、本当に?
「はっ…………!」
一瞬、躊躇し掛けていた自分を笑う。
今のままではいられない?
今の自分に、価値などないじゃないか。
指に力を込める。
「――――――ッ!――ナ――ッ!!」
遠くから、誰かが叫んでいた。
喉が裂けそうなほどの必死な声。
風に流され、それでも耳の奥に残る音。
でも、構わなかった。
俺はただ静かに、剣を抜いた。
「………………ァ……………………」
全てが――。
白い靄に、飲まれていく――。




