表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飯が美味すぎて、気づけば世界を支配していた。 ~無限魔力の料理人、物流と教育で最強国家を作る~  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/41

3:鑑定

朝のダンジョン《灰喰らい》は湿っていた。


二層へと続く薄暗い石階段には、地下から染み出した冷たい水が絶え間なく滴り、足元には湿気を好む青黒い苔がびっしりと広がっている。近くの大海から流れ込む海水のせいで、狭い通路を満たす空気は常に濃厚な塩臭さを孕んでいた。


クルザードはその独特の匂いを深く吸い込みながら、確実な足取りで階段を下りていた。


彼の前を歩くのは、ベッティーナ率いる中堅の冒険者パーティだ。

昨日、地下二層の安全地帯で共にあの絶品な「ゴブリンの鍋」を囲んで以来、彼らのクルザードに対する扱いは完全に激変していた。ただの使い捨ての荷物持ちという冷遇は、今や綺麗さっぱり消え失せている。


理由は極めて単純明快だった。

彼の作った飯が、あまりにも美味かった。


それだけで、人間の態度というのは劇的に変わる。

クルザードはその厳然たる事実を、冷徹なまでに深く理解していた。


食事という行為は、ただ飢えを凌ぎ、腹を満たすためだけの単なる作業ではない。

摂取する栄養の質、そしてその温度によって、人間の肉体が引き出す疲労の回復率、戦闘中の極限状態における集中力、逆境に立ち向かうための士気、さらには危機的状況での判断速度にいたるまで、そのすべてが劇的に変化する。


だからこそ、クルザードの目にはこの世界の現状が致命的に効率が悪く映るのだ。

どこへ行っても出回っているのは、発酵の足りない腐った食事、生命維持にすら事欠く不足した塩分、そしてずさん極まりない粗悪な保存技術。そんな劣悪な環境と栄養状態で、命がけの迷宮探索をまともに戦い抜けるわけがない。


「おい、クル」


大盾の重い音を響かせながら、前衛のベッティーナが振り返った。その表情には、昨日までの荷物持ちを侮るような色はなく、一人の信頼に値する同行者を見るような真剣さが宿っている。


「今日はこのまま、さらに深い地下三層まで足を伸ばすつもりだ」


「了解だ。三層の未知の素材に立ち向かうだけのスタミナなら、今の全員の身体にはしっかり蓄えられているからね」


クルザードは口元に明るく気さくな笑みを浮かべ、ハキハキとした声で答えた。


「……昨日みたいに、敵の奇襲を事前に察知できそうか?」


ベッティーナの問いに対して、クルザードは一転して笑みを収め、静かに首を振った。


「分からん。約束はできないな」


彼は正直に答えた。己の脳内に宿る「鑑定」の能力は、未だに完全な制御不能の状態にあるからだ。

見えすぎる。聞こえすぎる。そして、感じすぎてしまう。

この能力は、現在のクルザードにとって、必要な情報と不要な情報の区別を一切つけてくれない。


ただ、前を歩く人間を視界に入れるだけで。


『対象:ベッティーナ。肉体疲労率:二十二%』

『水分不足:軽度。補給を推奨』

『右大腿部:筋繊維の微細な損傷を確認』

『血液成分:鉄分欠乏傾向』

『脳内状態:睡眠不足による軽度の注意不鮮明』


頼みもしない全データが強制的に脳内へ流れ込んでくる。

さらに、ただの足元の床を見るだけで。


『構造:周囲の湿度八十八%。菌類の異常繁殖を確認』

『地質:数メートル先に未開通の水脈あり』

『危険度:天井部の岩盤における経年劣化。想定崩落率:四%』

『成分:石灰岩および微量の鉄鉱物成分を検出』


あらゆる物理的な情報が、鉄槌のように頭へと直接叩き込まれる。

確かに凄まじく便利な能力ではある。しかし、人間の脳の許容量を遥かに超えた情報量を処理しきれるはずもなく、結果として、常に脳の芯を雑巾のように絞られるような激しい頭痛が彼を襲うのだ。


