第2話 人間と月の妖精
宮廷魔術師カルロ邸の裏庭にて。少しばかり開けた裏庭。隅には桶や薪が無造作に転がっている。
そこに置かれている朽ちかけた木製の椅子に腰をかけ、月を眺める人間がいた。
その日、この世界にオレを呼び出した張本人で、今般の生活の面倒を見てくれているジョセフ老人が外出をした。
お城にある書庫で調べ物をするのだという。なにか作りたいものがあるのだとか。
いつまで経っても角兎の一匹も倒せず、変化の見えないオレに、方向性を変えるようだ。なにやらブツブツと独り言を言っていた。
期待に応えられないのは申し訳無いが、勝手に呼び出された方からすると、たまったものじゃないというのが本音である。これはよくある追放パターンかもしれないな。シャレにもなっていないが。
一人で怪物のうろつく森に入るわけにはいかないので、今日は完全にオフの日だ。
しかしオフだからといってすることもない。ネットがあるわけでもないし、読める本もない。ゲームも無ければ、友達もいない。まあ元の世界にも友達らしい友達がいたかは妖しいのだが。
そんな理由でただ下宿しているジョセフ老人の家の庭で、遠くに見える街と森の景色を眺めている。
ジョセフ老人の邸宅は妖魔たちの城、「荊の城」から出て少し歩いたところにある。
邸宅は城からも街からも少し離れた森の近い場所にあり、外見は一見ボロボロだが、一人で住んでいるという割にはとても大きく、研究に使うのだという怪しげな植物が植えられた鉢や、丸い屋根から飛び出ている大きな望遠鏡のようなものが独特な雰囲気を作るのに一役買っている。
家の中にはたくさんの本。それになにかを書き留めている山になった書類の束。薬品が入っているであろう様々な形をしたガラスの容器。何に使うのか想像もできないものが所狭しと置かれていた。
しかしこうやって落ち着いて景色を眺めていると、ここが自分の住んでいた場所とは違う世界なんだという現実が、強くのしかかってくる。
遠くに見える、小高い場所にそびえ立つ妖魔の城「荊の城」はあまりに大きく、月明かりで妖しく輝いている。それはまさに魔王城だ。自分の元いた世界にあった巨大なビルより更に大きく思う。
荊の城の周囲は森だ。いや、森なんて生優しいものじゃない。まさに木々の海、樹海だ。しかも一本一本の木が小ぶりのビルくらいの大きさがあったりする。その樹海の中、遠くに塔のようなものが見えているが、木々の大きさから考えて、あの塔もかなりの大きさなはずだ。
そして空には巨大な月。そして星。もともと星に興味があるわけではないが、見たこともないくらいの満天の星空。そして青緑に輝く大きな月。大きすぎる月に、アレは本当に月なのか?と疑ってしまうほどだ。
森とは反対方向、遠くに見える城下の街には不思議な色に輝く街頭があり、道ばたにはなぜか光る花や草などがところどころに咲いている。そのため夜でも視界に困らない程の明るさが保たれている。
ずっと夜だと言っても月の明かりはとても強く、黒く暗いはずの夜空を青く彩っている。そして人が生活していることを伺える街明かり。その街並みもとてもきれいで、森に囲まれた場所にあるためかとても幻想的な様子だった。
こんなに綺麗な場所があるんだな、と景色を見ているだけでもそれなりに楽しめてしまう。
とは言っても退屈だ。
暇すぎてそんなことを考えていると、森の方から何やら気配を感じた。
目を向けた先、少し離れた森の始まりの場所に小学生くらいの小さな女の子が立っているのだ。
灰色がかった膝まであるだろう長くウェーブのかかった髪をなびかせ、テディベアのようなぬいぐるみを抱きながら不思議そうにこちらを見ている。
なんだろうと目を合わせると、少女は森の中へと消えていってしまった。
「きっとあの子も、妖魔の子…なんだよな?」
そうは思うが森の中は危険である。周囲には他に誰もいない。心の中のもう一人の自分が呼び戻した方がいいんじゃないかと問いかけてくる。
「仕方が無いか」
オレは重い腰を上げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜の国にある深き樹海。太陽の昇らない国にある森。月明かりが強く、光る花が咲き、光る蟲が飛んでいる。光源が多く注意して歩けば足下を失うことはない。
そんな森の入り口。月明かりを遮ろうとする木々を避け、人間が歩いている。
「おーい。お嬢さーん。一人で森の中に入ると危ないぞー」
声をかけながら森に踏み入れる。
しかし反応がない。
