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飯が美味すぎて、気づけば世界を支配していた。 ~無限魔力の料理人、物流と教育で最強国家を作る~  作者: 慈架太子


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6:初依頼

港町アルフェイドの朝は早い。


まだ日も昇り切らないうちから、暗い港には多くの荷車が慌ただしく並び、魚市場の周辺では朝一番の利権を巡って血気の荒い怒鳴り声が絶え間なく飛び交っていた。


潮の強い匂い。

捌かれた魔物の生々しい血の匂い。

そして、この街の至る所に澱んでいる魚の不快な腐臭。

だが、今朝の港町には、それらの不衛生な悪臭を強固に圧し戻す、全く別の新しい香りが明確な流れとなって漂っていた。


それは、じっくりと燻し上げられた極上の燻製肉の香ばしい香りだ。


「……はは、また朝から物凄い人数が並んでいるわね」


金髪のドミニクが、半分呆れ、半分感心したような笑みを浮かべて小さく呟いた。


崖の上に佇む古い廃屋の前。

まだ薄暗い早朝だというのに、そこには武器を携えた大量の冒険者たちが、我先にと押し寄せて静かに集まっていた。

理由は極めて簡単だった。他でもない、クルザードの作る美味い飯を胃袋に収めるためだ。


極限まで旨味を凝縮させた塩牙猪の燻製肉。

出汁の利いた温かい海藻スープ。

火の傍で丁寧に炙られた、香ばしい焼きたての黒パン。

そして、冷え切った身体の芯を一瞬で温め尽くす、濃厚な特性鍋。


過酷なダンジョンへ潜る前にこの飯をしっかりと食っておくと、不思議なほどに一日中、身体が驚くほど軽くなる。極限状態での集中力が持続し、疲れにくく、何より腹が減りにくくなるのだ。死と隣り合わせの迷宮において、これほどの生存率の向上をもたらす拠点を、本能の鋭い冒険者たちが放っておくはずがなかった。だからこそ、皆がこうして朝早くから列を作る。