「……クル、また顔色が悪いぞ。本当に大丈夫なのか?」


パーティの後方から、回復士のデニーゼが心配そうに覗き込んできた。


「はは、問題ないさ。これくらい、迷宮の重厚な空気に圧倒されているだけの証拠だよ」


「そんなわけないでしょ。完全に問題がある顔をしてるわ。少し休んだ方がいいんじゃない?」


「いや、これでいいんだ。この感覚には、もう随分と昔から慣れているからね」


クルザードは短く、しかし気さくなトーンを崩さずに返した。無駄な泣き言を言ってパーティの歩みを止めることこそ、最も非効率な選択であると彼の脳が「判断」しているからだ。


しかし、その直後だった。

視界がぐにゃりと大きく揺れた。


通路。壁。石畳を伝う水滴。そのすべてに、狂ったような速度で凶悪な色を帯びた情報が奔流となって流れ込んでくる。


『構造:地下水脈の急激な接近を感知』

『環境:前方壁面の裏側に巨大な空洞が出現』

『魔力:急激な魔力濃度の急上昇を計測』

『生体:想定外の大型生体反応を捕捉。急速接近中』

『嗅覚:高濃度の腐敗臭および濃厚な血液残留反応あり』

『警告:極めて危険。直撃回避行動を強く推奨』


「全員、その場に止まれ!」


クルザードは即座に、鋭く通る声で叫んだ。陽気さを完全に排したその一言には、一切の躊躇も迷いもない。状況の流れを瞬時に決定づける、確固たる「判断」の響きがあった。


ベッティーナをはじめとする全員が、彼のその異様な迫力に圧されるようにして、条件反射で足を止めた。


「なんだ、クル!? 一体何が――」


ステファンが問いかけを完成させるよりも早く、世界が轟音と共に爆発した。


バリバリと石壁が派手に砕け散り、大量の土砂と共に巨大な影が通路へと突き進んできた。


海蝕かいしょくトロール!?」


剣士のマティルデが、驚愕のあまり声を裏返らせて叫んだ。

そこに現れたのは、優に三メートルを超える巨体を持つ、青灰色の皮膚をした化け物だった。

全身が地下水で濡れそべり、強靭な筋肉の塊が幾重にも重なり合っている。この魔物は、通常であれば地下二層などに姿を現すはずのない、より深い階層の主たる凶悪な存在だった。


「なんで……なんでこんな浅い所に、こんな大物がいるのよ!」


魔法使いのドロテアが、杖を握りしめたまま顔を真っ青にして戦慄する。

その混乱の最中、クルザードの頭の中には、さらに膨大な鑑定の情報が容赦なく流れ込んでいた。


『対象:海蝕トロール(変異個体)』

『状態:極限の飢餓状態に伴う、異常な興奮を確認』

『負傷:右脚の深部組織に過去の戦闘による致命的な損傷あり』

『視覚:左側の眼球が潰れており、左側面の視界が完全に欠損』

『特性:体内の水分過多。それに伴う肉体の超高速再生能力を保有』


(うるさい。静かにしろ)


あまりの情報量の多さに、頭が真っ二つに割れそうなほどの激痛が走る。だが、世界の真実を映し出す鑑定の情報は、彼の都合などお構いなしに、さらに深くその急所を抉り出していく。


