僕のアトリエとして使ってるから
「えと……そういう貴方はなんでここに……?」
声をかけると瑠璃のような澄んだ目を向けられて、少し緊張する。立ち上がった彼は思っていた以上に背が高く体格もいい。私が見上げる形になる。顔の位置が頭一個分以上に上にあって、それだけで……少し圧を感じた。
「ここ、僕のアトリエとして使ってるから」
「アトリエ……?」
思わず聞き返すと、青年はふいっと目を横にそらす。その視線の先を追うと、イーゼルに立てかけられたキャンバス? があった。
そこには猫が寝そべっている描きかけの絵があった。水彩画のようでその姿はさっきまでここに居た黒猫によく似ている。
「すごい……!」
まだ途中のようで、色の塗られていない箇所もあるのだが、それでも未完成なのにあまりにリアルで、可愛くて感動してしまう。
毛の一本一本が撫でたらさっきの猫みたいにフワフワしてそうだなって、この段階でわかる……! それに……目が綺麗。
猫の絵は顔の中心部分はほとんど完成しているみたいで、黄色い目が宝石のように丹念に塗られていた。キラキラしていて、さっきの猫の目そのものだ。
そして床には立てかけられるようにして様々な絵が乱雑に置かれていた。その絵のほとんどが猫の絵だ。さっきの猫以外もいるようで、どの猫も美しく、特にその毛並みと瞳に自分でも驚くほど惹きつけられていた。
「うまぁ……」
口を半開きにして絵に見惚れる私の様子を、青年はふっと鼻で笑った。
「すっごいアホ面」
「うっ……」
図星なのだが、その言い方ちょっと厳しくないだろうか。
「これ、全部貴方が……?」
「じゃないと誰がここで描くのさ……全部僕のだよ」
そう言って青年は描きかけの絵の前に置かれていた丸椅子に腰掛けた。そうして近くの机に目をやり、手を置く。
女の人みたいな綺麗な手……。それに加え、ネイルもしている。綺麗なコバルトブルーだ。おしゃれ好きなのだろうか。
しかし、その白魚のような手の置かれた机には、汚れに汚れ、乾いた絵の具のこびりついたパレットや、筆洗、筆などが乱雑に置かれていた。
その様子を見て、彼は「はぁ」とため息をつく。しかし思いついたように「あ」と声を出した。
「そうだあんた、暇なら、これ掃除してくれない?」
「えっ」
どっさりと積まれているパレットや筆と、彼の顔とを二度見する。
え、これ全部私が……!? とばっちりである。まじまじと青年の顔を見つめていると、彼は首を傾げた。
「……あ〜、どこ置いたっけ」
青年はゴソゴソと床に積まれていた箱を動かすと、そこから細長い黒い包みが出てくる。見たところ、いかにもお高そうなお菓子の箱だ。
「掃除してくれたら、これあげる」
投げるように手渡されたその包みには「かすてら」と書いてあった。
……かすてら!?
なぜカステラ? というのは置いておき、まぁ困ってる彼を助けるのは、やぶさかでもないのだが……。
「僕、こういうのあんまり食べないし。やってくれたら全部あげるよ」
「どうしてカステラがここに……」
そもそもなんで学校にあるんだろう……。手伝う分にはいいのだが、思わず呟いてしまうと、彼は興味なさそげに言う。
「別に、貰い物を貰っただけ」
えっと……それはつまり、貰い物だけど食べないから、お礼として私にあげてもいいよってこと、かな……?
「あんたにあげることになるから、貰い物を僕が貰って、僕があんたに報酬としてあげるってことになるからかなりややこしくなるけど。でも賞味期限は切れてないから安心してよ」
はぁ……。いや、賞味期限はあんまり心配してなかったんだけど……。というか、ごく自然に私が手伝う流れになってるよね……?
いいように誘導されている気もしなくもない。
「じゃあよろしく。洗い場はそこにあるから」
彼はマイペースにもそれだけ言って、自分は絵を描くのに戻ってしまった。立ち尽くしていた私だが、よし、と気合を入れる。
とりあえず……やるか! なんだか今日は人にものを頼まれてばかりだなと思いつつ、筆洗とパレットを持ち上げる。そして美術準備室の端にある水道へ運んだ。そこにはおそらく掃除用の、絵の具で汚れた歯ブラシやスポンジがある。
まずはこのカピカピで固まっちゃってる絵の具をどうにかしなきゃ。汚れないように腕まくりをして覚悟を決めた。




