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飯が美味すぎて、気づけば世界を支配していた。 ~無限魔力の料理人、物流と教育で最強国家を作る~  作者: 慈架太子


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21/43

21:酒

酵母成功。


夜の港町アルフェイドは、数ヶ月前には想像すらできなかったほど、圧倒的な光を湛えて明るく輝いていた。

凍てつくような冷たい海風が石畳を撫でていくが、その冷気を完全に圧し戻すようにして、崖の上の集落全体からは瑞々しい命の湯気が盛大に立ち上っている。直火でこんがりと焼き上げられる新鮮な海魚の香ばしい匂い、そして、至る所から響き渡る人間の心からの暖かな声。


新設された巨大な料理屋の前には、夜の帳が深く下りてなお、我先にと押し寄せてきた無数の人々による、驚異的に長い一本の行列がどこまでも美しく出来上がっていた。


命がけで迷宮の深層へ挑む熟練の冒険者。

海からの無限の富を水揚げする屈強な漁師。

新たなインフラの建築を支えるために集まった流れの職人。

自らの意思でこの集落への所属を熱望する大量の移住希望者。

迫害の歴史を乗り越えて安息の地を得た、気高き獣人の一族。

世界の調和を象徴する、知性溢れるエルフたち。

そして、かつては略奪を仕掛け、今やこの場所の強固な労働力として完璧に機能している、あの元盗賊の男たちの姿。


本来であれば互いに憎み合い、殺し合うはずの異なる立場や肩書きが、ここでは一つの大きな組織の歯車として、完全に、そして美しく混ざり合い始めていた。

これほど血気盛んな荒くれ者が密集していながら、理不尽な喧嘩や流血の不効率は、ただの一パーセントも発生してはいない。


理由は、これ以上ないほどに単純明快であった。

全細胞の胃袋が、どこよりも完璧に腹一杯に満たされている。

肉体の疲労を完璧に解きほぐす、天国のようなお風呂がある。

自らの才能を最高値に発揮して対価を得られる、淀みのない仕事の振り分けがある。

冬の極寒を完全にシャットアウトする、最高の温かい寝床がある。

そして何より――この場所に集まったすべての者の心の中に、明日の生存への確実な予測、すなわち揺るぎない“明日”が完璧に存在しているからだ。


クルザードは、料理屋の広大な厨房の裏手に整然と並べられた、いくつかの巨大な木樽の前に静かに佇んでいた。

彼の明るく陽気な瞳は、厳重に密閉された樽の構造、内部の適正な温度、発酵を維持するための完璧な湿度、そして隙間から微かに漏れ出る香気の数値へと、真っ直ぐに向けられている。無駄のない、徹底した一秒ごとの資源の確認。


エルフの薬師ジェシカが、上品に腕を組んで銀髪をしならせながら、彼の真横でその作業を鋭く覗き込んできた。


「……お前、本当にこの最果ての地で、そんな未知の加工の手順を完遂させるつもりかい?」


「ああ、当然さ。すべては論理的な計算の通りに駆動しているからね。今夜、最高効率の成果をここへ引き戻すよ」


クルザードは口元に明るく快活な笑みを浮かべ、気さくな口調でありながら、ハキハキとした明晰な声で答えた。


「はは、簡単に言ってくれるけれどね。微細な生物のコントロールを誤って失敗してみなさい。中に最悪の有害菌が繁殖して、飲んだ人間の内臓を一瞬で引き裂いて腹を激しく壊すだけの大損を出すわよ」


