第15話 人間と妖魔の姫君
太陽の昇らない妖魔たちの国。大きな月が照らす荊の城。
ここでは多くの妖魔が、その主である妖王カルミラに仕えている。
アン・ダロウもその一人だった。
彼女も他の妖魔と同じく、妖王を慕い、忠誠を誓う女中の一人。
「あーあ、ユニ様もあんなに怒らなくてもいいじゃん。 ちょっとお掃除する気にならなくて、ほーんの少しサボってただけなのに。 何年ワタシの先輩やってるんだか」
アン・ダロウは、老魔術師ジョセフや召喚された人間の世話をするユニという女中の後輩メイドである。
根は素直な性格だが、細かなことが苦手で、先輩メイド達からはよく怒られていた。
特に彼女が慕う妖王カルミラや、その寵姫たちが呪いによって眠りについてからは、それが顕著になっていた。
「カルミラ様たちはいつお目覚めになるのかな…」
もう幾度と願った望みも、灯っては消え、悲しみはいつしか諦めへと変わろうとしていた。
そんなアン・ダロウにも決して怠けず、手を抜かない仕事があった。
それは棺の広間の清掃である。
妖王カルミラとその寵姫たちが眠る広間には、一般の妖魔は立ち入ることはできない。
騎士団長を始め、位の高い妖魔や、定期的な清掃の番など必要な仕事を任されているものだけが入室を許可される。
この日は、アン・ダロウがその番となる日であった。
29日ぶりに入る封印の広間は、以前と変わらなかった。
部屋に入ったものたちが供えていった花や調度品が増えているくらいで、黒い荊も、開かない棺も、身の丈ほどの宝石に眠る妖魔の主も、悲しいほどになにも変わらなかった。
アン・ダロウは部屋の隅に清掃道具を置き、妖王カルミラが封印されている宝石の前に、持ってきた一輪の花を供える。
そして跪き、両手を合わせ、叶わぬと知ってしまった祈りを捧げた。
「カルミラ様。貴方様の僕、アン・ダロウです。どうか…どうか…」
いつものように言葉は続かなかった。
口に出してしまえば、叶わないことを突きつけられるようで。
しかし、今日の祈りは少し様子が異なった。
ふと、部屋の中に何か違和感を覚えるのだ。
妖魔は生まれつき、魔力が多く、感覚も鋭敏である。
性格などの理由から戦闘が不得手であっても、その鋭い五感は人間のそれを遙かに凌駕する。
それはアン・ダロウも同じであった。
見慣れたはずのいつもの広間に覚えるこの違和感の正体を見つけようと、周囲を見回した。
すると、第6寵姫の眠る棺に黒い荊が無くなっていることに気がついた。
そして気づいた瞬間。その第6寵姫の棺の蓋がゆっくりと開いた。
アン・ダロウは自分の出そうとした声が震えるのが分かった。
もう何度も諦めた、寵姫の起き上がる姿に涙を堪えることができない。
「ペンテシレイア様…ペンテシレイア様っ!!」
棺の中かから起き上がったのは、第6寵姫・戦姫ペンテシレイアであった。
2mを超える鍛え上げられた浅黒い身体。鋭い犬歯。いくつもの戦場を渡り歩き、体中に刻まれた多くの傷跡。鋭い眼光。
それらが幾年月を経ても変わることなく、アン・ダロウの前に立ち上がった。
「アン?か。私はどれほど眠っていた。カルミラ様は?姉様たちはどうなった?」
「カルミラ様は…寵姫様たちは…」
溢れ出る涙で言葉にならない様子の女中の姿を見て、戦姫ペンテシレイアは自分がどれほど長い年月を眠っていたのか悟った。
そして広間を振り返り、自身の主である妖王カルミラの変わらない、呪いによって封印された姿を見て顔を歪めた。
「ではなぜ私は目覚めたのだ。呪いが弱まったのか……?」
戦姫がそう考えている時、もうひとつの変化が広間に起きた。
第5寵姫・幽姫アガーテの眠る棺からも黒い荊が消えていったのだ。
