24:オーク節
保存革命。赤身魚の節も。
雪が降っていた。
最果ての港町アルフェイドの全体を、凍てつく冬の純白の結晶が静かに、そして美しく覆い尽くしていく。
世界が深い沈黙に閉ざされ、すべての生命活動が冷酷に停止するはずの鈍色の空。それなのに、新設されたばかりの広大な海岸拠点、そして巨大な料理屋の周囲だけは、一分の澱みもなく力強い命の熱量で満ちあふれていた。
朝一番から大型の煙突を通じて豊かな白い湯気が天高く立ち上り、濃厚な大鍋の香りが凍てついた街路の隅々まで広く行き渡っている。
魚を小気味よく焼き上げる至高の音。
五感を芯から温め尽くす、熟成された最高の味噌汁。
独自の工程で黄金色に焼き上げられた、ふんわりと柔らかい白い発酵パン。
そして、完璧な脱水処理を施された極上の燻製肉。
街の全域には、生きるための力強い経済の足音が爆発的な勢いで響き渡っていた。
その中心たる港の大規模な貯蔵倉庫の内部には、今、天井から床にいたるまで、山のように巨大なオークの肉塊が隙間もなく整然と吊るし上げられていた。
「……おいおい、小僧。一体どれほどの絶対量をここに溜め込めば気が済むんだい」
最高腕のドワーフ鍛冶師ガルドが、自慢の戦斧を床に置き、開いた口が塞がらないといった顔でその圧倒的な質量を見上げた。
「あの凶悪なオークの群れを完璧に制圧し、一欠片の細胞も無駄にせずに解体処理を完了させてからな、もうとっくに三日の月日が経過しているんだぞ」
「これまでの古い常識の数式であればよ、手に入る肉の絶対量が多すぎてな、加工の手順が完全に追いつかずに中央から腐らせてドブに捨てる大損を出すのが目に見えているぜ」
「ああ、現時点までにかなりの比率の処理を完遂したよ。俺の判断の計算に無駄な間違いはないさ」
クルザードは口元に明るく快活な笑みを浮かべ、巨大な肉の結合状態を冷徹な目で見つめながら、ハキハキとした明晰な声で答えた。
純白の高純度な塩を徹底的に揉み込んだ、強固な塩漬けの工程。
香木の煙を最適に循環させる、あの簡易燻製小屋での高度な乾燥。
熟成された最高の麹を用いた、至高の味噌漬けのライン。
そして、肉体の駆動に必要なエネルギーを極限まで濃縮した、干し肉の量産。
それらすべての保存のラインへ、集まったメンバーたちの才能を最高値に「振り分け」て動かすことで、彼らは信じられないほどの超高速で物資の処理を前進させていた。
それでもなお、倉庫を埋め尽くすオークの肉の絶対量は、常人の計算の限界を遥かに超越してあまりにも多すぎた。
二十三匹という圧倒的な戦闘個体。しかも、その先頭にいたあの災害級の上位種の巨体。
手に入ったその総肉量だけでね、この最果ての集落の全体、いや、周辺のいくつかの村を丸ごと一冬の間、一パーセントの飢えもなく完璧に冬越しさせることができるほどの、凄まじい富の質量であった。
現在の彼らにとって、最優先で解決すべき次なるボトルネック。それは、この膨大な資源を、一パーセントの劣化も許さずに常温で何年も維持し続けるための、「さらに高次元の保存技術の確立」であった。
どれほど豊かに魔物を仕留めたところで、移動や保管の途中で肉が腐って機能停止してしまえば、それは組織の未来の全体の流れを中央から完全に破壊する最悪の不効率な大損に繋がる。
もっと、一分の手戻りもない完璧な効率を。
もっと、何年もの歳月に耐えうる強固な長期保存を。
もっと、重量の数値を極限まで減らした最高級の軽さを。
そして、どんな過酷な遠征の街道であっても、一瞬で安全に運べる圧倒的な運びやすさを。
物流の完全なる掌握。
強固な国家の建国。
不条理な戦争における、完璧な兵站の維持。
そして、すべてを支える人口の爆発的な増加。
