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第百七十六話 所在

 下調べ通り、降り立った芝沢駅には中規模程度の駅ビルが、いや、もっと正確に表現すると、スーパーが主となった、スーパーよりは大きく、ショッピングモールよりかは小さいくらいの複合店が一店舗併設されているのと、いくつかの小中規模の雑居ビルが軒を連ねているだけで、駅の周囲には特にこれと言った建物が無い、やや殺風景な景色が広がっていた。この様子を見るに、どうやらここ最近で駅前の改善改築がなされた様子はないようだ。その確認を一人心の内でひっそり終えると、慧は伊武と共に駅を出て左側にあるロータリーに向かう。ロータリーには、タクシー乗り場とバス停が二つある。あまり往来が無いのか、ロータリーは控えめな広さである。そんなロータリーの外周を真っすぐに進み、一番奥にあるバス停の待機列に並ぶ。何故なら、本日の目的地である高級住宅地は芝沢駅から徒歩で凡そ三十分もかかるらしいので、伊武と相談して、今日はバスで移動することにしたからであった。


「もう少しで来るっぽいよ」


 時刻表を確認して戻って来た慧は、待っていた伊武に結果を報告する。


「……ん」


 周囲を見回していた伊武は、ややあってから答える。


「どうかしたか?」

「別に。ただ、直接景色を見たら思い出すことがあるかもと思って」

「なるほど」


 想起の邪魔にならないよう、慧は短くさっぱり答えると、


(不愛想だし無表情だし、何考えてるのか未だに全く読めないな。けど、なんだかんだ江波戸って、ゲームとか絵とかバイトとか、大抵の物事に対して真剣に向き合ってるよな……。意外と律儀。これが江波戸の長所なのかな?)


 心の中でもう一つの課題について考える。すると程なくして、


「なに」


 伊武が睨みながら言った。


「あっ、ご、ごめん」


 またしても視線を伊武に向けていたままだったらしく、強めの語気で詰められてしまったので、慧はほとんど反射的に謝罪をした。それから数秒後、バスが到着した。

 バスに乗るのは久し振りのことだった。慧と伊武は一番後ろの席に着いた。その他には、一人掛けの席に男性が二人、女性が一人、二人掛けの席に母と小学生くらいの息子の親子が一組座っているだけであった。休日にもかかわらず、乗客は少ないように感じた。いやむしろ、休日のこの時間だからこそ、下りのバスに乗る客は少ないのかもしれなかった。バスはもう誰もいない停留所の前でしばし待機した後、時刻表通りに出発した。

 客が乗り降りすることなく、バスは軽快に道路を駆けていく。バスの車内には、次の停留所を伝えるアナウンスが時折流れるだけで、それ以外にはバスのエンジン音ばかりが響いた。そうして十分ほどが経過した頃、『次は、芝沢四丁目、芝沢四丁目』と、アナウンスが流れた。ここが目的の停留所である。慧はすぐに降車ボタンを押した。ボタンが点灯し、『止まります』の文字が浮かび上がった。その後バスは一、二分走り続けてから停留所に停車した。降車する客は慧と伊武だけだったので、二人はなるべく素早くバスを降りた。二人が降りると、間もなく自動ドアが閉まった。バスは芝沢駅で乗せた数人の客を乗せたまま走り去って行った。


「凄いな……」


 財布をバッグにしまい終えた慧は、周囲の景色に気を取られながらポツリと感想を溢す。その理由は至極明快である。慧たちが降りたバス停がある側にはズラリと分譲マンションが並んでおり、幹線道路を挟んだ向こう側には戸建ての住宅がズラリと並んでいたからである。つまるところ、高級住宅地の景観に圧倒されていたのである。それに加え、道がなだらかな上り坂になっており、奥を見れば見るほど建物が高く大きく見えるようになっていたのも、慧を圧倒した要因の一つかもしれない。


