第百七十七話 誘導案内
クラクションの音に振り返り、そこに停まる車を目にした慧はすぐに、きっとこの道を通りたいのだろう。と相手の意図を推し量った。それもそのはずで、慧と伊武は車と車がギリギリすれ違える住宅地の道のど真ん中に立っていたからである。そこで慧は、端に避けよう。と伊武に提案しようとしたのだが、それよりも先に、運転席のドアが開き、運転手が出て来た。
「やあ。どうも」
軽快な挨拶をしたのは、白髪交じりの長めのソフトモヒカンにサングラスをかけ、開襟シャツに膝が隠れるくらいのハーフパンツを合わせたちょいワルオヤジ風の四、五十代くらいの男性であった。
「こ、こんにちは。すみません。今退きます」
「いやいや、いいんだよ」
男はニヤリと笑みを浮かべながらそう言うと、サングラスを外し、開いた襟にそれを引っ掛ける。
「この人……」
その顔を見た伊武が小さく声を漏らした。ということは。
「我が家に何か用かな?」
どうやら、この人が輝虎の父親らしい。
「あっ、えっと……」
輝虎の親に会ったらビシッと言ってやろう思っていた慧なのだが、いざ相手を目の前にしたら言葉に詰まってしまった。すると、
「あれ、確か君……。前に安雲橋駅で会った子だよね?」
と、伊武を見て、向こうが話を再開した。
「ん。そうです」
「輝虎の友だち。だったよね?」
「……まぁ、そうです」
「やっぱり。俺はね、職業柄人の顔を覚えるのが得意なんだ」
輝虎の父は得意げに言うと片微笑んだ。そしてその気障な笑みを浮かべたまま、鋭い光を宿した瞳を慧の方へ移し、
「で、君は?」
と、矛先を慧に向けた。
「お、俺は、その……」
友人。後輩。部活仲間。なんて答えるのが正解なのだろうか……。すぐに答えた方が良い場面で慧が答えに悩んでいたその時、着信音が鳴った。公共の乗り物を乗り継ぐ都合上、慧と伊武はスマホをマナーモードにしたままだったので、必然的にその主は特定できた。
「おっと、ごめんよ」
輝虎の父は社交辞令的に軽く謝ると、ズボンのポケットからスマホを取り出し、電話に出る。
「もしもし、どうした? あぁ。もう家の前だ。え?」
少々表情をしかめたかと思うと、輝虎の父は少し横にずれ、自分の家を見上げた。そして言葉を続ける。
「なんだ、見てたのか。……ほう、そうだったのか。それなら二人とも招待しよう。あぁ、そうだ。今だよ。それじゃあな」
輝虎の父は通話を終えてスマホをポケットに戻すと、またしても片微笑みながら慧を見て、
「君も輝虎の友達なんだってね。折角来たんだし、寄って行ってくれ」
と言った。
「は、はい。お邪魔します」
輝虎は嫌がるかもしれないが、輝虎を助ける為にもう少し輝虎の父親と話しておきたいと思った慧はその誘いをノータイムで受けた。
「じゃあ、とりあえず車を停めて来るから、少し待っていてくれ」
「はい。分かりました」
慧の言葉に輝虎の父はサムズアップして応えると、再び車に乗り込んだ。慧と伊武はその間に車の通り道を作るために道の端に退いた。車はその作られた道を通り、自動で開いた鉄柵の門を抜けると、門は再び閉ざされた。
「勝手に受けちゃって」
門が閉ざされて間もなく、伊武がボソッと呟いた。
「あっ、ごめん。相談して決めるべきだったよな」
「別に。どうせ受けると思ってたし」
「そ、そっか」
「ん。けど、あの人は嫌がるんじゃない」
「あぁー、うん。俺も最初はそう思ったんだけどさ、せっかくここまで来て話せる機会があるんなら、もう少し話しておきたいなと思って」
「まぁ、そんなことだろうと思った」
「は、はは。お見通しか……。てか、江波戸こそ、なんで急に思い出したんだよ。先輩の家の場所」
「あの人が口を滑らせたから」
「そうだったのか?」
「ん。電話してた時、こう言ったの、『そこら辺は似た形の家が多い』って」
「あっ、確かに言ってたな……」
「そこら辺。って単語が出て来るってことは、あの表札が少ない地帯に自分は住んでないって言ってるようなもんだし、それに、その言葉で思い出したの、住宅地を一望させてもらったことを」
伊武は滑らかに理由を述べると、先ほどまで輝虎が立っていたバルコニーの方を見た。
「なるほどな」
その視線を追い、慧は完全に理解した。すると程なくして、鉄柵門がゆっくりと開き、輝虎の父が出て来た。
「お待たせ。さぁ、どうぞ」