戦姫が第5寵姫の棺の様子に集中した姿を見て、女中アン・ダロウもそれに気がついた。
二人が黒い荊の消えた棺を見守るが、棺の蓋が動く気配はない。
だが二人は知っている。
棺に眠る人物がどのような妖魔であるかを。
そして二人の予想通り、棺の蓋が、妖しくゆっくりと光り始めた。
そして蓋を開けることなく、まるですり抜け、通り抜けるかのように、古めかしいドレスを着た第5寵姫・幽姫アガーテの姿が現れた。
幽姫アガーテの肉体は遠い過去に既に滅んでおり、幽体のみが青白く、半透明に輝き、宙に浮いている。長い髪に、面倒見の良さそうな優しい笑みを携える幽姫アガーテはゆっくりと二人へ向き直った。
「あら、こんばんわ。ペンテシレイアにアン。 少し眠り過ぎてしまったかしら。 あら? アン、どうして泣いているの?」
少し間の抜けた様子で、底抜けの優しさを放つ幽姫アガーテは、アン・ダロウの記憶の中の彼女そのままだった。
アン・ダロウは夢の中でさえ諦めてしまった寵姫たちとの再会に、涙が止まらなかった。
そのせいで二人の寵姫復活の報告が遅れ、先輩女中のユニにまた怒られてしまうのは少し後の話である。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜空の同じ場所に輝き続ける月が照らす、妖魔たちの夜の国。
今宵は半月。
森の魔物がひっそりと息を潜める、明けの来ない月夜。
妖魔たちの城、荊の城はにわかに騒ぎ立っていた。
数百年もの間、呪いにより目覚めることのなかった妖王カルミラとその寵姫たち。その内ふたりが目覚めたのだ。
妖魔の騎士ノアと老魔術師ジョセフが召喚した人間。
その人間がついに呪いの依り代の一つを破壊した。
その結果、妖王カルミラに欠けられた呪いが弱まり、呪いの一部を引き受けていた第6寵姫と第5寵姫が目覚めたのだ、
だが呪いが解かれていくということは、別の絶望を引き寄せることになる。
ここから妖魔の国は静かに、しかし確実に変化の様相を呈していく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
妖魔の城、荊の城はとにかく大きく広い。
オレが入ったことの無い場所なんていくらでもある。というか入ったことのない場所が大半だ。
そして今、連れてこられた謁見の間。ここもまだ来たことのない場所だった。
妖王カルミラを蝕む呪い、その呪いの依り代である「石鎧の騎士」を倒したあと、疲れからジョセフ老人の邸宅で泥のように眠ってしまった。
目が覚めたあと、血相を変えたジョセフ老人に半ば無理矢理連れてこられたのがこの場所である。
なにやら呪いが弱まり、眠っていた寵姫が目覚めたとか。
最初は「お姫様に会えるのか~」なんてワクワクもしていたが、目覚めた寵姫は二人。
第6寵姫と第5寵姫。二人が冠する名は【戦姫】と【幽姫】。
よく考えれば物騒な雰囲気のある呼び名である。
名前だけで想像するなら、ゴリラみたいなバトルジャンキーとお化けである。
正直もう帰りたい。
荊の城、謁見の間の扉はとても大きかった。体育館なんてもんじゃない。サッカーくらいできそうな程だ。
この城どうなってんだ。
扉回りの細工も凝っている。龍やペガサス、見たこの無い生き物の彫刻が散りばめられ、所々に置かれた松明が妖しげにそれらを照らしている。
待機するオレの前にはジョセフ老人。緊張している様子ではないが、先ほどから何もしゃべらない。
「入れ」
扉横に控えていた妖魔の騎士にそう促されると、大きな扉がその重さを引きずる音を叫びながら開いていった。
謁見の間はとても広かった。