そのすべての巨大な時代の歯車はね、資源を最も正しい最高効率の形へと整えて維持する、「保存の本質」を掌握して初めて完璧に回り始めるのだ。
「……よし、方針は決まった。肉体の結合を根本から組み替えて、水分を極限まで『削ぎ落とす』手順へ移行するよ」
「水分を、削ぎ落とすだって? 一体どういう計算なのよ、それ」
金髪のドミニクが不思議そうに尋ねる。
「これまでのずさんな干し肉の概念とは、根本からすべて格の違う、全く新しい加工のプロセスさ」
クルザードは当然の事実を告げるように、ハキハキと言い放った。
彼の瞳の奥で、再び鑑定の文字が整然と回り始める。
『対象:オークの上位組織。成分:高濃度のピュアなタンパク質、および最高の旨味組織を検出』
『特性:余分な水分と脂肪分を完全に排除することで、燻煙への応答適性が最高値を記録』
『乾燥:細胞の結合を極限まで硬化させることで、常温における無限の保存性を完全に確立』
『加工:専用の刃物を用いた『削り加工』が完全に可能。熱水への溶解効率:極大』
「肉の細胞の全体をね、石や木のように強固に固めるのさ」
「徹底した乾燥と、煙のコーティングの循環を繰り返す」
「そして、完成した結晶を小刀で薄く美しく削り出すんだ」
「その削り節を一片、熱々のお湯の中に落とすだけでね、肉の旨味が爆発的な勢いで水の中に溶解して、世界で最も深い至高の『出汁の液体』が勝手に錬成されるのさ。すべてはただの、合理的な資源の加工の手順さ」
空間に、重苦しい驚愕の沈黙が流れた。
居合わせた全員の動きが、そのあまりにも一歩先を行く壮大なビジョンの前に、カチリと完全に凍りついた。
「……は? 肉を、木みたいに固めて、削り出してスープにするだって?」
数時間後。
港町の最も外れた崖の上、新設された超大型の簡易燻製小屋の内部は、これまでにないほどの激しい熱気と白い煙の対流によって完璧に満たされていた。
ガルドが長年の金属と木工の知識を活かして精密に組み立てた、一分の手戻りもない強固な大型乾燥棚の数々。
風属性の魔法を滑らかに駆動させ、室内の大気の流れを一定の最高速度で循環させ続ける、カタリナやマルセルたちの完璧なサポート。
体内の火属性の魔力を細かく調整し、石窯の内部の温度を常に最適値へと維持し続けるドロテアの魔力制御。
そして、傷口の無菌化と防腐のバランスを厳しく管理し、肉の表面へと精製塩を揉み込んでいくエルフのジェシカ。
誰一人として命令を下されていない。それなのに、ここにはアルフェイドのどの大規模な商会よりも合理的で、一分の無駄もない最高効率の流れが、完璧に駆動していた。
クルザードは厨房の真ん中に立ち、アイテムボックスの空間から取り出したオークの極上赤身肉の全体を、自らの手のひらで滑らかに吊るし上げていった。
「戦闘班、よく聞いてくれ。脂身の組織は一パーセントの残存も許さずに、すべてを削ぎ落として分離させるんだ。脂が残っていると、保存の途中で酸化エラーを起こして全体の品質の流れが濁るからね」
「使用するのは、最高純度の赤身の中心組織だけさ」
「熱と風の流れを一点に収束させ、内部の水分を極限まで完全に抜き去るんだ」
「香木の煙の密度を常に一定の最高値に保ち続ける。これが最も手戻りのない最高効率の処理の手順さ」
彼の放ったその一切の迷いのない差配の言葉に従い、全員の肉体が、まるで一つの生命体のパーツのように完璧に連動して手を動かしていった。
最前線に立つ虎獣人のティグリスが、その立派な虎耳を小刻みに震わせながら、不気味に立ち込める濃厚な白い煙の前に、その鼻をひくつかせた。
「くんくん……すごいね、お前。肉の脂の甘みと、香木の放つ最高に香ばしいスモーキーな匂いが結合して、私の戦士としての全神経が、今すぐ生唾を飲み込めと激しく悲鳴を上げているのさ」