気さくに声をかける輝虎の父に続き、慧と伊武は鉄柵門を抜け、城のような宇留島宅に向かう。
「うわぁ……」
玄関に入ってすぐ、慧は思わず声を漏らした。その言葉にならないシンプルな感嘆には、様々な感想が込められていた。一部屋に換算しても良いくらい広いエントランスと二階まで見える吹き抜け構造に対する衝撃だったり、イメージ通りと言うべきなのか、エントランス中央の正面に設置された大きな二股階段に対する興奮だったり、内壁、装飾、家具等々、目に入る全ての物が欧風を意識しつつ、白色を基調に統一されている一貫性、一体感に対する感動だったり、枚挙に暇がないくらいこの一声には様々な感想が込められていた。込められていたが故に、この一声になってしまったのである。
「どうぞ上がって。まずは一階を案内するよ」
「お邪魔します」
「お、お邪魔します……」
一度来たことがあるからなのか、はたまた伊武の性格がそうしているのか定かではないが、伊武は平然と家に上がる。一方慧は、絢爛豪華な様相に気圧され、おずおずと家に上がった。
「一階は主に客をもてなすために利用しているんだ。と言っても、大体は俺の仕事仲間の泊り場所になっているし、なんなら、軽い撮影もこの階でやったりするんだ」
輝虎の父は相変わらずの片微笑みを浮かべながら、聞いてもいない私生活の説明をしつつ、エントランス左方にあるリビングへ二人を通す。案内されたリビングは、慧の家のリビングの倍以上の広さがあり、まるで映画のスクリーンのような壁掛けテレビがあり、何人座れるのか分からないくらい大きなソファが三つも設置されており、その中心部にはドデカいローテーブルが置かれている。そんなリビングの右奥はダイニングになっているのだが、このダイニングも馬鹿みたいに広い。会議室に置かれているような大型ダイニングテーブルが中央にドンと置かれており、その周りには十脚近い、いや、十脚以上の椅子が並べられている。そしてその更に奥には、これまた広いキッチンが備わっている。業務用と言っても過言ではないくらい大きな冷蔵庫。それと同等くらいに大きなキッチンボード。そして極め付きは、バーカウンター付きの大きなアイランド型のシステムキッチン。何もかもが大規模で、何もかもが最高級品に見えた。慧はそれらを見て、完全に言葉を失った。
「いつもはもっと汚れているんだけどね、つい先日まで海外に行っていたから、今は比較的綺麗なんだ。まぁ、仕事が溜まっているから、またすぐに汚れそうだけどね。ハハッ」
リビング、ダイニング、キッチンを順に見せ終えると、輝虎の父は必要のない補足を入れ、屈託のない笑みを浮かべた。
「よし、それじゃあ次は、撮影部屋に。といきたいところだが、今は少し見せられないものがあるから、今日のところは我慢してくれ」
「は、はい。分かりました」
ファッションに疎い慧からしたら、別に見たいという気持ちも無ければ、見れなくて残念という気持ちも無かったが、ひとまず理解の意を示しておいた。
斯くしてリビングを出てエントランスに戻ると、一階の撮影部屋と、その撮影部屋と繋がっているガレージ以外の部屋を見て回った。というか、見せられた。仕事仲間が急遽泊って行くことがあるからという理由で設置されたシャワールームや、簡易的なトレーニングルーム、おまけにトイレまで。それらを見終えると、三人は階段を上がり、二階へ向かう。
「二階は俺たちの生活スペースになってる。来客が無ければ、基本はこの階で過ごしてるんだ」
階段を上りながらまたしても説明を受けると、まずは階段を上がって左の部屋に通される。そこは、先ほど一階で見たリビングダイニングキッチンとほとんど同じ構造の部屋になっていた。しかし一階のものに比べると、幾分か狭い。はずなのに、一階よりも広く見える不思議空間になっていた。と言うのも恐らく、ここは輝虎の父が説明した通り、家族だけの生活スペースになっているらしく、一階で見た大きく派手な家具たちは置かれておらず、というか、必要最低限の家具しか置かれておらず、全体的にこじんまりとしているにもかかわらず、部屋はそこそこに広いせいで、無駄に広く、寂しく見えたのだと思われる。
「じゃあ、次に行こうか」
輝虎の父も、一階とほとんど同じ構造だから詳しい説明は不要だろう。と思ったのか、リビングから部屋を見回すだけで済ませると、早々に部屋を出た。慧と伊武は何も言わず、それに従った。
