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飯が美味すぎて、気づけば世界を支配していた。 ~無限魔力の料理人、物流と教育で最強国家を作る~  作者: 慈架太子


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7/42

7:ウォーターマスク

港町アルフェイドに、本格的な冬の冷たい風が入り始めていた。


朝の空気は肌を刺すように冷え込んでいる。灰色の重い雲が垂れ込める海から激しく吹き込む暴風が、冷え切った石畳を撫で回し、朝早くから過酷な労働に身を投じる港湾労働者たちの荒々しい怒鳴り声を、白い息と共に街の奥深くへと運んでいく。


そんな冷酷な停滞を見せる街の中で、唯一、港外れの崖の上に佇む古い廃屋の周囲だけは、妙に温かく活力に満ちあふれていた。


新設された燻製小屋の煙突からは、香ばしい白い煙が絶え間なく天高く立ち上り、周囲には胃袋を激しく刺激する濃厚な鍋の香りが心地よい流れとなって漂っている。集まる人間の数は、日を追うごとに確実に増え続けていた。

命を賭して迷宮に潜る冒険者。

重い物資を命がけで運ぶ荷運び人。

周囲の危険を察知する鋭い斥候。

そして、行く宛を失ってこの街に流れ着いた浮浪者や流れ者たち。

誰が呼びかけたわけでもないのに、彼らは朝を迎えると、吸い込まれるようにして自然とこの場所へ集まり、整然とした列を作るようになっていた。


「……はは、また昨日より一段と人数が増えているわね」


金髪のドミニクが、並ぶ人々の長い列を見つめながら、半分呆れたような快活な苦笑を漏らした。


敷地を埋め尽くすほどの長い列の先頭で、クルザードは無言のまま、巨大な石鍋の前に立って大きな木べらを滑らかに動かしていた。

今日のスープは、昨日までに蓄積した大量の海洋魚の骨から限界まで引き出した、濃厚な魚骨出汁がベースだ。そこへ、旨味が凝縮された塩牙猪の燻製肉、自生する野生のダンジョン茸、豊かな海藻、そして精製された純白の海塩を注ぎ込む。

今日は、全体の塩気をいつもよりほんの少しだけ強めに調整していた。本格的な冬の到来を前に、人間の肉体が熱を維持するために本能的に塩分を求めていることを、彼の頭脳が冷静に「判断」した結果の差配だった。


「クレーっ! 待ちきれねぇよ、腹が減って倒れそうだ!」


拳闘士のステファンが、列の中から大声を上げて陽気に叫ぶ。


「慌てるな、ステファン。全員に行き渡るだけの量は十分に確保してある。そこに並んで順番を待つんだ。それが最も早く飯にありつくための判断だからね」


クルザードは口元に明るく気さくな笑みを浮かべ、ハキハキとしたよく通る声で答えた。


「へいへい、相変わらず規律には厳しいねぇ」


ステファンが頭を掻きながら並び直す。その光景は、もはやただの廃屋の前ではなく、完全に機能的な巨大な食堂のそれであった。

クルザードは一秒の無駄もない見事な手際で、集まった者たちの木椀へ次々と熱々のスープを注ぎ入れながら、周囲の状況を静かに、しかし冷徹に観察していた。


人が集まり、組織が大きくなる。それ自体は、物流と産業の基礎を築く上で極めて好ましい傾向だ。

しかし、資源の管理者としての彼の頭脳は、現在の構造が抱える新たなボトルネックを瞬時に弾き出していた。

生活排水の処理容量。毎日の調理に必要な乾いた薪の確保ルート。消費される食材の絶対的な供給量。そして、それらを長期間維持するための保存スペース。そのすべてが、現在のこの狭く崩れかけた廃屋の規模では、すでに限界のギリギリに達している。


(資源の効率的な循環を維持するためには、そろそろ本格的に拠点をより大規模な場所へと移行させるべき局面だな)