クルザードは巨大な石鍋の前に立ち、大きな木べらを滑らかに動かしてスープを混ぜ合わせていた。

今日の鍋は、昨日仕入れた新鮮な魚骨の出汁をいつもより強めに効かせた、白濁の極上スープだ。

濃厚な海骨のベース。燻製肉から染み出た芳醇な脂。野生のダンジョン茸。精製された純白の海塩。そして、全体の味を引き締めるための少量の香草。

石鍋から激しく立ち上る白い湯気が、朝の冷たい海風に混ざり合い、暴力的なまでに食欲をそそる香りを周囲へと拡散させていた。


「おい、クル! 俺の分も早く頼む!」


「慌てるな、ステファン。列の後ろから順番に配っている。自分の位置を守るんだ」


「ちぇっ、相変わらず手厳しいねぇ」


拳闘士のステファンが、頭を掻きながらも嬉しそうに笑って木椀を差し出した。

その横では、リーダーのベッティーナやマティルデたちが、率先して配膳の手伝いをこなしていた。彼女たちはもう、この廃屋の機能の一部として完全に馴染んでいる。


しかも最近では、集まってくる冒険者たちのクルザードに対する態度が、以前とは決定的に異なっていた。

ほんの数日前までは、いつでも代えの利く使い捨ての不遇な“荷物持ち”としてしか見られていなかった男。それが今や、


「クルの飯を食わねぇと、怖くて怖くて迷宮の深層になんて潜れねぇよ」

「今日のスープ、魚の出汁が強くて体にガツンと効く素晴らしい出来だな!」

「おい、その燻製肉だけでも別枠で大量に売ってくれねぇか!」


誰もが畏敬と信頼の目を向け、そのような言葉を当然のように口にする扱いへと変わっていた。


クルザードはそれらの賞賛に驕ることもなく、口元に明るく気さくな笑みを浮かべたまま、淡々と、しかし恐るべき速度で飯を配り続けていた。

無駄なお世辞や中身のない軽口は叩かない。ただ、最も効率的な速度で全員の飢えを満たすための動作に集中する。

整然とした列。守られる順番。そして、各自の才能に応じた見事な役割分担。

彼が中心に立ち、適切な「判断」の軸を示すだけで、この荒くれ者だらけの空間には、澱みのない完璧な組織の流れが自然と出来上がっていた。


まさにその時だった。

廃屋の敷地の入り口が、重量感のある足音と共に勢いよく開け放たれた。


「おい! 腕の立つ奴は誰かいないか!」


低く、しかし地鳴りのように重く響く地声。

その尋常ではない存在感に、その場にいた全員の視線が一斉に一箇所へと集中した。


入ってきたのは、人間の半分ほどの背丈でありながら、横幅がその倍近くある大柄で頑強な男だった。

大地を象徴するようなドワーフ族。

厳格に整えられた灰色の立派な髭。岩石のように分厚く鍛え上げられた両腕。長年の鍛冶仕事の煤がびっしりと染み付いた黒い革のエプロンを纏い、その背中には人間の胴体ほどもある巨大な鉄槌を堂々と背負っている。