『解析:右膝関節の軟骨組織、およびその周囲の筋肉硬度が低下中』

『予測:次の一歩における移動軸は、左脚を軸とした右方向への回転と予測』

『結論:右脚の損傷部への集中攻撃により、巨体の機動力を完全に奪うことが可能』


「全員、よく聞け! 奴の右脚を徹底的に狙うんだ!」


クルザードは頭痛に耐えながら、明晰な声でパーティに指示を飛ばした。


「はあ!? こんな化け物の脚に近づけってのか!」


「右脚がすでに深く損傷している! そこを叩けば、奴の機動力は完全に死ぬ!」


彼の放ったその確信に満ちた「判断」の言葉に、リーダーのベッティーナが最初に呼応した。


「分かった、お前の言葉を信じる! ステファン、マティルデ、私に続け!」


ベッティーナが大盾を構え、果敢にトロールの正面へと突撃を敢行した。

しかし、トロールが飢えた咆哮と共に振り下ろした丸太のような拳の威力は、想像を絶していた。

空気が悲鳴を上げるような重い衝撃音が響き、大盾ごとベッティーナの巨体が後方へと激しく吹き飛ばされた。


「ぐはっ!?」


「ベッティーナ! 今すぐ治療します!」


デニーゼが即座に負傷した彼女の元へと走り、回復魔法の詠唱を始める。

その隙を突いて、赤髪のマティルデがトロールの側面に回り込み、長剣を一閃させた。しかし、刃は青灰色の硬い皮膚に弾かれ、浅い傷をつけるに留まる。


「チッ! なんて硬さだよ!」


「ドロテア、援護を!」


「分かってるわよ! 燃え尽きなさい!」


ドロテアの放った大火球がトロールの胸元で炸裂し、激しい爆炎と熱風が狭い通路を満たした。

しかし、水分を大量に含んだトロールの皮膚は、火のダメージを瞬時に無効化し、その驚異的な再生能力によって傷口を塞いでいく。トロールはさらに興奮を高め、狂ったように棍棒を振り回して暴れ始めた。


前衛が崩れ、後衛の魔法も効かない。パーティの全員が、ジリ貧の全滅の未来を予感して絶望に目を見開く。


だが、クルザードだけは違っていた。

彼の瞳の奥では、鑑定の文字が未だに激しく踊り続けていた。


情報。情報。どこまでも押し寄せる圧倒的な情報。

多すぎる。うるさい。脳が焼け付くように熱い。

だが――見える。


(……見えた。この戦いの、決定的な流れが)


トロールの巨体が、僅かに左側へと重心を寄せた。それは、ドロテアの火炎から身を護るための動作ではない。クルザードの鑑定が指摘した通り、すでに深く傷ついている「右脚」に体重がかかるのを、本能的に庇おうとした歪な拒絶の動きだった。


筋肉繊維の断裂が、再生の追いつかない速度でさらに広がっている。


「マティルデ、今だ! 奴の右脚の膝裏、その一点にすべての威力を集中させろ!」


クルザードの鋭い「振り分け」の指示が、的確にマティルデの背中を推した。

彼の言葉に従い、マティルデは自らの全魔力を長剣に込め、トロールの右膝裏へと深く刃を突き立てた。


ズぶり、と肉を断つ確かな手応え。


「ギャアアアアアアッ!?」


トロールが耳を劈くような悲鳴を上げ、支えを失った巨体が、音を立てて前方の地面へと激しく崩れ落ちた。


「よし、今だ! 全員、一斉に叩き込め!」


クルザードの差配により、パーティの全戦力が一瞬にして噛み合った。

機動力を失った巨体へ向けて、復活したステファンが渾身の拳を叩き込み、衝撃波がトロールの脳震盪を誘発する。

さらに新加入の魔術師アランが床の岩盤に金属魔法を展開し、トロールの肩に深く刺さっていた鉄の残骸を瞬時に溶融させ、巨大な拘束具へと変形させてその自由を完全に奪った。


「完全に固定したぞ!」


「ドロテア、最大火力でトロールの頭部を狙え!」


「これで……終わりよ! 燃え盛れ!」


ドロテアの放った純粋な火球がトロールの頭部へと直撃し、猛烈な爆炎が石室を包み込んだ。肉が焦げる生々しい臭いが立ち込めるが、トロールは未だその強靭な生命力で拘束を破ろうと暴れ狂っている。


その時、クルザードが一歩前へと踏み出してきた。

彼の左手が、静かにトロールへと向けられる。


周囲の環境に存在するすべての「水」が、彼の莫大な魔力によって強制的に一箇所へと集束を始めた。石壁を伝う地下水、空気中の湿気、トロール自身が流した大量の血液。それらすべてが、常軌を逸した速度で凝縮されていく。