「だからこそ、こうして一分の狂いもなく全体の数値を厳密に確認しているのさ。俺の判断の計算に、不確実な手戻りは最初から存在しないからね」


クルザードは滑らかな手際で、密閉されていた巨大な木樽の蓋を静かに開け放った。

その瞬間、空間全体の空気が、劇的な変革を遂げて一気に書き換わった。


ふわり、と廃屋の裏手全体へと溢れ出してきた、胸の奥が締め付けられるほどに瑞々しく、甘やかな香り。

果実の持つ高純度な糖分の酸味、そして、発酵のプロセスによって極限まで洗練された、芳醇で高貴な発酵の匂い。

ティグリスの頭頂部にある立派な虎耳が、その初めて嗅ぐ異質な香気への驚きによって、ピクリと敏感に跳ね動いた。


「……おいおい、何だい、この頭が芯から蕩けてしまいそうな面白くて最高の匂いは」


「ふん、これは……紛れもなく『酒』の匂いだな!」

ドワーフのガルドが、その分厚い両目を驚愕に限界まで見開きながら、地鳴りのような大きな声を張り上げた。


「いいや、ガルド。まだ完全に結合が完了していない、処理の途中の段階さ」


クルザードは長年使い込んできた木杓子を手に取ると、樽の奥深くから、琥珀色に美しく輝く液体を滑らかにすくい上げた。

液体の表面で、パチパチと繊細に弾け続ける無数の細かな白い泡。二酸化炭素の発生。

微細な生物たちが、今この瞬間にも、樽の内部で最高効率の生命活動を活発に維持して生きている証拠だった。

彼の視線が固定された瞬間、瞳の奥で「鑑定」のシステムが鮮烈に起動し、脳内へ直接データを流し込んできた。


『対象:醸造液体。状態:野生酵母の完全なる定着による、至高の糖分分解反応を捕捉』

『解析:内部における発酵効率:最高値。アルコールの生成質量が適正値に到達』

『効果:物質の変質に伴う、長期の保存性の劇的な向上。アミノ酸の栄養変化を確認』

『結論:雑菌の侵入を100%完全に遮断。世界に一つだけの至高の醸造酒の錬成に成功』


(素晴らしいな……。かつては脳を苦しめるだけの足枷だったこの力が、今や物質のすべての因果関係を完璧に繋いで教えてくれる)


以前は意味不明な濁流として彼を襲ったあの膨大な情報。しかし、現在の彼の頭脳は、それらのデータを完全に一本の線として理解し、状況の流れを決めるための最強の武器として掌握していた。


クルザードは木杓子を見つめながら、小さく、満足げに息を吐き出した。

「……流れは完璧だ。酵母の定着、100%完全に成功しているよ」


エルフのジェシカが、その完璧な結果を前にして、驚きのあまりその美しい目を見開いた。

「……嘘でしょ。お前、本当に肉眼では決して捉えられないはずの、あの微細な菌の蠢きの動きが、その正確な数値としてすべて見えているというのかい?」


「ああ、見えているさ。菌たちが今、どのルートで糖分を食い、どれほどの速度で増殖のプロセスを駆動させているのか。そのすべてが論理的な数式として頭の中に流れ込んでいるからね」