彼が次なる組織の拡大への「判断」を思考していた、まさにその瞬間だった。


街の中心部、冒険者ギルドの巨大な尖塔から、激しく打ち鳴らされる緊急招集の鐘の音が、冷たい海風を切り裂いて崖の上まで重々しく響き渡った。


周囲の空気が、一瞬にして凍りつく。飯を食っていた冒険者たちの顔から笑みが消え、一斉に殺気立ったざわめきが広がっていく。


「……チッ、朝から随分と嫌な音を響かせてくれるじゃない」


大盾を傍らに置いていたベッティーナが、鋭い目を細めて力強く立ち上がった。

クルザードもまた、木べらを置いて鍋の火力を最適に落とし、静かに動きを止めた。無駄な混乱に流されることなく、状況を見極めるための冷静な佇まいを崩さない。


彼らが大急ぎで街の中心部へと向かうと、冒険者ギルドの内部は、かつてないほどの騒然とした大混乱の渦に包まれていた。


「おい、聞いたか! 地下四層に潜っていた最精鋭のパーティが、一瞬にして完全に壊滅したぞ!」

「生き残って命からがら帰還できたのは、たったの一人だけだ!」

「四層の主たる、あの凶悪な《海蝕オーガ》の異常個体が現れたらしい!」


飛び交う絶望的な叫び声。

地下四層。それは、現在の港町アルフェイドの基準において、十分な実力と装備を兼ね備えた中堅以上の熟練冒険者パーティでなければ、足を踏み入れることすら許されない未知の危険領域だ。そこが文字通り「一瞬で壊滅した」という事実は、居合わせたすべての者たちの心に、底の知れない重苦しい恐怖を植え付けるに十分だった。


「ギルドより、緊急の海蝕オーガ討伐隊を編成する!」


受付嬢が、声を枯らしながら必死に羊皮紙を掲げて叫んだ。


「制圧の報酬は、完全成功報酬として金貨五枚だ!」


破格の巨額。しかし、その提示に対しても、色めき立って名乗りを上げる者は誰一人としていなかった。

四層の環境は、あまりにも過酷で大型魔物との相性が悪すぎる。極端に狭く入り組んだ石の通路、肌にまとわりつく最悪の湿度、そして海水が常時逆流してくる足場の悪さ。そんな閉塞空間で、圧倒的な腕力を持つオーガと正面から戦うなど、自殺行為に等しいと誰もが「判断」していたからだ。


「……なぁ、クル。お前はどうする? 行くかい?」


ベッティーナが、隣に立つクルザードの横顔をじっと見つめて尋ねた。

クルザードは口元を僅かに引き締めると、一切の躊躇なく、ハキハキとした明晰な声で即答した。


「行くさ。その依頼、俺たちが引き受けるのが最も合理的だ」


「即答だな。命が惜しくないわけじゃないだろ?」


「もちろん、命は大切だよ。だが、あの化け物を四層に放置しておけば、そこから先の物流の流れが完全に止まってしまうからね」


「全体の流れ?」


「ああ。四層から手に入る貴重な深層素材の供給がストップする。ガルドたちが必要とする最高品質の鉱石も、デニーゼたちが調合に使う希少な薬草の流通もすべてが激減し、最終的にはこのアルフェイドという街全体の機能が中央から完全に詰まって死ぬ。ここでリスクを冒して流れを通すことこそ、最も未来への投資として効率が良い判断さ」


ベッティーナは彼のそのあまりにも常識から逸脱した、しかし非の打ち所がない壮大な大局観を聞くと、呆れたように、しかし心底楽しそうに口元を釣り上げて笑った。


「本当に……お前という男は、どこまでも街全体の仕組みを見て動いているんだな」


「すべては一つの大きな川のように繋がっているからね。淀みは早いうちに排除するに限るさ」


クルザードのその揺るぎない確信に満ちた「判断」の迫力に引っ張られるようにして、最終的に十人の精鋭からなる討伐隊が迅速に編成された。

ベッティーナ、マティルデ、ドロテア、デニーゼ、ステファンのいつもの面々に加え、最高腕のドワーフ鍛冶師ガルド、そして実力のある数人の中堅冒険者たちが、クルザードを中心とした陣形の歯車として完璧に組み込まれていく。