「おい、あれは……ガルドだろ……」

「あの、街で一番偏屈だって噂の、最高腕のドワーフ鍛冶師か……」


周囲の冒険者たちが、驚きと共にざわつき始める。

クルザードもまた、手を休めることなくその男へと静かに視線を向けた。

次の瞬間、彼の瞳の奥で鑑定のシステムが強制的に起動し、膨大なデータが脳内へと濁流の如く流れ込んできた。


『対象:ドワーフ(男性・ガルド)。天性の筋力値:極めて高』

『技能:国家最高峰の鍛冶熟練度を保有。金属の構造解析に特化』

『肉体:長時間の重労働による深刻な疲労蓄積を確認』

『成分:深刻な栄養不足。さらにアルコールの過剰摂取による肝機能の低下』

『損傷:右肩周辺の靭帯に、長年の鍛錬による微細な慢性損傷あり』


「……っ」


相変わらずのこめかみを突き刺すような頭痛に、クルザードは僅かに眉を寄せたが、すぐに拾うべき情報だけを脳内で選別し、冷静さを維持した。


ドワーフのガルドは、集まった群衆を鋭い目で見回していたが、ふいにその分厚い鼻を小刻みに動かした。


「……おい、なんだこの美味そうな匂いは。市場の腐った魚とは訳が違うぞ」


「はは、これはクルの特製飯さ! 街で一番美味いスープだぜ!」


ステファンが自慢げに声を上げて笑う。


「飯だと? こんな街の外れの廃屋で、料理でも作っているというのか?」


ガルドは重い足音を響かせながら一歩一歩近づいてくると、鍋の前に立つクルザードを正面からじっと見下ろした。


「小僧、お前がこの匂いの主を作ったのか」


「ああ、間違いないよ。俺の作った、最高の合理性を誇るスープさ」


クルザードは相手の威圧感に気圧されることなく、快活に笑って気さくに答えた。


「随分と若ぇな。まともに包丁も握ったことがないようなガキに見えるが」


「二十二歳さ。この街で生き残るには、十分に経験を積んだ年齢だよ」


「へっ、俺から見ればただの青二才のガキだな」


クルザードは無駄な言い返しはせず、代わりに熱々の具沢山スープが並々と注がれた木椀を、ガルドの手元へと滑らかに差し出した。


「能書きよりも、まずは食うかい? 腹が減っていては、良い仕事も偏屈な説得もできないだろ」


ガルドは無言でその椀を受け取ると、不機嫌そうな顔のままスープを一口、豪快に口へと運んだ。

そして、その場で完全に動きを止めた。


二口目。今度は肉の塊を力強く噛み締める。

三口目。白濁したスープを一気に喉へと流し込む。

そこからは完全な無言だった。ただひたすらに、猛烈な勢いで木椀の中身が消費されていく。

そして、数秒の後。


「……おい。これ、おかわりだ。今すぐ注げ」


ガルドは空になった椀を、突き出すようにしてクルザードに求めた。

そのあまりの態度の急変と素早さに、周囲を取り囲んでいた冒険者たちが一斉に大爆笑した。ドミニクにいたっては、お腹を抱えて涙を流している。


「はははっ! 凄い、ガルド! 散々ガキ扱いしておいて、おかわりが早すぎるわよ!」


「うるせぇ! 美味いもんは美味いんだから、仕方がねぇだろ!」


ガルドは灰色の髭の奥の顔を真っ赤に染め上げながら、大声で怒鳴り返した。

クルザードは一切動じることなく、静かに、しかし快活な動作で追加のスープを満遍なく注ぎ足した。


「特に、この塩の加減が絶妙だな。不純物の雑味が一切ねぇ、純粋な塩の味がする」


ガルドがスープを咀嚼しながら、感心したように深く呟いた。


「俺の手で、精密に精製した純白の海塩だからね。不純物や苦味が少しでも混ざっていると、食材本来の旨味の流れが濁って効率が悪くなるのさ」


ガルドはその答えを聞くと、その鋭い目を細めてクルザードをじっと見つめた。


「ほう……分かってるじゃねぇか、小僧。ただの飯炊きにしては、物の本質が見えているな」


「食の本質は、肉体を最も完璧な状態に維持するための効率の追求だからね」


「……ははっ、効率、か。料理をそんな言葉で表現する奴は初めてだが、面白ぇな、お前」


ガルドの偏屈な頑固さが、クルザードの気さくで合理的な一言によって、見事に解きほぐされていく。


まさにその時、街の中心部、冒険者ギルドの受付の方角から、緊急の鐘の音と共に大きな騒がしさがここまで響いてきた。


「おい、聞いたか! 地下三層の採掘依頼が正式に発令されたぞ!」

「良質な希少鉱脈が見つかったらしいが、全体の鉱石が致命的に不足している!」

「戦闘能力と、重い鉱石を大量に運べる強固な運搬人員を同時募集だ!」


ガルドはその叫び声を聞いた瞬間、心底忌々しそうに盛大な舌打ちをした。


「チッ、またあのクソ忙しい依頼が始まったか」


「何か、不都合な問題でもあるのかい?」


クルザードが木べらを置き、ハキハキとした口調で尋ねた。


「ああ。今回の探索で、地下三層に最高品質の新しい魔鉄の鉱脈が出たんだ。俺たち鍛冶師にとっては喉から手が出るほど欲しい素材なんだが、あそこには厄介な《海蝕トカゲ》の群れが完全に住み着いてやがる。おまけに、三層の奥地は常に地下水で激しく湿っていてな、採掘した重い鉄の塊を持ち帰るための運搬効率が最悪なんだよ。誰も行きたがらねぇ」


クルザードは、ガルドのその言葉を聞きながら、一瞬のうちに脳内で次なる「判断」を弾き出していた。


地下三層。

自分たちにとっても、未だ足を踏み入れたことのない未知の危険領域だ。当然、これまで以上の魔物の強さと環境の劣悪さが予想される。

しかし――鉱石。

良質な金属資源を手に入れるということは、長年の使用で摩耗した自分たちの武器や防具の品質を劇的に向上させ、さらには今後の物流を支えるための頑強な道具、果ては新たな産業の基礎を築くためのすべての「歯車」に直結する。