「相変わらず、人間離れしていて意味の分からん恐ろしい男だな、お前は!」

最高腕のガルドが、自慢の鉄槌を床に叩きつけるように置きながら、心底感服したような豪快な大笑いを炸裂させた。

「だが、俺は確信したぜ! お前のその徹底的な合理の判断、俺は本気でどこまでも大好きだ!」


クルザードは陽気に笑声を上げると、静かに木樽の表面へと手をかざした。

始まりは、ただの偶然のプロセスの看破だった。

あの白い発酵パンを量産する工程で培った、酵母の増殖のデータ。

生地が内側からふんわりと膨らみ、最高の香気を放つその現象。

そこから彼の合理主義的な頭脳は、目に見えない小さな生き物たちが、世界の資源の維持と加工において、どれほど決定的な役割を果たしているのかを完全に看破したのだ。

発酵。

長期の保存技術の確立。

そして、人間の本能を芯から支配する「至高の酒」の創造。

この4つの歯車を完全に組み合わせることこそが、やがて不条理な世界の構造を根底から塗り替え、自らの国をどこよりも強固にするための、最大の鍵へと変化する。


大商人のヴァレリアが、カウンターの奥からしなやかな動作で歩み寄ってくると、その鋭い商人の目でクルザードを見つめた。


「ねぇ、クル。一人の管理者の冷徹な計算として教えて頂戴。この新しく完成した至高の酒のシステム、私たちの組織にどれほどの規模の富をもたらすかしら?」


「かなり大規模な、圧倒的な黒字の利権に化けるよ。一パーセントの赤字も出さずにね」

クルザードは口元に不敵な笑みを浮かべたまま、ハキハキとした明晰な声で即答した。


「酒という資源はね、肉や魚に比べて、遥かに長期間の常温保存に耐えうる最高の物質だからね」

「質量が安定しているから、どんな過酷な街道であっても、アイテムボックスを使わずとも安全に外へと運べる」

「経年劣化によって価値が落ちるどころか、時間と共にその資産の格は跳ね上がり続ける」

「つまり、これがあれば将来的に、隣国との交易における絶対的な『税の主導権』を完全に掌握できる」

「美味い酒があるというただそれだけの事実が、世界中からさらに多くの優秀な人間を、ここへ向けて勝手に流し出す最強の誘因になるのさ」


ヴァレリアは、その非の打ち所がない完璧な経済の構造の看破を聞くや否や、最高の利益を確信した素晴らしい笑みを浮かべた。

「ははは! 最高じゃない、お前! 本当に言っていることの規模が、一国の財務大臣を遥かに置き去りにして恐ろしいわ!」


彼女は大商人の本能で、完全に理解していた。

美味い酒場が新設される場所には、人間の本能の流れが勝手に集まる。

人が集まれば、そこに新しい大規模な物流のインフラが勝手に形成される。

物流の流れが太くなれば、それは一瞬にして巨万の金へと姿を変え――

そして、その金の質量こそが、やがて古い王国の不条理な権力を根底からへし折るための、最強の「防壁の力」へと昇華するのだ。すべては一本の明確な因果関係の線として繋がっていた。


クルザードは、自らの魔法で錬成した小さな純木製の杯へと、樽の中の液体を滑らかに注ぎ入れた。

白い湯気の中に現れたのは、一切の濁りもない、透き通るような美しい淡い琥珀色の輝き。

表面でパチパチと美しく踊り続ける神秘的な泡、そして、極上の果実と上質な麦の風味が完璧に融合した、脳を直接震わせるような至高の香気。


ティグリスが、待ちきれずにその肉厚な顔を杯のすぐ近くまで寄せ、黄色い瞳を輝かせた。

「……おい、お前。そいつは本当に、今すぐ人間の喉に流し込んでも何の問題もない代物なのかい?」


「ああ、確実さ。俺の目には完全な安全の数値しか浮かんでいないからね。美味いから心配いらないさ」


「でも、万が一という不確実な歪みがあったら危ないわ。誰か一人、最も頑強な肉体を持った個体を、最初の実験台の役割として振り分けるのが合理的ね」

ドミニクが、口元に快活な笑みを浮かべて全員の顔を見渡した。


居合わせた全員の視線が、一瞬にして、一点の淀みもなくドワーフのガルドの顔面へと集中した。


「おい……!」

ガルドが、灰色の立派な髭を激しく逆立てながら、不機嫌そうな声を張り上げた。

「お前ら、なんでそんな最悪の実験台の役割を、一秒の迷いもなくこの俺に振り分けやがるんだ!」


「簡単な話さ、ガルド。君のそのドワーフ特有の肉体構造は、体内の毒素の分解速度が通常の間の数倍を軽く超えて、最も『頑強で壊れにくいから』だよ。最も手戻りのない最高効率の判断さ」