念のためにと、ジョセフ老人から与えられた寂れた剣を持ってきてはいるが、一人で森の奥までいく勇気など毛頭無い。
「やっぱり見間違いだったのかなぁ」
そう考え直し、引き返そうと振り向いたとき、黒い塊がそこにいた。
どこから現れたのか、“ソレ”は生きたスライムのようにぐねぐねと体を揺り動かし、こちらの姿をまねようと、人の形になるようもがいているように見えた。
そしてその頭部だと思える場所には小さな石が浮かんでいた。
帰る方向、行く手を阻まれて戸惑っていると、黒いスライムのその腕の部分が鋭く尖った。
「やばいっ!」
咄嗟に後ろへ倒れ込むと、寸前まで顔のあった位置に黒いスライムの斬撃が通り過ぎる。
「なんだっていうんだよ!」
戦えるワケもない。ジョセフ老人もいない。帰路は塞がれている。
逃げるしかないのに退路を経たれてしまったため、仕方なく森の中へと走り出す。
今のところ、この森には良い思い出なんてない。
「ハァ、ハァッ。なんでこんなことになったんだ…!」
木々をくぐり抜け、しばらく逃げ惑い、走っていると石レンガで造られた壁が見えてくる。おそらくジョセフ老人の邸宅から遠くに見えていた、あの高い塔だろう。
ここまで来れば逃げ切れているかもしれないと、淡い期待を抱いて振り向いた。しかし体を自由に変形させながら追ってくる黒いスライムは視界の中にばっちりと映っている。
まるで体力など無尽蔵であるかのような黒いスライムは、今度はその両腕を刃に変えて、目の前の獲物を今度は逃がさぬよう、追い詰めるようにゆっくりと近づいてくる。
黒くグネグネとした腕が刃となる。その腕が振り上げられ、もうダメだと目を閉じたそのとき、声が聞こえてきた。
「右へ飛んで!はやく!」
聞こえてきた声に咄嗟に従い、全力で右に飛ぶ。
背中ごしに、今居た場所に堅い金属音が響いてくる。
「剣を抜いて前に構えなさい!!」
「なんなんだよぉ!」
死なないため。必死で振り向き、剣を抜いた。
黒いスライムは人のような形を保ちながら、こちらの様子を窺っている。
「足下に落ちている石を相手に蹴って!」
考えている暇などない。
とにかく声に従い、足下を見ると確かに砂利になっている。
目がどこにあるかわからない相手に効果があるのか分からないが、とにかく砂利が飛ぶように蹴り上げ、牽制する。
すると黒いスライムは、それを振り払うように両腕を大きく振るった。
「今よ!走り抜けながら横薙ぎに剣を振りなさい!」
もうどうにでもなれと思った。とにかく声に従い、黒いスライムの横を抜けながら、目を細め、がむしゃらに剣を振る。
柔らかいガムのようななにかを斬る感触を、手に感じると謎の声はさらに続ける。
「振り向いてコアを斬って!」
振り向くと、オレに斬られた胴体のあたりを元に戻そうともがくスライムが目に入る。
確かに最初に気づいたとおり、頭のあたりにコアらしき赤い石が浮いている。
赤い石を目がけ、全力で剣を振り下ろした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
妖魔の国。その深い森の中。樹海にそびえ立つ、“月の塔”のすぐ近く。
息を切らした人間に近づく小さな影があった。
なんとか窮地を脱することができた。黒いスライムだったものは、形を保っていた何かが突然無くなったように地面へ溶けていってしまった。
「まったく、あんな雑魚に手間取るなんて。本当に言っていたとおりね」
緊張と恐怖で崩れてしまった息を整えていると、助けてくれた声が近づいてくるのを感じた。
声の方に目を向けると、そこには手の平ほどの大きさの小さな妖精が浮かんでいた。
「頼りないにも程があるわよ」
プリプリと怒りながら近づいてきた妖精は、背中に生えた羽根をパタパタと動かし、黒くまっすぐ伸びた髪を揺らしていた。着崩した着物のような格好をした女の子だ。
状況を理解できずにポカンとしていると、その様子に気がついたようだ。
「良いのよ。アナタがなにも知らないことは知っているから。でもこの調子で本当にカルミラ様を助けられるのかしら」
妖精なんて始めて見たし、今まさに死にかけていたし、頭が働かない。 そんなこっちのことはお構いなしに妖精は楽しそうにしている。
「ほら行くわよ」と妖精は木々枝枝の間をすり抜けて飛んでいく。
ここが森のどの位置かもわからないので、仕方なくついていくと、妖精がふと振り返った。
「わたしはルナ。そうね、月の妖精ってところかな。昔、そう呼んでもらったのよ」
ルナと名乗った妖精は楽しげに笑っていた。