これは、リスクを冒してでも掴み取るべき、極めて合理的な機会だった。


「その依頼、俺たちも乗るよ。ガルド、報酬の代わりに飯付きなら、俺をその採掘現場まで同行させるかい?」


ガルドは驚いたように目を見開き、それから豪快に笑った。


「お前、本気か? 地下三層の危険度を分かって言っているのか?」


「行くさ。そこに新しい、素晴らしい未知の素材が増えるチャンスがあるなら、行かない理由がないからね」


「がははは! 気に入った! 小僧、その威勢の良さと美味い飯の腕に免じて、俺が直々に前衛を務めてやるよ!」


隣で話を聞いていたベッティーナが、信じられないものを見るような呆れ顔で額を押さえた。


「クル、お前本当に……命を賭ける基準がいつも『新しい飯の素材』だな……」


「食料と資源の確保は、すべての組織の最優先事項だからね」


「……全く、その通りだから否定できないのが本当に腹立たしいわね。分かったわよ、私たちも行くわ!」


数時間後。

彼らはダンジョン《灰喰らい》の未知なる領域、地下三層へと足を踏み入れていた。


周囲を満たす空気は、二層の比ではないほどに重く、澱んでいた。

頭上の石天井からは、海水を含んだ冷たい水が絶え間なく流れ落ち、足元には深い水溜りとぬかるんだ泥の道がどこまでも続いている。視界は最悪で、カビと魔物の生臭い死臭が、湿気によって濃密に肌へとまとわりついてくる。


だが、そんな最悪の環境の中であっても、クルザードの目――すなわち鑑定の力は、周囲の闇を完璧に見通していた。


『局所:前方壁面の内部に、高濃度の鉄鉱石の成分を感知』

『解析:周辺の岩盤に、微量の純粋な魔鉄および水晶成分の含有を確認』

『結論:この通路の先、右奥の区画に最高品質の未採掘鉱脈が存在』


「全員、よく聞いてくれ。次の角を、右奥の方向へ進むんだ」


「はあ!?」


ガルドが巨大な鉄槌を担ぎ直しながら、不審そうに振り返った。


「小僧、お前何でまだ誰も足を踏み入れていない奥地の構造が、そんな風に明確に分かるんだ?」


「なんとなくさ。空気の流れと、岩の肌触りが俺に教えてくれるのさ」


実際は、鑑定のデータが容赦なく脳内へ流れ込んでいる結果だった。こめかみを殴られるような激しい頭痛は健在だが、情報の処理に慣れてきた現在の彼は、痛みを無視して進むべき正しい「方向」を完璧に導き出すことができていた。


「……お前、本当に便利すぎるだろ、その頭。一歩も迷わずに鉱脈へ突き進むなんてな」


「いいや、まだまだ使い切れていないよ。情報の半分は頭痛に変化して捨てているようなものだからね」


「それでこれだけの手際かよ。末恐ろしいガキだな、本当に」


ガルドが感嘆の声を漏らした、まさにその瞬間だった。

水路の奥深く、暗闇の帳の向こう側から、ガルルルルという獣の不快な低鳴きが響き渡った。


「来るぞ! 上下左右、すべての死角を警戒しろ!」


カタリナの鋭い斥候としての警告が、狭い通路に響く。

現れたのは、地下三層の支配者の一角、《海蝕かいしょくトカゲ》の群れだった。

全身を、海水の成分を吸収した強固な青黒い鱗で覆い、体躯は大型犬ほどもある。それが、極限の飢餓によって血走った目で、一斉にこちらへ向けて突進してきた。数は総勢五体。


「ここは任せなさい!」


ベッティーナが迅速に大盾を構えて最前線へと踏み込み、トカゲの強烈な体当たりを正面から重い金属音と共に完璧に受け止めた。その隙を逃さず、赤髪のマティルデが長剣を滑らかにしならせてトカゲの首を刎ね、ステファンが渾身の拳で別の個体を泥の中へと叩き伏せる。


そして、ドワーフのガルドの戦闘力は圧倒的だった。

彼は背中の巨大な鉄槌を軽々と振り回すと、突進してきたトカゲの強固な頭部を、自慢の腕力だけで一撃のもとに粉砕してみせた。

強い。純粋な前衛としての破壊力が、これまでのメンバーとは格段に違っていた。


しかし、クルザードの鑑定は、彼らのその見事な猛攻の裏にある「澱み」を、冷徹に見抜いていた。


(やはり全体の動きが悪いな。ガルドもベッティーナも、慢性的な塩分不足と疲労の蓄積によって、一歩の踏み込みの速度が通常値より一五%以上低下している。長引けば、必ず死角からの奇襲を許すことになる)


