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雑用でもやりきると達成感がある

 ふぅ〜……! 終わった〜!! パレット掃除が終わったのは1時間ほど経過してからだった。


 絵の具汚れが思った以上にしつこくて、メラミンスポンジでなんとか頑張り、ようやく元の白地が見えるようになってきた。そして一つキレイにすれば、他のものも頑張りたくなるもの。元の色が見えるようになるまで、ゴシゴシと頑張った。


 満足感を感じながら、洗ったものを水道近くに立てかけて乾かす。


「ふぅ……」


 達成感に満たされていると、終わったことに気づいたのか、青年が様子を見に来た。


「終わった?」


 彼は新品とまではいかなくとも、かなり綺麗になったそれらを見て、目を見張る。


「……こんなにきれいにしなくても良かったのに。結局汚れるし」


 白く生まれ変わったパレットを持ち上げマジマジと見る彼に、満足感を感じる。こうやって、自分が行った良いことで誰かが驚くのは、見ていて気持ちがいい。


「でも、ありがと。はいこれお礼の」


 少しだけ柔らかくなったような彼の声に、誇らしくなる。青年から黒いカステラの箱を受け取って、そういえばと彼の顔を見る。


 名前、聞いてないんだよなぁ……。ここまで手伝ったのだ。名前くらい聞いてもいいだろう。そう口を開く。


「あの、なんて呼べばいい?名前聞いてもいいかな……?」


「そういうのは、自分から名乗るべきじゃないの?」


 ……それはそうなのだが、いちいち突っかかってくる人だ。こちらを呆れたように目を細めて眺める姿に、少し眉根が寄る。


 なのになぜか様にはなってる……。容姿がいいって羨ましい、と苦笑いしそうになりながら口を開いた。


「私は四ツ森 優陽、2年です。よろしくね」


 私が名乗り終えれば、彼はさっと目をそらした。あ、あれ……? そして少しの沈黙の後、口を開いた。


「……ソウマ。蒼真ソウマ シュン


 青年……蒼真くんは頭をワシワシと触ってから、左手で適当なプリントの裏に絵筆で文字を書く。そこには青い薄い絵の具で「蒼真 瞬」と書いてあった。


 ん……? ソウマって……どっかで聞いたことあるような……。いや、でも響きは普通にあるかも。それにしても珍しい漢字だなぁ。でも綺麗な名字。彼のどこか儚げな雰囲気のある姿にピッタリというか、かっこいい名前だ。


 名乗ってくれたし、この様子なら他に質問しても大丈夫そうだと思い、聞きたかったことを口にしてみる。


「猫……好きなの?」


 蒼真くんは描きかけのキャンバスをチラッと見ると、また丸椅子に座り、絵に筆を走らせる。そしてどこか気だるげに、一言呟いた。


「……さぁ? 」


 私には目を向けないまま、彼はパレットに絵の具を乗せて、くるくると混ぜて色を作る。


「まぁ、他のものよりかは好きかもね。見ていて飽きないし」


 薄く絵の具のついた絵筆をサラサラと迷いなく紙に滑らせて、不意にピタ、とその筆先が猫の目元で止まった。


「それに……目が綺麗だから」


 淡々と喋っている感じなのに、妙に色っぽいのはなんでだろう……。ポツポツと話すその声は、ため息を含んでいるようで、けれど不思議と甘い響きを纏って聞こえる。未亡人……って言ったらアレだけど、そんな感じに諦念や達観……そんなアンニュイな空気を纏っているからだろうか。


「……猫の目ってさ、人間のより、綺麗じゃない?」


 蒼真くんは絵を見ているようで、どこか遠く……別の場所を見るような顔になる。


「澄んでいて、舌でねぶったら甘そうで」


 想像の斜め上の言葉にピシッと固まる。ねぶったらって……そんな目であの黒猫ちゃんのことを……!? そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。蒼真くんは何を考えてるかわからない目で私を見ていた。


「……はぁ。そんなドン引きみたいな顔で見るなよ。気分悪いな」


「え……と、ごめんなさい?」


 気分悪いと言いながらも、彼は表情は変えずに絵を再開する。覗き込んでみれば、今は細い筆で毛を一本一本描き足しているようだった。


 すごい繊細な作業だ……。私には絵のことは分からないけど、それでもすごく難しそうな作業であることは伝わってくる。


「……ま、あんたにいくら引かれようが、キモがられようが、僕にはどーでもいいんだけどさ」


 どーでもいいって、むしろすごい……。私なら絶対に気にしちゃうな……。筆を持ち替え、色を作り、そんな作業を繰り返しながら話す蒼真くんはかなり器用なようだ。


「で、いつまでここに居座る気?」


 急に振り向いた蒼真くんの顔に心臓が跳ねる。


 ち、ちかい……! 近くで見ると、その肌は陶器のように滑らかで、鼻のラインも唇の形も、計算し尽くされたかのように整っている。まるで精巧な3Dモデルだ。


 でも近くでよく見てみたら、唇はカサカサと少し荒れているようだった。唇はあまり手入れしていないのだろうか。それとも健康状態が良くないのかな。


 そして、どこか懐かしいような、品のあるような、良い香りが鼻を掠めた。あ……これ、白檀ビャクダンのお線香の香りに似てるんだ……。って、そんなこと考えてる場合じゃない……!


 慌てて彼から離れれば、蒼真くんは軽く首を傾げる。


「まあいいけど」


 何一つ気にしていない様子の彼に、少しだけほっとする。ジロジロ見てしまったことを、彼は気にしていないらしい。


「掃除ありがと。あんた、お人好しだね」


「あ、いえ……。失礼しました」


 まだ少しうるさい鼓動を感じながら、振り向かずに美術準備室を後にした。

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