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意識のはじまり  作者: 安田孫康
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19 自由意志 (2)

19 自由意志 (2)


  自由意志の要件

  自由意志はない(証明)

  上位の量子は、下位の構成要素の量子群の作用を変更することはできない(証明)

  自由思考はない(証明)

  意志はない (駄目押し)

  自分の動作論理を自分で変更できる作用は存在しない

  物質作用群における動作論理の変更の可能性

  現実的に見て、自由思考は存在しない




  ................




  《 自由意志の要件 》


自由意志には思考が含まれます。


そして、無は存在しなく、なにものも無により体現されることはありません。このため、思考も、無以外の、なんらかの思考を果たすもの――これは思考作用と見なすことができます――により体現される必要があります。


また、思考作用が始動されるには、その原因となる初期入力――思考の種――も不可欠です。


思考作用には以上のような大まかな特徴がありますが、こういう思考作用をふくむ自由意志の要件は、以下のようなものと思われます。


a) 自由意志は、思考の種を自分で自由に生みだすことができる。(思考原因自己準備)


b) 自由意志の思考は固定されていぬ。自由意志は、じぶんで用意せし思考の種にもとづき思考作用を動作させはじめるときに、特定の内容に制限されない新規の考えかたも、その都度、その都度、その場で、瞬時に編みだすことができる。(自由さは、一つの思考の種にかんし、あらゆる考えかたができることも、意味する)。(無制約多様考えかた瞬時生成)


c) 自由意志は、じぶんで編みだしし考えかたにより、思考を展開し、結果を出せる。(思考展開結果導出)


d) 自由意志は、物理性を帯びていて、物質とのあいだで因果関係を持ちえ、物質と物理的な相互作用ができる。(なぜなら、身体動作は自由意志にもとづき発生するので)。(物理性)


e) 自由意志は、形成せし思考にしたがい、じぶんが宿るところの物質の体を構成する物質群の動きを意図的に制御することができる。(厳密に言えば、自由意志は、じぶんの体の物質群を操作できなくてはならない。しかし、物質群にたいする、自由意志の操作性までは求めなくても、少なくとも、生体が、自由意志の思考にもとづき動作できることは、自由意志の実現には欠かせない。そして、生体が思考にもとづき動作するということは、生体を構成する物質群が思考にもとづき――または、思考に影響されて――動くということを、意味する)。(意図的身体動作制御)




  《 自由意志はない (証明) 》


一般に、ものを考えるには、思考が動きはじめるにたる種――思考の原因――が必要です。


(なんらかの作用が具体的な動作を果たすためには、その作用の動作の対象となる入力がかならず必要です。


たとえば、ここに、ある機能をはたす作用がある、とします。そして、その作用は、始動済で、スタンバイしており、アイドゥル状態にある、とします。しかし、その作用から何らかの結果が出力されるためには、その結果の元になる外因的入力が不可欠です。ある作用から、外因的入力なしに意味のある結果が出力されることは、ありえません)。


そして、自由意志が、自由意志の要件の一つにしたがい、その思考の種をじぶんで用意するなら、その前に、その自由意志は、そういう意図をいだく必要があります。


しかし、その意図は、それがそもそも思考でありて、この思考を形成するにも、別の思考が必要です。


すると、今度は、この先だつ思考の種はどこから得られつか、という問いが発生します。そしてこれは悪循環に陥ります。


このため、自由意志がじぶんで思考の種を自由に生みだすことはできないことに、なります。つまり、意志は、思考の種をじぶんで用意することはできないのです。


そして、自由意志の要件のひとつが満たされないことになります。


こういう次第で、自由意志は存在しません。


(ただし、これは、意志がじぶんで思考の種を用意する場合の話です。そして、意志が思考の種の発生に関与しないケイスには、この論理は適用できません。しかし、その場合、自由意志は根本的に存在しないことになります。


思考の種は外因的なものです。そして、思考は、作用でありて、その働きはかならず外因的な原因またはトゥリガァにより始動されます。


(意識は、微視的かつ大きな作用でありて、みずから自分を活性化させることはできません。意識は、外因的な初期入力が入りて初めて受動的にアクティヴになります。(このような形で、なんらかの入力がはいり、作用が働きだすまでは、アイドゥル状態であること――動作や動作結果にかんして空であること――が、意識の本質の一つです)。(これは、具体的なインストゥラクションが入るまで、CPUやDSPが、クロク信号が入るたび、なんの処理もしないNOP(No OPeration)命令を果てしなく繰りかえし続けるようなことと、同じです)))。