地下四層へと続く、闇に閉ざされた長い石階段を降りると、そこを満たす空気の質は、これまでの階層とは完全に一線を画していた。

ずっしりと重く、肌を濡らす高濃度の湿気。

頭上の至る所から、大海の海水が石の隙間を伝って絶え間なく滴り落ち、彼らの足元は足首まで埋まるほどの深い泥とぬかるみの道と化していた。


「あぁ……最悪の環境ね、ここは……」


魔法使いのドロテアが、杖の先端に小さな光を灯しながら、心底不快そうに美しい顔をしかめた。


「空気がこれだけ水分を孕んでいると、私の得意な火属性の魔法が、発動の瞬間に熱を奪われて威力が致命的に低下してしまうわ。火力が使えないのは痛すぎるわね」


クルザードは歩みを止めることなく、ぬかるんだ石壁の表面へと静かに素手を触れさせた。

その瞬間、彼の瞳の奥で青白い光が弾け、世界の真実を映し出す鑑定のデータが、凄まじい質量となって脳内へ直接流れ込んできた。


『環境:局所の周辺湿度八十九%。空気中の酸素濃度が通常値より低下中』

『地質:地下からの海水の絶え間ない流入を確認。排水機能は皆無』

『生体:前方約五十メートル先の広大空間に、想定を遥かに超える大型生体反応を捕捉』

『嗅覚:高濃度の生々しい血液反応、および生物が腐敗した強烈な死臭を感知』


「……っ」


相変わらず、頭蓋骨を内側から万力で締め付けられるような激しい頭痛が走り、強烈な吐き気が込み上げる。

しかし、現在のクルザードは、以前のように情報の洪水にただ翻弄されるだけの未熟な存在ではなかった。彼は深く息を吐き出して精神を研ぎ澄ますと、脳内で完璧なデータの選別を実行した。周囲の細かな鉱物成分や湿度の数値を雑音として即座に切り捨て、目の前の「戦況の看破」に必要な命のデータだけを鋭く拾い上げる。

ただそれだけの意識の振り分けによって、頭痛の質量を最小限に抑え込み、冷徹なまでの判断力を維持してみせた。完全なる能力の適応が始まっていた。


「全員、よく聞いてくれ。次の分岐を、迷わず右の方向へ進むんだ」


クルザードは陽気さを排した、しかし気さくなトーンで的確に指示を飛ばした。


「そこへ進めば、先ほど壊滅したパーティの生き残りがまだ息を繋いでいるはずさ」


「何だって!? お前、本当にそんな確信が持てるのか?」


中堅の冒険者が不審そうに問いかける。


「分かるさ。空気の中に混ざる、まだ新しい人間の血液の匂いと、微かな体温の残滓が、進むべき正しい流れを俺に示してくれているからね」


彼のその一片の迷いもない言葉に従い、ぬかるんだ通路を急速に進むと、クルザードの指摘した通りの場所に、一人の男が倒れていた。

男は引き裂かれた防具を纏い、壁にぐったりともたれかかりながら、全身から大量の血を流して息を絶え絶えにしていた。


「本当に生きてるわ! 今すぐ治療を!」


デニーゼが即座に駆け寄り、両手をかざして回復魔法の詠唱を始めようとした。しかし、その倒れた男は、血を吐き出しながら、震える声で必死に叫んだ。


「お前ら……来るな! 早く……早くここから逃げろ!」


「何だと?」


「まだ……すぐそこに、奴がいるんだ……!」


男の言葉が完成するよりも早く、彼らの眼前に立ち塞がっていた巨大な石壁が、地鳴りのような凄まじい轟音と共に内側から派手に砕け散った。

大量の土砂と火花を散らしながら、通路の闇の向こう側から、圧倒的な質量を持つ巨大な影が突き進んできた。


「海蝕オーガ……!」


マティルデが、剣の柄を握りしめながら息を呑んだ。

現れたのは、優に四メートルを超える巨体を持つ、青黒い岩石のような皮膚をした化け物だった。

全身の強靭な筋肉層は地下水で濡れそべり、その異常に長く発達した両腕は、一本の太い大木のような破壊力を秘めている。そして何より、その巨体からは到底想像もつかないほどの、凄まじい突進速度を誇っていた。


「全員、その場から即座に散れ! 正面からまともに受けるな!」


ベッティーナが盾を構えながら鋭い警告を発した。

直後、オーガが振り下ろした巨大な拳が、彼女たちが先ほどまでいた石壁を木端微塵に粉砕し、強烈な衝撃波を通路全体へと巻き起こした。その一撃の隙を突いて、赤髪のマティルデが俊敏に側面に回り込み、渾身の力で長剣を一閃させた。

