寄す処 ③
Dエリアの外れ。
白く染まった建物の残骸が並ぶ、その場所は、誰も近寄らない空間だった。
地面も壁も、あの触手のような蔓に覆われた痕跡がくっきりと残っていて、生々しいというより――。
もう、現実の外側にあるようだった。
言葉では表しようのない、冷たさがあった。
「ここなら誰も来ないでしょう………………話してくれますか。貴方と先程の男のことを」
「…………4年前、火を付けたんです。通ってた中学の体育倉庫に」
ラスタさんは反応を示さず、ただ聞いていた。
「少し焼け跡を付けてやろうと思ってたんです。俺、学校では1人で……勉強も運動も何1つまともに出来なかった。だから、事件を起こしたら――」
余りに下らない自分の動機に、口が止まってしまう。
「大物になれるんじゃないかって考えたんです。馬鹿ですよね、本当に…………」
「……………………」
「でも、火は俺の思っていた以上に燃え広がって、備品整理で中にいたあの人の娘……朝倉ユイさんを俺は、この手で…………」
「助けを呼ぶ声も、放課後で一早く気づける人がいなかった。俺は火を付けた瞬間にあの場から逃げていて、あんなことになっていたのも俺は知りませんでした……!!」
視界がにじんでくる。
涙じゃない。
けれど、目の奥が焼けるように熱い。
「煙が校舎に立ち上っていくのを、俺はただ遠くから眺めてただけだったんです。それで翌朝になってから、名前を聞かされて――」
思い出す。
教室で、教師が静かに言った。
「……残念ながら、朝倉ユイさんは昨夜、火災によって命を落とされました」
その瞬間、教室の空気が凍ったのを今でも覚えている。
皆、どこか遠くの出来事みたく感じて、誰もが信じられないといった顔をしていた。
けれど――。
俺だけは、違った。
全身の血が引いた。背中が汗でぐっしょり濡れていた。
「えっ」
「うそ……」
「まじで……?」
そんな声が教室のあちこちで上がっていたけれど、俺の耳には届いていなかった。
頭の奥で、ずっと同じ言葉が反響していた。
――俺が、殺した。
俺が付けた火で。
俺が気持ち悪くニヤニヤしながら、誰にも見つからなければいいと願って。
でも、燃えたのは備品だけなんかじゃなかった。
失われたのは、取り返しのつかない1人の命だった。
「誰かがいるなんて思ってなかったって、大事にするつもりはなかったって……全部、言い訳だって分かってます!本当に最低だ。俺は、最低なんです…………!!」
胸の奥に溜まっていたものが堰を切って、溢れて、止まらなかった。
言葉にする度に、自分がどれだけ馬鹿なことをしでかしたかが、改めて突き刺さる。
「俺、それから何も考えられなくて。学校にも通えなくて……何日も経ってから、自首しました。自分の足で交番に行って、全部……言いました。嘘ついたって、意味がないと思ったから……」
「……………………」
「でも、少年だったから……保護処分で済んでしまいました。そりゃあ父親も恨みますよね、家族の命を奪ってるのにこれで社会的に済んでしまったら…………」
ラスタさんは最後まで、何も言わずに聞いていた。
反応を示さず、責めることも、庇うことも、しなかった。
「…………これが、顛末です」
「……話は、理解しました」
ラスタさんは静かにそう言ったきり言葉は無く、視線を外さずじっと俺を見ていた。
俺も、ラスタさんに何も言えなかった。