「おい、クル!? 待て、お前何をするつもり――」


ベッティーナが制止の声を上げるが、すでに遅い。

集まった水は、極限まで圧縮され、超高速で回転する禍々しい「槍」へとその姿を変貌させていた。


「ウォーターランス――水穿すいせん


クルザードが放った水の槍は、大気を引き裂く轟音と共に一直線に放たれ、トロールの強固な首の喉元を、紙のように易々と貫通した。


凄まじい風圧の後、ダンジョン内に完全な沈黙が訪れた。

トロールの巨体は、今度こそ完全に生命活動を停止し、泥の中にどさりと横たわった。


全員が、その場に彫像のように硬直していた。


「……は? 今の、本当に水魔法……?」


ステファンが、顎が外れそうなほど呆然とした顔で呟いた。

しかし、当のクルザードは、勝利の余韻に浸るどころではなく、両手で激しく頭を押さえてその場にしゃがみ込んでいた。


痛い。内側から脳を破裂させられるように痛い。そして、猛烈に気持ち悪い。

敵が絶命したというのに、鑑定の情報は容赦なく脳内へ津波のように押し寄せ続けていた。


『対象:海蝕トロール(絶命)。魔石の含有を確認。回収効率:高』

『肉組織:有害な毒素の残留あり。ただし適切な処理により再利用可能』

『外皮:極めて高い耐久性を保持。防具用素材として利用可能』

『成分:塩分濃度過多。調理時の塩加減に注意が必要』


「おい、クル!」


ベッティーナが慌てて駆け寄り、彼の逞しい肩を強く掴んだ。


「大丈夫か!? 凄まじい魔法だったが、顔色が完全に真っ白だぞ!」


「……はは、問題ないさ。いつものことだからね」


「あるわけないだろ、そんな状態で!」


「いや、本当に慣れているんだ。この能力と付き合うには、これくらいの頭痛はただの必要経費さ」


「慣れるな、そんな異常なもんに!」


ベッティーナに本気で怒鳴られた。

クルザードは痛む頭を押さえながらも、少しだけ、嬉しそうに笑った。

誰かに自分の体調を本気で心配され、怒鳴られるという感覚が、彼にとっては妙に新鮮で、心地よかったからだ。

これまでの人生、誰も彼の頭痛や能力のことなど気にかけもしなかった。なぜなら、彼はただの、いつでも代えの利く使い捨ての「荷物持ち」だったからだ。


「……とりあえず、一度街へ戻るぞ。こんな化け物が出たんだ、これ以上の探索は危険すぎる」


ベッティーナが厳しい表情で撤退を判断しようとした。だが、クルザードはしゃがみ込んだまま、トロールの巨体を見つめて静かに首を振った。


「いや、それは効率が悪い。ここで、このトロールを解体する」


「正気か!? こんな危険なダンジョンの通路で、今から解体を始めるっていうのか!?」


「ああ。今すぐ処理しなければ、この肉の鮮度が劇的に落ちてしまうからね。これほどの優秀な素材をドブに捨てるのは、俺の合理主義が許さないのさ」


ベッティーナ達は互いに顔を見合わせ、言葉を失った。だが、昨日の今日だ。彼らはクルザードの言葉の裏にある「確信」を、すでに無視できなくなっていた。


数十分後。

薄暗い石室の中には、信じられないことに、香ばしく肉を焼く至高の匂いが立ち込めていた。


トロールの肉。それは本来、繊維が極端に硬く、独特の強烈な泥臭さがあるため、どんなに飢えた冒険者であっても決して口にすることのない「廃棄物」だ。

だが、クルザードの持つ鑑定と、その的確な「判断」の手際にかかれば、その常識すらも簡単に覆された。


彼は迷いのない包丁さばきで肉の硬い筋を完璧に外し、臭みの原因となる過剰な脂身を削ぎ落とした。さらに、道中で採取した薬草の葉を細かく磨り潰して肉の表面に深く擦り込み、海塩を使って余分な水分と臭みを完全に引き出した。

