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意識のはじまり  作者: 安田孫康
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20 その他 (2)

20 その他 (2)


  作用と存在についての詐欺めきし思考実験

  意識には三次元の体積があると思われる

  物質は作用の面では柔らかいものとして実装されなくてはならない




  ................




  《 作用と存在についての詐欺めきし思考実験 》


詐欺めいておりますが、ここに作用と存在についての思考実験が四つあります。


その主旨は、たとえそこに確たる物質が存在しなくとも、少なくともそこに物質の作用が存在すれば、その場所は、事実上、物質として振るまう、ということです。つまり、上流世界やよその宇宙のことはいさ知らず、物理世界たるこの宇宙では、物質に具わりている作用が、物質の存在やこの宇宙の存在の本質である、ということです。物質作用が物質やこの宇宙を体現する、ということです。(ちなみに、物質はエナァジと等価と言われます。なので、物質作用は、エナァジにより直接に体現される、と思われます)。逆に言えば、そこに何かが存在するにせよ、それに物質作用が具わりていなければ、それは決して物質として振舞うことはできない、ということでもあります。そういう何かは、事実上、この宇宙に存在できません。


ちなみに、ここでの思考実験には前提が一つあり、それは、この宇宙は物理世界である、ということです。


作用とは、動的なものでであり、自発的・主体的・能動的に動作しています。そういう作用は、また、プロセスとも言えます。すると、物質は、自発的・主体的・能動的に動作するプロセスである、ということになります。


そして、物質が自発的・主体的・能動的に動作するプロセスであるゆえに、巨視的には、見掛けじょう、時間が流れているよう見えるわけです。つまり、逆ですね。時間が先験的に流れているのではなく、まず、物質の正体たる物質作用が出現し、その動きが、時間をもたらすわけです。そして、物質作用の正体はエナァジですが、このエナァジの根源的な動きのなかに時間が内在している、とも、言えます。時間は、三次元空間のように、存在の外側になにか超越的なものとして存在しているわけではないのです。逆に、存在のいちばん深いところに内在しているのです。


そして、生物の意識は、巨視的な物質作用として、根本的に、時間を生みだす原因である物質プロセスのなかに形成されています。物質の本性がそういうものであるゆえに、意識の物質作用が動作でき、かつ、その動作が時間の経過のなかで持続できるわけです。(そして、持続する物質作用の影のようなものが時間の経過のなかに投影されて、それが、身体感覚や思考感覚として、意識に感知されるのだろう、と推測されます)。物質がそういうプロセスでないことには、生物の意識はもちろんのこと、あらゆるものが存在できません。時間も存在できません。なにしろ動きがないゆえに。動きも存在の本質かも知れません。作用とその動きこそ、存在の本質かも知れません。そして、時間とは、物質作用プロセスの根源的な動きからの派生物です。


他方、物理性質は、物質作用が動作せし結果として現われるものであり、静的なものと言えます。


以下が思考実験です。


1) まず、ここに、物質そのものでなく、物理的な動作性をおびし物質作用があるとする。すると、その作用は、ただちに、完全に、物質として振るまうことになる。なぜなら、ここで言うている物質作用は、物質の根本的な作用のことなので。こういう作用は、巨視的な世界にいきる生物がイメジする物質と、事実上、効果のうえで、まったく区別がつかない。事実上、物質とは、物質作用のことである。物質作用が物質の正体であり、物質作用が物質なのである。


2) 次に、ここに、場として体積を主張する作用と、摩擦により普通の素粒子にそれとなく質量をもたらすという微妙な作用をおよぼす作用の、ふたつの作用だけを有するものがあるとする。すると、それは、ほかの素粒子から見てほぼ透明で、ふつうの意味での物質とは言えず、ただ、空間を構成し、かつ、物質の移動の足を引っぱるだけのものになる。これがヒグズ場のことである。つまり、空間も、作用により齎されており、ひろい意味では物質の仲間ではあるが、しかし、ふつうの物質とは異なり、ヒグズ場独特の基盤的な任務を帯びているため、普通には物質とは見なされない。


3) さらに、ここに、完全に物質作用の欠如せし何かがあるとする。この何かを最初の段階では物質と想定することもできる。つまり、完全に物質作用の欠如せし物質、ということである。そういうものが存在できるかどうかは、ここではまだ問わず。しかし、そういう物質は、ほかの物質とはいっさい相互作用をしないので、ヒグズ場以上に、完全に透明になりてしまいて、物理的な実体には決してなれない。空間を形成することさえできない。このゆえ、こういう如何わしい物質は、端から、存在しない、存在できないと、考えればいいと、思われる。もっとも、存在してても別に構わない、べつの宇宙とか、べつの存在システムとかに。どのみち観測できないのである。