頭に浮かぶ言葉は、全て口に出すものではないから。
「正直に言って、私は貴方に何を言えばいいのか分かりません。判断が出来ません」
「………………」
「私はアンサラーを導く立場であり、常にクロムの行いの手助けに努めて参りました。正しき行いを見極め、時に諌め、時に背を押す…………それがエルダーの役割であると、私は思っています……ですが――」
「今、私は貴方の行いをどう評価すればいいのか…………分からないんです」
風が吹いた。
廃墟の間を通り抜ける、冷たい風。
でも、ラスタさんの声はその風に掻き消されることなく、はっきりと届いていた。
「貴方のしたことは、間違いなく取り返しの付かないことです」
「…………はい」
「けれど、貴方がその過ちに向き合おうとしているのも……また、事実です」
「………………」
「申し訳、ございません」
彼女の目は、変わらず俺を見ていた。
彼女の言葉に何1つ偽りはないと分かる。
自分の抱いている考え全て、俺に話してくれているんだ。
「ただ――」
「?」
「私は……貴方と今日、一緒に作業が出来て良かったと思っています」
「ッ!」
「そして、貴方が一生懸命であったことを私は……確かに見ていました」
「…………ありがとうございます」
その言葉だけで、胸の奥がじんと熱くなった。
誰にも許されることのない俺が、それでも何かに向かって進もうとしていいのかもしれないと――。
少しだけ、そう思えた気がした。
「んん……………………」
目が覚めた。
窓の外に差し込む光は赤みを帯び、辺りには静かな風の音が漂っている。
太陽はもうほとんど落ちかけていた。夕方というには遅すぎて、夜というにはまだ少し明るい。
「……もうこんな時間か」
寝落ちしていたらしい。
枕代わりにしていた腕が痺れていて、ゆっくりと体を起こすと、ずっしりとした疲労感が背中から残っている。
けれど、それ以上に心配だったのは。
「作業は……もう終わってるかな」
ラスタとミナト君の姿がふと、脳裏に浮かぶ。
ラスタの奴は、妙なことをしていないだろうか。
まぁ杞憂だろう、というか杞憂であって欲しい。
ミナト君も俺の代わりにと、張り切り過ぎていないか心配だ。
「様子見るか…………」
ちょっとは回復したし、まだ終わってないなら手を貸さないとな。
ドアを開けると、夕暮れの空気が肌に触れた。
日が傾き、地平線の彼方を朱色が染めている。
車から降り、足元のアスファルトを踏み締める。
「おっ」
目に入ったのは、きっちり並んだテントの列だった。
必要であろう数の仮設住居が、すべて完成している。
本当に112人力発揮してくれたのかもな、ちゃんと2人に礼を言わないと。
しかし――。
軽く見渡してみたが、あの2人の姿が見当たらない。
それに、空気が変だ。
作業が終わって寛いでいる感じは無く、むしろどこか緊張感が漂っていた。
誰かが笑っている声はない、叫んでいる声もない。
ただ、人々が沈黙のまま、何かを避けるように視線を交わし合っていた。
小声で何かを話している者もいたが、近づくにつれて皆沈黙し、俺の顔を覗いている。
何かがあったことは、否が応でも察せられる。
俺はその原因を問いただそうと、住民達に近づこうとした時――。
「クロムさん……」
「?」
1人の中年の男性に、呼び止められた。
「霧島ミナトを連れて来たのは、アンタだよな……」
「…………」
「そうなんだろ?」
何だ?