「アラン、左だ! ドロテアの影から別の個体が狙っている!」


クルザードの鋭い「判断」の指示が飛ぶ。

ドロテアの死角から、完璧に気配を隠して跳躍していた別個体のトカゲに対し、新加入の魔術師アランが即座に応答した。彼は地面の岩盤に含まれる金属成分を瞬時に錬成し、強固な鉄の枷を作り出してトカゲの空中での動きを完璧に拘束した。


「よし、完全に動きを止めたぞ! 助かった、クル!」


「礼を言うのはまだ早いさ。全員、前を向いて武器を構えろ!」


クルザードの声が、これまでになく張り詰めた重い響きを帯びた。

次の瞬間、彼らの目の前にある巨大な水路の水面が、爆発的な勢いで天高く跳ね上がった。


土砂降りのような水飛沫の向こう側から、通路全体を埋め尽くすほどの凄まじい影が姿を現した。


「……は? 嘘、でしょ……?」


マティルデが、剣を構えたまま呆然と声を漏らした。

そこに現れたのは、地下三層の生態系の常識を遥かに逸脱した超巨大な魔物、《海蝕大蛇かいしょくだいじゃ》だった。

全長は優に十メートルを超え、濡れそべった青黒い鱗は岩石のような厚みを持ち、開かれた巨大な顎からは、すべてを溶かし尽くすような毒液が滴り落ちている。


「なんで……なんで三層のこんな採掘エリアに、こんな化け物が潜んでいるのよ!」


ベッティーナが大盾を握りしめながら叫ぶ。その絶望の渦中、クルザードの頭の中には、鑑定の無機質なデータが怒涛の勢いで叩き込まれていた。


『対象:海蝕大蛇(主個体)。心理:完全なる飢餓状態』

『特性:長年の地下生活により、視覚機能がほぼ完全に退化』

『感知:周囲の温度変化を高精度で捉える、熱感知(ピット器官)が異常発達』

『弱点:下腹部の第三関節付近に、過去の地殻変動による古い破砕損傷あり』

『部位:頭部下方に高濃度の毒素を溜めた毒袋を保有。解体時の最優先注意箇所』


(うるさい。静かにしろ。流れはもう、こちらの手の中にある)


凄まじい頭痛と吐き気が込み上げるが、クルザードは口元に不敵な笑みを浮かべ、全員を最も完璧に動かすための「振り分け」の指示を、明晰な声で張り上げた。


「ドロテア、絶対に火属性の魔法は使うな! 奴は視覚が死んでいる代わりに、空気の熱変化を敏感に捉えて攻撃してくる!」


「マジかよ!? 火が使えないなんて!」


ステファンが戦慄する。


「問題ないさ。奴の本当の急所は、右下の下腹部、鱗の剥がれかけた損傷部にある! ベッティーナが正面で頭の動きを止め、ガルドがその隙に鉄槌で急所を叩き割るんだ。アランは周囲の岩盤で大蛇の尾の動きを拘束しろ!」


彼の放ったその一切の迷いのない差配の言葉に、全員の肉体が、まるで一つの生命体のパーツのように完璧に噛み合って連動した。


ベッティーナが大盾を地面に突き立て、大蛇の強烈な噛み付きを正面から泥を噛み締めながら受け止める。その衝撃を横へと逃がした瞬間、アランが隆起させた強固な金属の鎖が大蛇の尾を地面へと完璧に縫い付けた。

動きを完全に制限された大蛇の腹部へ向けて、ステファンが渾身の衝撃波を叩き込んで鱗を剥ぎ取り、最後の一撃として、ドワーフのガルドが全魔力を込めた巨大な鉄槌を、大蛇の急所へと正確に叩き落とした。


