第16話 人間と扉姫
妖魔たちの住む夜の国が喧噪に包まれることはめったにない。
その性質からか静寂を好み、秩序を重んじる。
それでも以前は楽しそうな声が響くこともあった。
しかし妖魔たちの王、カルミラが呪いの眠りについてからはそれもめっきり無くなった。
深い深い悲しみという静寂に、包まれることとなったのだ。
だがここ数日、妖魔たちの住む荊の城や、その城下にある棘の街から聞こえる声に変化が起きている。
「寵姫様が目覚めたらしいぞ」
「聞いた。人間が呪いを解き始めたんだろう?」
「私、見ましたわ。人間が街を歩いているのを。頼りなさそうでしたけど」
「バーデの森で魔物を狩って訓練しているらしいぞ」
「センジ様も稽古をつけているとか」
「ペンテシレイア様がハーラル様を呼び戻したらしいぞ」
「ジャネット様も戻ってくるって聞いたわ」
「昔のように騒がしくなりそうだな!」
「なににしても、めでたい。これで呪いが解け、カルミラ様や他の寵姫様も目を覚ましてくれれば…」
『『でも…呪いを解いてしまったら、あの御方はどうなるの?』』
喜びと困惑。
様々な感情が混ぜ合わさり、複雑な色を纏っていく。
そんな夜の国を嘲笑うかのように、月がニタリと口を歪める。
今日は三日月の夜。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
空気を鋭く切り裂く音が、微かに聞こえる。
それは弾丸よりも速く、剣よりも鋭い。
銃弾蜂鳥は獲物に狙いを定めていた。
今日のごちそうは、この国では中々見ることのない人間である。
だが、あちらもただではやられてくれそうにない。
できるだけ速さで翻弄し、こちらを見失ったところを自慢の嘴で突き刺してやるつもりだ。
この世界に来て、もう大分経つ。朝の来ない無限の夜空にも慣れてきた。雑音の少ないこの妖魔の住む国も、いつの間にか好きになってきたように思う。
ここへ来て、老魔術師のジョセフに魔術を教わった。
月の妖精ルナに剣を教わった。
そしてもう一人、荊の城で庭の造園を行う元鍛冶師のセンジにも剣の稽古をつけてもらっている。
月の妖精ルナに教わる剣は、足の運びに重点を置いた、“動の剣”である。いかに剣戟を繋いでいき、連撃を生み、途切れさせないかが重要となる剣だ。
対して元鍛冶師のセンジに教わる剣は、“静の剣”だ。
相手の動きを利用し、受け流し、一撃を入れる。カウンター型の剣である。
今回、相手をしている銃弾蜂鳥のように素早い相手には、センジから教わった剣が有効だ。
剣を顔の横で持ち、切っ先を下へ向けるように構える。
そして僅かな羽音に集中していく――…
銃弾蜂鳥は確信していた。今日のごちそうに。人間の血が吸えると。
狙いを定めた人間は、先ほどから動かない。
武器を構え、ただ防御の姿勢を取っているだけに見える。
きっとコチラを見失ったのだ。
それなら真後ろに回り、胴体に穴を開けてやろうと考えた。
今日一番の羽根使いで、背後に回り、今日一番の速さで人間へと向かっていった。
最後に銃弾蜂鳥が見たのは、こちらを見失ったはずの人間の目が、こちらを確実に捕らえているところだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あっっぶねぇ…死ぬかと思った」
「さっすがー!やるじゃーっん!最後のは痺れたよ!」
空中をクルクルと回りながら喜びを表現する月の妖精ルナに、思わず笑みが溢れる。
「いやぁ…危うく身体に穴が開くところだった」
「センジの流剣術でしょ?いつの間に使えるようになったのよ」
庭師のセンジから教わったのは流剣術というカウンターを主体とした剣術だ。
防御が甘いからと徹底的に仕込まれたのだが、今日は本当に役に立った。
今日はいつものルナの提案で、仕立屋のガブリエラに染色用の花を摘みに森の中へ来ていた。
そこを人の身体に穴を開けようとする鳥の魔物に襲われたのだ。
可愛い見た目だから最初は油断していたが、弾丸みたいに飛び回って、鋭い嘴で殺意高めの攻撃をしてくるものだから危なかった。
しかし、目的のものを見つけることができた。
夜の森の大きな木々の間を抜けると、月に照らされた一面の花畑がそこにはあった。
一輪ごとの花が、まるでオーロラのように輝き、それが辺り一面に広がっている。壮観だ。
風で花々が揺れるたびに色が揺らめいて、目を離すことができない。
「これこれ!この花は月の光に照らされると色々な色に色々なんだよ!」
「なんだそれ」
最近はルナと仲もより深くなってきた気がする。