また、思考するには、意識の思考作用が思考アルゴリズムのようなもので形成されることも欠かせない、と思われます。


(これは表現しづらいです。なぜなら、意識の思考作用は、物理的かつ自動的に瞬時に形成されて、瞬時に完了してしまう、と推測されるからです。しかし、それでも、思考作用の論理を構成するものは必要です。それを仮に思考アルゴリズムのようなものと呼びます)。


そして、思考アルゴリズムのようなものの形成にかんしても、思考の種と同じことが言えます。なぜなら、思考アルゴリズムのようなものも、先だつ思考の種と、思考アルゴリズムのようなものと、先だつ思考により、齎されなければならないからです。そしてこれも悪循環に陥ります。


すると、思考アルゴリズムのようなものに関しても、自由意志の要件のひとつが満たされないことに、なります。


このため、自由意志は存在しないです。


(ただし、これは、意志がじぶんで思考アルゴリズムのようなものを形成する場合の話です。そして、意志がその形成に関与しないケイスには、この論理は適用できません。しかし、その場合も、自由意志は根本的に存在しないことになります)。




  《 上位の量子は、下位の構成要素の量子群の作用を変更することはできない (証明) 》


上位の量子は、下位の構成要素の量子群から形成されます。


ここで、上位の量子が下位の構成要素の量子群の作用を変更できる、と仮定してみます。つまり、上位の量子にはそのような作用も実装されている、と仮定します。(量子(物質)の正体は物質作用でありて、量子を変更するとは、その量子にそなわる物質作用を変更することを、意味します)。


ちなみに、量子としては、たとえば、水の分子と、その構成要素である水素原子・酸素原子を、イメジしてみると、いいかも知れません。


しかし、上位量子が下位の量子群の物質作用を変更しはじめし途端、上位量子の作用が緊急停止してしまいます。なぜなら、もしも上位量子が下位の量子群の作用を変更しはじめるなら、その場で自分の作用も変化してしまい、不整合が生じるからです。


これは、量子の作用のバグというものであり、断じて許容されるものではありません。なぜなら、そういうものが容認されれば、この宇宙のすべての物質がたちどころに緊急停止して、そもそもこの宇宙が存在しないことになるからです。なぜなら、基本相互作用も停止してしまうからです。


このため、もしもこの宇宙が存在するなら、そもそも、上位量子は、下位の構成要素の量子群の作用を変更することができないのです。


そして、意識は大きな量子なので、意識もじぶんを形成する物質の作用を変更できないことになります。ゆえに、自由意志は存在しないです。


なぜなら、自分にそなわる思考の論理を随意に変更できることが自由意志の要件の一つだからです。そして、意識が、じぶんの思考の論理を変更するには、下位の量子群を変更しないといけないからです。このため、変更できないのであれば、自由意志も、当然、存在しないことに、なります。


ただ、意識が、構成要素の物質群の作用を直接に変更することはないにせよ――そもそも、意識は、観念だけをあつかう微視的な実体なので、物質的な操作性は有していません――、なんらかの形で物質群の動きに間接的に影響を及ぼしうる可能性は、まだ残りています。たとえば、意識から、物質群に、なんらかの情報――たとえば、物質群の動きについての指針やガイドゥなど。ちなみに、情報は、観念であり、静的なもの(言わば、スケイラァ量)です――が伝達されて、その情報が物質群の動きに間接的に関与する(影響をおよぼす)などの可能性です。




  《 自由思考はない (証明) 》


まず、無は存在しません。そして、無がものを考えるなど、不可能です。すると、かりに、この宇宙に思考動作というものがあるにせよ、それは、無以外のものにより体現される他はない、ことになります。すなわち、この宇宙では、思考動作は無以外のものにより果たされます。


そして、無以外のものとは、ヒグズ粒子で形成される空間をふくめ、物質です。そして、(物質の形態的な正体は粒子と言われますが)、物質のほんとうの正体は、物質にそなわる物質作用です。(わたしたちが認知する粒子は、観測により得られる(残される)形態的な痕跡――静的な物理性質・スケイラァ――でしかありません。固体の粒子そのものは、この宇宙には存在しないのです)。物質にそなわる作用が常に働きつづけているゆえに、物質は物質たりえるのです。(物質はエナァジと等価と言われます。エナァジがこの宇宙の元です。そして、エナァジが、物質の作用を直接に体現しています)。すなわち、この宇宙では、思考動作は物質作用により体現されて遂行されるのです。


また、こういうことは、意識についても言えます。


そして、物質作用のなかには基本演算があります。これは、観念的なものである演算処理を果たすものであり、比喩的な意味では思考作用と言えます。これは、物質(量子)のなかで自発的・主体的・能動的に動作します。


