第1話 人間と夜の国
今、これを読んでくれているキミにも一言でわかるように伝えてみよう。
別の世界、異世界に召喚された。
ワクワクするだろう?きっと羨ましくも思ってくれるはずだ。
オレだってそうさ。最初はドキドキしたよ。
だけど現実はそうでもなかった。
「ほれほれ、たかが角兎一匹にいつまで苦戦しているんじゃ」
「そんなこと言ってないで、助けてください!」
退屈そうに声をかけてきたのは、ジョセフというオレをこの世界に呼び出した人物の一人だ。その老人は大きな杖を持ち、今も魔法で宙に浮かびながらこちらの様子を眺めている。
「ハァ、ハァッ。なんでこんなことになったんだ…!」
喉が焼けるように熱い。
地面から飛び出しているデカすぎる木の根に、何度も躓きながら必死で走っている。
今オレは、暗く深い森の中を恐ろしい魔物に追われながら走っている。
追ってきているのは、角が生えているといってもたかが兎だろって?
いやいや、よく考えてくれ。
中型犬くらいの大きさで、鋭い角を持っていて、こちらを確実に仕留めてようとしてくる肉食の兎は、兎じゃない。
恐ろしい魔物だ。
腰にはジョセフ老人から貰った古びた剣を携えてはいるが、こんなもの振り回したことなんてない。勝てる気なんてしないんだ。
………だけどこの世界にはもっと恐ろしいものもいる。
ズズゥーン…
額から真っ直ぐに生えた角で獲物を捉えようとギラギラしている兎から逃げ惑い、森の中を走っていると、時折こうして地響きが伝わってくる。
この地響きのあとに現れるやつは決まっている。鹿だ。
だが今きっとキミが想像している鹿とはワケが違う。まずサイズが違うのだ。一軒家サイズの鹿が、ビルのような大木の影から現れるのだ。
大木の影から顔を出した巨大なソイツは、六つある目でこちらを一瞥すると玩具を見つけたかのように口元を緩ませた。その表情には動物としての可愛らしさは欠片もない。暇つぶしに獲物を嬲ろうと考えている悪魔の表情だ。
「ほい」
退屈そうに宙に浮き、杖を弄んでいたジョセフ老人が軽く杖を振り回すと、次の瞬間には鹿の首は地面に転がっていた。
「まあ、コイツの相手はさすがにまだ無理じゃろな」
そう言いながら、オレの後ろにいた角兎に杖を向ける。
すると先ほどまで殺気でギラついていた角兎の回りに、パッと檻が現れる。
「今日はこのくらいにして、帰って飯にするかの」
このじいさんが一番恐ろしいまである。
ジョセフ老人はプカプカと宙に浮いたまま、杖で角兎を捕まえた檻を指す。こいつが本日のディナーで早く持ってこい、というワケだ。
異世界に突然呼び出され、空飛ぶジジイと兎に追い回される。
なぜこんなことをしているのか。
これも順を追って説明してあげよう。
この世界に呼び出されてから、体感で一週間ほどが経っていた。
体感で、というのには理由がある。この世界には、いや正確には“この場所”には昼がない。そのため一日の感覚がよく分からなくなってくる。
ここは人のいない常夜の国。暮らしているのは"妖魔"と呼ばれる“人”とは異なる種族がほとんどなのだ。
そして、この深い森の中からも遠くに望むことができるの巨大な城が妖魔の王の住まう「荊の城」。
オレがこの世界へ召喚された場所だ。
そしてなぜ召喚されたのか。
妖魔の王にかけられた死の呪いを解くため、だそうだ。
同じ妖魔には解くことのできないという、その呪いを解くために、召喚が行わなれ、オレが呼ばれた。
そういうことだ。
いたって一般人の、なんの取り柄もないオレが呼ばれたって仕方がないのに。
妖魔の王様って、やっぱり世界を滅ぼそうとしている魔王みたいな人なのかな。
もしも魔王復活の片棒を担がされるために、ここにいるとしたら。
この世界の妖魔じゃない他の人間にバレたら、オレも巻き込まれて、裏切り者として討伐とかされるのかな。
でも協力しなかったら、ここにいる妖魔の人たちに何をされるか分からないし。今は協力せざるを得ない。
呪いを解くためには、妖魔が入れない場所にいる、呪いの依り代なる魔物をものを倒せばいいらしい。
そのために強くなる。強くなるためにまずは角兎から挑戦して、特訓していこうというわけだが、それすらままならず絶賛挫折中というわけだ。
兎とはいえ、恐ろしい魔物をいつまで経っても倒せるようになる気がしない。そもそも普通の人間には無理なんだ。
なんとか隙を見て、ここから逃げよう。
妖魔の王様の呪いをなんとかしたら、もとの世界に戻してくれるらしいけど………それも本当か分からない。
当面は協力するフリをして、この世界の情報を得て、助けてくれそうな人を見つける。それを目標にしよう。
帰りの道中、この状況から逃げ出す算段を立てていると、ジョセフ老人が魔法で宙に浮かびながら、ついてこないなら置いていくぞと呼びかけてくる。
とりあえず今日はおとなしく帰って、また明日に備えよう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ヒトの立ち入れない場所。太陽の昇らない彼方。永遠に続く夜と、闇を照らす月の光が降り注ぐ夜の国。
そこは妖魔と呼ばれるヒトならざる者たちが暮らす場所であった。
夜の国を治めていたのは妖王カルミラ。
彼女のその美しさの前に、太陽は輝くことをやめ、月明かりだけが彼女にひれ伏した。
