第29話 人間と死の邪龍
大きく青い月に照らされた月の塔。
その最上階。
ほとんど崩れ落ちた天井を、さらに大きく超えた扉がそびえ立っていた。
その扉が今、ゆっくりと開き始める。
その大きな大きな扉にしてみればほんのすこし、そこに佇む人間にしてみればとても大きな隙間から、まず覗いたのは黒く大きな爪。
次に青い炎を涎のように零す大きな口。
そしてそこから覗く牙。
巨大な身体を覆う漆黒の鱗は、擦れ合って歪な音を出している。
なによりも印象に残るのは、自分を呼び出した目の前の小さきものに苛つく六つの赤い瞳だ。
「まぁ魔法があって魔物のいる世界だから、いつかは会ってみたいと思っていたよ。ドラゴン」
今じゃなくてよかったけど。
いや、マジで。
そして龍がその巨体を扉から出し切ったとき、完全に開かれた扉から大量の黒い影が、吐瀉物をぶちまけるように飛び出した。
その黒い影たちは死者の国から飛び出した悪魔たちだった。
それは不気味な程に歪な顔をにやつかせ、角の生えた頭を振り、空を飛ぶための汚い羽根をバタつかせ、涎を垂らし笑っている。
ひとつひとつ様々な形をしているが、まるでハエの大群のように、崩れ落ちた月の塔の天井から、空へと飛び去っていってしまう。
「あれは任せたよ。みんな」
夜空へと飛んでいく悪魔たちを見送りながら、目の前の黒い龍に向き直る。
扉から眼の前に現れた漆黒の龍は、扉から飛び出した悪魔たちに見向きもせず、いかにも不機嫌な様子でこちらを窺っている。
「それじゃあ……ラウンドツー、いってみよう」
センジに鍛えてもらった剣を握りなおし、いつも通り短期決戦を狙う。
死者の国の扉から出てきた龍は、苛立ちを吐き出すように大きなあくびをしている。
龍が臨戦態勢に入りきっていない間を狙い、剣をあらためて鞘に収め、魔力を込める。
その瞬間、何かを察知したのか、龍の全身を覆う黒い鱗がガラガラと一斉に動き出した。
龍がその長い首を後ろに反らしながら大きく息を吸う。
――間違いない。ブレスだ。
後ろにいるルナとミリを巻き込むワケにいかないため、竜に向かって一気に走りだす。
半分ほどの距離を詰めると、龍はため込んだ息をすべて吐き出すように青白い炎をまき散らした。
炎を避けるように上へと飛び、龍の頭上からノアから習った抜剣の一撃を放つ。
「狼王流――……牡丹」
まるで花火のように、鱗にぶつかった剣先から魔力が弾ける。
練度が浅く、オリジナルと比べると威力は控えめだが、ノアから教わった必殺の一撃だ。
まるで鋼と鋼がとてつもない勢いでぶつかる。そんな音が月の塔に響き渡る。
全力で振り抜いた剣が邪龍の首筋に当たり、わずかに首か沈む。
しかし鱗一枚切り裂くことはできなかった。
苛立つ邪龍はその爪を振り回し、尾を回し、まるで鬱陶しいハエを追い払うようにその巨体を暴れさせる。
技も何もあったものではないが、少しでも巻き込まれれば致命傷は免れない。
センジに教わった守りの剣術を活かし、龍の攻撃をやり過ごしながら距離をとる。
「くっそ………中途半端な威力じゃ駄目か」
しかし切れる手札は限られている。
すでに二度の魔眼の使用で、眼球に激痛が走り視界がボヤけ始めている。
残る魔力も僅か。
月姫との戦いで刻まれた体中の傷からは血が流れ出て、体力も心許ない。
仕方ない。
上手くいくか分からないが、やってみるか。アレ。
『必殺技を教えてあげるよ!』
『必殺技を見せてあげる』
いつかの月の妖精の言葉を思い出した。
邪龍が、追い詰めていたはずの人間の雰囲気が変わったことに気がついた。
人間の両の眼に魔力が集まっていくのを感じる。
邪龍は焦り、急いで魔力を口の中に集める。
しかし焦ったところで既に遅かった。