ズガァン、と迷宮全体を揺るがすような凄まじい打撃音が響き渡る。


「ギャアアアアアアアッ!?」


海蝕大蛇は、急所の骨肉を完全に粉砕され、断末魔の咆哮を上げながら、水路の中へと盛大に崩れ落ちた。

激しい水飛沫の後、通路には完全な静寂が戻った。


「……勝った。あの化け物に、本当に勝っちゃったわ……」


ドロテアが、杖を握りしめたまま呆然と座り込んだ。


「なぁ、クル。お前、本当にただの荷物持ちなのか? この短時間で全員の動きを完璧に差配して、あの化け物をノーダメージで仕留めるなんて、最高位の軍師でも不可能よ」


ベッティーナが、荒い息を吐きながらも、深い畏敬の念を込めて尋ねた。

クルザードは肩をすくめ、再びいつもの気さくな笑みを浮かべた。


「はは、俺はただ、鑑定の情報が見えるだけの普通の荷物持ちさ。難しい指揮なんてしていないよ」


「十分、化け物じみているわよ、それは」


クルザードは彼女たちの称賛を受け流すと、水路に横たわる大蛇の巨体を見つめ、その瞳を輝かせた。


「よし、流れは完璧だ。この大蛇の肉、脂、骨、そして強固な皮にいたるまで、一欠片も残さずすべてをアイテムボックスへ回収して持って帰ろう」


「全部!? いくら何でもこの巨体だぞ!」


「ああ、当然さ。捨てる方が大損だからね。これほどの極上の資源を無駄にするわけにはいかないさ」


ガルドはその徹底した合理主義の姿勢を見て、豪快に笑声を上げた。


「がははは! 小僧、お前は本当に無駄なことが大嫌いな男だな! 気に入った、お前のその徹底的な判断に、このガルド様がどこまでも付き合ってやるよ!」


帰還後の夜。

崖の上の廃屋の前には、昼間を遥かに凌駕するほどの、信じられないほどの大規模な群衆が集まり、熱気に満ちあふれていた。


今夜の鍋は、まさに奇跡の結晶たる「大蛇鍋」だった。

大蛇の骨からじっくりと時間をかけて抽出された、純白に輝く白濁スープ。そこに不純物のない自前の精製海塩を合わせ、各種の新鮮な香草、そして昨日完成したばかりの塩牙猪の燻製脂を隠し味として投入している。

鍋の蓋を開けた瞬間、熱々の湯気と共に、五感を芯から震わせるような極上の香りが、崖の上からアルフェイドの街全体へと広く拡散していった。


「……うわ、何だこれ。信じられないほどに美味い……」

「これが、あの地下三層の化け物の肉だって言うのか? 嘘だろ……」

「美味すぎる……身体の底から、物凄い魔力と活力が湧き上がってくるのが分かるぞ……!」


集まった何十人もの冒険者たちが、我を忘れて夢中で木椀を掻き込んでいる。

ドワーフのガルドもまた、完全に無言のまま、すでに三杯目の大きな椀を平らげていた。


「おい、小僧」


ガルドは空になった椀を置き、真剣な目でクルザードを睨みつけた。


「お前、明日から荷物持ちなんてやめて、俺の鍛冶屋に専属として来い」


「何故だい? 俺の本職は荷物持ちであり、資源の管理者だからね」


「理由なんて一つしかねぇだろ! 毎日、俺の目の前でその美味い飯を食わせろ!」


「ははは! 結局そこかよ、ガルド!」


ステファンたちの爆笑の声が、夜の崖の上に心地よく響き渡った。

クルザードは彼らの笑顔を眺めながら、静かに、しかし確信に満ちた目で石鍋を見つめていた。


集まる人間の数は、日を追うごとに確実に増え続けている。彼らの顔からは絶望が消え、豊かな笑い声が溢れていた。

この美味い飯という、最も合理的で揺るぎない拠点を中心にして、この街のすべての物と人の「流れ」が、今、完全に新しく生まれ変わり始めていた。


そしてこの時、クルザード自身は、未だ正確には気づいていなかった。


この、美味い飯を食うために全員が集まり、彼の「判断」によって動くというささやかな同行の流れが――

やがて、港町アルフェイドの澱んだ物流を根本から変え、巨大な商業都市を築き上げ、最終的には世界の歴史を塗り替える、新たなる「国家」を生み出すための偉大なる最初の一歩になるということを。


夜空へと昇っていく温かい湯気の向こう側で、新しい時代の歯車が、静かに、しかし確実に回り始めていた。






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