濃厚な白い煙。
じわじわと形を変えていく肉の結晶。
空間を満たす最高の香りが、崖の上から集落の全域へと広く流れ、集まった民たちの食欲を心地よく刺激していた。
数日間にわたる、一分の手戻りもない厳格な温度管理と乾燥のプロセスの連続の後。
ついに、その新技術の結晶が、完璧な姿を現して目の前へと並べられた。
それは、通常の肉の概念を根底から完全にへし折る、驚異的な物質であった。
触れた手触りは、まるで長年乾燥させられた強固な大木の幹か、あるいは迷宮の底から掘り出された黒い岩石のように、カチカチに硬く強固に固まりきっていた。
だが――その表面から漂っている匂いの質は、世界のどの高級食材をも遥かに凌駕して、圧倒的に濃厚で高貴であった。
凝縮された肉本来の持つ深い旨味、そして、煙のコーティングによって引き出された至高の香気。
「……よし、結合状態は最高値だ。切り出しの手順に移るよ」
クルザードは口元に明るく快活な笑みを浮かべたまま、専用の鋭利な小刀を滑らかに握り締め、その硬い肉の結晶の表面に向けて、一秒の無駄もない見事な手際で刃を滑らせた。
シャッ、シャッ、と。
心地よい大地の音が響くたびに、刃の通りに沿って、驚くほど薄く、そして美しく削り出された、純白に透き通るような至高の「肉の薄片(削り節)」が、木皿の上へとハラハラと美しく積み上がっていった。
彼はその削り出されたばかりのオーク節の結晶を一掴みすくい上げると、魔法で沸き騰がらせておいた熱々のお湯の中に、滑らかな動作で静かに落とし入れた。
お湯に触れた、ほんの一瞬。
世界の均衡が破れたかのような、凄まじく濃厚で優しい肉の旨味の香りが、白い湯気と共に一気に部屋の全体へと溢れ出してきた。
居合わせたメンバー全員が、一斉に驚愕のあまりにその顔を上げ、言葉を失って凝視した。
「……おいおい、小僧。一体何をしたんだ。肉をただ湯の中に落としただけだぞ、何だこの胸の奥が締め付けられるような良い匂いは」
最高腕のガルドが、灰色の立派な髭を激しく揺らしながら、掠れた声を漏らした。
肉本来の持つ力強い生命の香り。香木の放つスモーキーな香ばしさ。そして、一切の雑味の濁りのない、極限まで濃縮された至高の旨味の流れ。濃厚でありながら、後味が驚くほど清涼で、一切の重苦しい無駄がどこにも存在しない、完全なる機能美のスープ。
クルザードは木杓子を手に取り、静かにその黄金色の熱水の中に自前の純白の精製海塩を僅かに揉み込むと、静かに目を閉じてその味の本質を脳内で咀嚼した。
「いけるね。物質の溶解効率、100%完璧に最高値を記録しているよ。俺の判断に間違いはないさ」
「ちょっと、待ちなさい! 私にも今すぐその器を貸して頂戴!」
エルフの薬師ジェシカが、自慢の知性溢れる目を輝かせながら、クルザードの手から木椀を強引に奪い取ると、そのスープを上品な所作で一口、口へと運んだ。
そして――彼女の身体は、完全にその場で落雷に打たれたように激しく硬直した。
数秒の重苦しい沈黙の後。
「……嘘でしょ、お前。本当に、ただの肉の塊を乾燥させて削っただけで、水の中からどうしてこれほどまでに全細胞を震わせるような劇的な旨味が湧き上がるんだい?」
「魔法なんかじゃないさ、ジェシカ。すべての資源の持つ本来の価値をね、最も無駄のないルートで濃縮して蓄積させた、ただの合理的な結果だよ」
最前線に立つ虎獣人のティグリスもまた、我慢の限界を迎えたようにその木椀を奪い取ると、琥珀色のスープを一気に喉へと流し込んだ。
一口含んだ瞬間、彼女の黄色い瞳が、驚愕のあまり限界まで丸く見開かれた。
「……あぁ! 意味が分からないよ、お前! 肉の一片も直接口に含んで噛み締めていないのに、私の胃袋の底はね、今完全に最高級の肉を腹一杯に喰らったかのような、物凄い満足感の熱さで満たされているのさ!」
