寄す処 ①
「Dエリアに着きましたか?」
「いや、あともうちょい先」
Dエリアから数キロ離れた廃町に差し掛かる。
以前はここにも避難民がいたのだが、イレイノムが1度襲撃したことが原因で、今のDエリアへと移り住んだ。
建築物や道が白く変わり、色のある物を見つけるのが難しいくらいだ。
「ここにも前は通勤する人とか……学校に友達と一緒に通う学生、集団登校する子供達、そんな光景が当たり前にあった場所だったろうにな」
「…………」
道もほぼ白いが、即座に通り抜ける分にはタイヤへの影響はない。
寄り道もせずさっさと――。
「ッ!?」
人が路上でうつ伏せになって倒れている。
顔は見えないが、体格的に恐らくは男性か。
道が無事な箇所に車を止め、ラスタと共に急ぎ駆け寄った。
「大丈夫か!?おいっ!!」
揺すっても反応がない。
白くなった場所に長くいたら、イレイノムに触れられたのと同様に消失してしまう。
早く、この人を抱えて車に移動させないと。
肩を掴んでこの人の身体を仰向けにし、首と両膝に腕を回して運び込んだ。
男を車内に寝かせる。
制服の名残のようなシャツを着ていてまだ高校生くらいに見えた、俺より年下かもしれない。
頬はこけ、唇は乾いていた。
肌のあちこちには擦り傷や痣がある。
どうして1人であんな所に、ずっとさ迷っていたのか。
「……ん、う……っ」
「っ!」
僅かに男が呻いた。
「おい、大丈夫か、どこか痛む場所とか――ッ!」
彼は目覚めた瞬間、瞬時に強い反射で身体を起こし。
カッターナイフをポケットから取り出し、刃を向けた。
その目を見開き、俺達を睨んでいた。
その目に宿っているのは怒りなんかじゃない。餓えた獣のような必死な焦燥だった。
「持ってんだろ、水とか……食糧……」
掠れた声で言う。だがその声音には切羽詰まったものがあった。
「……俺に寄越せ!」
「お、おい……落ち着けって。降ろせよ、それ……!」
「うるせぇ!こうでもしなきゃ誰もくれねぇんだろ!」
声が震える。
「いいから寄越せよ!頼むから……!」
どうする。
正直、カッターナイフは今の俺にとっては凶器じゃない。
容易く取り上げることが出来る。
でも、今の彼に乱暴はしたくない。
どうにかして対話で――。
「ッ⁉」
「あ、ぁ…………」
目の前の少年の身体が、ふらりと揺れた。
足元が崩れ、そのまま膝から落ち、再び倒れてしまった。
刃が、床にカランと転がる。
空腹と脱水。極限状態で、限界を超えていたんだ。
俺はすぐに駆け寄り、そっと彼の身体を仰向けにして寝かせて荷物から飲料水を取り出した。
それを、彼の唇に近づける。
温い水が、その唇に触れた瞬間――。
彼は僅かに眉を動かした。
「飲めるか……ちょっとずつでいい」
そう声をかけながら、水を一口、二口。
ごくりと喉が鳴る。
「……は、はぁ……っ」
彼が、苦しげに息を吐いた。
意識が戻ってきたのか、こちらをぼんやりと見つめる。
その顔に、俺は静かに声をかけた。
「……最初から、欲しいって言ってくれりゃよかったのに」
「……え?」
「水でも、食べ物でも。お前がそう言ってくれたら、普通に渡してたよ」
「……………………」
「腹も減ってるんだろ。何か今すぐ食べられる物あったかな……?」
「どうして…………」
「ん?」
「俺はアンタらを脅したのに、何で…………」
「何でって言われても……なぁ?」
「私に同意を求めないでください。助けたのは貴方です」
「ははは!ほら……パンの缶詰。開けといたよ」
「…………いいのか?」
「さっさと食いなよ」
彼は俺からゆっくりと缶詰を取ると、中のパンを千切って口に運んだ。
中で咀嚼し飲み込んで、また千切って口へ。
ゆっくりと、噛み締めるように彼は食べていた。
「…………美味しそう」
「お前は朝食べたろ」
「あの…………」
「ん?あぁ、もう食べ終わったか」
「ありがとう、ございます…………」
「どういたしまして。君、名前は?」
「霧島ミナト、です」
「ミナト君か。俺は神尾クロム、んでこっちがラスタ、よろしく」