「古屋根の住宅地とは全然違う……」

「昨日ネットで見たじゃん」

「いや、そうだけどさ、実際に見るとやっぱ凄いなって」

「はぁ。あっそ」


 伊武はため息交じりに答えると、少し引き返したところにある歩道橋に向かって歩き出す。


「植え込みは適度に丁寧に植えられてて、歩道も広くて、幹線道路にも接してて、交通の便も悪くない。正に高級住宅地って感じだな。って、あれ?」


 意見を求めて横を見た慧は、そこでようやく、隣の伊武が既に歩き出していることに気付いた。


「あっ、おい江波戸。待ってくれよ!」


 慧は慌てて伊武の後を追い、歩道橋の前で合流すると、二人は歩道橋を渡り、広い歩道を少し歩き、高級住宅地へと続く道の手前で一度足を止める。


「この先だな」

「ん」


 いつも通りに答える伊武は、昨日見覚えがあると言っていた家を見上げている。


「よし、行くか」


 慧の言葉で二人は歩みを再開し、高級住宅地に踏み入る。

 住宅地の道路は車がギリギリすれ違えるかすれ違えないかくらいの幅員になっており、道路の左右には、大きく、かつ高級そうで、かつ様々な個性やこだわりを感じる戸建てが建ち並んでいる。古屋根とは全く雰囲気の違うこの住宅地に踏み入ると、慧は何となく肩が重くなったような気がしたし、何故か緊張もしてきたし、不思議な世界に迷い込んでしまったような非現実感も抱いた。この現状を一言で表すとするのなら、場違い感。なのだろうが、それでもその場違い感に押し潰されずにいられる理由が一つあった、それは、人通りが無かったことである。誰にも見られていなければ、自分が完全なる場違いになることはない。という精神で、慧は何とかこの雰囲気に耐えることが出来ていた。一方の伊武は、多分、あまり気にしていない。

 住宅地に踏み入った二人は、ひとまず、なだらかな上り坂に沿って左に伸びる道へ行くことにした。作戦としては、手前からしらみつぶしに表札を確認していき、どんどん奥のブロックへ行こう。である。そうと決まると、二人は早速住宅地を進み始めた。

 二人はほとんど話さず、ゆっくりと、建ち並ぶ家と表札を確認しつつ、しかし不審者だと疑われないよう、自然な足取りで歩き続ける。表札の確認は慧が担当した。では伊武は何をしていたのかと言うと、もしかしたら、些細な光景が記憶を呼び起こすかもしれない。という微細な可能性に賭けて、周囲の景色を見回すことに集中してもらっていた。

 斯くして住宅地の一番手前のブロックを歩くこと四、五分。


「……あ、この家」


 隣を歩く伊武が突然立ち止まり、呟いた。


「この家なのか?」

「違う。見覚えがある」


 伊武がそう答えた直後、犬の鳴き声が聞こえた。その主は、伊武が見覚えがあると言った家の二階の窓、カーテンの隙間から外を監視しているポメラニアンであった。監視中に慧たちを見付けて吠えたらしい。その鳴き声を聞いた伊武は、二階の窓に視線を向け、


「あの犬も見た」


 と呟いた。


「てことは、近付いてるんだな?」

「多分」


 明確に肯定されたわけではないが、間違いなく進展している。そう確信する慧をよそに、伊武はその家の角を曲がり、住宅地の奥へ進み始める。手前側ブロックの確認はもう少し残っていたが、今は伊武の記憶を信じようと、慧は伊武の後に続く。

 ポメラニアンがいた家からひたすら奥へ奥へと向かって歩くこと数分。住宅一つ一つの規模感が住宅ではなく邸宅になってきた折、伊武はまたしても不意に立ち止まり、周囲を見回しながら、


「この家も見た」


 と呟いた。


「じゃあ、このブロックなのか?」

「それは分からない。けど、ここを通ってるはず」

「そっか。まぁとりあえず、ここからは一つ一つ表札を確認していくか」

「ん」


 思い出すことに注力してもらっていた伊武も、ここからは共に表札の確認をしてもらうという方針に切り替え、二人は手分けして邸宅の表札を確認して回る。が、数軒回ったところで、一つの問題が生じた。


「この家もだ。表札が無い……」


 プライバシー保護の観念からなのか、表札の無い家が頻出し始めたのである。


「こっちも無かった」

「マジか……」


 予想だにしない問題の発生に、慧と伊武はしばし立ち尽くす。


「表札が無いってなると、直接訪ねてみないと誰が住んでるのか分からないよな?」

「まぁ、そうなるね」

「だよな……。その、申し訳ないけど、もう少し鮮明に思い出せたりしないかな?」

「もうやってる。けど、今のところは何も」

「そっか……」


 万策尽きたか。と言いたげに慧が言葉を漏らし、沈黙が生じる。残された選択肢としては、表札がある家をひたすら回り、奇跡的に「宇留島」の表札を見付けるか。或いは、今日は帰ろうと提案するか……。慧がその狭間で揺らいでいると、


「あの人に手伝ってもらうのはどう」


 伊武から第三の選択肢が提案された。


「え? あの人って、先輩に手伝ってもらうってこと?」

「そう」

「どうやって」

「連絡して、さっきのポメみたいなことをしてもらう」

「あぁ、その手があったか……!」


 説明を聞き、もうこれしかないと感じ取った慧は、早速ズボンのポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリを起動し、輝虎との個人チャットルームを開く。しかしそこまで来て手が止まる。