「はは、お前、その感動のあまりに語彙力の数値が最低値まで死んで低下しているよ、ティグリス」
ステファンたちが大笑いしながら彼女の肩を叩く。
「でもね、言いたいことの本質だけは、私たちの全細胞が100%完璧に理解しているわよ!」
全員が、深く、強く頷いた。
目の前にあるこの黄金色のスープの持つ潜在的なポテンシャル。それはただの美味い飯という次元を遥かに置き去りにして、これからの組織の未来の構造を根底から劇的に変える、最強の「変革の武器」そのものであった。
この削り節をほんの一掴み、過酷な街道や迷宮の底へ携行していみなさい。
重い大鍋や大量の食材を無駄に運ぶコストは完全にゼロになり、ただお湯を沸かすだけで、一瞬にして最高値の栄養と満足度を誇る至高の飯が勝手に出来上がるのだ。
これまでのすべての料理、鍋、スープ、そして煮込みの工程の格が、この一枚の薄片によって、天上のものへと劇的に底上げされる。
しかも――驚くほどに軽い。
質量はこれまでの物資の百分の一以下。
常温での無限の長期の維持に耐えうる、強固な保存性。
そして何より、この最果ての集落の、クルザードの手元でしか作ることのできない、完全なる「技術の独占」。
その特性が揃っているからこそ、この食材はただそれだけで、社会の命脈を回すための最強の「富」へと変化するのだ。
「……よし、方針は決まった。この加工資源を、俺たちの手で『オーク節』という名の大規模なブランドとして量産を開始するよ」
大商人のヴァレリアが、最高の利益と時代の変革を確信した素晴らしい笑みを浮かべて口元を不敵に釣り上げた。
「ははは! また、普通の人間の商会の主すら置き去りにするような、最高に頭のおかしい変なものを完成させたわね、お前は!」
「いいや、違うよ、ヴァレリア。これはただの奇抜な新商品ではなく、世界全体の物流の仕組みを、根底から美しく塗り替えるための完璧な一手さ」
その言葉の裏にある圧倒的な合理性の価値を、最初に完全に看破したのは、赤髪の剣士マティルデであった。
彼女は手元の帳簿の数字を見つめながら、ふと何かの因果関係に気づいたように、その美しい目を見開いてハッと息を呑んだ。
「……あ。気づいちゃったわ、クル。お前の言っていることの本当の恐ろしさが」
「気づいたかい、マティルデ。手戻りのない素晴らしい反応速度だね」
「これ、常温で何年も腐らずに維持できる、最高級の出汁の結晶なんでしょう?」
「重量がこれだけ軽いなら、一人の商人が一度に馬車に積んで運べる物資の絶対量は、通常の数百倍に跳ね上がるわ」
「しかも、世界中でこの最高の味を作り出せるのは、崖の上のこの場所だけ。隣国の大商会たちがね、利権を求めて金を積んで降伏の商談を持ちかけにくる、とんでもない最強の交易品になるわよ、これは!」
「当然さ。この技術独占の流れがある限り、俺たちの経済の主導権の防壁は、世界中のどの王国の関税よりも強固に駆動し続けるからね」
クルザードは口元に不敵な笑みを浮かべると、そのままハキハキとした足取りで、新設された広大な漁港の海岸線へと向かって歩みを進めていた。
「流れはまだ止まらないよ。肉の量産ラインが整ったなら、次は、この海に眠る無限の『魚の資源』を使って、全く同じ完璧な変革を駆動させるよ」
「魚でも、同じようにそのカチカチの結晶を作るというのかい?」
「ああ。特に、あの筋肉質で血の巡りの強い『赤身の大型魚(マグロ類)』の個体さ」
漁師たちが、新しく開通した流通ルートを通じて次々に水揚げしてくる、体長一メートルを超える巨大な赤身魚の数々。
