居ないかもしれないなんて
こ、声かけられた、中から……っ!!
扉越しに投げかけられたその声は、あの日出会った蒼真くんのものだ。一気に体が寒くなって、上手く息が吐き出せない。すると突然、ガラッと私が指をかけていた扉がスライドした。
「あぁ、あんただったんだ。……何その顔」
そこには、1週間前と同じで何を考えているか分からない顔をした蒼真くんがいた。首を軽く傾けて、私のことを見下ろしている。
窓から差す夕日に照らされ、薄暗い部屋に蒼真くんの姿だけがぼんやり浮かびあがっている。あの日陶器のようで綺麗だと思った肌は血の気がないようで、やけに生白く見えた。
その無機物のようにすら見える美貌で最初気づけなかったが、目元には暗い隈もあるようで、心配になるほど顔色も悪い。そんな顔に無表情を貼り付けて、私の言葉を待っていた。
その姿を見て、相反した気持ちが膨れていく。ちゃんとこの場に蒼真くんがいる事への安堵に似た気持ちと、でも彼が幽霊かもしれない恐怖と、もしそうだったら悲しいみたいな気持ちと、そんな彼と相対している気まずさと……。全てが混ざってわけが分からなくなって、声が出ない。
……本当に、死人みたいな顔色……。でもたしかに目の前にいる……。
「……それで何の用?」
蒼真くんは微かに眉を顰めて、怪訝そうな顔をする。
でも、何を言えばいいのかな……? 幽霊ですか? なんて聞くわけにはいかないし、咄嗟に誤魔化す言葉も思い浮かばない。
しかし、どんどん蒼真くんの視線が痛くなるのを感じていた。
なんて言おう……。そうグルグルと考えて、咄嗟に、彼の描いていたあの猫の絵を思い出した。
金色の目の黒猫ちゃん。あの時は未完成だったけれど、もう1週間も経っているから完成しただろうか。とてもリアルで可愛くて……思い出すと完成品への期待で少し心が上向いた。
「あの……猫ちゃんの絵が見たくて……」
「……あ〜あれね」
蒼真くんは私の言葉に少し居心地悪そうに髪を触り、目を逸らす。
こういうのを見ると、生きてるようにしか見えないんだけどな……。
彼に手を伸ばして触ることができたら、生きてるって確信を持てるだろう。でも、もし触れられなかったら……と考えると勇気が出なかった。
「……別にいいけど」
そう言うと、蒼真くんは部屋の中に下がって、私の通るスペースを開けてくれた。
美術準備室はまた少し汚れたらしく、汚れたパレットが机の上に置かれていて……生活感に少しほっとしてしまった。
やっぱり蒼真くんはちゃんと生きてる、よね。こんな風に動いている所を見ると、彼が死んでるだなんて思えない。
無造作に積まれたキャンバスの山へと歩いていく蒼真くんの姿を盗み見る。足は……ちゃんとある……。
彼の長い足は慣れた足取りで、積まれたキャンバスやバケツで散らかった床を進んでいく。蒼真くんは背が高いが、それよりも制服のズボンはルーズなようで、裾を踏まないか心配になった。
しかし、窓から茜色の差し込まれる美術準備室はどこか非日常的だ。彼が淡い日の光の帯を通り過ぎ、影の中に入ると、その姿さえ朧げに見えた気がして目を擦った。目を離したら消えてしまいそうだ、なんて。不安になって彼に近づいた。
「見つけた」
彼の差し出したキャンバスには、確かにあの日彼が描いていた寝そべる黒猫の絵があった。猫の毛一本一本が丁寧に塗られていて、ぱっと見は写真に見えてしまったほどだった。
でも写真よりもずっと惹きつけられる。
か、かわいい〜〜っ!