しかし、刃はオーガの皮膚を僅かに切り裂いただけで、金属がぶつかり合うような高い音を立てて弾かれた。


「嘘でしょ!? なんて硬さだよ、これ!」


「がははは! ならば俺の鉄槌で、その頑丈な皮膚ごと骨を叩き割るまでだ!」


ドワーフのガルドが、自慢の腕力で巨大な鉄槌をオーガの脳根に向けて豪快に叩き込んだ。

ドゴォン、と重苦しい打撃音が狭い通路に反響し、オーガの巨体が僅かに揺らぐ。しかし、四層の主たるその化け物は、全く怯む様子も見せず、即座に長い腕をしならせてガルドを強烈に薙ぎ払った。ガルドの頑強な身体が、ぬかるんだ床を数メートルも滑って後退する。


強い。純粋な前衛の物理的な戦闘力だけでは、この最悪の環境と合わさったオーガの再生能力を完全に削り切ることは不可能だった。

オーガはさらに興奮を高め、耳を劈くような凄まじい咆哮を上げた。その振動だけで、天井の岩盤から大量の水滴と土砂が降り注ぐ。


全員が、その圧倒的な暴力の前にジリ貧の全滅の未来を予感し、身体を硬直させた。

しかし、その戦況の混沌の真ん中に立ちながら、クルザードだけは、瞳の奥で鑑定のデータを冷徹に解析し続けていた。


『対象:海蝕オーガ(主個体)。肉体硬度:通常値の二百%に上昇中』

『特性:高湿度環境への完全な適応。皮膚の表面から周囲の水分を吸収し、傷口を高速再生』

『弱点:長年の深層生活により、視覚機能が極めて脆弱。空気の微動と音で獲物を捕捉』

『解析:肉体の維持において、通常の生物と同様に、高頻度の酸素摂取(呼吸)への依存度が極めて高』

『結論:外部からの物理攻撃は効率が悪い。呼吸機能を完全に遮断し、窒息による組織壊死を狙うのが最高効率』


(……なるほど、呼吸か。物理的な盾を破る必要などない。生き物である以上、そのシステムの本質を突けば、どんな巨体であっても一瞬で機能停止する)


クルザードの脳内で、この戦いを最も完璧な形で終わらせるための、最高効率の「判断」が下された。


「ベッティーナ、今すぐ奴の正面に立ち、大盾でその長い腕の動きを一瞬だけ完全に固定するんだ!」


クルザードの鋭い、一切の無駄な軽口を排した「振り分け」の指示が、的確に前線へ飛んだ。


「無茶を言うな、クル! あの一撃を正面から完全に止めるなんて!」


「君ならできるさ! 俺の判断を信じて、一秒だけ奴の自由を奪ってくれ!」


彼のその確信に満ちた声の迫力に、ベッティーナの迷いは一瞬で吹き飛んだ。

「分かったわよ、クソ食らえ!」

彼女は全魔力を大盾に集中させ、オーガの突進に向けて泥を噛み締めながら、果敢に正面から激突した。


ズズズン、と迷宮全体が震えるような凄まじい衝撃音が響き渡り、ベッティーナの足元の石畳が派手に砕け散る。しかし、彼女の執念の防御により、オーガの巨大な両腕の動きは、確かにその場の一点へと完全に固定された。


「今だ!」


クルザードが、両手を力強く前方に突き出した。

彼の体内に眠る、底の知れない広大な魔力の源泉が爆発的に解放され、周囲の環境に存在するすべての「水」が、彼の意志に従って一斉に猛烈な鳴動を始めた。

空気中を満たしていた八十九%の高濃度の湿気。石壁を伝う大量の海水。足元のぬかるんだ地下水。それらすべての水分が、常軌を逸した速度で分離し、オーガの頭部に向けて一点へと集束していく。


「おい、クル!? 一体何をするつもりよ!」


ドロテアが、彼の周囲から溢れ出る異常な魔力質量に戦慄して叫んだ。

集まった膨大な水は、クルザードの精密な魔力制御によって、極限まで圧縮され、変形を遂げていった。

そして次の瞬間、オーガの巨大な顔面全体を、完全に包み込むようにして張り付いた。


「……っ!?」


それは、ただの水球ではなかった。

オーガの鼻の穴、開かれた巨大な口、そして気道の入り口にいたるまで、寸分の隙間もなく完璧に密着し、外部からの空気の流入を完全に遮断する、透明な、しかし強固な「水膜の仮面」であった。