通常のアルフェイドの常識であれば、赤身の魚は水分と血の濃度が過剰すぎるため、水揚げされた瞬間に凄まじい速度で傷み始め、ドブに捨てる大損を出すだけの最も扱いにくい「廃棄物」であった。だからこそ、これまでの人間たちは、その日のうちに塩焼きにして無理やり腹へ詰め込むだけの、不効率な消費しか行えていなかった。
だが、クルザードの合理主義的な瞳は、その素材の持つ本当の価値を、最初から完璧に見抜いて陽気に笑声を上げた。
「ほら、見てごらん。この扱いにくいと言われていた素材こそがね、俺の手にかかれば、世界をひっくり返す最高の至高の資源へと劇的に化けるのさ」
そこからの解体のプロセスは、一分の澱みもない最高効率の速度で前進していった。
鑑定のデータに従い、臭みと腐敗の原因となる過剰な血液を、水流の操作によって一滴残らず完璧に抜き去る、徹底した血抜きの工程。
純白の精製海塩を揉み込む、精密な脱水の処理。
香木の煙を均等に対流させる、あの巨大な乾燥棚での燻煙。
そして、体内の風属性の魔力と火属性の魔力を完璧な比率で混合駆動させ、室内の温度と湿度を常に一定の最適値へと維持し続ける、高度な発酵制御の仕組み。
そのすべての最先端の歯車を完璧に組み合わせることで、黒く汚れていた赤身の組織は、数日間の工程の後、眩いばかりにカチカチに硬化し、大理石のように美しい「至高の魚節(鰹節・鮪節)」の結晶へと、その姿を完璧に変貌させていた。
魔法使いのドロテアが、その一分の無駄もない職人のような完璧な手の動きを真横で見つめながら、心底呆れ果てたような溜息を漏らした。
「……はぁ。ちょっと、お前、一介の料理人という名の飯炊きの分際でありながらよ、資源の加工に対してどこまでの執念の魔力を込めて動いているのよ。見ていて本気で背筋が凍りつくわよ」
「すべての生命維持において、美味い飯の安定した確保こそが最も重要な基礎だからね。無駄を無くすための執念なら、俺の合理主義には無限に備わっているよ」
「その、一片の揺らぎもない真顔のトーン、本当に怖いわよ、お前は!」
クルザードは彼女の抗議を快活な笑声で受け流すと、完成したばかりの魚節の結晶を小刀で素早く薄く削り出し、熱々のお湯の中へと滑らかに落とし入れた。
お湯に触れた、ほんの一瞬。
先ほどのオーク節を遥かに凌駕するほどの、瑞々しくも圧倒的に深い「海の旨味の香気」が、広大な調理場の一面へと爆発的な勢いで一気に吹き荒れた。
大海の持つ豊かな塩気。
香木の放つスモーキーな香ばしさ。
そして、一パーセントの雑味の濁りもない、完全なる機能美の出汁の美しさ。
居合わせたメンバー全員が、再びその衝撃の味わいの前に、脳の思考の駆動を一瞬で完全に停止させてカチリと硬直した。
「……え? 待って、これ……何よ……」
虎獣人のティグリスが、椀を握りしめたまま、黄色い瞳を激しく動かして混乱の声を漏らした。
「肉のスープとは、根本からすべて匂いの格が違っているわ。口に含んだ瞬間にね、あまりの美味さと優しさに、脳の全神経が麻痺して頭がおかしくなりそうだよ……!」
エルフのジェシカもまた、その黄金色の液体を一口含んだ瞬間、心底感服したような深い感嘆の溜息を漏らした。
「……確実だね、お前。この一枚の薄片が市場へ流れ出してみなさい。アルフェイドにあるすべての飯屋や商会の出す料理の歴史はね、今日この瞬間をもって、完全に根底から塗り替えられて終わりを迎えるわよ……」
「ああ、変わるさ。料理が変わり、街の構造が変わり、最終的には世界全体の富の流れが、勝手にこちらへと集束してくるからね。さあ、最善の一手を動かそうか」
クルザードは口元に不敵な笑みを浮かべると、完成したばかりの大規模なオーク節と魚節の物資を前にして、ハキハキとした明晰な声で、次なる全体の「振り分け」の指示を下した。