それを、魔法で生成した石鍋に投入し、ダンジョン茸、海藻、そして保管していた魚の骨から取った濃厚な出汁と共に、じっくりと煮込んでいく。


火が通るにつれて、トロールの肉特有の嫌な臭みは跡形もなく消え去り、代わりに極上のジビエ料理のような、濃厚で野性味溢れる旨味の香りが石室を支配していった。


「……嘘でしょ。あのトロールが、こんな匂いになるなんて」


ドロテアがゴクリと喉を鳴らし、眠そうな目を輝かせて呟いた。

肉汁が弾け、絶妙な塩味と旨味が調和した湯気が立ち上る。その匂いに誘われるようにして、全員の腹虫が盛大に鳴り響いた。


「さあ、出来上がりだ。遠慮せずにしっかり食ってくれ」


クルザードの言葉が終わるか終わらないかのうちに、マティルデが恐る恐る肉の一片を口へと運んだ。

そして、その場で完全に硬直した。


「……う、美味すぎる……!」


彼女のその一言を合図に、全員が狂ったように鍋へと群がり、貪るように食べ始めた。


「信じられない……あんなに硬そうだった肉が、口の中で解けるように柔らかい……」


「これ、本当にあの海蝕トロールの肉なのか? 夢でも見てるんじゃないか……」


「あぁ……生き返るわ。これ、絶対に強いお酒に合うやつじゃない……」


「戦闘で使い果たした体力が、ものすごい勢いで戻ってくるのが分かる……」


デニーゼが温かい木椀を両手で包み込み、心底ほっとしたように息を吐き出した。

激しい死闘によって消耗しきっていた彼らの肉体と精神が、クルザードの作った温かい飯によって、劇的な速度で修復されていく。


クルザードは、彼らが笑顔を取り戻していく様子を静かに見つめながら、自らの瞳の奥で明滅する鑑定の文字を見つめていた。


『環境:摂取した生命体全体の塩分濃度が適正値に回復』

『効果:過剰なアミノ酸の摂取により、肉体疲労の急速な回復を確認』

『状態:筋繊維の修復補助が開始。戦闘継続能力が大幅に向上中』


(……なるほど。この能力は、こういう使い方が正解だったわけか)


クルザードの胸の内に、小さな、しかし確固たる充足感が芽生えていた。

生まれて初めてだった。

自分の脳を散々苦しめてきたあの忌々しい「鑑定」の力が、明確に他人の役に立ち、状況を劇的に好転させるための鍵となったのは。

戦闘における敵の打破という局局面でも。そして、戦い終わった後の肉体を癒やすための料理という局面でも。彼の能力は、完全に明確な「意味」を持って機能していた。


未だに頭痛は酷い。情報の濁流を制御することもできていない。

それでも、彼の目から見た世界の見え方は、昨日までとは確実に、そして決定的に変わり始めていた。


「なあ、クル」


ベッティーナが、空になった椀を置き、真剣な目でクルザードを見つめて言った。


「お前、本当は何者なんだ? ただの荷物持ちが、トロールの弱点を見抜き、あんな規格外の水魔法を放ち、おまけにその肉を極上の料理に変えるなんて、絶対にあり得ない」


「はは、買い被りすぎだよ。俺はご覧の通り、背中に大きな荷物を背負った、ただの陽気な荷物持ちさ」


「絶対違う。確信があるわ」


「いいや、今はまだ、これで合っているんだよ」


クルザードは自身の木椀を見つめながら、静かに、しかし不敵な笑みを浮かべて答えた。


今は、まだ。

自分には、この澱んだ世界を変えるための明確な力も、莫大な金も、確固たる地位も、共に歩む本当の仲間も、何一つとして備わってはいない。


だが、彼はこれからの流れを完全に予見していた。

美味い飯を食わせれば、人は自然と集まってくる。

行き場のない者を助け、居場所を与えれば、彼らは必ずここに残る。

その場所が快適で、合理的であれば、誰もそこから離れようとはしなくなる。


集まった人間を、それぞれの才能に応じて正しく「振り分け」て動かす。

そうすれば、この不効率極まりない歪んだ世界は、もっと、何倍も綺麗に、そして効率良く回せるようになる。


「まずは、このダンジョンの美味しい資源を、すべて俺たちの手で管理するところから始めようか」


薄暗い石室の中、クルザードの言葉と共に、鍋から立ち上る温かい湯気が、静かに、しかし力強く揺れていた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