ところで、物質作用の存在を仮定するこれらの思考実験は、あまりに単純すぎて騙されているような気がします。しかし、問答無用のことのように思われます。なぜなら、作用とは、そういうものだからです。作用とは、なんらかの働きをするものであり、そして、働きとは、動的なものである動きにより実現されるからです。ひるがえり、物理性質についてはそうは問屋が卸しません。なぜなら、性質とは、作用の動作により齎される受動的で静的なものだからです。また、人間がふつうにイメジする物質も、物理性質のようなものと言えます。人のいだく物質の印象も、相互作用という作用により知覚される受動的で静的なものだからです。このゆえ、こういう印象からは、物質に内部観測の能力や物質作用などの能動的な作用が具わりているなど、想像もつきません。そもそも、それに気づける機会はまずありません。それでも、例えば、ベロウソフ ジャボティンスキー反応や、渦や、熱帯性低気圧や、竜巻や、生体における各種の新陳代謝では、内部観測(物質作用)が働いて、物質がみずから自分を形成し維持し更新しているようです。


ここで、1の思考実験の「物質」を「意識」に置きかえてみます。


4) ここに、意識そのものでなく、意識の物質作用があるとする。すると、その物質作用は、ただちに、完全に、意識として作用することになる。なぜなら、ここで言うている物質作用とは、意識の物質作用のことなので。こういう作用は、人間がイメジする意識と、事実上、効果のうえで、まったく区別がつかない。


つまり、4の思考実験をまじめに受けとめるとすると、意識の正体も物質作用であることに、なります。


ただ、この宇宙では、単なる物質や空間は、先験的に齎されるものであり、それらの物質作用がただそこに存在すると仮定するにせよ、それほど的外れでもありません――そもそも、仮定する前にもうそこに存在しています――。しかし、意識はただで存在できるような代物ではないゆえに、そこに意識の物質作用があるとする仮定には、少し無理があるかも知れません。


それでも、1~4の思考実験の枠組そのものは、問答無用と思われます。それは、兎に角、この宇宙におけるあらゆる動きは、物理的な作用により実現される他はないものだからです。


繰りかえしになりますが、これらの思考実験からは次のようなことが分かります。すなわち、物理世界であるこの宇宙では、物質作用が存在の本質であり、作用が存在に先立つ、ということです。そこに物質作用が存在し、かつ、その物質作用が動作してさえいれば、それはそのまま物質たりえる、ということです。(時間さえ、物質の自発的・主体的・能動的な動きをとおして物質作用により齎されます)。




  《 意識には三次元の体積があると思われる 》


生物の視覚は無数の画素の並びから成りたちています。しかし、意識という精神的なもののなかに幾何学的な空間のイメジないし概念が形成されているというのは、不思議なことです。


なぜなら、形というものは実体的なものだからです。かりに、意識が、完全に精神的なものであり、物理的な面をいささかも具えていないなら、そういう意識が根拠もなしに物理的な幾何学空間のイメジないし概念を抱けるというのは、考えにくいです。と言いますか、不可能です。なぜなら、純粋な精神体ゆえに、実体の世界が存在することを根本的に知らないからです。物理世界のことを知りえないからです。そして、なんの手がかりもなく、実体の世界をイマジンするのは、不可能と思われるからです。


物理事象による刺激が一ビトゥだけであれば、それは訳のわからない抽象でしかありません。幾何学性はどこにも出てきません。しかし、そういう刺激が二ビトゥか三ビトゥになりて、どことなく直線的に並んだり、三角形を形成したりすれば、そういうものが、なんとなく、原初の意識に、無意識的に、空間の感覚ないし概念を抱かせるのではないか、と推測されます。


では、感知する物理刺激の感覚を、意識空間のなかにて観念画用紙のうえに幾何学的に並べるには、どうすればいいでしょうか?


かりに、原初の意識の意識空間が元もと細胞などの生体の三次元空間に重なりていつのであれば、その意識空間は、つまり観念画用紙は、最初の最初から三次元の幾何学性を帯びしものなりき、と推測できます。物理事象は生体のいろいろな位置にて発生しますが、発生位置が異なりていれば、位置の違いは物理事象の認知においても何らかの違いを齎さずにはいません。そして、その認知内容の相違が、この場合、原初の意識に、幾何学空間性というものをそれとなく教えはじめることになります。複数の抽象感覚のクワリアはここではしばらく同じであるとして、発生位置の違いに起因する微妙な違いは間違いなくその感覚には含まれているはずで、そういう違いが、おのずと、意識がイメジする幾何学空間性の土台か根拠になる可能性が高いと思われます。