クルザードは気さくに笑いながら、琥珀色の杯をガルドの手元へと滑らかに差し出した。


「クソッ、全くもって完璧に正しい理屈だから、納得がいかねぇのが本当に腹立たしいぜ!」

ガルドは盛大に文句を叩き散らしながらも、差し出された杯を分厚い手で力強く掴み取ると、自慢の喉に向けて、ぐびり、と一気に豪快に流し込んだ。


一瞬。

浴場の熱気すら置き去りにするような、完全なる静寂が部屋を満たした。

ガルドの肉体は、完全にその場で彫像のようにピタリと硬直していた。

全員が、息を呑んで彼の表情の数値を凝視する。

数秒の後――ガルドの岩石のような分厚い顔面が、一瞬にして林檎のように真っ赤に変色し、その瞳に見たこともないほどの激しい感動の光が宿った。


「……う、うめぇ。美味すぎるよ、何なんだよ、これは……!」


静かな絶叫の震え声。次の瞬間、廃屋の裏手には、天を衝くほどの物凄い大歓声と拍手の渦が巻き起こった。


「よし、私の順番だ! 今すぐその杯をこちらへ回しなさい、小僧!」

ティグリスが待ちきれずにガルドの手から杯を力ずくで奪い取ると、琥珀色の液体をその口元へと滑らかに運んだ。

一口、噛み締めるようにして飲み込む。

その瞬間、彼女は黄色い目を劇的に丸くして動きを止めた。


「……信じられない。口当たりが驚くほどに甘い。なのに、喉を通った瞬間に、全細胞を内側から焼き尽くすような強烈な熱さが、体中を劇的な活力で満たしていくわ……!」


エルフのジェシカもまた、上品な所作でその液体を口に含んだ瞬間、驚愕のあまりに美しい銀髪を激しく揺らした。

「……なんて圧倒的な香気の高さかしら。この街に出回っているあの泥水のような粗悪品と違って、舌を刺すような不快な雑味が、ただの一パーセントも残っていないわ」

「お前、本当にこれを、ただの一回目の試行の手順で完璧に完成させたというのかい?」


「ああ、当然さ。俺の計算に手戻りはないからね」

クルザードは当然の事実を告げるように、ハキハキとした明晰な声で答えた。


「ベースとなる地下水の純度を、俺の魔法で極限まで高めておいたからね」

「さらに、不純物を完全に排除したあの純白の岩塩の成分を僅かに噛み合わせる」

「そして最後の仕上げとして、新しくマスターした光属性の魔法《ピュリフィケーション(完全浄化)》を駆動させて、液体の中に侵入しようとする有害な雑菌や濁りの要素を、一瞬のもとに完全に消去し続けたからね」

「管理、温度、そして発酵のプロセスの完全なる制御。すべての事象を最高効率の合理性で整えておけば、結果は常に最高値として返ってくるのさ」


ドミニクが、彼のその一片の驕りもない完璧な解説を聞くや否や、口元を緩めて小さく快活に笑った。

「あはは! また、いつものお前の大好きな病気が始まったわね、クル」


「何がだい、ドミニク。割り当ての手順に、何か非効率な澱みでも生じているかい?」


「ううん、完璧に正しいわ。そうじゃなくて、お前のそのやり方ね、力ずくの武器で脅すんじゃなくて、圧倒的な『快適さと美味さ』で世界の常識を一瞬で叩き潰して殴り倒すやつよ」


クルザードは彼女の独特な表現を陽気な笑声で受け流しながらも、その言葉の本質を静かに肯定していた。

彼は、誰よりも深く知っていた。

真に強固な最強の国家とは。

他国を圧倒する剣の力が突出して強い国ではない。

「そこに集まったすべての人間が、心からこの場所に住み続けたいと思う、圧倒的に生きやすい国」のことなのだ。ただそれだけの絶対的な合理の軸を中心に据えれば、世界の構造は勝手にこちらの手元へと流れてくる。


その日の夜。

新設された巨大な木造の料理屋の内部は、これまでの歴史において、かつてないほどの異常なまでの狂乱の盛り上がりと熱気に包まれることとなった。


「おい、聞いたか! クルの奴が、今度は世界で一番美味い最高の新酒を完成させたぞ!」

「防壁の奥のカウンターに並んでる、あの琥珀色に輝く奇跡の液体を今すぐ俺の椀にも注いでくれ!」

「慌てるな、全員一列になって順番に真っ直ぐ並ぶんだ! それがクルの鉄のルールだからな!」


流入する人間の数は、日を追うごとに爆発的な勢いで跳ね上がり続けていた。

至る所から響き渡る、地鳴りのような人間の温かい笑い声。

大鍋から立ち上る、濃厚な海藻出汁の豊かな湯気。

直火で完璧に焼き上げられた、肉厚の海の魚や貝類の香ばしい香り。

完璧な脱水処理を施された極上の燻製肉。

そして、新技術によってもたらされた、あのふんわりと柔らかい白い発酵パンの山。

それらすべての至高の飯の真ん中に、新しく完成したあの「至高の酒」の質量が、完璧な流れを伴って噛み合わさっていた。空間の格が、天上のものへと昇華していく最高の瞬間。


