第17話 人間と水妖 前編
妖魔たちの住む夜の国にも、海が存在する。
その海には半人半魚の水妖が住んでいた。彼らもまた妖王カルミラに忠誠を近い、仕える妖魔の種族である。
彼らの住む海を、妖魔たちは「雨の海」と呼んでいる。
上弦の月が水面に映り、朝の来ない海を妖しく照らす。
次の呪いの依り代の破壊に向け、少し強力な魔物を狙い、腕を上げていこうと月の妖精ルナと考えていたある日。
老魔術師のジョセフにまたお使いを頼まれた。
「水妖たちの住む入り江へ行き、水妖からウロコを分けてもらってきてはくれんか」
水妖とは妖魔の一種、いわゆる人魚である。普段、角兎などの魔物の狩りをしている森を、やや南東に抜けた先にある入り江に住んでいるらしい。
その美しさは言わずもがな、水妖の歌声は全てを魅了するという。
やましい気持ちなど一切ないが、人魚と聞いたら是非とも会ってみたいものだ。
本物の人魚って服着てるのかな。
そして、この夜の国における水妖の頂点が第4寵姫・叫姫マヤである。
寵姫とは妖王カルミラが特に目を掛け、その側に置いている姫君たちのことだ。
第7の寵姫まで存在し、その全員が特別な力を持っているらしい。
しかし今、寵姫たちは妖王カルミラの呪いの進行を抑えるために自ら深い眠りにつき、その為だけに力を使っている。
つい先日、ひとつ目の呪いの依り代を破壊できたことから、二人の寵姫が目を覚ましたところだ。
そんな寵姫の1人、叫姫マヤと同じ水妖の暮らす場所、雨の海。
興味があったこともあり、二つ返事でお使いを受けることにした。
ウロコを何の材料にするかは聞かないでおくことにしよう。
オレは飲まないぞ、鱗の混じった霊薬なんて絶対。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
出発の前に蝋で封をした手紙と、手土産としてお酒をいくつか受け取った。
これでもジョセフ老人はこの夜の国では偉い人らしく「この手紙を見せれば万事OKじゃ」とのこと。
ジョセフ老人の邸宅から、水妖たちの住む入り江までは少し距離がある。
開けた道があるから迷わないだろう、とのことだったが、月の妖精ルナに道案内をお願いすることにした。
「まっかせてよ!」
二つ返事で頼まれてくれるルナが頼もしい。
入り江へと続く街道は、森を少し南に行ったところにあった。
道といっても木々が開けているだけである。
海へと続く道に入る前に城下の街、棘の街にもかなり近づいた。
遠くから見た街は幻想的な雰囲気を漂わせ、時折聞こえる話し声や生活音はとても魅力的であった。
元々、妖魔という種族自体が、他種族を魅了することに長けているのだ。
今でこそ、色々な妖魔と会い、排他的な人物ばかりではないと分かってはいるが、余所者の身からすると、他のコミュニティへ踏み込むことは躊躇してしまう。
決してコミュ障であるとかそういうことではない。
しかし遠くから窺った街の様子はどこか寂しそうに感じる。
愛すべき主が眠りにつき幾百年。
落ち込むなと言う方が難しいということだろう。
活気という活気は感じられない。
街を横目に雨の海へ続く道へ向かうとき、寂しそうに街の様子を眺めるルナの表情が印象的であった。
道中は比較的、安全でだった。時折り魔物が出てきたり、遠くで鳥が鳴いたりする程度。
夜の散歩を楽しめた。
日光がないからか、冷んやりした風が吹くたびに心地よさを感じる。
どれほど歩いただろうか。
以前より体力がついたため、中々のスピードでかなりの距離を進めたと思う。
風に揺らされている水の音が聞こえるようになり、木々の匂いに混じって潮の匂いが鼻に届く。
魔物の狩りを始め、体力がつき、運動能力が上がっただけでなく、最近は五感もよくなったと感じる。目も耳も、そして鼻も良くなったのだ。
さらに進むと、足元の土の上に細かな砂が混じり始め、視界が一気に開けた。
月の光に照らされて紫に輝く一面の水面。
海原である。
たどり着いた入り江は開けており、大きな岩が所々に転がっている。
水の色は、強い月の光に照らされてとても綺麗だった。
今日の月はいつもより青く輝いている。
「私はここまでだね!」
「案内ありがとう。帰りも頼むよ」
「うん!待ってるから」
やはりルナは妖魔と会おうとはしない。
今はそれについて深く追求する必要もないだろう。
笑顔で手を振るルナと別れ、一人で水妖を探す。
波間まで歩くが、周囲に人魚の気配どころか生き物の気配すらない。
そういえば場所を聞いただけで、どうすれば会えるか聞いていない。
どうしよう。まさか潜れとか言わないよな?
あとは……イジメられてる亀を助ける、とか……?
