29:海蛇
海魔物初戦。
冬の海は灰色だった。
空も。
波も。
港に吹き込む風は鋭く、肌を裂くように冷たい。
それでも、この街の港は止まっていない。
漁師が動く。
荷車が動く。
物流ゴーレムが木箱を運ぶ。
干物工房からは燻製の香り。
煮込み場からは魚汁の湯気。
普通なら閉じる季節だった。
でも、この街だけは違う。
「沖で船がやられた!」
怒鳴り声が港に響いた。
一瞬で空気が変わる。
クルザードが振り返る。
漁師たちが青ざめていた。
「何が出た」
「海蛇だ!」
その単語だけで周囲が静まる。
海蛇。
海魔物。
沿岸の村を潰す災害。
船を沈め、人を呑み、漁場を壊す。
つまり。
食料線を断つ存在だった。
「場所は?」
「北東沖!」
「二隻やられた!」
ヴァレリアが即座に帳簿を閉じた。
「漁場止まるとまずいわね」
「魚節の生産も落ちる」
「塩漬けも止まる」
全部繋がっている。
この街は既に、海産物流通で回り始めていた。
だから放置できない。
クルザードは即断した。
「討伐する」
ティグリスが笑う。
「海か。面白ぇ」
「面白くはない」
クルザードは港を見る。
「物流を止める敵は潰す」
その声に迷いはなかった。
数十分後。
船上。
波が荒い。
潮風が冷たい。
ベッティーナが船縁に立つ。
「揺れるわね……」
「海戦は慣れねぇな」
ガルドが顔をしかめた。
ティグリスは逆に楽しそうだった。
「匂いは分かりやすい」
獣人の感覚。
風。
塩。
血。
全部拾う。
クルザードは海を見ていた。
鑑定。
波の下。
情報が流れる。
『大型魔力反応』
『高速移動』
『群れではない』
『深海適応型』
単独。
つまり強個体。
その時。
船が揺れた。
「来るぞ!」
海が割れた。
巨大な影。
長い。
黒い鱗。
赤い眼。
海蛇だった。
十メートル超。
普通の生物ではない。
魔力が濃い。
圧力だけで船員が後退る。
「デカすぎるだろ……!」
ステファンが拳を握る。
海蛇が吠えた。
水飛沫。
衝撃。
波が船を叩く。
「固定!」
ベッティーナが盾を叩き込む。
土魔法。
船体補強。
アランも金属固定を重ねる。
クルザードは海蛇を見た。
速い。
海中では特に。
真正面から殴り合う敵じゃない。
「ティグリス!」
「分かってる!」
跳ぶ。
槍。
海蛇の目を狙う。
でも。
海蛇が潜った。
「下だ!」
次の瞬間。
船底へ衝撃。
木材が軋む。
「クソッ!」
ガルドが怒鳴る。
「このままじゃ沈む!」
クルザードは即座に判断する。
「海中行動を制限する」
「ドロテア!」
「了解!」
風魔法。
圧縮。
海面を叩く。
波が乱れる。
そこへクルザード。
水属性。
まだ制御は完全じゃない。
でも。
以前より遥かに扱える。
「氷壁」
海面が凍る。
完全ではない。
でも十分だった。
海蛇の動きが鈍る。
「今!」
マルセルの斬撃。
飛ぶ。
海面ごと切り裂く。
海蛇の鱗が裂けた。
血。
海が赤く染まる。
でも。
止まらない。
海蛇が暴れた。
尾が船を打つ。
船員が吹き飛ぶ。
「回復!」
デニーゼが即座に光を飛ばす。
クルザードの視界に情報。
船体損傷。
魔力残量。
敵速度。
全部流れる。
頭が熱い。
でも今は耐えられる。
意味がある。
使える。
これだ。
「首だ」
クルザードが呟く。
「そこが薄い」
鑑定が答えを出していた。
ティグリスが笑う。
「ならやるぞ!」
海蛇が再び突っ込む。
速い。
波を割る。
その瞬間。
「土杭!」
アラン。
海底から石柱。
海蛇が一瞬引っかかる。
「風圧!」
ドロテア。
進行がズレる。
「今だ!」
ティグリスが飛ぶ。
槍。
首へ。
浅い。
でも止まった。
そこへ。
クルザードが踏み込む。
魔力循環。
火。
風。
圧縮。
以前より滑らかだった。
「火刃」
赤熱した剣閃。
海蛇の首へ叩き込まれる。
爆音。
蒸気。
海が白く染まる。
海蛇が絶叫した。
暴れる。
波。
でも。
もう遅い。
「斬れぇぇぇ!」
マルセル。
飛ぶ斬撃。
首が半ば裂ける。
最後。
ティグリスが槍を捻じ込んだ。
貫通。
沈黙。
巨大な海蛇が海へ崩れ落ちる。
波だけが残った。
全員が荒く息をする。
「……勝ったか」
ガルドが座り込む。
クルザードは海蛇を見る。
鑑定。
『高品質海蛇肉』
『高級魔石』
『耐魔鱗』
『上質油脂』
全部資源。
つまり。
勝てば利益になる。
ヴァレリアが目を輝かせた。
「これ、かなり売れるわよ」
「食えるか?」
ティグリスの第一声がそれだった。
クルザードは少し笑う。
「食う」
「やっぱりな」
港へ戻る頃には、街全体が騒ぎになっていた。
「海蛇を!?」
「倒したのか!?」
「マジかよ……」
人が集まる。
歓声。
驚き。
そして。
港が止まらなかったことへの安堵。
物流は国家の血だ。
止まれば弱る。
だから守る。
合理だった。
夜。
解体場。
海蛇は巨大だった。
ティグリスが肉を見て笑う。
「脂すげぇな」
ジェシカが鑑定補助をしている。
「栄養価高い」
「保存にも向いてる」
「燻製いけるわね」
ガルドが骨を叩く。
「骨も硬ぇ」
「武器素材だな」
全部使える。
無駄がない。
クルザードは海蛇の肉を切り分けた。
臭み確認。
脂確認。
筋繊維。
頭の中で料理が組み上がる。
「鍋にする」
「おお!」
歓声が上がる。
数時間後。
広場。
大鍋。
海蛇鍋。
魚節。
味噌。
海藻出汁。
湯気が夜空へ昇る。
香りだけで人が集まる。
「なんだこの匂い……」
「ヤバい……」
子供たちが目を輝かせる。
クルザードは静かに味を見る。
濃い。
脂が強い。
でも。
海藻出汁が受け止める。
味噌が繋ぐ。
完成していた。
「美味ぇぇぇ!」
ステファンが叫ぶ。
ティグリスも笑う。
「これ海魔物だよな!?」
「関係ない」
クルザードが答える。
「食えるなら資源だ」
その言葉に、全員が笑った。
港。
物流。
食。
戦闘。
全部繋がっている。
海を制する。
それはつまり。
食料支配に直結する。
ヴァレリアが呟いた。
「この街、本当に止まらないわね」
クルザードは鍋の湯気を見る。
冬。
海。
魔物。
危険は増える。
でも。
越えれば、また街は強くなる。
そして人が集まる。
快適さは、人を裏切らない。
海蛇鍋の湯気の向こうで、港の灯りが静かに揺れていた。