虎の獣人のティグリスは、その強靭な前衛戦士としての圧倒的な肉体を誇りながらも、どうやらアルコールの分解能力の数値だけは、致命的なまでに低く弱かったようだった。


「……うぅ、頭の芯が……ふにゃふにゃになって、上手く身体のバネが動かないよ、お前……」


「顔色がいつも以上に真っ赤に変色しているね、ティグリス。体内の血糖値のバランスが不自然に揺らいでいるよ」


「うるさいよ、小僧……! 戦士に向かって、そんな冷徹な数値を平然と突きつけるんじゃない……」

彼女は自慢の長槍にしがみつきながらも、その立派な虎の耳をペタンと横へと伏せ、自らの意思を無視して激しく左右へと揺れ動く虎の尻尾を必死に押さえつけていた。完全なる、愛らしい酩酊の状態。


ドミニクが、その彼女の普段の獰猛さからは想像もつかない姿を見て、堪えきれずに大声を上げて笑った。

「あははは! 凄いわ、ティグリス、いつもあんなに怖いのに、お酒が入ると驚くほどに可愛いじゃない!」


「噛むぞ、ドミニク……! 本当に、一撃でその細腕を根元から噛みちぎって泥に沈めてあげるからね……!」


「はいはい、怖く面ないから大人しくスープを飲んで温まりなさい」


ステファンたちが大笑いしながら彼女の木椀に温かい飯をよそっていく。

一方、最高腕のドワーフ鍛冶師ガルドは、すでに周囲の元盗賊たちの卓の真ん中に堂々と陣取り、豪快に樽酒を煽りながら大騒ぎの歓喜の声を張り上げていた。


「がははは! 酒だ! 世界一の最高のお代わりを、今すぐこのガルド様の椀に並々と注ぎ込めぇ!」


「おうよ、ガルドの旦那! 俺たちの分も一緒に、今夜は朝まで徹底的に飲み明かそうじゃないか!」


数週間前までの彼らの現実は、全く異なっていた。

このアルフェイドの暗い路地裏で、生き残るために互いに剥き出しの暴力を振るい、殺し合う側と、奪われて死ぬ側の残酷な数式の中にいたはずの人間たち。

それが今、クルザードの作ったこの強固な料理屋の暖かな灯りの真ん中で、同じ純木製のテーブルを囲み、同じ美味い飯を食い、同じ最高の酒を酌み交わしながら、心からの笑顔を浮かべて肩を組んで笑い合っている。


不条理な世界の呪いや憎しみなど、彼の放ったこの圧倒的な「食と酒」の合理性の前には、一瞬にして綺麗さっぱり中和されて消え去るだけの、ただの些細な雑音に過ぎなかった。


クルザードは厨房の真ん中に立ち、その彼らが笑顔を取り戻していく全ての心理の流れを、瞳の奥で静かに、そして冷徹に観察し続けていた。

彼の視線が固定された瞬間、脳内の鑑定の数値情報が、集落全体の構造の急激な進化を、完璧な一本の線として弾き出し続けた。


『環境:集落全体の定住率:過去最高値を更新。離脱率:完全なるゼロを記録』

『状態:外部からの理不尽な暴動リスクの完全中和。治安環境の劇的な改善を確認』

『心理:集団全体の幸福度の数値が爆発的に上昇。肉体の疲労回復効率:最高値』

『物流:岩塩、海魚、海藻出汁、発酵パンの流通速度が完全に一定化』

『結論:単なる集落の枠を置き去りにして、強固な自給自足の『都市国家』としての絶対的な防壁が形成されつつあると判明』


感情論の不確実な理屈ではない。

彼の目には、この場所が今、どれほど劇的な速度で強くなり、世界のどの王国のインフラをも凌駕する最強の拠点へと進化しつつあるのかが、数値の更新として完璧に理解できていた。