「見せてやるよ。本当の必殺技」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜の国の夜空。
そこに輝く月を汚すように黒い影たちが、蚊柱のように舞い上がる。
忌々しいその蚊柱は、死者の国から解放された悪魔。
悪魔たちは数世紀ぶりに吸う生者の世界の空気を満喫していた。
これから好きなところへ飛んでいっていい。
嗜虐の限りを尽くしていい。
地獄の鎖から解放され、悪魔たちは笑いを堪えることができない。
汚い口元から、さらに汚い涎をまき散らし、美しい夜空を汚していく。
そんな悪魔たちの様子を、月の塔からほど近い広場で見つめる者たちがいた。
「きたきたきたきたぁー!!」
悪魔たちが月の塔から飛び立つのを見て、妖魔刑吏団・紅裳騎士団団長のジャネットは興奮を抑えられなかった。
自分の愛する夜空が汚されていても、それが意味することを知っているからだ。
悪魔たちが飛び立つ理由。
あの人間が、呪いを完全に断ち切ったこと。
それにより愛する妖王が甦ること。
あの人間が、大好きだった、姉のように慕っていた月姫のために戦っていること。
ジャネットは知っていた。
だから次は自分の役割を果たす番であると、その喜びを抑えきれずにいた。
「お姉様! お願いします!」
ジャネットがそう叫んだ相手は、第六寵姫・戦姫ペンテシレイアである。
彼女は仁王立ちのまま夜空を睨んでいた。
手にした大きな戦斧を握る力が強くなる。
そしてその魔眼にチカラを込めた。
「魔眼解放――……【戦歌の魔眼】」
戦姫ペンテシレイアの魔眼は、妖魔の持つ魅了という特性に非常に近い。
彼女の魔眼は、敵を惹きつけ、自分に向かってこさせるというもの。
そして敵が多ければ多いほど、自身の身体能力が上がっていく。
敵のヘイトを集め、自身にバフをかけるチカラ。
多対一の状況でなによりの能力を発揮する魔眼である。
戦姫の強力な魔眼は、夜空を汚す悪魔たちのすべてを惹きつける。
彼女の魔眼により、悪魔たちは好きなところへ飛んでいく自由を失ったのだ。
「さあ、いくよアンタたち! 魔眼解放――……【戦旗の魔眼】!!」
ジャネットは自身の部下たちに号令をかける。
紅裳騎士団の妖魔たちは雄叫びを上げ、彼女に続いた。
ジャネットの魔眼は、視界に入った仲間の能力を上昇させるもの。
大規模線に有効な魔眼の力。
仲間想いの彼女が自慢にする力だ。
「おう、お前ら。ジャネットの部隊のやつらに遅れをとるんじゃねえぞ? 殺した悪魔の数が向こうより一匹でも少なかったら、わかってんだろうな?」
紅裳騎士団の様子を見ながら、ドスの効いた低い声を出したのは、妖魔の戦士団・蒼靴騎士団をまとめる妖魔、ハーラルであった。
彼の部下にも容赦のない脅し文句。
だがその部下たちも歴戦の猛者である。
その全員が「おう」と短く返しただけで、悪魔たちへ向かっていった。
「ボクたちは打ち漏らしを狙うだけでいいからね」
そう緩やかに号令をかけるのは、妖魔の魔法師団・翠輪騎士団を束ねるアンディである。
「そんなんだからウチは他の騎士団から舐められるんですよ」
団長のアンディに不満をぶつけるのは副団長のガラテアである。
「だってボクたちが本気出したら、あっという間に終わっちゃうよ?」
アンディはそう言いながら、頭上に大量の魔方陣を展開させる。
展開された魔方陣から、様々な魔術が発動し、群れから離れた悪魔を狙い撃ちしていく。
同じように魔法師団の別の妖魔たちも魔術を発動させ、悪魔を撃ち取っていった。
戦力差は一方的であり、夜空を覆うほどいた悪魔たちも程なく消えていく。
同じ頃、妖魔の親衛騎士団が守る荊の城、その広間でも最後の異変が起きていた。
この回はあとで修正します。




