87:貴族視察
理解不能。
雪が解け始めていた。
春前。
空気はまだ冷たい。
それでも。
街は動いていた。
物流ゴーレムが石畳を走る。
荷車が並ぶ。
市場は朝から湯気に包まれている。
焼きたてパン。
燻製肉。
味噌スープ。
揚げた魚。
子供達が笑いながら走る。
兵士は巡回している。
でも。
誰も怯えていない。
そこへ。
豪華な馬車が入ってきた。
王国貴族。
視察団。
護衛付き。
旗付き。
いかにも貴族。
門前。
門番が止める。
「武器確認」
「馬車内部確認」
貴族の男が眉をひそめた。
「無礼だな」
「規則です」
即答。
変わらない。
相手が貴族でも。
同じ。
それだけで。
視察団は違和感を覚えた。
「……おかしい」
普通。
地方都市は媚びる。
慌てる。
土下座する。
でも。
ここは違う。
全員。
淡々としている。
視察団の中心。
ローデリック伯爵は窓から街を見ていた。
五十代。
現実主義者。
だからこそ。
来た。
噂を確認するため。
「冬でも食料が余る」
「兵士が流出する」
「盗賊が消えた」
「病人が減った」
「人口が増え続けている」
全部。
普通じゃない。
だから。
自分の目で見る。
馬車は街を進む。
そして。
全員。
言葉を失った。
道路。
綺麗。
水路。
流れている。
臭くない。
街灯。
昼でも整備されている。
さらに。
人。
顔色が良い。
服が綺麗。
子供が太っている。
つまり。
栄養状態が良い。
ローデリックは目を細めた。
「……理解不能だ」
隣の若い貴族が呟く。
「魔法ですか?」
「違う」
「これは積み重ねだ」
彼は気づいていた。
この街。
全部繋がっている。
水路。
道路。
物流。
食。
医療。
全部。
一本の線。
だから強い。
市場。
視察団は降りた。
その瞬間。
香りが襲う。
肉。
焼きたてパン。
酒。
味噌。
香辛料。
腹が鳴る。
貴族達は顔を見合わせた。
「……匂いが違う」
屋台。
獣人が肉を焼く。
エルフが薬草茶を売る。
ドワーフが鍋を叩く。
人間の商人が叫ぶ。
種族が混ざっている。
しかも。
自然。
これも異常。
普通。
揉める。
差別。
争い。
絶対ある。
でも。
ここには少ない。
理由。
単純。
全員忙しい。
働けば食える。
つまり。
争う意味が薄い。
ヴァレリアが近づいた。
「ようこそ」
視察団は一瞬固まる。
美しい。
でも。
それ以上に。
目が商人。
数字を見ている目。
「私はヴァレリア」
「流通管理を担当しています」
ローデリックが聞く。
「……流通管理?」
「はい」
「食料、海運、倉庫、価格調整、人材配置です」
若い貴族が笑った。
「女性にやらせる仕事では」
その瞬間。
周囲の商人達が冷たい目を向けた。
ヴァレリアは笑顔のまま言う。
「この冬、食料価格を安定させたのは私です」
「あなたの領地はどうでした?」
若い貴族は黙る。
何も言えない。
領地は餓死者が出た。
対して。
ここは余剰食料。
つまり。
結果で負けている。
ローデリックは理解する。
この国。
能力主義。
しかも。
徹底的。
さらに歩く。
医療院。
視察団は完全に止まった。
「……なんだこれは」
広い。
清潔。
臭くない。
患者が並んでいる。
でも。
絶望感がない。
デニーゼが子供を診察していた。
「熱下がるわ」
「薬飲んで」
母親が泣きながら頭を下げる。
「ありがとうございます……」
視察団は無言。
王都でも。
ここまで整った医療院は少ない。
さらに。
料金。
安い。
意味が分からない。
「赤字では?」
ローデリックが聞く。
デニーゼは首を傾げた。
「病人減れば労働力増える」
「だから得」
単純。
でも。
革命。
普通の貴族は。
病人をコストと見る。
ここは違う。
労働資源。
だから治す。
合理。
徹底している。
次。
学校。
子供達が読み書きしていた。
計算。
地図。
農業知識。
衛生。
視察団の若い貴族が呆然とする。
「平民に教育を?」
「反乱するぞ」
教師役のマチルダが淡々と言う。
「無知の方が危険です」
「教育した方が効率がいい」
また。
理解不能。
貴族達の常識。
全部逆。
でも。
結果はこちらが上。
だから否定できない。
街道。
兵士流入組が工事していた。
元兵士。
元騎士。
今は道路班。
誰も不満そうじゃない。
むしろ。
顔色がいい。
「なぜ逃げない?」
若い貴族が聞いた。
元兵士は笑う。
「飯が美味いからな」
周囲が笑った。
でも。
本音。
「家族が生きてる」
「それだけで十分だ」
その言葉に。
ローデリックは黙る。
夕方。
食堂。
視察団へ食事が出る。
肉鍋。
焼きたてパン。
燻製。
野菜スープ。
酒。
湯気が立つ。
香りが広がる。
貴族達は無言で食べた。
そして。
止まらなくなった。
「……美味い」
「なんだこのパン」
「柔らかい……」
「肉が臭くない」
料理。
それすら。
レベルが違う。
クルザードが入ってきた。
視察団は視線を向ける。
若い。
普通。
豪華な服もない。
なのに。
空気が違う。
全員が自然に道を開ける。
つまり。
本物。
ローデリックが立ち上がる。
「初めまして」
「クルザードだ」
短い。
でも。
軽くない。
ローデリックは聞いた。
「何故ここまで出来る」
「簡単だ」
クルザードは答える。
「人を死なせない」
「それだけだ」
静寂。
「飯を食わせる」
「病気を減らす」
「働けるようにする」
「教育する」
「流れを止めない」
「そうすると国は強くなる」
あまりにも単純。
でも。
誰も出来なかった。
若い貴族が言う。
「理想論だ」
「違う」
クルザードは即答した。
「合理だ」
「飢えた民は逃げる」
「病人は働けない」
「無知は効率が悪い」
「腐敗は流れを止める」
「つまり全部損だ」
ローデリックは理解した。
この男。
善人じゃない。
現実主義者。
だから強い。
さらに恐ろしいのは。
民がそれを理解している。
夜。
街灯が灯る。
酒場。
劇場。
屋台。
夜なのに人が多い。
経済が動いている。
視察団は言葉を失った。
「……夜に人が出歩いてる」
「治安が良すぎる」
「兵士より村人が有能って噂、本当か」
その時。
盗人が走った。
スリ。
一瞬。
影が伸びる。
シャドウバインド。
盗人拘束。
警備隊が即到着。
三十秒。
終了。
視察団。
完全沈黙。
「……なんだ今の」
「暗殺対策網です」
警備兵が普通に言う。
「街全域に張ってあります」
理解不能。
全部がおかしい。
でも。
機能している。
だから否定できない。
深夜。
ローデリックは窓から街を見ていた。
灯り。
笑い声。
湯気。
生きている街。
彼は静かに呟く。
「……これが国家か」
王都じゃない。
血統でもない。
権威でもない。
人が集まり。
生きたいと思い。
流れ続ける場所。
それが国家。
そして。
彼は理解する。
この国は。
戦争で勝つ必要がない。
人が流れる。
技術が流れる。
兵士が流れる。
商人が流れる。
つまり。
周囲が勝手に弱る。
恐ろしい。
あまりにも。
合理的すぎた。




