27:餓死ゼロ
周囲との差。
雪は止まらなかった。
朝。
港町の屋根は白く染まり、海風は皮膚を刺すほど冷たい。
普通なら、人は外に出ない。
火を囲み、少ない食料を分け合い、春を待つ。
それが冬だった。
だが。
この街だけは違った。
「西区画、水路凍結なし!」
「保存庫正常!」
「鍋追加できるぞ!」
朝から声が飛ぶ。
広場には湯気。
味噌鍋。
魚汁。
焼きたてパン。
香りだけで人が寄ってくる。
子供が笑っていた。
それだけで異常だった。
この世界の冬は、子供が減る季節だからだ。
クルザードは倉庫群を見上げた。
雪。
煙。
灯り。
動いている。
街全体が、生きていた。
ヴァレリアが帳簿を抱えて走ってくる。
「移住希望、また増えたわ」
「何人だ」
「昨日だけで四十七」
「多いな」
「隣領が崩れてる」
静かな声だった。
でも内容は重い。
冬は残酷だ。
備蓄不足。
衛生崩壊。
病気。
飢餓。
一つ崩れれば全部崩れる。
そして今年。
周辺領地は既に限界だった。
「死人は?」
クルザードが聞く。
ヴァレリアが少し黙る。
「かなり」
「子供も多い」
ティグリスが舌打ちした。
「クソみたいな季節だな」
「違う」
クルザードが静かに言う。
「備えてないだけだ」
その場が少し静まった。
正論だった。
食料が足りないなら増やす。
腐るなら保存する。
病気になるなら衛生を整える。
道路が悪いなら直す。
全部、対策可能だった。
ただ。
この世界はそれをやってこなかった。
昼。
炊き出し場。
大鍋が並ぶ。
魚節の出汁。
オーク節。
味噌。
野菜。
湯気が空へ昇る。
移住者たちは、その匂いだけで涙を流していた。
「……本当に食えるのか?」
「全員だ」
クルザードは即答した。
痩せ細った母親が震えている。
その横で、子供が鍋を見つめていた。
目が死んでいない。
まだ間に合う。
デニーゼが温かい汁を渡す。
「ゆっくり食べて」
「熱いから気を付けて」
子供が一口飲んだ。
その瞬間。
泣いた。
「……あったかい……」
周囲の空気が少しだけ揺れる。
ティグリスが視線を逸らした。
ジェシカも黙る。
この世界では珍しい。
冬に温かい飯を腹いっぱい食えること自体が。
クルザードは広場全体を見る。
人がいる。
笑っている。
生きている。
それだけで価値があった。
夜。
会議室。
簡易地図が広げられている。
マチルダが説明する。
「北側三領、既に食料不足」
「南は疫病」
「東は盗賊化」
酷かった。
冬が来るたび、周辺領地は弱る。
そして奪い合う。
だから戦争も増える。
でも。
この街だけは逆だった。
「余ってるのよね……」
マチルダが呆れたように言う。
「かなり」
倉庫。
干し肉。
干し魚。
味噌。
塩。
小麦。
酒。
全部残っている。
クルザードが静かに言った。
「保存食が強い」
「あと物流」
「あと衛生」
「あと教育」
また全部繋がっていた。
読み書きができるから帳簿管理できる。
計算できる。
保存量を把握できる。
物流効率が上がる。
無駄が減る。
つまり飢えない。
合理だった。
ガルドが酒を飲みながら笑う。
「戦争よりよっぽど強ぇな」
「食料は国家の血だ」
クルザードの言葉は静かだった。
「止まれば死ぬ」
全員が理解していた。
この街は、もう村ではない。
国家の形になり始めている。
翌日。
雪の中。
盗賊が出た。
食料狙いだった。
周辺が崩壊している以上、当然だった。
でも。
結果は一瞬だった。
「風拘束」
ドロテア。
空気が巻き付く。
「土牢」
アラン。
石壁が閉じる。
「終わり」
ティグリスが槍を突きつける。
三十秒も掛からない。
見ていた移住者たちがざわつく。
「なんだこの街……」
「兵士より強いぞ……」
「違う」
ベッティーナが笑った。
「村人も強いのよ」
実際そうだった。
衛生管理。
水路。
保存。
建築。
物流。
全員が何かしらできる。
つまり。
街全体の能力値が高い。
これが本当の強さだった。
夜。
風呂。
湯気。
木の香り。
熱。
ティグリスが肩まで浸かっていた。
「はぁ……」
「生き返る……」
「大袈裟じゃない」
ジェシカが真顔で言う。
「風呂だけで病気かなり減ってる」
「実際、回復薬消費落ちてる」
デニーゼも頷く。
衛生改善。
この世界では軽視されていた。
でもクルザードは違った。
清潔は強い。
病気が減る。
労働力が減らない。
冬を越せる。
人口が増える。
全部繋がる。
クルザードは湯気を見ながら考えていた。
鑑定。
以前はノイズだらけだった。
でも今は違う。
少しずつ意味が見えてきている。
『栄養状態』
『疲労』
『感染兆候』
『適正配置』
情報が繋がる。
流れが見える。
街そのものが、一つの巨大な生き物みたいだった。
その時。
外が騒がしくなった。
ヴァレリアが入ってくる。
「また移住者よ」
「今度は職人集団」
「人数は?」
「二十七」
「受け入れる」
即答。
「でも食料は?」
「余る」
クルザードは迷わなかった。
食料が余る。
つまり人口増加できる。
人口は力だ。
職人は技術だ。
教育すれば更に強くなる。
国家形成は、結局そこに行き着く。
人。
技術。
物流。
食。
全部だ。
翌朝。
街門。
雪の向こうから、人が歩いてくる。
ボロボロだった。
でも。
この街を見た瞬間、全員の顔が変わった。
煙。
灯り。
匂い。
笑い声。
生きている街。
死んでいない街。
「……なんだここ」
「冬なのに……」
「飯の匂いがする……」
クルザードは門前に立っていた。
静かに言う。
「働けるなら歓迎する」
「学ぶ気があるなら教える」
「盗むなら捕まえる」
「それだけだ」
簡潔だった。
でも。
それが一番安心できた。
理不尽じゃない。
基準がある。
ルールがある。
だから人が残る。
マチルダが小さく笑った。
「本当に、変わったわね」
「何がだ」
「この街」
クルザードは雪空を見る。
「まだ途中だ」
「もっと増える」
「もっと強くなる」
そして。
それは誇張じゃなかった。
周囲は飢えている。
でも。
この街だけは違う。
餓死者。
ゼロ。
その事実が、既に異常だった。
冬を越せる街。
子供が死なない街。
飯が余る街。
教育がある街。
そんな場所に、人が集まらない理由がなかった。
広場では、また鍋が煮えていた。
味噌の香り。
魚節の匂い。
焼きたてパン。
酒。
笑い声。
雪の世界の中で、そこだけが温かい。
ティグリスが肉を頬張りながら笑う。
「もう完全に勝ち組の街だな」
クルザードは少しだけ笑った。
「快適さは、裏切らない」




