12:スチーム
冬が近づいていた。
アルフェイドの朝は白い。
海霧。
湿気。
冷気。
港を歩く人間の吐息まで白く見える。
それでも。
港外れの廃屋だけは温かかった。
パンを焼く香り。
鍋の湯気。
燻製の煙。
最近では、ここへ来るために早起きする者までいる。
「クル! 今日寒すぎる!」
ドミニクが毛布へ包まりながら叫ぶ。
「鍋増やす」
「そこ対応早いよな!」
クルザードは大鍋を見ていた。
魚出汁。
海藻。
燻製脂。
今日はさらに生姜系の薬草を少量入れている。
身体が温まる。
寒い日は、塩分と脂を少し増やす。
最近、そういう調整も自然にできるようになっていた。
『体温低下』
『疲労』
『塩分不足』
『寒冷環境』
人を見るだけで分かる。
鑑定は相変わらず頭が痛い。
でも。
意味を持ち始めていた。
「……本当にお前便利だな」
ジェシカが呆れたように言う。
「何が」
「薬師がやる事を料理でやる」
「食は重要だ」
「それ、最近皆分かってきた」
実際。
廃屋へ通い始めてから、体調を崩す冒険者が減った。
疲労回復。
栄養。
衛生。
温かい食事。
全部効いている。
クルザード本人だけが、その異常性に気づいていなかった。
昼前。
クルザードは廃屋裏で鍋を洗っていた。
大鍋。
鉄製。
重い。
普通なら持ち上げるだけで大変だ。
だがクルザードは軽々扱う。
身体強化。
魔力循環。
本人は無意識だった。
「おいクル」
ガルドが近づく。
「鍛冶場来い」
「何故」
「面白ぇもん見せる」
鍛冶場は港近くにあった。
熱い。
鉄の匂い。
火花。
ドワーフ達の怒鳴り声。
「これだ」
ガルドが巨大な鉄釜を指した。
内部で水が煮えている。
蓋がガタガタ揺れていた。
「圧が凄ぇんだよ」
「圧?」
「ほら見ろ」
ガルドが蓋を少し開ける。
瞬間。
白い蒸気が噴き出した。
「熱っ!?」
ステファンが飛び退く。
「何だこれ!」
「蒸気だ」
クルザードが静かに言う。
白い煙。
高熱。
水の変質。
鑑定が流れる。
『高温水蒸気』
『圧縮』
『熱傷危険』
『推進力』
『爆発性』
頭痛。
情報。
だが。
今回は妙に引っかかった。
(……使える)
クルザードは蒸気へ手を伸ばす。
「おい危ねぇぞ!」
ガルドが止める。
クルザードは無視した。
水属性。
火属性。
混合。
熱。
圧力。
循環。
魔力が流れる。
蒸気が形を変えた。
「……は?」
ガルドが止まる。
白い蒸気が槍みたいに伸びていた。
圧縮。
回転。
熱を帯びる。
「スチーム……」
クルザードが呟く。
次の瞬間。
蒸気が壁へ突き刺さった。
轟音。
木板が吹き飛ぶ。
熱風。
蒸気爆発。
全員が固まる。
「……おい」
ガルドが引きつった声を出す。
「今何した」
「分からん」
「絶対嘘だろ」
「本当に分からん」
クルザード自身も驚いていた。
蒸気。
圧力。
水属性の派生。
しかも。
熱を持つ。
「危険だな」
ジェシカが真顔になる。
「人体に当たったら終わる」
クルザードは壊れた壁を見る。
木材が抉れている。
焦げている。
蒸気だけで。
「……面白ぇ」
ガルドが笑った。
「水魔法でそこまでやるか普通?」
「多分まだ使える」
「怖ぇんだよ発想が!」
その日の午後。
クルザードは延々と実験していた。
水。
熱。
圧縮。
循環。
失敗。
爆発。
蒸気。
「おい待て待て待て!」
「熱っ!?」
ステファンが逃げ回る。
ドロテアが怒鳴る。
「鍛冶場壊すな!」
「制御中」
「制御できてないだろ!」
クルザードは真剣だった。
最近、少しずつ分かってきた。
魔法は“形”だ。
水だけじゃない。
熱。
圧力。
流れ。
全部組み合わせられる。
つまり。
応用できる。
(戦闘だけじゃない)
蒸気。
熱。
圧力。
これ、調理にも使える。
加工。
殺菌。
保存。
さらに。
動力。
その考えが頭を過った瞬間。
鑑定が暴走した。
『圧縮循環』
『推進』
『駆動』
『熱変換』
『水循環』
「……っ」
頭痛。
視界が揺れる。
「クル!」
ドミニクが支える。
「また無茶したな!?」
「少し情報が」
「少しじゃない顔してる!」
クルザードは額を押さえる。
まだ無理だ。
情報量が多すぎる。
だが。
見えた。
蒸気は武器だけじゃない。
もっと大きい。
何かに繋がる。
夕方。
廃屋。
今日は蒸し料理だった。
「……うまっ!?」
ドミニクが目を見開く。
「肉柔らか!」
「蒸気で火入れした」
「全然違うなこれ」
魚。
貝。
肉。
全部が柔らかい。
水分を残し、旨味が閉じ込められている。
さらに。
香りが強い。
「これ店出せるぞ」
ヴァレリアが真顔で言う。
商人の目だった。
「普通の焼きより食べやすい」
「年寄りも食える」
「量産できたら強い」
クルザードは頷く。
「効率も良い」
「お前ほんとそこだな」
皆が笑う。
鍋。
パン。
燻製。
そして蒸し料理。
食事が増えるたび、人も増えていた。
冒険者。
商人。
薬師。
鍛冶師。
流れ者。
皆、ここへ来る。
居心地が良いから。
腹が満たされるから。
生きやすいから。
クルザードは湯気を見つめる。
白い蒸気が天井へ昇る。
熱。
圧。
流れ。
多分。
これはまだ始まりだ。
そして今。
港外れの廃屋には、“技術”まで集まり始めていた。