彼女のその美しさの前に、止めどなく流れる川でさえ、彼女の行く手を遮らない。
彼女のその美しさの前に、鏡は彼女を映し出すことを諦める。
カルミラは7人の魔に染まる寵姫を娶り、4人の騎士が統べる戦士達を従え、彼女を王と慕う妖魔の民達と常夜の国で暮らしていた。
太陽の昇らないその場所は、いつしか夜の国と呼ばれ、恐れられ、妖魔の楽園となった。
永久に続く、明けない夜。覚めない夢の中。深く甘い眠りのような甘美の桃源郷。
しかし永遠に思われた安寧も続くことはなかった。
ヒトの世で起きた戦乱に、この妖魔の国も巻き込まれていくこととなる。
魔王アダムの出現はヒトの世界を壊していった。
戦乱は広がり続け、人族から獣族、そして【星守の民】と【炎鉄の民】を巻き込んでいった。
一度は世界の消滅に手をかけた魔王であったが、やがてヒト族の英雄達に討たれることになる。
それにチカラを貸したのが妖王カルミラであった。
妖魔の協力を得た英雄達により討たれた魔王であったが、ただ討たれるだけでは終わらなかった。
ある英雄は命を奪われ、ある英雄は時を奪われ、また別の英雄は愛する者を奪われた。
魔王は死してなお、その毒牙で英雄達を苦しめた。
そしてそれは妖魔の王も例外ではない。
妖魔の王は死に至る、眠りの呪いを受けた。
荊の呪い。
決して妖魔には解くことのできない“呪縛”をつけて。
この死の呪いの進行を止めるため、妖王を愛す寵姫たちが立ち上がる。呪いの一部をその身に分けて引き受け、深い眠りについた。
こうして夜の国に、暗く、不安が募る闇の時間が訪れた。
妖魔たちは気の遠くなるほど長い時間をかけて、呪いを解くために奔走した。
しかし幾億の月の瞬きを越えても、その願いが叶うことはなかった。
夜の闇にゆっくりと絶望が広がりきった時、妖魔の最強の騎士はひとつの禁術に縋った。
代償を支払うことにより求めたモノを呼び出す禁術。
扉の魔法。
この禁術により、妖魔の国最強の騎士は両の眼を失い、一人の人間がこの世界に呼び出されることとなる。
夜の国の闇はまだ深い。
今日は上弦の月が輝く夜。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜の国。妖魔の城。そこに妖魔の王に仕える一人の老魔術師がいた。
名はジョセフ。古の時から妖魔の王に従え、その道程を共にしてきた。
彼の目下の使命は王にかけられた呪いをとき、その命を救うことである。
【魔術師ジョセフの手記】
カルミラ様にかけられた呪い。その解呪のために騎士団長ノアが禁術を使用した。そして一人の人間を召喚するに至った。たしかに人間であれば、妖魔除けの呪縛の影響を受けない。上手くいけば呪いの触媒とされている魔物達を倒し、正規の方法で呪いを解くことが可能であろう。
反発は必至じゃろうがな………
ここに至るまでの経緯は決して短いものではなかった。
かつてカルミラ様が、死の呪いを受けるに至った戦争はまだ終わっておらぬ。束の間の沈黙を保っているだけであろう。
今はカルミラ様を失うわけにはいかない。たとえ犠牲が大きかったとしても。
かつての魔王アダムのチカラはあまりに強大であった。人間の世界に3つあった大国の内、1つは一夜にして滅ぼされ、巨人族は歴史から滅ぼされた。
劣勢に追い込まれた人間たち、その戦況を覆したのがカルミラ様である。
カルミラ様は妖魔を率いて、英雄達を助け、結果として魔王を打ち破った。しかしそれはカルミラ様の命と引き換えるものであった。
魔王たちの策略により死の呪いを受け、深い眠りにつく。それはこの夜の国に訪れた暗い時代の始まりであった。
当初、この夜の国の騎士団長を始めとする様々な者たちが解呪のために奔走した。
しかし十年、二十年と時が経ち、寵姫様たちが呪いの進行を防ぐために自ら眠りについたころには国中に悲しみと諦めが満ちていた。
さらに百年、二百年と時が経ち、夜の国の闇が深くなったころ、騎士団長の一人であるノアがひとつの禁術を持ち出した。
代償を支払い、望むものを呼び出す禁術。
そして一人の人間が召喚されることとなる。
しかし召喚された人間は弱かった。
話を聞くと、この世界とは別の世界から召喚されたという。
貧しいワケではなく、食うに困っていないそうだが弱く。
かと言って貴族のような温室暮らしをしていたわけでもない。
確かにこの世界には珍しい人間であった。
その人間は魔物の存在を知らぬどころか、信じられぬことに、戦いのない世界にいたという。そのせいか角兎の一匹でさえ一人のチカラで討伐することができなかった。
なんらかのロールを持っていることは間違いない。時間さえかければ成長を期待することもできるが、今はその時間すら惜しい。
それに禁術の代償は大きかった。
今更代案を用意することもできない。
こうした理由から、手法を変え、「服用した者の魔力を強化する霊薬」を作成し強制的に人間の能力を底上げする、という研究を行うことにした。これからその研究を記録することにし、ここに残す。
チカラをつけていくための時間が足りないため、せめて服用するだけで魔力を強大にすることができる霊薬を作り出す。この研究がうまくいくことを祈る。
呪いの進行に、あとどれほど時が待ってくれるのかも分からぬ。もうそれほど時間は残されていないだろう。急がねば。