そして、物質が生物の細胞にまで進化せしときに、その巨視的な細胞のなかにおき、熱とエントゥロピの発生と、それらの外部への排出と、エントゥロピ生成速度の減少により生じる物理的秩序形成効果によりて、無数の構成要素の物質群の基本演算群が、細胞の大きな統合的な意識の包括的な思考作用を形成します。


また、思考作用には、思考の論理が具わりています。思考、すなわち、観念的な演算作用は、論理なしでは果たせません。物質による思考の結果は、思考の論理の動作により生みだされます。


また、思考の論理によりて、ある特定の思考の種から出される出力、つまり、思考結果は、一つに決定されています。つまり、思考作用は関数なのです。


しかし、それでも、入力となる思考の種が異なれば、異なる思考結果が出てきます。このことは、思考過程や思考結果が容易に変動することを意味しています。そして、これが、自由思考の印象が意識に感じられることの、根本原因になりている、と思われます。


さらに、また、物質の基本演算は、物質にたいして先験的に与えられています。これは、生体の思考作用についても同じです。そして、上位の量子は、下位の構成要素の量子群の働きに介入できません。このため、物質も、生体も、それらに先験的に与えられている作用に具わる論理を自分で変更することは、できないのです。


つまり、物質や生体の演算(思考)の論理は、関数であると同時に、自分の論理を自分で新規のものに書きかえることもできないのです。つまり、物質の思考論理は、原則、固定なのです。


ゆえに、自由思考はないのです。そして、自由意志もありせん。


ちなみに、自由思考はありませんが、思考作用(論理)は外的な要因により変化をこうむりうる、と考えられます。




  《 意志はない (駄目押し) 》


無は存在しません。そして、この宇宙では、無以外のものとは、空間を形成しかつ物質に質量をもたらすヒグズ粒子をふくめ、物質です。このため、この宇宙という時間の流れのなかにて生起するどのような物事も、根底では、物質により体現されます。すると、仮に、この宇宙に作用というものが存在するにせよ、それも、物質により体現されることになります。


ここで、意志というものを考えてみます。それは、通念では、精神的な作用とともに、身体的な作用をもはたす何かと考えられます。(身体的な作用も含まれるのは、じぶんの意向によりて自分の肉体的な体を動かせることも、意志の要件だからです)。しかし、この宇宙では、それがどのようなものであろうとも、作用は根本的に物質により体現される他はありません。このため、意志により果たされると考えられる作用(思考や身体的な動作など)も、実際には、物質により体現されて遂行されるです。つまり、意志そのものは、それ自身の作用を遂行してはいないです。


すると、そういうものは意志ではありません。なぜなら、不可欠の要件として意志に求められる精神的な作用も肉体的な作用も、当の意志はそれらを果たさず、物質――意志が生じると推測される場所――により遂行されるからです。ゆえに意志はありません。厳密な意味での意志はないのです。


また、厳密な意味での意志がないとは、能動的な意志がないことを意味します。このため、自由意志もありません。


物質が意志の正体です。一般には意志により果たされると思われる作用が実際に実行される根底の部分では、無情な物質がただ動いているばかりです。


わたしたちが意志と考えているものは、わたしたちの意志が生じる場所である物質に生じる物理的な動き――たとえば、脳細胞群における物理的な活動――から生じる受動的な影のようなもの、と推測されます。




  《 自分の動作論理を自分で変更できる作用は存在しない 》


これはたわ言のようなことですが、自由意志(自由思考)の存在の是非についての追加の説明です。


まず、物質は、自分にだけは触れません。このため、自分に触ることのできる作用は存在しません。例えば、ミミズの先端にものに触るという作用を与えるとします。しかし、その先端は、体にいかに身をよじりてもらおうと、自分に触ることだけはできません。これは自明と言う他はないのかも知れません。


すると、自分に触る以上に、自分の動作の仕組みや動作アルゴリズムを自分で変更できる作用は存在しないことになります。そもそも触れないので、変更しようがないのです。


すると、仮にこの宇宙に思考作用というものがあるとして、その作用も自分を変更できないことになります。すると、この枠組――自分で自分を変更するという枠組――では、自由思考はないことに、なります。なぜなら、自分の考えかた(思考の論理)を自分で変更できないからです。


また、自己動作論理変更作用――じぶんの動作論理を果てしなく変更しつづけるだけの作用――というものは、決して存在しえない、とも言えます。


詐欺めいておりますが、言語学的に考えることもできます。思考作用は、その名のとおり、思考を果たすものです。もしも、仮に、思考作用に自己動作論理変更作用も付与されているとすると、それは、複合作用ということになります。そして、思考&自己動作論理変更作用と呼ばないといけません。このため、言語学的な見地から見ても、思考作用に自己動作論理変更作用は具わりてはおらず、自由思考は不可能なのです。