そして――彼自身の肉体の奥底、広大な魔力の源泉のさらに奥深くにおいて、これまでにないほどに激しく、無機質な世界の因果の響きが、脳内へとクリアに鳴り響いた。


『――個体名:クルザード。物質の加工、および組織の差配能率が限界値を突破。全体のシステムレベルの大幅な上昇を確認――』

『新スキルの獲得を感知:【発酵理解】、【微細制御】、および【浄化精度上昇】の各コマンドが完全に駆動開始――』


クルザードは痛む頭を押さえながらも、静かにその目を閉じて、体内に新しく流れ込んできた魔力の対流の感覚を確かめた。

魔力。

熱。

水。

そして、物質のすべての繋ぎ目の流れの掌握。

以前であれば、自分の意思を無視して暴走寸前に溢れ出していたあの過剰なエネルギーの質量が、現在の彼の精密な脳内の計算によって、驚くほど滑らかに、そして一分の澱みもなく最適なルートへと向けて、完璧に制御され始めていた。

未だ細かい調整に僅かな手戻りは残るものの、己の肉体と能力の完全なる適応は、確実に、そして圧倒的な速度で前進を続けていた。


まさにその時、帳簿の数字の整理を終えた大商人のヴァレリアが、滑らかな動作で彼の真横へと並び、その鋭い目を向けた。


「クル。一人の管理者の冷徹な視線として言わせてもらうけれど、この新しく完成したお前の酒ね、近いうちに周辺のすべての国や大商会たちが、自慢の軍隊を動かしてでも力ずくで権利を欲しがって押し寄せてくるわよ」


「ああ、分かっているさ。彼らの強欲な本能の動きは、いつだって計算しやすいからね」


「それで、資源の管理者として、お前は次の一手のどんな『判断』の流れを決めるつもり?」


「簡単な話さ。外部からの不条理な干渉に対してはね、この至高の醸造技術のラインを、一パーセントも簡単には外へと流し出さないことだよ」

クルザードは口元に不敵な笑みを浮かべ、ハキハキとした声で答えた。


「他国への技術の完全なる独占、かい?」

ヴァレリアがニヤリと笑う。


「ああ、その通りさ。外への流通の門を開くよりも前にね、まずはこの手に入った最高の利益のすべてを組織の内部へと注ぎ込み、俺たちのこの集落全体の基盤を、何倍にもぶ厚く太らせて固めることこそが、最も手戻りのない最高効率の判断だからね」


新しく開通させる、強固な舗装道路。

無限の資源を交易するための、大規模な港の建築。

物資を腐らせずに長期間維持するための、高度な冷蔵保存の仕組み。

そして、すべての土台たる美味い塩、至高の海藻出汁、ふんわりとした発酵パン、そしてこの奇跡の酒の量産体制の完全なるシステム化。

これらすべての歯車が、この崖の上から海岸線にいたるまでの敷地の中で完璧に噛み合って回り始める。

そうすれば、この場所に集まった無数の民たちは、古い街の権力や不条理を置き去りにして、二度とこの場所から離れることはできなくなる。完全なる、主導権の掌握の流れ。


虎獣人のティグリスが、お酒の熱さで真っ赤に染まった顔を僅かに上げ、その黄色い瞳でクルザードの姿をじっと見つめた。


「……おい、お前。普通の荷物持ちの分際でありながらよ、お前一体……どこまでの未来の図面をその頭の中で組み立てて、そんな飯を作っているんだい?」


クルザードは大きな木べらを手に持ち直すと、窓の外に広がる、月明かりを美しく反射してきらきらと輝く広大な海、そして店内で笑い合う無数の民たちの姿を静かに見つめ、ハキハキと言い放った。