会話が適当でも成り立つ。
くだらないことで笑い合える。
知り合いのいなかったこの世界で、心細くならないのは彼女のおかげかもしれない。
もちろんジョセフ老人にもよくしてもらっている。
庭師のセンジにも気にかけてもらっているのは感じているし、宮廷音楽家のニコロも、最近ではツンデレであることがわかってきた。
アイツ、オレが荊の城に出入りするタイミングに合わせて、聞こえるように演奏をしているようなのだ。会えば嫌みばかりだが、可愛いところもある。
他の妖魔たちも何だかんだよくしてくれている。
つまり、だ。この世界での生活も悪くないと思い始めているのだ。
もとの世界に帰りたいだとか、人間のいる場所に逃げたいとか、今はもう置いておいて、とりあえず今日の目的を果たそう。
「この花を何本か摘んで行けばいいんだよね?……あれ?ルナ?」
ふと振り返ると、そこにいたはずの妖精ルナがいなくなっていることに気がついた。
辺りを見回してもどこにも姿がない。
思わずキョロキョロしていると、視界の端に別の人物を捉えた。
「お兄ちゃんだーれ?なにしてるの?」
それはいつか森の入り口で見かけた少女だった。
少女はウサギのぬいぐるみを抱きかかえ、膝まで伸びた輝く長い銀髪を風に靡かせてそこに立っていた。
小学生くらいの年だろうか。いやもう少し幼くも見える。
おそらく妖魔であろう。
しかしこんな森の中に女の子ひとりとは。
一体どうやってここまで来たのだろう。
花に集中していたとはいえ、周囲の警戒を怠っていたわけではないのだが。
「お花を摘んでるの?」
少女はそう言いながら無邪気に首を傾げている。
「そのつもりだったんだけど…友達とはぐれちゃって」
「ミリもお友達を探してたんだよ!」
ミリと名乗った少女にパッと笑顔が咲き、嬉しそうにする。
「あのね!あのね!ミリはお姉さんだから、仲直りをさせてあげようと思ったんだよ」
少女はお姉さんぶるように腰に手をあて、得意げに話し始めた。
「それは偉いね、ミリ。その友達はここにいるの?」
「うん……いたと思ったんだけど……いなくなっちゃったみたい」
ミリの無邪気な様子に思わずデレてしまう。
「そっか…… 一緒に探してあげようか」
いつだって小さな子供を一人にしてはいけないのである。
「ううん。だいじょうぶ!また来るから」
そう言ったミリの後ろに、先ほどまではなかった扉があった。
“扉”だけがあったのだ。
「またねお兄ちゃん!今度は一緒に遊ぼうね!」
ミリと名乗った少女は扉を開き、その中へと消えていってしまった。そして扉も消えてしまった。例えば光りに包まれるとか、霧のようにとか、そんな様子はなく、瞬きの次の瞬間にはなかったのだ。
「えぇ……妖魔はよくわからん……ていうか……ルナ~?」
いつの間にかいなくなってしまった月の妖精ルナ。
いつの間にか現れて、正体も分からないまま消えた謎の少女ミリ。
二人の女の子に置いてけぼりにされてしまった。
仕方なく、当初の目的である花を摘み、一人で棘の街まで変えることにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「それは第一寵姫、扉姫ミリアム様じゃな」
帰路についた後、オレの魔力を強化する霊薬作りに励んでいたジョセフ老人に、花畑で遭遇した少女について尋ねると、ヒゲを撫でながら教えてくれた。
第一寵姫、扉姫ミリアム。
妖王カルミラにかけられた呪い、その進行を止めるため、自ら眠りについている寵姫たちの第一位の姫。
「でも眠りについているんじゃないんですか?」
「ミリアム様は、寵姫様たちの中でも特に異別の存在じゃ。ワシらの常識で計れるところにはおらんよ」
フラスコのようなものを回すように振りながら、ジョセフ老人が話してくれる。
あの後、月の妖精ルナは現れなかった。他の妖魔を避けているように、扉姫ミリアムにも会えない、会わない理由があるのだろう。
本人が望むなら深くは追求しない。
摘んだ花は、以前に防具を仕立ててくれた妖魔の仕立屋ガブリエラに届けている。
彼女は戸惑いながらも不器用に喜んでくれた。
「この世界に存在するどんな扉でも召喚できる。それがミリアム様が扉姫と呼ばれる所以じゃ。」
「どんな扉でも?」
「そうじゃ。たとえ死者の世界に続く扉でもな」
「そんな扉がそもそも存在してるんですか?」
「ほっほっほ」
笑って誤魔化されてしまった。
ジョセフ老人が楽しそうに振るフラスコの中には、怪しげな液体が蠢いていた。
……ていうか、あれを飲ませようとしてるの?
マジで?




