5:燻製
雨上がりの港町アルフェイドは、腐っていた。
魚市場の端には売れ残りの魚が積まれ、黒ずみ始めている。荷車の上では海鳥が肉を啄み、排水路には血混じりの汚水が流れていた。
人は多い。
物も多い。
なのに、街は貧しい。
理由は簡単だった。
腐るからだ。
クルザードは市場の隅にしゃがみ込み、捨てられた魚を見ていた。
『腐敗進行二十四%』
『塩分不足』
『内臓処理遅延』
『保存失敗』
頭が痛い。
鑑定が勝手に流れる。
だが、最近少しだけ慣れてきていた。
全部を見るのではなく、必要な部分だけ拾う。
それだけで頭痛が少し減る。
「また拾ってるのか?」
後ろからドミニクが覗き込む。
「捨てる方が無駄だ」
「相変わらずだな」
彼女は呆れながら笑った。
最近、ドミニクは完全にクルザードの横にいる。
料理を手伝い。
薪を集め。
鍋を洗う。
不思議と居着いていた。
クルザードは魚を持ち上げる。
「まだ使える」
「それ本当に?」
「火を通せば問題ない」
「いや、そういう問題か?」
クルザードは答えず周囲を見る。
市場。
海。
物流。
全部繋がっている。
だが、保存技術が低い。
だから大量に捨てる。
だから飢える。
(効率が悪い)
その時だった。
「おい、クル!」
ステファンが走ってきた。
「ベッティーナ達が戻った!」
「怪我か?」
「いや、魔物だ」
ギルド前は騒がしかった。
巨大な猪型魔物が転がされている。
海岸近くに出た《塩牙猪》。
体長三メートル。
脂肪が厚い。
牙も大きい。
「運ぶだけで疲れた……」
マティルデが肩を回す。
「肉多すぎるだろこれ」
「売れば金にはなる」
ベッティーナが息を吐く。
クルザードは魔物を見た。
瞬間。
『高脂肪』
『燻製適性』
『塩処理有効』
『保存可能』
『長期輸送向き』
情報が流れる。
クルザードは静かに言った。
「全部使う」
「は?」
「腐る前に処理する」
「いや、この量無理だろ」
「できる」
ベッティーナ達は顔を見合わせた。
数時間後。
港外れの廃屋裏。
大量の肉が吊るされていた。
「……おお」
ステファンが感心した声を出す。
木枠。
縄。
簡易燻製小屋。
全部、土属性と石属性でクルザードが即席で作った。
石窯。
煙道。
通気穴。
最低限だが、機能している。
「こんなの作れるのか」
「箱と煙だけだ」
「いや十分すごい」
クルザードは肉へ塩を擦り込む。
岩塩。
光属性の精製で不純物を落としている。
塩が均等に入る。
「ドミニク、水」
「はいよ」
最近、彼女の動きが早い。
クルザードのやり方を覚え始めている。
肉を切る。
筋を落とす。
脂を分ける。
血抜き。
塩漬け。
全員が黙って見ていた。
「……なんか、無駄がないな」
カタリナが呟く。
「必要な順番でやってる」
クルザードは淡々と答えた。
「保存は処理速度が重要だ」
「遅いと腐る」
「腐ると病気になる」
「病人が増えると労働が止まる」
ベッティーナが眉を上げた。
「そこまで考えてんのか」
「普通だ」
「普通じゃねぇ」
クルザードは煙を見上げた。
桜に似た香木。
市場で安く捨てられていた木材だ。
香りが強い。
燻製向き。
煙がゆっくり肉を包む。
白煙。
脂。
香り。
じわじわと色が変わっていく。
「……腹減る匂いだな」
ステファンが笑う。
全員の腹も鳴っていた。
夜。
燻製小屋の前には、妙な人だかりができていた。
「なんだこの匂い……」
「肉か?」
「いや魚も混ざってる」
冒険者達が足を止める。
煙の香りが街へ流れていた。
クルザードはその横で鍋を作っている。
今日の鍋は濃い。
塩牙猪の骨。
魚骨。
海藻。
茸。
さらに。
試作の燻製肉。
香りが強烈だった。
湯気が立つ。
脂が浮く。
香木の煙香が混ざる。
「……これ反則だろ」
ドロテアが呆然とする。
クルザードは木椀へ注いだ。
ベッティーナが食べる。
止まる。
「……うま」
静かな声だった。
次にステファン。
「なんだこれ!?」
「肉の味濃っ!」
「煙の匂いやばい!」
マティルデが夢中で食べる。
「酒欲しくなる……」
ドミニクも頬を緩めていた。
「これ、保存できるんだよな?」
「ああ」
「どれくらい?」
「ちゃんと作れば長い」
カタリナが驚く。
「遠征で使えるじゃないか」
「使える」
クルザードは当然みたいに答えた。
「保存できれば移動できる」
「移動できれば物流が伸びる」
「物流が伸びれば人が集まる」
全員が黙る。
クルザードは本気だった。
料理をしている時だけ、彼の言葉には妙な説得力がある。
「……お前、どこ見てんだ?」
ベッティーナが苦笑する。
「街」
「もっと先だろ」
「先も見る」
クルザードは燻製肉を切る。
断面。
赤み。
脂。
肉汁。
煙香。
周囲の冒険者達が完全に匂いへ釣られていた。
「売ってくれ!」
「金払う!」
「俺にも!」
クルザードは少しだけ考える。
そして。
「並べ」
「は?」
「順番だ」
一瞬静まり返り。
次の瞬間。
本当に列ができた。
ドミニクが吹き出す。
「ははっ……何これ」
「効率がいい」
「お前ほんと効率好きだな」
「無駄が減る」
クルザードは淡々と肉を切り分ける。
その横でベッティーナ達が配る。
気づけば役割分担ができていた。
カタリナが周囲を警戒。
ステファンが木箱運び。
ドロテアが火力調整。
デニーゼが衛生管理。
自然と回る。
誰も命令していない。
それでも流れができる。
クルザードはそれを見ていた。
(人は流れる)
居心地がいい場所へ。
腹が満たされる場所へ。
死ににくい場所へ。
なら。
作ればいい。
その場所を。
夜空へ煙が昇っていく。
香りは街へ広がる。
腐臭だらけだった港町に、初めて“食欲の匂い”が流れていた。
そして、その夜。
アルフェイドの冒険者達は覚え始める。
港外れの廃屋に行けば、温かい飯がある。
傷も治る。
腹も満たされる。
少し安心できる。
そんな噂を。