そんなことを考えていると、少し離れた岩場から歌声が聞こえて来た。
なんの歌かは分からないが、本当に綺麗な歌声で聞き入ってしまう。
どこか寂しげな歌は、弦楽器のように空に延びて空気を震わせている。
間違いない。これが人魚の歌声だ。
そう確信し、相手を驚かさないように、わざと足音を出してゆっくりと岩場へ近付いていった。
岩場へ近づき、ゴツゴツした多くの岩の中を歩きやすい方へ進んでいく。
すると ザブンッ となにかが水に落ちる音がした。
あれ、逃げられてしまったか?
「あなたダレ?」
後ろの岩陰から突然話しかけられた。
パッと振り向くと、そこには想像していた通りの人魚がいた。
濡れた金髪、魚の下半身に青いウロコ。耳も魚のヒレのようになっている。
この人も中々の美人だ。妖魔という種族は基本、魅了という特性からか美形であるらしい。
ただの一般人からすれば羨ましい限りだ。
「あなた人間でしょ? なんで歌を聴いても普通でいられるの?」
水妖の歌には魔力が籠っていると、前情報は聞いていた。
その効果が及ばないのは……なぜだろう。
ここでの生活が長くなり、妖魔自体に耐性ができたのか?
「あ…えっと…なぜでしょうね?」
「ジョセフ様の匂いがする?」
始めて会う人魚、しかも濡れ髪の美人との会話に戸惑ってしまう。
決して美人との会話にキョドッている訳ではない。
というかちょっと待て、オレからジョセフ老人の臭いがするのか……
「ひょっとしてアナタがジョセフ様に飼われている人間?」
質問責めである。
だが待ってほしい。確かに居候の身であり、魔力を強くするという霊薬の治験者にされているが、ペットになった覚えはない。
むしろ貴女のペットにして欲しい。
しかしここで話をややこしくすることは、避けるべきだろう。
「飼われているワケではないのですが。ジョセフさんから使いを頼まれて伺いました」
絞り出した言葉に、疑いの目を向けられる。
美女の冷たい目とはこれはこれでまた…
「いいわ、人間さん。そこで少し待っていなさい」
そういうと人魚は海へ飛び込み、どこかへと泳いでいってしまった。
今度は放置プレイが始まるようだ。
10分程経っただろうか。
言いつけを守り、その場で砂に絵を描いて人魚を待っていた。
描いているのは唯一知っている魔法陣である。火が出そうなトカゲっぽい名前の魔法陣。それを夢中になってぐるぐる描いている。
決して可哀想な子ではないと断言しておこう。
ちなみに火は出なかった。
「人間さん、なにをしているの?」
顔から火が出た。
いつの間にか濡れた髪の美女に囲まれていた。
先程の人魚さんを含め、皆さん下半身が魚の美女たち数人に囲まれているのである。
いるならいると言って欲しい。
「新しい魔法の実験です」
「あらそう。それよりジョセフ様の使いと、証明出来るものはある?」
興味がないなら聞くな。そう思いつつ、預かっていた手紙を渡す。手土産のお酒も一緒にだ。
「確かにジョセフ様のものね」
そう確認すると、奥から1人の人魚が出て来た。
高価そうなネックレスをし、佇まいから明らかに他の人魚と雰囲気が違っている。
槍を持った男性の人魚を従え、いかにも偉い人という雰囲気を纏っている。
というかこの人、宙に浮いている。
周りの人魚が岩に腰掛けているのに対し、宙を泳ぐかのように優雅に舞っている。
「ローレル様、これが例の人間です。ジョセフ様からの手紙も本物のようです」
ローレルと呼ばれた人魚は真面目で優秀だが周囲にも気を配れる、そんな雰囲気の優しそうな人だった。
後ろに縛られた髪は濡れているはずなのに風に揺れ、ティアラがよく似合っている。
いかにも仕事ができる人。
上司にしたいタイプだな。
「そうですか。人間殿、手間をかけました。ご苦労さまです」
「いえ、この程度……」
咄嗟に跪いてみた。
こういうのは第一印象が大事だというしね。
「そう畏まらないでください」
そう言われて、様子を窺いながら立ち上がる。
目の前の人魚が、ここの水妖のトップなのだろう。
この人もとても綺麗だが、寵姫の叫姫マヤはもっと綺麗なんだろうか。
「ウロコを分けて欲しいとは…あの人の考えることはよく分かりませんね」
ローレルはジョセフ老人からの手紙を読みながら、困ったような表情を浮かべる。
右に同じく、あの人の考えはわかりません。
「剥がれ落ちたウロコがあるでしょう。持ってきなさい」
おお、このお使いは簡単に終わりそうだ。
できる上司、ローレルは後方の人魚に指示を出している。
その時、バシャバシャと慌ただしく水を掻く音とともに、やけに訛った声がが聞こえてきた。
「ローレルサマ! 大変ダす! メルジーナ様がいなくなりマした!」
どうやらお使いイベントにハプニングは付きもののようだ。