「グ、グガァッ……!? グォッ……!」


海蝕オーガは、突如としてすべての呼吸を奪われ、驚愕に目を見開いて激しく暴れ狂った。

自慢の長い腕の爪を顔面に突き立て、その張り付いた水膜を必死に剥ぎ取ろうとする。しかし、クルザードの莫大な魔力によって維持された水膜は、どれだけ引き裂かれようとも、流体としての特性を活かして瞬時に元の形へと戻り、オーガの気道を完璧に塞ぎ続けた。


剥がれない。息ができない。

オーガの強靭な肺が完全に停止し、全細胞が急激な酸素不足に陥って悲鳴を上げる。

どれだけ強固な皮膚を持っていようとも、どれだけ驚異的な再生能力を誇っていようとも、生物としての根本的な駆動システム(呼吸)を止められてしまえば、肉体はただの動かない肉塊に過ぎない。


「な……な、何なんだよ、あの魔法は……! 剣を振るうよりも、火を放つよりも、遥かに恐ろしいぞ……」


ステファンが、そのあまりにも冷徹で合理的な光景を前にして、呆然としながら掠れた声を漏らした。


「ウォーターマスク……」


クルザード自身が、頭痛に耐えながら静かにその魔法の名前を呟いた。それは、鑑定の情報と自らの水属性の魔力が完全に融合し、状況を最も効率的に「処理」するために自然と脳裏に浮かび上がった、新魔法の名称だった。


激しい悶絶と狼狽の数十秒の後。

あんなに圧倒的な暴力を誇っていた海蝕オーガの巨体は、完全に生命活動の機能を停止し、ぬかるんだ地面へと泥を跳ね上げながら、どさりと力なく崩れ落ちた。


ダンジョン内に、不気味なほどの完全な沈黙が訪れる。


「……本当に、終わったの?」


ドロテアが、恐怖に身を震わせながら、倒れた巨体を見つめて呟いた。

クルザードは両膝に手を突き、激しく肩を上下させながら、大きく息を切らしていた。

頭痛は酷く、魔力の出力も未だに細かい調整が利かずに雑なままだ。しかし、彼の胸の内には、確固たる勝利の確信と、これまでにない深い充足感が満ちあふれていた。


(初めてだ……明確に、自分の意志の力で鑑定の情報を使いこなし、意図した通りの最高効率の形で、邪魔な澱みを『処理』してみせた)


「お前……クルザード、本当に何者なんだよ……」


ベッティーナが、大盾をおろしながら、呆然とした顔で彼を見つめた。


「そんな魔法、街のどの高名な魔術師の記録にも残っていないわよ」


「はは、俺にも詳しい原理は分からんさ。ただ、奴のシステムの本質を見極めて、最も無駄のない合理的な手順で眠ってもらっただけさ」


「本当に分からんのかよ、お前は……」


「ああ、本当に分からん。俺にとってはこれが最善の判断だった、それだけさ」


クルザードは頭を押さえながらも、口元にいつもの気さくな笑みを浮かべた。


「がははは! 怖ぇガキだな、本当に!」


ドワーフのガルドが、巨大な鉄槌を担ぎ直しながら、感心したように苦笑を漏らした。


「強固な剣技でも、派手な大火力でもねぇ。敵の生き物としての構造の弱点だけを冷徹に突き刺す。お前のその殺し方、あまりにも合理的すぎて、見ていて鳥肌が立ったぜ」


「褒め言葉として受け取っておくよ、ガルド。さあ、流れは決まった。このオーガの巨体、一欠片の細胞も無駄にせず、すべてを解体して持って帰ろう」


「本当にお前は、どんな修羅場の後でもブレない男だな!」


「当然さ。食えるだけの高い栄養を持った資源をここに放置する方が、よほど大損で不効率だからね」


クルザードのそのいつもと変わらない快活な一言に、ベッティーナ達は一斉に大声を上げて吹き出した。彼の一片の揺らぎもないその姿勢が、先ほどまでの死闘の恐怖を、綺麗に笑い飛ばしてくれたのだ。