「今すぐ、この量産されたすべての節の第一陣をね、村の中にあるすべての料理屋や、集まった民たちの卓に向けて、一パーセントの代金も取らずに『無料』で片っ端から配り配給するんだ」
空間に、再びカチリと冷たい静寂が流れた。
大商人のヴァレリアが、その信じられない大損を自ら進んで下すような言葉を聞くや否や、驚愕のあまりに身を乗り出して叫んだ。
「無料だと!? お前、正気なの、クル! これほどの世界の歴史をひっくり返すだけの凄まじい価値を持った至高の資源を、ただのタダで他人に分け与えるなんて、それこそ最も非効率な大損じゃない!」
「いいや、違うよ、ヴァレリア。目先の金貨を回収することだけが、商業の計算のすべてではないからね。これこそがね、最も確実に最強の主導権を掌握するための、最高効率の先行投資さ」
クルザードは真顔だった。一片の揺らぎもない冷徹なまでの確信の光がそこにあった。
「まずはね、この至高の旨味の味を、街のすべての民の胃袋に骨の髄まで完璧に覚え込ませて『広める』のさ」
「一度この圧倒的な美味しさを知ってしまった人間の肉体はね、これまでの古い粗悪な黒パンや泥水のような食事の環境には、二度と不効率に逆戻りすることはできなくなるからね」
「彼らの味覚のシステムを、俺の放ったこの出汁の味に100%完璧に『依存』させるのさ」
「戻れなくしたその後でね、この技術独占の流通の門を掌握し、彼らの手元から莫大な富の流れを、無条件で最高効率で回収して支配するのさ。すべてはただの、完璧に計算され尽くした合理の流れさ」
居合わせた全員が、そのあまりにも一片の感情論も含まれていない冷徹なまでの大局のビジョンを聞くと、畏敬の念を通り越して、背筋が粟立つほどの圧倒的な迫力に圧されて沈黙した。
まず味を覚えさせ、居場所の快適さで人間の本能を芯から縛り付け、自らの意思でここに留まらせる。武力や脅迫など、最初から一パーセントも必要ない。ただ圧倒的な「生きやすさと合理性」を提供するだけで、世界は勝手にこちらの手元へと流れてくる。
数日間の後。
クルザードの放ったその冷徹な一手により、港町アルフェイドの古い経済の歯車は、文字通り一瞬にして完全に破壊されて狂乱の渦へと巻き込まれることとなった。
「おい、何なんだよ、このスープの圧倒的な美味さは……!」
「肉の一片も入っていないっていうのによ、椀を一口啜った瞬間に、身体の底から物凄い活力が湧き上がってくるぞ!」
「魚の生臭さが跡形もなく消え去っている! 嘘だろ、これ!」
「意味が分からない! こんな奇跡のような飯が、本当に毎日タダ同然で食えるなんて、夢でも見ているんじゃないか!」
新設された巨大な料理屋の前には、朝から晩まで、街道を通るだけの予定だった一般の商隊までが荷馬車を止めて押し寄せ、敷地を埋め尽くすほどの凄まじい行列がどこまでも長く伸び続けていた。
それだけでなく、街の中心部にある既存の安い酒場や、貧しい流民たちのパン屋にいたるまでが、クルザードの配ったその「魔法の薄片」を率先してスープのベースとして導入し始め、街全体の食文化の格が、一瞬にして爆発的な勢いで天上のものへと引き上げられていった。
オーク節。魚節。
その2つの至高の出汁素材の価値は、完全に街の全域へと広く深く染み渡り、彼らの生活の基盤として定着し尽くしていた。
しかも――その真の価値が発揮されたのは、単に美味いからという理由だけではなかった。
「常温で何年も腐らず、重量が驚くほどに軽い」という、その圧倒的な防壁の利便性が、命がけで迷宮の深層へと挑む冒険者たちの間で、爆発的なまでの狂乱の需要を引き起こしたからだ。
「おい、見ろよ、このオーク節の塊を! これほど強固に固まっていれば、遠征の荷物の重量を一パーセントも増やすことなく、最高級の携行食としてどこまででも運べるぞ!」