物質は、自分に触ることは決してできません。そして、いかなる作用であろうとも、その作用は自分の動作論理を自分で変更することはできないのです。これは単一の作用の場合です。そして、単一作用の場合については、さらに、次のようなことも言えます。(一部、繰りかえしがあります)。


1) 自己動作論理変更作用――じぶんの動作論理を果てしなく変更しつづけるだけの作用――というもの、は決して存在しえない。


2) 一般に、単一の作用を付与されし作用は、自分の動作論理を自分で変更することはできない。


3) 言語学的にみて、なんらかの単一の作用を付与されし作用は、自分の動作論理を変更するものではない。(自分の動作論理を変更する単一作用は存在しえない)。


4) 代替とする新規の動作論理の設計、もしくは、論理そのものが、もう組込済であるとする。しかし、それらで置換するには置換作用が必要になる。そして、これは複合作用になる。しかも、それらを無限に用意しておくことも不可能である。これらのことのため、代替物が組込済のケイスは認められない。代替物を事前に用意しておく方法では、自分の動作論理を自分で変更することはできない。


5) 代替とする新規の動作論理の設計、もしくは、論理そのものを、その場で考案もしくは製造する、とする。これも、また、複合作用になる。しかも、そもそも、新しいもの(*)を考案することは、ほとんど不可能である。このため、このケイスでも、自分の動作論理を自分で変更することはできない。


(*) 新規性や斬新さの発現についての問いは、難しいと思われます。それでも、静的なもの・動的なもの・巨視的なもの・微視的なものを問わなく、新規性は、根本的には、物理的秩序形成効果が齎しているよう思われます。物理的秩序形成効果は、単に、その時の物理的な状況にしたがい秩序を形成しようとするだけであり、殊更にあたらしい秩序を形成しようとするわけではありません。それでも、形成される秩序――動物の脳で形成される純粋な観念・直感・ひらめき・芸術的な観念などもふくむ――がこれまでにはないものであれば、それが結果的に新規性の発現ということになる、かも知れません。もっとも、新規であるか否かの判断基準はなくて、それは人間が解釈するばかりです。また、既存のものを組みあわせて得られるものを新規のものと見なすか否かは、微妙です。


6) 設計も代替物も新規の案出もなく、無茶苦茶に変更することが、可能であるとする。(ただ、これも、複合作用になるので、実質、NG)。しかしこれは破壊でしかない。


すると、複合的な作用であれば――たとえば、物質作用群のような――、ある作用によりて別の作用の動作論理を変更することは可能かも知れません。この可能性は否定できません。




  《 物質作用群における動作論理の変更の可能性 》


ここで、物質作用群につき見てみます。複合作用であれば可能性があるので、基本演算の動作論理を基本実施によりて変更できる可能性はあるかも知れません。しかし、次のことにより、この可能性は否定されます。


a) 物質(量子)の基本演算は、物質全体の次期状態を演算するものであり、みずからの動作論理を変更することを求める演算結果(観念)を算出するものでない。このため、基本演算の動作論理を変更するという依頼(観念)が基本実施に伝達されることはなく、変更されることは決してない。


b) ちなみに、物質作用群は先験的に与えられるものである。どの作用であろうとも、それは、それらの実装の内容については承知していず、かつ、それらの動作論理を変更する方法も知らない。(さらに、新しい動作論理を設計する能力もない)。また、基本実施は、当該の物質の状態を、基本演算で算出される新しい状態に移行させるものであり、基本演算の動作論理を変更するものでない。これらのことのため、どの作用であろうとも、基本実施によりて変更されることはない。




  《 現実的に見て、自由思考は存在しない 》


前記のことから、微生物・単細胞生物・細胞などの原初の生体にても、みずからの動作論理を変更することを求める思考結果が思考作用――おおきな基本演算――によりて算出されることはない、と推測されます。さらに、仮にそういう思考結果が出されても、その依頼にもとづき思考の論理を直接に変更する方法は存在しないのです。なぜなら、思考作用(論理)は、構成要素の物質群の現在の状況と物理的性質に完全にしたがい、当の生体の物理的秩序を形成(ないし維持・更新)する建設的かつ生産的な方向で、瞬間瞬間に連続的かつ先験的に形成されるからです。何者もこの形成に介入することはできません。


これらのことのため、思考作用(論理)に随意性が具わることはなく、直接的な自由思考は存在しない、と思われます。


繰りかえしになりますが、簡単に言えば、物理的に見ると、微生物や細胞などの生物の根底のレヴェルで、考えかた(思考の論理)は、構成要素の物質群の現況や物理性質により、先験的に物理的に形成されるのでありて、思考動作や思考結果は、その形成に関与できないのです。このため、少なくとも生物の根底のレヴェルに直接的な自由思考は存在しないのです。

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