ミナト君を乗せたままDエリアに再び車を走らせる。
「具合はどう?」
バックミラー越しに声をかけると、後部座席で身を丸めていたミナト君が顔を上げる。
「はい。お陰で生き返りました」
「そりゃ良かったよ」
「あの、どちらに向かってるんですか?」
「Dエリア……って俺が呼んでる避難区画の1つ。そこで貯めた物資を配給したり、余裕があれば頼まれごとを受けたりとか……後は――」
現実離れしたアンサラーのことをいきなり話してもな。
「まぁ、そんなとこだよ」
「俺、手伝いますよ」
「いやいや、さっきまで弱ってた人に手伝わせたり出来ないって……」
「やらせてください。身体は大丈夫ですから」
「嘘をつけ……」
「やりたいんです。お願いします」
小声だが食い気味にやりたいと言葉を重ねるミナト君。
彼の言葉と表情は、本気に見えた。
「…………分かったよ。けど本当に無理はしないようにな」
「っ!ありがとうございます」
少しだけ、彼の顔に綻びが見えた。
「いいんですか?」
「やりたいのにやれないってのも、酷な話だろ?でも――」
「?」
「そのカッター、俺に頂戴」
ミナト君は一瞬、驚いた顔を見せた。
「誰かのために動くのなら、凶器なんていらない。そうだろ?」
ミナト君は少し俯いて、ポケットからカッターを取り出し、俺に差し出した。
「ありがとう」
俺はそれをそっと受け取り、ツールボックスの奥にしまい込む。
「手を取り合うのに、これは邪魔だからな」
「おいおい…………!」
クロムさんが驚きと怒りを含めた感嘆を零す。
Dエリアに到達したが、穏やかではない光景が俺の目の前に広がっていた。
「ひ、ひいいッ!!」
「走れ!あっちに逃げろ、子どもを先に――!」
地面や建物や塀、一帯を這うようにして伸びる白い触手が、逃げ惑うDエリアの住民達を襲い掛かる、切迫した状況だ。
「イレイノム…………!?」
「行くぞラスタッ!!」
「はい」
「えッ⁉」
クロムさんとラスタさんは、なぜか車を降りてイレイノムの触手に向かって走り出した。
「何でッ⁉あ、危ないですって!!」
クロムさん達は俺の声が届く間もない程、驚異的な足の加速で、瞬時に住民達を守る形で立ち塞がる。
「ッ!」
何だ、あれ。
2人の手先から黒い流体をじわじわと滲み出し、重力を無視して空中に漂い始めた。
まるで意志を持つかのように蠢くそれは、光を吸い込み、周囲の色さえも薄くするほど濃い闇だった。
やがて、その黒は渦を巻いて凝縮したかと思えば細く伸び、鋭く尖った形へと変貌。
1本の漆黒の槍に成り――。
「ふッ!」
イレイノムの触手を、容易く切り裂いてみせた。
切り裂かれた先端が槍と同じく黒に染まり、木端微塵に弾け消失する。
ラスタさんも同じように槍を作り出し、次々と華麗な槍の捌きで触手を裂いていっている。
「そんな、まさか…………⁉」
ありえない。
イレイノムを倒せる手段なんてないはずだろ。
どうしてこんな凄い力を、あの人達が――。
「な、何だ……!?」
「触手を……倒してる!?」
「嘘だろ……!?」
逃げ惑っていた住民たちが、恐怖と混乱の中で足を止める。
ある人は、目を見開いて2人を注視し――。
またある人は子供を抱えて二の足を踏みながら、その光景から目を離せずにいた。
皆も知らないんだ、あの人達の力を。
本当に、何なんだよあれは。
「クッ、キリがない!」
「クロム、あれを……!」
ラスタさんは示した先には、枯れ枝の如く佇む1本の純白の大木が存在していた。
遠くて見えづらいが、あの大木の根からは確かに触手、いや……蔓が伸びていた。
地面を這い、建物を巻き込み、この居住区を白く染め上げている。
「ッ――あれが本体か…………!ラスタ、俺が強引にでも突破する!!」
クロムさんは槍を彼女に投げ渡す。
「本体に着けたら投げ返してくれ!後は出来る限りの援護を……!頼んだッ!!」
そう言ってクロムさんは単身、蔓の海へ突撃していった。
「無茶をする……」
ラスタさんはそう零しながら、2本の槍の先端を触手に向けて――。