「ダンジョンの底の過酷な環境であってもな、ただお湯を沸かしてこれを削り落とすだけで、一瞬にして全細胞の疲労を修復する最高の栄養鍋が勝手に出来上がるんだ!」
「これがあれば、重い物資や荷物持ちを無駄に雇うコストは完全にゼロになる! 鍋の薄片だけで、俺たちは何日でも深層の戦場で戦い続けられるのさ!」
冒険者たちが、その奇跡のような利便性の前に目をギラギラと輝かせて群がり、自らの意思でその権利を求めて崖の上へと殺到していった。
彼らの一一手によって、ダンジョンの攻略戦術そのものの駆動効率が、根底から劇的に塗り替えられていく。
つまり――人が集まるのだ。
腕利きの最高位の冒険者。
富の流れの本質を察知した、目の高い商人。
新たなインフラの量産を支える、本物の職人。
そして、その味の噂を聞きつけて最果てを目指してきた、高名な料理人たちの姿にいたるまで。
立場も種族も全く異なるあらゆる人々が、自らの意思で怒涛の勢いでここへ向けて流れ込み、彼らが新しく築き上げつつある街の規模は、分単位で広く拡張され続けていた。
夜。
中央の広場の真ん中では、薄暗い暗闇を押し返すような巨大な石鍋が灯され、いつものように温かい湯気が盛大に空へと昇り続けていた。
熟成された最高の味噌。
今日量産されたばかりの、あの至高の魚節とオーク節の混合出汁。
豊かな海藻。農地から収穫されたばかりの新鮮な山の野菜。
そして、完璧な血抜きの手順を踏んで火を通された、魔物の極上肉の数々。
石鍋から立ち上る白い湯気と香りが、冬の冷たい夜空を完全に圧し戻して、広場全体を暖かく支配していた。
用意された純木製のカウンターテーブルの真ん中では、栄養状態が劇的に改善され、頬に健康的な赤みをまとった小さな子供たちが、白いパンを美味しそうに頬張りながら、心からの温かい笑顔を浮かべて大声を上げて笑い合っていた。
「お代わり! クルの作ったこのスープ、世界で一番大好き!」
「はは、慌てる必要はないさ。君たちの胃袋を満たすだけの量は、倉庫の底に无限に蓄えられているからね。しっかり食って、明日も元気な笑顔を見せてくれよ」
クルザードは口元に明るく快活な笑みを浮かべ、一分の無駄もない滑らかな手際で子供たちの木椀へとスープを均等によそいながら、気さくに答えた。
ほんの数ヶ月前までのこの場所の現実を考えれば、これは到底現実とは思えないほどの、奇跡のような幸福な光景であった。
通常の地方の村であれば、冬の極寒の時期は物資の移動が完全に停止し、深刻な飢えと食料難によって、無辜の子供たちが日々病気に倒れて命を落としていくのが、この世界の残酷な常識の数式だった。
しかし、ここの空間においては、その最悪の不効率な澱みは、ただの一パーセントも発生してはいない。
回復士のデニーゼが、温かい木椀を両手で包み込みながら、一人の医療の調停役としての確固たる事実を静かに口にした。
「……本当に、素晴らしい変化ね、クル。ここの集落の子供たちの栄養状態の数値を測定したけれどね、過去の最悪な時期に比べて、劇的なまでの改善を記録しているわ」
「不衛生や寒さによる無駄な病気の発症率もね、一瞬にして完全にゼロに抑え込まれている。お前が毎朝作り続けている、この内側から肉体を温め尽くす最高の飯の効果が、全細胞の防壁として完璧に効いている証拠よ」
「当然さ、デニーゼ。食料の安定した確保と管理こそが、すべての生命を維持するための最も重要な基礎だからね」
クルザードは当然の事実を告げるように、ハキハキとした明晰な声で続けた。
「すべての物事の始まりの歯車はね、ここから最も正しい最高効率の速度で回り始めるのさ。土台が歪んでいれば、その先にあるいかなる巨大な都市計画であっても、一瞬で内側から澱んで腐って崩壊するからね」