「本格的な冬の極寒の時期であっても、誰一人として腹を空かせて餓死することがない場所」

「ずさんな不衛生や環境の悪化によって、無駄に病気で命を落とす澱みのない場所」

「次の時代を担う子供たちが、明日の生存を完璧に確信して、毎日心からの笑顔を浮かべて笑える場所」

「そして、行く宛を失って傷ついたどんな人間であっても、自らの才能を最高値に発揮して真面目に働ける、最高の安心の場所」

「……ただそれだけの、世界で最も無駄のない合理的な『最高の居場所』を、この俺の手で完璧に作り上げるだけさ」


ティグリスは彼のその一片の揺らぎもない、大局の先を見据えた言葉を聞くと、深く息を吐き出し、それから――濡れた黒髪をしならせながら、小さく、心底愛おしそうに口元を緩めて笑った。


「……がははは! お前が平然と言ってのけるその『最高の居場所』ね、それはもうただの料理屋の次元を遥かに置き去りにして、世界で一番強固な最強の『国家』そのものの誕生の姿だよ、お前」


クルザードは彼女の言葉に直接は答えなかった。

でも――その明るい瞳の奥に宿る、世界のすべての不効率を駆逐するための冷徹なまでの確信の光は、ただの一パーセントも、彼女の指摘を否定してはいなかった。


深夜。

最果ての海岸線に建つ広大な料理屋の内部は、未だに打ち鳴らされる歓喜の鐘の音、そして人々の心からの温かい笑い声によって、激しく賑わい続けていた。


最高の新酒。

溢れ返る人間の笑い声。

じはじはと弾ける極上の魔物肉の肉汁。

潮風に乗って広く拡散していく、海魚と海藻出汁の至高の香り。

立ち上る白い湯気。

そして、部屋の全体を暖かく照らし続ける、橙色の最高の灯り。


料理屋の敷地のすぐ外側、新しく舗装された道路の向こう側からは、夜の寒さを凌ぐために、さらに新しく押し寄せてきた無数の移住者たちの長い列が、完璧な流れを伴って美しく出来上がりつつあった。

彼らが暗闇の中で交わす、明日の生存を完璧に確信した信頼の言葉の噂。

「なぁ、あの崖の上の料理屋に行けば、どんな不条理な飢えからでも一瞬で完璧に救われるらしいぞ」

「ああ、確実だ。冬の極寒の時期であっても、腹一杯の最高の温かい飯が食えて、あの天国のようなお風呂まである」

「あそこにはね、元盗賊の荒くれ者たちですら、大喜びで真面目に道路の舗装を手伝って働くほどの、とてつもない安心の規律があるのさ」

「おまけに、口にした瞬間に全細胞が生き返るような、最高峰の新酒まで手に入るんだ。あそこなら、俺たちのこれからの人生を、何の問題もなく完璧に委ねて生きていけるさ……!」


集まる人間の数は爆発的な勢いで跳ね上がり、彼らの住まう街の規模は分単位で広く拡張され、自らの手で開発した高度な技術の数々は、一分の手戻りもなく最高効率の速度でこの場所に蓄積され続けていた。


クルザードは、純木製の杯に残された琥珀色の液体を、滑らかな動作で静かに自らの口元へと運んだ。

喉を通った瞬間に、肉体の全神経を温かく包み込む、劇的な活力の対流。

そして、彼の合理主義的な頭脳は、これからの時代の更新のプロセスを、完全に確信していた。


力任せに敵を殺害する剣の強さなど、最初から必要ない。

美味い飯、確実な治療、天国のお風呂、そしてこの至高の酒という、人間の本能が最も激しく欲する絶対的な「快適さの軸」を、この場所に完璧に整えておくだけで――

古い都市国家の不条理な権力や古い関税の仕組みは、新しく生まれるこの巨大な建国の歯車の流れの前に、いずれ一瞬にして完全に呑み込まれ、美しく塗り替えられていくことになるのだ。


立ち上る豊かな白い湯気、そして香ばしい煙の向こう側で。

一人の荷物持ちの「判断」によって集められた最強の才能たちの絆は、冬の冷たい夜空を完璧に圧し戻しながら、新たなる新時代の偉大なる最強の“国家の形”を、今、完璧な速度で力強く駆動させようとしていた。






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