宝石のような黄色い瞳でこちらを見上げる不思議そうな顔、触りたくなってしまって手を伸ばそうとして慌てて引っ込めた。
絵に触っちゃダメだよね、流石に……。
ちら、と蒼真くんの顔を伺えば、すぐ間近でガラス玉のような目が私の視線と交わった。その顔があまりにも儚く見えて、目を逸らせない。
本当に……綺麗な人。怖いくらいに。キャストドール……と言っただろうか。日本人離れしたスッと通った鼻も、薄い唇も……。最近、SNSで綺麗な人形の写真が流れてくることもあるけど、その人形がそのまま等身大になったみたいな……。
表情がないから、もっと現実味がなくて、一瞬でも目を逸らしたら居なくなってしまいそう。
「……なに?」
その声にハッとなって身を引いた。急激に顔が熱くなる。あまりに現実味がなくて、ジロジロと見てしまった。流石に失礼だっただろうか。
けれど、蒼真くんの方は私から目を逸らさない。何か言われるんじゃないかと身構えてしまう。
「……見惚れたの?」
予想外の言葉に驚いて、心を読まれたかと思った。
「な……っ!?」
見惚れたの、なんて彼本人から言われるとは思わなかった。
けれど蒼真くんは至極当然のことを言ったみたいな顔で絵を見て、そこまで気にした素振りもない。
あ、あぁ……もしかして、絵のこと……。
「僕の顔見るのはいいけど、そんな執拗に見られると穴空きそうなんだけど」
顔を僅かに顰め、そう言い切った蒼真くんは、正しく自分の顔の良さを理解しているようだった。
なんか、前にも似た会話したな……。
赤座くんとプリント運びした時も、私がじっと見すぎてこんな話になった。
言い方が雲泥の差だけど……。言葉にはしなかったが、目線で伝わってしまったらしい。彼はため息を吐いて私を見た。
「はぁ……絵描きが自分の容姿を理解してないわけがないでしょ」
蒼真くんは左手で鉛筆を取りながら言葉を続ける。
「デッサンしてると、どうしても少しは自分に似るものだし、何度も描いてきたから……僕は僕の容姿を誰よりも分かってる」
ぼそりと「……嫌になるくらいに」なんて、最後に小さく聞こえた言葉に彼の顔を見るが、もう目を瞑ってしまっていて表情までは読み取れなかった。
……嫌になるってどういう意味だろ。何度も描いてきたから……だけじゃないように聞こえた。
最初だけ聞くと自分の容姿に自信があるように聞こえたし、実際そうなんだろうけど……。それだけじゃないような、どこか自嘲するようで……寂しそうに聞こえた。
思わずじっと見つめてしまえば、蒼真くんは髪を触り、キャンバスを持ち上げる。
「あ〜……その絵、欲しかったらあげる」
そして彼はどこか居心地悪そうに私にキャンバスを押し付けてきた。驚いて聞き返してしまう。
「え……いいの?」
描くのすごく大変そうだったし、これは売れるクオリティだと思う。
コンテストとか出したら賞取れそうだし、出さないのかな……。そこまで思って、もし蒼真くんが本当に幽霊だったら、コンテストにも出せないのか、なんて思ってしまった。
「別にいいよ。前、ここ綺麗にしてくれたし。……ただ、未完成のボツだから、僕が描いたって言うなよ」
とりあえず受け取った絵をまじまじと見る。これで未完成……!? 私には完成しているように見えたけど、これでも蒼真くんからしたら未完成らしい。これが天才ってやつなのだろうか。
そういえば、ミツキちゃんから聞いた噂でも中学でいっぱい賞を取っていたって。……蒼真くんの言葉を聞くたびに、頭の中に幽霊だというあの噂がチラついてしまう。
蒼真くんはここにずっと居るみたいだし、もしかしたらそれを見た生徒の誰かが幽霊だと勘違いしたのかもしれない。そう考えてみたけれど、実際に校長先生から亡くなったって話を聞いたことを思い出してしまう。
……ダメ。今は考えないようにしよう。幽霊かどうかなんて考えているのも、蒼真くんに知られたら── もう彼に会えなくなってしまう気がした。
とりあえず別のことを話さなきゃ。思考を逸らそうと、蒼真くんにさっき貰った猫の絵を見下ろす。
……やっぱり、完成しているように見えるんだけど……。
少なくとも猫ちゃんの姿は完璧だ。思わず猫じゃらしを振りたくなっちゃうくらいに可愛い。
「未完成ってどうして……」
思わず聞いてしまえば、蒼真くんは少し視線を彷徨わせてから、こめかみをぽりぽりと掻く。
「……別に。続き描く気になれなくなっただけ」
蒼真くんはそう言うが、どうにも何か引っかかった。
「完成してるように見えるけどな……」
思わず言えば、蒼真くんは呆れたように私を見る。
「……どこが。背景の描き込みもしてないし、ぼかすにしろ中途半端でしょ」
よく分からないな、この人……。これが天才のこだわりってやつだろうか。呆れたように見られても、素人目にはこの状態で凄い絵に見えるし、これで完成でいいと思うんだけどな。
まぁ、これが蒼真くんのこだわりなんだったら、私は何も言わない方が良さそう。素人の私が何か言っても、的外れなことを言ってしまうだけな気がする。実際に絵を描いてる人なら分かるのかな。
「またこの絵の続きとか……描かないの?」
今やる気がなくても、またやる気が出た時に描けばいいんじゃないかと思って聞いてみれば、蒼真くんは考え込むようにして黙ってしまった。
「……多分、もう続きは描けない」
ポツリと聞こえた言葉に驚いて、目を見開く。描かない、じゃなくて、描けない……?
「そもそも僕、そんなに絵が好きじゃない」