次に案内されたのはその反対側、二股階段の向こう側、一階で言うと丁度撮影部屋の上に当たる部屋に向かう。そこはランドリールームになっていた。自分たちの私服だけに限らず、仕事で預かっている服の手入れや洗濯もここでしたりするらしい。そしてその奥、ガレージの上辺りには、先ほど見たバルコニーとは別に大きなベランダが設置されていた。それらを見終えると、その隣にある脱衣所と本格的な浴室を見て、その隣にあるトイレも見せられて、最後は階段正面の部屋に向かう。そこはセカンドリビングという扱いの部屋になっているらしい。テーブルと椅子が数ペアと、ビリヤード台、ダーツ、本棚等々が設置されており、この部屋は二階でも唯一仕事仲間が出入りしている遊び場であり、家族が息抜きをしたい時に利用する憩いの場であるとのこと。そしてその部屋の隅っこに、三階へ続く曲線階段があった。
「三階は完全なプライベート空間になってる。俺たちの寝室に、俺の書斎、麗奈の仕事部屋、輝虎の部屋。と言った感じにね。だからどの部屋も案内することは出来ないんだが、三階で一か所だけ見せたいところがあるから、そこに行ったら一階のリビングに戻ろうか」
例によって階層の特色を聞かされながら三階に上がると、廊下を進みつつ、ここが寝室、ここが書斎、ここが仕事部屋。と言った調子で一通り部屋の間取りを聞かされ、その後、先ほど輝虎が立っていたバルコニーに案内された。
「うわぁ。すごい。住宅地が見渡せるんですね」
手摺りの手前まで歩み出た慧は、つい数分前まで自分たちが歩き回っていた住宅地を見下ろし、率直な感想を伝える。
「キレイだろう?」
景色を見ている慧の少し後ろに立つ輝虎の父がそう問いかける。
「はい。キレイです」
「この景色、家族みんなのお気に入りなんだ。暇な時は、家族三人ここに集まって、ティータイムを過ごしたこともあったな」
そう言う輝虎の父から、若干の哀愁が感じられたような気がしたが、それはこのバルコニーという舞台とこの景色が見せる幻惑かもしれなかった。
「よし。一階に戻ろうか」
程なくしてそう切り出した輝虎の父に従い、慧と伊武は今来た道を引き返し、一階に戻る。そして、
「ダイニングで待っていてくれ」
という指示に従い、リビングに入り、ダイニングに向かおうとしたのだが、そこで、大型ダイニングテーブルを囲む十脚以上の椅子の内一つに腰かけている輝虎と遭遇した。
「やあ。お二人さん」
「先輩……」
案外陽気な輝虎に対し、慧は小さく言葉を漏らした。一方の伊武は、ただ静観していた。
「……すみません。押しかけるようなことしちゃって」
短い沈黙の後、慧が話を再開する。
「まぁ、確かに驚きはしたが、気にしてはいないよ」
「そうですか。なら良かったです。あと、元気そうで良かったです」
「……うん」
慧のストレートな心配に、輝虎は少々驚き、ぎこちない笑みを浮かべて答えた。するとそこへ、
「なんだ、立って待ってたのか?」
輝虎の父が戻って来た。
「ほら、好きなとこ座って」
「は、はい。失礼します」
勢いに流され、慧と伊武は輝虎の対面の席に腰かける。その間に輝虎の父はキッチンへ向かい、四つのグラスに氷を入れ、ミネラルウォーターを注ぐと、それを持ってダイニングに戻って来た。
「あい、どうぞ」
「ありがとうございます」
席に着いていた三人の前にそれぞれグラスを置くと、輝虎の父は輝虎の横に腰かけた。そして、
「さてと、それじゃあ、そろそろそっちの話を聞こうかな」
と言った。
「えっ……」
その唐突な切り出しに慧が困惑していると、
「君たちのことが知りたいんだ。家を案内したんだし、少しくらい良いだろう?」
と続けた。そしてお得意の片微笑みを浮かべる。
(江波戸から聞いてた話だと、先輩のお父さんは自分の話ばかりしたがるって話だったよな? 一方的に情報を貰って帰るつもりだったのに、なんで今日に限って……。もしかして、怪しまれてるとか……? まぁ何にせよ、逃げられる状況ではないよな)
少し考え、意を決した慧は、
「えっと、じゃあ、今更ですけど、まずは自己紹介からした方がいいですよね?」
と返す。
「おぉ、そうだった。まだだったね」
「俺は、風見慧です。こっちは」
「江波戸伊武」
「慧くんと伊武ちゃんね。覚えた。ゴホン。で、俺は、宇留島大河だ。よろしく」
ここに来てようやく、慧たちは自己紹介を交わした。