「いやでも、なんて送ればいいんだ? そもそも、先輩はスマホを見れる状態なのかな?」

「はぁ。別に内容なんてなんでも良いでしょ。向こうに見付けてもらうことが目的なんだから。というか、電話で良いでしょ。反応してもらえる前提の作戦なんだし」

「ま、まぁ、確かに。そうだな」


 伊武の言葉に納得したのか、無理矢理納得させられたのか。とにかく、今は行動するしかないと踏ん切りがついた慧は、メッセージアプリの通話ボタンを押す。呼び出し音が鳴り始める。一回。二回。三回。四回……。呼び出し音は途切れることなく鳴り続ける。やはり電話に出られる状況ではないのだろうか。慧がそう思い始めた直後、呼び出し音がぶつりと切れ、


「もしもし。どうしたんだい、助手君?」


 と、輝虎の声が聞こえた。


「先輩!」


 慧は思わず大きな声を上げる。


「おぉ、元気だね」

「す、すみません。出られないかなと思ってたので、つい……」

「ハハッ。そういうことか。今は大丈夫だよ。丁度休憩時間なんだ。それで、何の用かな?」

「あっ、はい。えっとですね、全部話すと長くなるので、とりあえず要点を言いますね?」

「あぁ。いいよ」


 そこまで会話を交わした慧は、伊武にも聞こえるようスピーカーボタンを押してから話を再開する。


「今ですね、先輩の家の近くに来てます」

「フッ。メリーさんの真似事かな?」

「違います。マジです」

「……本当に家の近くに? 竹川の、ではないよね?」

「はい。芝沢にいます」

「ふむ、そうか……」


 芝沢という地名を出すと、輝虎の声音がワントーン低くなった。


「江波戸に協力してもらって、その、忘れ物を届けに」

「彼女か……」


 何か会いに来た理由が必要だと思った慧は咄嗟に嘘をついた。それに対して輝虎はぼそりと呟いた。


「でもここら辺、表札の無い家が多くて、ちょっと探すのが難しくて。だから、先輩に窓から少しだけ顔を出してもらえたら――」

「なら、帰れば良いんじゃないかな?」

「えっ……」

「そこら辺は似た形の家が多いから、僕が顔を出しても難しいと思うよ。声を掛けてあげられるわけでもないし。それに、忘れ物なんて嘘だろう?」

「……」


 完璧な反論に慧は言葉を失う。するとそれを聞いていた伊武が、突然坂の上り方面に向かって歩き出した。


「えっ、ちょっ」

「ん? どうかしたかな?」

「いえ、先輩じゃなくて」


 伊武に気を取られていた慧は輝虎の問い掛けに上の空で答えると、慌てて伊武の後を追う。その伊武は、迷いない勢いのある足取りでどんどん坂を上って行く。


「助手君? 何かあったのかい?」

「いや、何かあったってわけじゃないんですけど」

「いやいや、何かあった焦り方だよね?」

「まぁ、その、江波戸と一緒にいるんですけど、急に歩き出して」

「今一緒にいるのかい?」

「はい」


 なんてやり取りをしていると、上り坂の突き当りに行き着いた。かと思うと、今度は右に曲がり、住宅地の一番奥のブロックに向かい、突き当りで立ち止まった。ゆるやかな上り坂を突き当りまで来て、住宅地の一番奥のブロックの突き当りまで来た。つまり、高級住宅地の最奥にある家の前で伊武は立ち止まったのである。そして、


「ここ」


 と、振り返ってそれだけ言うと、視線を前に戻し、目の前の家を見上げる。


「この家なのか?」

「こ、この家?」


 スマホの向こう側から輝虎の詰まった声が聞こえた。かと思うと、通話が切れた。


「あっ……」


 それに気付いた慧は小さく声を漏らし、メッセージアプリを閉じると、伊武の横に立つ。そして、目の前に立ち塞がる鉄柵門の向こう側、白を基調とした、まるで欧州の城のような邸宅を見上げる。


「ここが、先輩の家……」

「間違いない。あのとんがり」


 伊武が言うとんがりとは、恐らく邸宅の右側にある塔のような部屋の屋根のことだろう。そう思いながら慧がとんがり屋根を見ていると、邸宅三階の中心部にある広めのバルコニーに人が出て来た。純白のドレスを着たその人物は、輝虎であった。慧と伊武、そしてバルコニーに出て来た輝虎は、互いの姿を見つめたまま固まった。声を掛けることも無く、手を振ることも無く、互いに互いの姿を見るだけ。それはまるで、感動的な再会、映画のワンシーンのような邂逅であった。しかし、この瞬間が長く続くことはない。次の瞬間、慧たちの背後でクラクションが鳴った。振り返るとそこには、見るからに高級そうな黒い車が停まっていた。

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