槍を形成するのに生み出していたあの黒い流体を、今度は黒き刃から撃ち出した。
弾丸はクロムへ襲い掛かる蔓を間断なく爆ぜさせ、その進路を切り開いていく。
だが全ての蔓を処理し切れない、それ程までに数が異常だ。
「ウオォォォォォォォォォォォォッ!」
でもクロムさんは怯まず、臆さず、声を上げて。
迫る蔓を足で跳び越え、蔓の合間を潜るように滑り込み、こじ開け、体ごとぶつかって進んでいく。
次の一手を休めることなく、前へ進撃し――。
大木へと、辿り着いた。
既にラスタさんは彼に向け、渡されていた槍を投げていた。
槍は山なりの軌道を描き、正確に彼の所へと落ちて、彼の手に再び握られる。
「ッ!」
と、同時に刃が膨張。
質量も重さも無視するかのように、刃だけが異様に伸び、拡がっていく。
それはもはや刃というより、異形の剣だった。
クロムさんは大きく足を踏み込み、握った剣を大きく振りかぶる。
「オォォォォォッ!!」
肩口から腰へ振り抜かれた刃の一閃が、大木を真っ二つに裂く。
刃が通った部分は、火で炙られたかの如く黒く染まり、遅れて木そのものが黒に染まり上がり、一際大きな破裂音で轟かせて弾け飛んだ。
まるでこの世に存在してはいけないものが、正しく否定されたかのように。
周囲にいた触手たちも、本体の消失に連られて悉く塵と化し、消え去った。
静寂が訪れた。
あれだけ暴れていた触手の気配が、嘘のように消え去っている。
白く染まった地面だけが、先程までの戦いの爪痕を物語っていた。
クロムさんは肩で息をしながら、ゆっくりと槍を地面に付く。
刃は既に元に戻り、霧散して消失した。
「な、何だったんだ……あの力……」
「イレイノムを、倒したのか……あの人が……?」
「助かった……助かったんだ……!」
歓喜、混乱、畏怖。
複雑な感情が一斉に周囲から広がる。
俺は、ただ茫然と立ち尽くしていた。
「……………………」
言葉も出ない。
この驚きは俺の口からはどんな言葉にしたって真実ではないだろうから、ただ胸の奥で騒いでいるだけだった。
「よっ、大丈夫?」
「っ!」
いつの間にか、目の前にいたクロムさんがさっきまでと変わらぬ軽い笑みを浮かべた顔で、俺の無事を確認していた。
俺はこくんと頷く、それで精一杯だった。
「そうか、良かった」
「あ、あの…………」
「ん……はい?」
ある中年の女性が、クロムさんの手を両手で握った。
その手は震えていたが、その震えは恐怖ではなく、感激と感謝の表れであることは、一目瞭然だった。
「あなたのお陰で、うちの家族は生きてます。本当に、ありがとうございました……!」
生き残った人達が、死の恐怖をくぐり抜けた後の、心の底からの礼だった。
「いえいえ、どうも……」
女性がクロムさんに感謝したのを皮切りに、続々とクロムさんに感謝を述べるために住民達が彼を取り囲んでいく。
俺は勢いに流されるまま、その輪から外れてしまう。
気づけば、クロムさんの周囲には感謝と安堵、そして尊敬のまなざしが渦巻いていた。
人々は口々に礼を言い、手を握り、頭を下げ、時には涙を流してさえいた。
「…………」
その様子を、俺だけじゃなく、ラスタさんも俯瞰して見ていた。
「私も戦ったんですけどね……」
ぼそっと、そんな不満を漏らしていた。
「あの、ラスタさんも……格好良かったですよ?本当に」
思わずそう口にした俺の声に、ラスタさんはわずかに目を見開いた。
「…………ありがとうございます」
言葉はそれだけだったけど。
その頬が、ほんの少しだけ赤くなっていた気がする。
「でも、それはそれとして――」
「?」
「ははは……いやぁ、参っちゃったよ!」
住民達を一時的に解散させて戻って来たクロムさんの腕を、ラスタさんは軽く小突く。
拳ではなく指先で、だがしかし強めに何度もクロムさんに突っついた。
「ちょちょちょ……なんだよ!」
「別に。ただ、ちょっと…………腹が立ちました」
「えぇ⁉」
「……………………」
俺は、眩しさを見せられた気がした。




