89:頭脳流出
他国崩壊加速。
春の終わり。
クルザードの街は、さらに広がっていた。
新しい住宅区。
新しい工房。
新しい学校。
新しい倉庫。
建設が止まらない。
止める理由がない。
人が来る。
金が回る。
食料がある。
物流が動く。
つまり。
拡張した方が得だった。
朝。
中央広場。
掲示板前。
人が集まっていた。
「教師募集」
「薬師補助」
「鍛冶工房管理」
「物流計算補佐」
「水路設計技師」
紙が増えている。
仕事。
しかも。
待遇が良い。
飯付き。
住居付き。
医療付き。
教育付き。
他国では考えられない。
その前に。
一人の男が立っていた。
三十代。
痩せている。
目の下に隈。
ローブ姿。
元王国文官。
名前はレナード。
王都の財務局にいた。
つまり。
頭脳。
その彼が。
今。
震えていた。
「……本当に募集しているのか」
受付担当のマチルダが頷く。
「能力があるなら」
「歓迎します」
レナードは息を呑む。
王国では。
才能より家柄。
コネ。
派閥。
賄賂。
だから疲れた。
書類を出しても潰される。
改善案を出しても消される。
現場を救おうとしても予算が消える。
そして。
飢饉。
増税。
暴動。
全部見た。
だから。
逃げた。
「……試験は?」
「ある」
「実務」
簡単だった。
「倉庫遅延の原因を見つけろ」
「改善案を書け」
それだけ。
レナードは数分で答えを書く。
水路混雑。
荷車集中。
積載管理不足。
原因。
即特定。
マチルダが読む。
そして。
静かに言った。
「採用」
レナードは固まった。
「……え?」
「優秀だから」
それだけ。
派閥無し。
賄賂無し。
血統無し。
能力だけ。
レナードは理解できなかった。
こんな国。
存在してはいけない。
同時刻。
王都。
財務局。
「レナードが逃げた?」
「はい」
「他にも二人」
沈黙。
局長は顔を歪めた。
「……またか」
最近多い。
文官。
技師。
薬師。
教師。
消える。
そして。
大体。
南へ行く。
クルザードの街。
原因。
簡単。
待遇。
環境。
自由。
全部向こうが上。
つまり。
止められない。
「給与を上げろ!」
局長が怒鳴る。
部下が顔を伏せた。
「予算がありません」
「税収減です」
「商人流出が……」
終わっていた。
頭脳流出。
それは静か。
でも。
国家を殺す。
クルザード側。
工房区。
ガルドが怒鳴っていた。
「火力上げろ!」
「鉄が死ぬぞ!」
ドワーフ達が動く。
そこへ。
一人の老人が来た。
細い。
煤だらけ。
元帝国技師。
蒸気炉設計者。
「……ここでは研究が出来ると聞いた」
ガルドが見る。
「出来るぞ」
「失敗しても殺されん」
老人の目が揺れた。
帝国では。
失敗は死。
だから技術が止まる。
ここは違う。
「改善しろ」
「効率上げろ」
「試せ」
それだけ。
老人は震える。
「……夢みたいだ」
ガルドは笑った。
「現実だ」
さらに。
学校。
エルフの教師。
元貴族家庭教師。
数学者。
地図技師。
全部流れてくる。
理由。
単純。
ここ。
才能が腐らない。
昼。
会議室。
クルザード。
ヴァレリア。
マチルダ。
ジェシカ。
新規流入組。
机に地図。
「北倉庫不足」
「医療院拡張必要」
「学校第二棟作る」
「港湾物流増設」
会話が速い。
全員。
頭が良い。
つまり。
国が加速する。
ヴァレリアが笑う。
「最近、面白いくらい人が来るわね」
マチルダが淡々と答える。
「比較された」
「終わり」
その通りだった。
一度見てしまう。
効率。
快適。
合理。
すると。
元の国へ戻れない。
ジェシカが資料を見る。
「薬師流入増えてる」
「研究速度上がる」
クルザードが頷く。
「なら病気減る」
全部繋がる。
医療。
教育。
物流。
食。
技術。
独立していない。
だから強い。
夕方。
港。
新しい船が着く。
商人。
技師。
職人。
教師。
大量。
入国審査。
鑑定。
犯罪歴確認。
即分類。
無駄がない。
一人の若い女が震えていた。
眼鏡。
痩せている。
元王立研究院。
「……本当に研究費が出るの?」
受付が答える。
「成果次第」
「役立つなら出る」
女は泣きそうになる。
王都では。
貴族案件優先。
研究は止まり。
予算は消え。
論文は埋もれる。
ここは違う。
成果。
それだけ。
夜。
酒場。
流入者達が飲んでいた。
「王都より飯が美味い」
「風呂が毎日ある」
「夜でも安全」
「給料遅れない」
「頭がおかしい」
全員笑う。
でも。
本音。
そして。
元兵士が呟く。
「怖いのはさ」
「ここが特別じゃないことだ」
「普通なんだよ」
静かになった。
その通り。
クルザードは神じゃない。
超人でもない。
やっていること。
合理。
つまり。
本来なら。
他国も出来た。
でも。
やらなかった。
腐敗。
怠慢。
既得権。
それが積み重なった。
結果。
差になった。
深夜。
王城。
会議室。
王国上層部。
「また技師が消えた」
「薬師も」
「教師もです」
「何故だ!」
怒号。
でも。
全員分かっていた。
理由。
向こうの方が良い。
それだけ。
だから止められない。
貴族が叫ぶ。
「移動制限を!」
「許可制にしろ!」
別の貴族が冷笑する。
「すると商人も逃げます」
沈黙。
詰み。
つまり。
自由を縛れば経済死。
自由にすれば頭脳流出。
どちらでも終わる。
その頃。
クルザードの街。
夜灯。
工房。
学校。
医療院。
全部まだ動いている。
人が学ぶ。
人が作る。
人が治す。
人が食う。
人が笑う。
クルザードは屋上から街を見ていた。
ティグリスが隣に座る。
「増えすぎじゃないか?」
「増える」
「止まらん」
「嬉しそうだな」
クルザードは少し笑った。
「頭が増えると国が強くなる」
「兵士より大事だ」
ティグリスは鼻で笑う。
「お前らしい」
遠く。
工房の火。
港の灯。
学校の明かり。
全部。
止まっていない。
他国はまだ理解していない。
戦争で最も恐ろしいのは。
剣でも。
魔法でもない。
優秀な人間が。
静かに消えることだった。