このため、精神体としての意識が認知する幾何学性は、意識が独自に編みだしし概念でなく、根本的には、生体という実体が体現している幾何学性の反映と思われます。生体の表面や内部にて巨視的な物理事象が発生する地点の位置性が、意識が認知する形や幾何学性の根拠かヒントゥになりているかも知れません。


こういう次第で、意識が認知する幾何学性は、生態が体現する三次元空間として、原初の意識の発生時点でもう具わりていつ、と判断されます。


逆の方向から考えるなら、もしも原初の意識が幾何学空間性というものを容易に理解できつとすると、それは、そもそもその意識が空間的な体積ある実体的なものなりきから、と推測することもできます。そもそも原初の意識がそういうものなりしため、作用については精神的なものであるはずの意識にも、幾何学空間性が、理屈ぬきで、直感的に体得できつ、と思われます。こういうことも、意識が微生物や細胞という生体と一心同体であることを強く裏づけています。


他方、視覚とか聴覚とかの高度の感覚が帯びている広域的な幾何学空間性は、もう少し洗練されていて、もはや体の形状やニューロン網の形状などには拘束されず、別途、専用の仮想空間として形成されているかも、知れません。


こういう次第で、眼をゆうする生物は、物理刺激から変換されて、意識内部の仮想幾何学空間に写しとられしあとのビトゥ観念群をとおし、根本的には、推測により物を見ているはずです。眼にみえる物の姿は、即値ではないわけです。それでも、無数の世代にわたる進化の積みかさねによりて、その推測は、そとの物理世界の現実をほぼそのまま伝える信頼性の高いものになりているはずです。


そして、ほかの感覚も、みな、おおよそは推測によりているはずです。


時間についても同様のことは言えるかも知れません。物理刺激を与えられないままに細胞に閉じこめられている意識が、根拠もなく時間の概念を抱けるというのは、不思議なことです。と言いますか、ありえません。なぜなら、時間は、抽象的なものだからです。眼にも見えません。それでも、意識そのものが、巨視的な物理現象たる大きな物質作用として、はじめから時間の大河に乗っかりていれば、きわめて理解しづらい時間であろうとも、なにかそういう妙なものがあることを、最初の最初から無意識的に体感できつかも知れません、じぶんで時間の感覚を編みだすまでもなく。とにかく、時間という掴みどころのないものは、無から着想するなど、断じて有りえないです。


これで、物理学の四次元空間の感覚は、意識の物理的な存在様相のなかに元もと具わりていつということに、なるかも、知れません。




  《 物質は作用の面では柔らかいものとして実装されなくてはならない 》


物質は一般に硬いです。たとえば石や鉄は硬いです。オズミアム(Os, Osmium)やイリディアム(Ir, Iridium)はさらに硬いです。しかし、このことは、なんらかの基本相互作用の結果として観測される粒子――静的な痕跡――につき表明できることであり、物質の巨視的な物理性質が硬い、ということでしか、ありません。


しかし、その前に、物質がなんらかの基本相互作用に巻きこまれ硬さを主張できるためには、物質としての作用が生きていて、しっかり働きていなければなりません。比喩的に言えば、作用の面で、基本相互作用が可能なだけの柔軟性が物質に具わりていなければなりません。


また、この宇宙という物理世界をして活動させるには、物質はほかの物質に変身できないといけません。そして、変身するには、やはり、物質としての作用が生きていて、しっかり働いていなければなりません。


つまり、いかに硬い素材であろうとも、硬さを表明する以前の微視的なレヴェルでは、物質としての作用が生きていて、堅実かつ柔軟に働いているのです。物質は、根底の部分では、作用の面で硬直していないので、基本相互作用にあずかれて、様ざまな物性を主張できるわけです。また、ほかの物質に変身することもできるのです。


ちなみに、作用の面で硬直している物質――死んでいる物質――が、どこかに存在していても構いません。しかし、そういうものは、この宇宙では基本相互作用にあずかれないので、透明になり、観測されません。そして、この宇宙には存在していないことに、なります。それだけのことです。例えば、かりに、この宇宙に別の宇宙が重なりているとします。しかし、両者のあいだに基本相互作用が成立しなければ、両者は、たがいに透明になり、相手方の宇宙に気づくことはありません。そして、たがいに相手方の宇宙は存在しないことになります。


ちなみに、また、物質には、存在できるためには、それができるだけの基本相互作用が具わりていなければならない――作用の面で生きていなければならない――、というのは、一つの論理です。すると、論理性は、この宇宙の存在の根底の部分に、もう、組みこまれていつ、ということになります。

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