戦闘の後、彼らは四層の安全地帯へと移動し、負傷した生き残りの男をデニーゼの魔法で完全に治療した。

そして、その中央では、いつの間にか香ばしい肉を煮込む至高の匂いが出来上がっていた。


今夜の迷宮の飯は、まさに規格外の「オーガ鍋」だった。

オーガの巨大な大腿骨から強火でじっくりと時間をかけて抽出された、ドロドロの濃厚な白濁スープ。そこに、余分な水分と臭みを完璧に削ぎ落としたオーガの極上肉、純白の精製海塩、ダンジョン茸、各種の香草。そして、隠し味として、崖の上で完成させたあの塩牙猪の燻製肉が惜しげもなく投入されている。


石鍋から激しく立ち上る白い湯気と、濃厚で深みのある香りが、冷え切った安全地帯の石室を満たしていく。


「……うわぁ、何これ!信じられないほどに味が濃くて、美味しい!」


マティルデが、木椀を両手で持ちながら、輝くような笑顔で目を見開いた。

「戦いの疲れが、スープを一口飲むごとにものすごい勢いで吹っ飛んでいくわよ!」


最高腕のガルドもまた、完全に無言のまま、凄まじい勢いで三杯目の大きな椀を平らげていた。


「おい、小僧」


ガルドは空になった椀を叩きつけるように置くと、真剣な目でクルザードを睨みつけた。


「お前、いい加減に往生際を諦めて、明日から俺の鍛冶屋に専属として来い」


「何故だい? 俺の本職は荷物持ちであり、資源の適切な管理者だからね。場所を変えるのは不効率さ」


「理由なんて一つしかねぇ! 俺の頑強な肉体を維持するために、毎日その美味い飯がどうしても必要なんだよ!」


「ははは、理由がいつも以上に雑で強引だな、ガルド!」


ステファンたちの爆笑の声が、薄暗い石室の中に心地よく響き渡った。

人が窮地から救われ、腹一杯の温かい飯を食い、心からの安心感を得て笑い合う。その尊い光景を、クルザードは静かに見つめていた。

人は、心から安心できる場所を手に入れれば、自然と雄弁になり、笑顔を取り戻し、そしてその場所に長く残ろうとする。その確固たる人間心理の流れが、彼にははっきりと分かり始めていた。


街への帰還後、冒険者ギルドの内部は、かつてないほどの凄まじい大騒然の渦に包まれることとなった。


「おい、聞いたか! あの全滅必至と言われた地下四層の海蝕オーガを、本当に討伐したぞ!」

「しかも、たったの十人の臨時の討伐隊でだ!」

「さらに驚くべきことに、死者は誰一人として出ず、全員が無傷で帰還したらしい!」


狂乱に近いざわめきが街全体へと広がっていく。しかし、その英雄的な武勇伝の裏で、集まった冒険者たちの間で最も爆発的に広がった噂は、全く別の、奇妙な内容のものであった。


「なぁ、あの討伐隊の連中、最近になって急激に強くなってないか?」

「ああ、間違いない。前までの彼らとは、ダンジョンから帰ってきたときの疲れ方が明らかに違っている」

「怪我の治りも異常なほどに早い。噂によると、崖の上のあの荷物持ちの飯を毎日食っているせいらしいぞ……」

「さらに、その荷物持ちのクルという男、今日の戦闘で見たこともない新魔法を使ったらしい」

「オーガの顔面に、水で作った透明なマスクを完璧に貼り付けて、一歩も動かさずに窒息死させたってよ……」

「おいおい、それマジかよ……合理的すぎて、敵に回したら一番怖い奴じゃないか……」


クルザードは、ギルドの片隅から聞こえてくるそれらの無数の会話を、表情一つ変えずに聞き流しながら、廃屋の裏手で静かに、新しい燻製肉を吊るす作業を淡々と続けていた。


白く豊かな煙が、冬の冷たい夜空に向けて真っ直ぐに昇っていく。

香ばしい匂いが崖の上から街の全域へと広がり、それに誘われるようにして、今夜も無数の人々が廃屋の前に集まり始めていた。


命令を下す者は誰もいない。確固たる組織の形もまだない。

それでも、美味い飯と、確実な救いという、この世界で最も揺るぎない絶対的な「合理の軸」を中心に据えることで、この歪んだ街のすべての物と人の「流れ」は、確実にクルザードの手元へと集束し始めていた。


ただの、街の外れにある崩れかけた古い廃屋。

しかし、その場所は今、澱んだアルフェイドの都市国家を根底から塗り替えるための、偉大なる最強の“変革の拠点”へと、その姿を確実に変えようとしていた。






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