言葉に棘はないのに、鋭い。
まるで、深く研がれた刃物を突きつけられているようだった。
はいと答えてはいけない空気が、この人から滲み出ている。
だが、事実に嘘はついても仕方がない。
「……そうですが――」
「なぜあんな奴を連れて来たんだッ!!」
「ッ⁉」
左肩を強く、掌で叩かれた。
ぐらりと身体が揺れる。
殴られた訳じゃない、けれどこれは重い怒りが乗った力だった。
「一体、どう言うことですか……?」
周囲の視線が一斉にこちらへ集まる。
沈黙。
しかしそれは無関心ではなかった。
この事態がどうなるか見届けるように、全員が俺と彼を注視している。
「霧島ミナトは……俺の娘を殺した奴だ」
「――え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
耳に届いた言葉は、あまりに重いものであった。
ミナト君が――。
人を、殺した。
その意味が頭に染み込むまでに、数秒を要した。
血の気が引いていく。足先が冷たくなっていく。
息を呑む音が、周囲のあちこちから聞こえた。
ざわめきが、さざ波のように広がる。
「やっぱり、あの子…………」
「さっきまで、普通に一緒に作業してたのに……」
「人を殺したって……そんな……」
男の目。
そこには確かに、怒りだけではなく深い悲しみが宿っていた。
「俺の娘の名前は、朝倉ユイ。14歳だった」
「………………」
「中学の体育倉庫で、火災に巻き込まれて死んだ。犯人は霧島ミナト。そいつは火を付けて逃げたんだ!」
「そんな……⁉」
今までの彼の振る舞いが、脳裏に次々と浮かぶ。
確かに彼は俺とラスタをナイフを使って脅迫した、でもそれは極限状態だったことが原因だ。
その後は違う。
俺に恩を返したいと一生懸命で、真っ直ぐだった。
そんな彼が――。
「……………………!」
自分の呼吸が、自然と浅くなっているのが分かる。
心のどこかで嘘だと叫びながらも、けれど男の言葉に嘘の響きを感じず、本当だと分かってしまう。
目の前で泣きそうなほど顔を歪める父親の姿が、何よりの証明だった。
それは俺にとって、痛い程――。
「……分かります。あなたの怒りも苦しみも……俺には、分かるつもりです」
言葉が震える。
これは恐らく、この人にとって言ってはならないことだ。
けれど、それでも前に出た。
真正面から、父親の怒りを受け止めながら、俺は言わなければならない。
「でも……俺たちは今…………生き残ることすら、約束されていないんです」
「……ッ!?」
「この集落から一歩でも外に出ればイレイノムに襲われ、消え去ってしまうかもしれない!俺達が今いるのは……そういう世界なんです」
自然と、声が少し大きくなった。
自身の内にある躊躇いを、掻き消したくて。
「そんな時に……人を責めることだけに時間を使ってる場合じゃない……!!」
「何だと――⁉」
父親の顔が、歯を食い縛んで歪む。
拳を握り締め、眼差しの奥に残る熱が更に燃え上がる。
「……じゃあ、お前は!あいつのしたことを、許せというのか……!?」
突きつけるような声。
しかし俺は、首を横に振った。
「違います。俺は、ミナト君の過去をなかったことにしろなんて言いません!でも、今だけは手を取り合っ――」
「冗談じゃないッ!!」
「ッ!」
「なぜ、娘を殺した奴と協力しなければならない!やった、生き延びたぞ…………と、共に喜ばなければならないのかッ⁉」
父親の怒声が集落の空気を裂く。
「可笑しいと思わないか……?」
「………………」
「何の罪もない善良な人々が、どれだけ消えていったと思ってる……⁉どうして人の命を奪った奴が生き残っているんだ……!?」
何度も声を張り上げて声が掠れている、それでも男は叫んだ。
「数え切れぬ犠牲者の上に立つ権利が、アイツにあるはずがないだろうッ!! それをアンタは……未来のためって理由で、目を瞑れと言うのか…………⁉何様のつもりだッ!!」
「ッ…………!」
「………今すぐこの場で、イレイノムに喰われてくれた方がよっぽど納得がいくんだよッ!!」
「………………………………」
何も、言い返せない。
最早俺がどんな言葉を返そうとしても、この人の前では全てが偽善になってしまう。
でも。
それでも、俺はミナト君を――。
「ッ!」
視界の隅に、微かに揺れる何かがあった。
自然と、目がそちらへ向く。
夕暮れの中、少し離れた廃墟の陰に、ぼんやりと立ち尽くす2つの影があった。
ラスタと――。
ミナト君だった。
その場所から、声が届いていたのかは分からない。
いや、彼には間違いなく届いていた。
この人の怒りと悲痛。
そして、俺がそれに何も言い返せなかったのを見ていた。
「ッ!」
ミナト君が、踵を返して走り出す。
最悪の展開が嫌でも脳裏に過った。
彼が、父親の言うように――。
自分を消そうとしているのではないかと。
「ミナト君ッ!!」
隣にいたラスタが、反射的に彼の後を追う。
そこに迷いも、躊躇もなかった。
俺も遅れて走り出すが、足が思ったようには動かせなかった。
呑気に休みたいと訴える身体を、恨めしく思った。