中央には主の座っていない大きな椅子がある。
その前に立つ二人の人物に目を奪われた。
一人は褐色の肌に、2mはあろうか身長。鍛え上げられた身体を惜しげも無く見せつけるような露出の高い装備。バキバキに仕上がった腹筋を惜しげも無く見せつけるよう仁王立ちをしている。
おそらく彼女が"戦姫"ペンテシレイアだろう。
その戦姫の隣、もう一人は……浮いている。
いや、様子がおかしいとかいう意味ではなく、物理的に空中に浮いているのだ。なんなら身体も透けていて、青白く光っている。
一言で伝えるなら幽霊のような姿だ。"幽姫"アガーテ、なんてよくいったものだ。
事前に情報を持たず、夜中に出くわしたら思わずちびってしまいそうな姿だ。
ただそれ以外はとても温和な印象を受ける表情を持った、豊満な身体の優しいお姉さんといった感じだ。
どちらも非常に美人である。城や街にいる妖魔の女性陣もとても綺麗であるが、この二人はまた別格だ。
「ほれ、膝をついて畏まれ」
目の前の二人に思わず魅惚れていると、隣にいたジョセフ老人に杖で頭を小突かれた。
慌てて膝をつき、顔を下げる。すると戦姫から声がかかった。
「よい。カルミラ様が不在の折だ。我らに畏まる必要はない。それに――」
よく通る声で戦姫ペンテシレイアに言われ、顔を上げたとき、幽霊のお姉さんである幽姫アガーテが、文字通り音もなく、気配もなく目の前にいて、思わず驚いてしまった。
「わっ!?」
「ふふふ。あなたがノアとジョセフに呼ばれた人間さん?ありがとうねぇ。あなたのおかげで目を覚ますことができたわぁ」
ほんわかとした優しい口調で幽姫アガーテが話しかけてくる。
実体はないはずなのに、甘く良い香りが漂ってくる。
「もっと屈強な戦士を想像していたが、思ったよりも貧弱そうであるな」
「あらぁ?私は可愛らしいと思うわよぉ」
「姉様。私はそういうことを言っているのではありません」
幽姫アガーテに気を取られていると、いつの間にか戦姫ペンテシレイアが隣に来ていた。
この二人の移動速度はどうなっているんだ。速いなんてもんじゃないだろ。
移動速度もそうだが、それ以前にこの二人は何かおかしい。
今までこの世界にきて、たくさんの妖魔に出会い、多くの魔物と戦ってきた。自惚れでなく、自分もそこそこ戦えるようになってきただろう。
だからこそ、たとえば妖魔の騎士ノアや世話をしてくれているジョセフ老人の強さを、隣でヒシヒシといつも感じている。
この寵姫二人はそういったものとは違う、存在としての格の違いを感じるのだ。
「それよりもジョセフ。手間をかけたな」
「いえ、労いには及びません。それよりも呪いの弱化を、寵姫さま方の復活で確認できて嬉しいかぎりですじゃ」
「それについてなのだがな…」
ニコニコとしている幽姫アガーテの隣で、戦姫ペンテシレイアとジョセフ老人が深刻な話を始める。
「たしかに呪いは弱化した。しかし刻限が迫っていることは変わりないようなのだ」
話の内容から、どうやら呪いは弱まったが、妖王カルミラの死の期限はあまり変わっていないようだ。
「人間。お前には引き続き解呪を続けて欲しい。私とアガーテ姉様はハーラルとジャネットを呼び戻しに行く」
「承知しました」
聞いたことのない単語がいくつか出てきた気がするが、聞き返せる雰囲気にない。
こういうときは知ったかぶって後でジョセフ老人に聞くことにするのが良いだろう。これが処世術というものさ。
ジョセフ老人が返事と共に頭を下げるのにならって、見よう見まねで拝礼する。
とにかくやることは今までと変わらないってことだ。
とりあえず、ルナに会いに行こう。会って酷いことを言ってしまったことを謝ろう。




