プロローグ
深い闇がどこまでも続く常夜。見渡す限りの大樹の海。
そのすべてを照らし、隠された秘密まで暴き出そうとする巨大な月。
その青白い光の中を、必死に走る姿があった。
「ハァ、ハァッ。なんでこんなことになったんだ…!」
喉が焼けるように熱い。
地面から飛び出しているデカ過ぎる木の根に、何度も躓きながら必死で走った。
「本当に、なんでこんなことになったんだ…」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
……――最初はいつも通りの帰り道だった。
たしかに毎日には飽きていたし、物語の登場人物に憧れていた。だから様々な物語に触れるたびに、日常にはない非日常に憧れた。自分だってそんな場所に行けたら、なんてそう思っていた。
どんな物語のどんな登場人物だって輝いて見えて、見ているだけの向こう側で、キラキラしているキャラクターたちが羨ましかった。
本の中に、文字の中に、絵の中に、映像の中にいる登場人物たちの方が自分より生きている気がしていた。
自分が登場人物になれる物語が、唐突に始まって欲しいと願っていた。
現実から逃げて、学校の屋根裏から始まる物語も。
家を飛び出した鍛冶屋の子が、勇者よりもカッコいい魔法使いになっていく物語も。
どんな物語だって突然始まるんだ。
だから自分の物語も”いつか””突然”始まることを期待していた。
自宅への帰り道、いつも通りに、そんなことを考えながら歩いていた。
「あーなんかいいことないかなぁ」
いつの間にか帰ってきた自宅の玄関前。季節外れのカタツムリがこちらに目を伸ばしている。
期待しているだけじゃ何も始まらないって知っていたから。
だから軽くため息をつきながら、玄関のカギを回し、家の扉を開けたんだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
扉を開けた先にあったものは、退屈が待っているはずのいつもの家ではなかった。
石畳、高く伸びる石の柱と石の壁、遠くの天井に見上げる大きな天窓と、そこから覗く青緑色に光る巨大な月と夜空。
目の前には同じ人間とは思えないほどに、異様な雰囲気を纏う2人の人物。
ひとりは190㎝はあるであろう長身で細身の、おそらく男性だ。
腰まで伸びる長い髪は、月の明かりのせいだろうか薄い青色に見える。 そしてその両眼を、綺麗な模様のついた眼帯のようなもので隠している。
もうひとりは眼帯の人物の半分ほどの背丈で、それなりに老齢のように見える。
その老人は自分の背丈を越える、まるで魔法使いが持っているような木の杖を持ち、もう片方の手で髭を撫でながらじっとこちらを見つめていた。
状況の整理がつかず、しばらくぼんやりしていたが、ハッと気がつき後ろを振り向く。
――扉がない。
そこには先ほど自分で開けたはずの自宅の扉はなく、奥には石造りの暗い壁と、そこに浮いているかのように輝く松明の炎が揺れているだけである。
まるで自分がこの場所に降って沸いて現れたとしか考えられない状況だ。
とにかく、と状況を把握するためにもう一度、ゆっくりと2人の人物に向き直り、警戒しつつも声をかけようと試みる。
しかし、不意にめまいと眠気を混ぜ合わせた感覚に襲われ、立っていることができず、その場に倒れこんでしまった。まぶたが重く、意識を保っていることができない。
そうか、ちょっと疲れていたんだ。
そういえば、しばらく休みを取っていなかった。
幻覚を見てしまうくらいには疲れていたんだろう。
頬に、のしかかるように感じる石畳の冷たさが心地良い……
明日も朝が早いし、今日くらいはこのまま寝てしまおう。
玄関のカギ、閉めたっけな……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜の国。荊の城。その広間の一つにて。
目の前に現れた人間が気を失ったことを確認し、2人は会話を始める。
「ジョセフ、これが銀月の扉の答えなのか?」
両目を覆い隠す眼帯をした長身長髪の男が、隣の老人に尋ねる。その様子はどこか悲しげで、困惑した様子を滲ませている。
「そうかもしれませんな。人間ならばあの扉を超えることは可能じゃろうから、あるいは……」
ジョセフと呼ばれた杖の老人は、何かを諦めた様子でそう言いながら、気を失った男に近づき、まじまじと調べ始める。
「しかし中々上等な衣装をしておる、どこの大陸から召喚されたのか……」
「魔眼のチカラは及びそうか?」
「ええ、特段レジストの類いはありません」
ジョセフが気を失った男を深く見つめると、両眼が薄く光る。
「能力はヒトの平均、よりも少し下……」
ジョセフはヒゲに隠れた口元をほんのわずかに崩し、ゆっくりと長髪の男を見る。
「ふむ、どうやらロール持ちじゃの。ノア殿」
「そうか」
言葉数の少ないノアという名前の長髪の男は、マントを翻して部屋の出口に向かって行く。
「ジョセフ、後は任せる。私はまた別の方法を探す」
「かしこまりました」
ため息の混じるジョセフの返事を背中に受け、開かれた重く大きな扉の奥へと、ノアは姿を消していく。
「さて、もうあまり時間がないんじゃがな」
ジョセフは配下の兵を呼び寄せ、まだ気を失っている男を運ばせた。




