4:治癒
雨が降っていた。
港町アルフェイドの石畳を、冷たい雨粒が叩いている。
海風と混ざった湿気が街全体へ広がり、魚市場の臭気をさらに濃くしていた。冒険者ギルド前では、今日も傷だらけの連中が酒を飲み、怒鳴り合っている。
クルザードはその横を通り過ぎた。
肩には大袋。
中にはダンジョン産の魔物肉、薬草、海藻、魚骨。
そして大量の雑多な素材。
昨日の探索で、かなり稼げた。
理由は単純だ。
死ななかったから。
深層へ潜る冒険者ほど、食事が雑になる。
疲労が蓄積する。
判断が鈍る。
そこへ怪我が重なる。
結果、死ぬ。
クルザードはそれを理解していた。
だから、鍋を作る。
食わせる。
回復させる。
それだけで、生存率が変わる。
「クル!」
ギルド前でドミニクが手を振っていた。
相変わらず外套姿だが、少し清潔になっている。
顔色も良い。
「戻ったか」
「ああ」
「また潜るのか?」
「素材を売ったらな」
ドミニクは袋を覗き込んだ。
「……相変わらずすごい量だな」
「アイテムボックスは便利だ」
「便利すぎる」
その時だった。
ギルド内部が騒がしくなる。
「道開けろ!」
怒鳴り声。
冒険者達が慌てて避ける。
四人組が飛び込んできた。
一人を抱えている。
血塗れだった。
女。
斥候。
腹部を大きく裂かれている。
「回復士は!?」
「こっちだ!」
ギルド内の治療室へ運び込まれる。
クルザードは無意識に視線を向けた。
瞬間。
情報が爆発した。
『出血量三八%』
『腸損傷』
『感染率上昇』
『敗血症危険』
『死亡予測』
『治癒不足』
『時間制限』
「……っ」
頭痛。
視界が揺れる。
「おい!?」
ドミニクが肩を支える。
「またか!」
「問題ない」
「問題ある顔してる!」
クルザードは息を吐いた。
うるさい。
鑑定が止まらない。
怪我人を見るだけで、情報が頭へ流れ込む。
しかも正確だ。
治療不足。
感染。
失血。
全部分かる。
分かるのに。
(治せない)
それが苛立つ。
ギルド内ではデニーゼが必死に治療していた。
光魔法。
止血。
傷口縫合。
だが、追いつかない。
「ダメ……!」
デニーゼの額から汗が落ちる。
「魔力切れだ!」
「クソッ!」
斥候の女が苦しそうに息をする。
クルザードは無意識に前へ出ていた。
「どけ」
「は?」
デニーゼが振り返る。
「お前、回復士じゃ――」
「傷を見せろ」
「無茶だ! 死ぬぞ!」
「このままでも死ぬ」
クルザードは静かに言った。
全員が止まる。
彼は傷口を見る。
鑑定が暴れる。
『細胞損傷』
『筋断裂』
『細菌侵入』
『止血不足』
『神経切断』
頭が痛い。
吐き気がする。
だが。
(流れは見える)
どこを繋げるべきか。
どこへ魔力を流すべきか。
なんとなく、分かる。
クルザードは手をかざした。
光が集まる。
異常な量。
ギルド内の空気が震えた。
「なっ……!?」
「魔力量おかしいぞ!?」
クルザード自身も顔をしかめる。
(多すぎる)
制御できない。
光属性魔力が暴走する。
「待て、クル!」
ベッティーナが叫ぶ。
遅い。
光が弾けた。
轟音。
眩い閃光が治療室を埋め尽くす。
「きゃあっ!」
「目が!?」
全員が目を覆う。
数秒後。
光が消える。
静寂。
クルザードは息を切らしていた。
床が焦げている。
壁まで光で削れていた。
「……は?」
誰かが呟く。
斥候の女が起き上がっていた。
傷が、消えている。
「え……?」
女自身が腹を触る。
血は残っている。
だが傷口は閉じていた。
完全に。
沈黙。
「お、お前……」
デニーゼが震える。
「何した……?」
「分からん」
クルザードは本気で答えた。
「治そうと思った」
「いや、そんな雑な……」
「制御できない」
クルザードは頭を押さえる。
痛い。
魔力が多すぎる。
流れ込む。
溢れる。
止まらない。
「お前、本当に何なんだ……」
ベッティーナが呆然と呟いた。
クルザードは答えない。
自分でも分からない。
ただ。
身体の中に、底の見えない何かがある。
それだけは分かる。
「……腹減った」
静寂の中、クルザードが言った。
「は?」
「回復使うと腹減る」
全員が固まる。
そして。
「ぶっ……」
ステファンが吹き出した。
「お前マジで何なんだよ!」
「知らん」
「いやもう笑うしかねぇだろ!」
空気が少し緩む。
助かった。
それだけで十分だった。
その日の夜。
廃屋。
鍋が煮えていた。
今日は海魚の骨を強めに使っている。
白濁した出汁。
茸。
海藻。
香草。
そしてトロール肉。
湯気が立つ。
香りが広がる。
「……これ、本当にトロールか?」
ベッティーナが呆れた顔をする。
「処理すれば食える」
「お前、なんでも食うな」
「食える物を捨てる方が無駄だ」
クルザードは淡々と答える。
今日は人数が多い。
ベッティーナ。
マティルデ。
ドロテア。
デニーゼ。
ステファン。
そして、昼間助けた斥候の女もいる。
「カタリナだ」
女は軽く頭を下げた。
二十八歳。
長い黒髪。
細身。
だが目が鋭い。
典型的な斥候。
「借りは返す」
「別にいい」
「私は良くない」
クルザードは鍋を混ぜる。
その横でドミニクがパンを焼いていた。
最近、少しずつ料理を覚え始めている。
クルザードはそれを見ながら言った。
「火、強い」
「あ」
ドミニクが慌てて火力を落とす。
「焦げるところだった……」
「焼きは温度管理だ」
「難しいな」
「慣れれば簡単だ」
カタリナがその様子を見ていた。
静かに。
「変な集まりだな」
「そうか?」
「普通、冒険者はこんな風に飯食わない」
「効率悪いからな」
「……効率?」
クルザードは鍋を見ながら答える。
「飢えたまま潜る」
「怪我して放置」
「臭い水飲む」
「保存しない」
「死ぬ原因を自分で増やしてる」
誰も否定できなかった。
実際、その通りだからだ。
この世界は雑だ。
治療も。
衛生も。
食事も。
全部。
だから死ぬ。
「なら、改善すればいい」
クルザードは静かに言った。
「保存する」
「治療する」
「食わせる」
「それだけで人は死ににくくなる」
鍋が煮える。
湯気。
香り。
温かい空気。
カタリナは木椀を見つめた。
「……久しぶりだ」
「何がだ?」
「安心して飯食うの」
その言葉に、誰もすぐ返事をしなかった。
外では雨が降っている。
冷たい海風。
腐臭。
怒号。
この街は相変わらず荒れていた。
それでも。
この廃屋だけは違った。
温かい。
腹が満たされる。
怪我が治る。
人が笑う。
それだけで、人は戻ってくる。
クルザードは静かに鍋を見つめていた。
まだ小さい。
ただの廃屋。
ただの鍋。
だが。
ここから、人は集まり始める。