最前線に立つ虎獣人のティグリスが、高温の蒸気調理によって驚くほど柔らかく仕上げられた、オークの巨大肉の塊を口いっぱいに頬張りながら、口元を不敵に釣り上げて愉快そうに笑った。
「がははは! おい、お前。一介の元荷物持ちの分際でありながらよ、お前のその徹底した資源の管理の手際、日を追うごとに毎日恐ろしい勢いでどんどんヤバい方向へと進化し続けているんじゃないかい?」
「いいや、違うよ、ティグリス。俺はただ、手に入った豊かな富の流れを、最も無駄のないルートへと向けて完璧に整えているだけだよ。明日の全員の作業能率を最高値に維持するための、ただの『強くなっている(最適化)』のプロセスさ」
「がははは! その人を恐怖の底に叩き落としておいて『最適化』って平然と言ってのけるトーン、本気で同じ意味だよ、お前!」
ティグリスの爆笑の声が響き、彼らの絆の歯車は、さらに強固に噛み合って回り始めていった。
この最果ての海岸線の集落は、人間の古い常識を置き去りにして、もう単なる港町や繁盛店の規模などでは、完全になくなっていた。
質量を完全に無視した、圧倒的な空間輸送(物流)の掌握。
常温での無限の維持に耐えうる、高度な保存技術の確立。
徹底された最高値の無菌化の衛生管理。
各自の才能を最高値に発揮させる、完璧な役割の振り分け。
そして、すべての土台たる、美味い塩、至高の海藻出汁、ふんわりとした発酵パン、奇跡の酒、そして最高の味噌・醤油とこのオーク節の駆動。
そのすべてのインフラの歯車が、一分の手戻りもなく一本の流れで噛み合って回り続けているからこそ、この場所には無限の富と食料の「余剰」が勝手に生み出され、どこよりも強固な絶対的な防壁として駆動し続けているのだ。人が集まり、決して離れようとはしなくなる本当の理由が、そこにはあった。
赤髪の剣士マティルデが、木椀を見つめながら、畏敬の念すら孕んだ複雑な苦笑を浮かべて小さく呟いた。
「……本当に、底の知れない恐ろしい男ね、お前は。ただの一介の元荷物持ちの『判断』からね、これほど巨大な社会の仕組みが勝手に形成されていくなんて……。国家という名の巨大な国って、こうやって最初の一歩から完璧に出来上がっていくものなのね」
クルザードは大きな木べらを止め、少しの間だけ、揺れる赤い暖炉の火を見つめて思考を巡らせた。
そして、彼はいつもと変わらない、ハキハキとした陽気な声で一言だけ告げた。
「ああ、分かっているさ。すべての不効率を駆逐するための、まずは『美味い飯の安定的配給』がすべての第一歩さ」
彼のその放った一片の揺らぎもない確信に満ちた言葉の重みの前に、居合わせた誰もが、言葉を返すことすらできずに深く感服して頷くしかなかった。
料理屋の換気窓の外からは、未だに香ばしい燻製と鍋の放つ、豊かな白い湯気が、冬の冷たい夜空に向けて静かに、しかしどこまでも高く真っ直ぐに昇り続けていく。
その香りは、海風に乗って最果ての海岸線からアルフェイドの全域へと広く流れ、それを辿るようにして、今夜も暗闇の街道の向こう側から、無数の新しい旅人や職人、冒険者たちが、自らの意思で怒涛の勢いでここへ向けて流れてきていた。
人間の本能が最も激しく欲する絶対的な「快適さと生きやすさの軸」。それさえこの場所に完璧に整えておけば、人間の心の流れは、古い世界の不条理や関税の仕組みを完全に置き去りにして、明日への生存の予測と共に、すべてが新しく生まれるこの巨大な最強の国の真ん中へと、完璧な速度で勝手に流れ込んでくるのだ。
深夜の帳が下りてなお、海岸線の巨大な料理屋の前には、冷たい冬の夜空を暖かく押し返すような、これまでにないほどに新しく、そして最も長い一本の輝く行列が、完璧な流れを伴って美しく出来上がりつつあった。




