カントリー・ハウス(3)
アーサーの部屋は、やっぱりとでも言うべきか、ごちゃごちゃとした家具と今にも崩れてしまいそうな本棚、バラバラな大きさの地図が壁に貼られ、まったくもって混沌としていた。かけられている油彩は、意外にもちゃんと手入れはされていて、埃を被っていない。
「案外…埃を払ってあります」
「ちょこちょことね。多分、リチャードがやってくれたのが最後じゃないかな。俺とリチャードはお互いの部屋の出入りは自由だから、掃除もお互いにするよ。ステファニーは別だけどね」
「出入りが自由なら、不自由することもありません?」
「まぁね。でも、出入りがなくても、同じ家に住むのは何かしらの不具合は起きるものだよ。全部、慣れることができればいいけど、鈍くなるのもよくないから、塩梅が難しいところだ。
過剰に無粋なやつにならないよう、努めればいいんだよ…。それに、隠したいものを入れる場所くらいはある」
そう言いながら、アーサーはガサゴソと服のポケットを探った。お目当ての物が見つからないのか、ポケットからは紙屑やペンが足元に転がり落ちた。
む、とマリアの眉間にシワがよる。
「旦那様、今日、そのズボンを渡したばかりだと思うのですが、いつの間にそんなに物を入れてたのですか」
「…い、いつだったかな」
「覚えていないのですね」
アーサーは見つからない探し物と、マリアのじっとりとした視線の板挟みになったせいか、明らかに焦った顔をする。
「ふ、不思議だよね、気づかない内に入ってるんだよなぁ。……そういえば知ってるかい? ネズミの仲間で、口の中に食べ物を貯め込む面白い動物がいるんだけど、これが可愛くて…」
「私、猫が好きですわ」
「……そ、そうなんだ…。じゃあネズミは食べられちゃいますネ…」
「食べる前に獲物を見せてくれる猫は多いですわ。首元にがっつりと噛みついて、それを持ってくるのです。そんなことをしてても猫は、愛くるしいですから。可愛くて、その実たくましいのです。それにふわふわです」
「ふ、ふわふわ……」
「ハイ。ふわっふわです」
ふわっふわ、と言いながら、マリアは真剣な表情で、手で雲をちぎるような仕草をしてみせた。アーサーの背筋に緊張が走る。
(こ、これは本当の猫好きだ…)
ハロルドは旧友との飲み会で、好きなものについて語る女性に反論してはいけない、との持論を展開していたことがある。特に『洋服、宝石、甘い物、そして猫』の話題については『君子危うきに近寄るべからず』、と芝居がかった口調で豪語していた。
今になって噓ではないと思える。なにしろマリアの目の色が、見るからにオカシイ。素人が呑気に相槌をうってはいけない気がする。
(猫よりもマリアの方が可愛いよ……とは、言っちゃあいけないんだろうな)
珍しく賢明な判断を下すと、アーサーの指先に金属の当たる感触がした。
「……ん? おっ、あったあった!」
「鍵、ですね」
「そうそう、これが、他人には見せたくないものをしまっておく棚の鍵だよ」
マリアは乱雑とした部屋を見渡した。小ぶりな机が入るくらいの衣装棚を指差す。
「棚って…これですか」
「ううん。この、一段目」
アーサーが鍵を差し込んだのは、雑誌や書類をしまえる程度の、机に付けられた引き出しだった。本当にそれで足りるのかと聞きたくなるような小ささに、マリアは目を見張る。
「隠す場所がそれだけで、氷公は大丈夫なのですか? 危ないでしょう」
「大丈夫だよ。ほとんどの書類は、もう、国家機密だから、リチャードが宮廷に持っていった。ここは、本当に、私物の中でも、さらに、なんていうのかな……そう、宝物? そんなのがあるんだよ。……宝物でも、長いこと、一つしか入ってなかったし、今も一つしか入っていない……これ以外は入れたくももなかったから」
最後のいくつかの言葉は、マリアの耳には届かなかった。目の前で、引き出しに取り出された小さなそれに、一瞬息をするのも忘れた後、アーサーに射るような目線を送る。
「……それ」
手にしていたのは、男性向けの太めのチェーンに吊り下げられたペンダント。マリアはそのチャームが二つに開けられる、開閉式のロケットペンダントであることを、ずっと昔から知っていた。
同じ造りの物を、マリアも持っていた。中に描かれている帝国皇帝の若かりし頃の褪せない美貌、金の縁取り、柔らかく閉じる蓋とカチリと鳴る音、全てが脳裏にしっかりと刻み込まれている。けれど、婚約破棄して数年した頃、お金が足りなくなったために絵を削り、質に入れたのだ。バイオリンを手放したのも、その時だった。
「……もう、捨てられているものとばかり、思っておりました」
「最初はそうなるらしかったけど、俺がリチャードから、もらった」
そうして、アーサーは、ごめんね、と謝った。
「勝手に知りもしない相手が、手にしてしまって、申し訳なかった」
「……どうして、もらったのです」
「リチャードは自分の意に沿わない人を、婚約者にするはずがない。どんな人なのか、ずっと、どこかで気になっていたんだよ。揃いのペンダントなんて柄じゃないのに『どこで造ればいい。評判の店を教えろ』とか言うのには、吃驚して……マリアも、このペンダントの話をされた時は驚かなかった?」
「しました。突然、久しぶりに会ったのに、馬車に乗せられて、店に連れていかれましたから」
「リチャードらしいな……あの店は、俺が、半日調べ回ってリストアップした中の一つだ」
アーサーはちょっと苦しそうに、それでいて嬉しそうな顔をした。そっとマリアに被さるように腕を回したので、何があったのかと、マリアの思考は真っ白になる。
心地のいい、低めの声が耳たぶのそばで震えた。
「俺は、パーティーで会う前までマリアと話すことはなかったけど、ずっと前から知っていたよ……女学院でとびきり優秀だったけど、不愛想だと言われている、没落一歩手前のご令嬢で、家族に厭々推されていたこととか」
「…悪趣味!」
「そうかな。いや、そうかも……。それで、芯が強いらしくて、婚約者がどんな人でも、どんなに離れても怖気づかなくて、婚約を破棄された時でさえも凛としていたことも知っていたよ…。そのあとのことも、実は、知っていた。
マリアの相手には興味がなかったから、誰ととは、聞かなかった……なにしろリチャード以上の人は、滅多にいないだろう。う、うん、まぁ、従弟びいきなのは自覚してるよ」
「……」
「もう氷の公爵も引退の時期に、マリアに会いにパーティーに参加したんだよ。実は、本人を見るのは初めてで、このロケットだけが頼りだったんだけどね……すぐに分かった。徹頭徹尾、壁の花を決め込もうとしているオーラをしていた」
「そうかもしれませんわ。だって、殿方とはロクなことがなかったのです」
「らしいね」
似合ってるよ、と言いながら、アーサーの指が離れた。マリアの胸元のロケットペンダントが、チラリと光を反射して、輝いた。
「……うん、やっぱり、返してよかった。恥ずかしくてしょうがないから、一旦は壊してしまおうかと思ったんだよ。人にはあげたくもないし……ごめん、怒っていいよ。
マリア、君には怒る権利があるから。たくさん隠してきたことがあるっているのは、つまり、こういうことだ」
そういったきり、しばらくマリアとアーサーは無言で互いを見ていた。
突然、くしゃりと、整った目尻を下げ、気弱そうな眉でアーサーは幸せそうに微笑んだ。ずっと、知っていた、と小さく呟いたのが、マリアの鼓膜を震わせる。
「……俺はずっと前から君を好いていたよ……俺の元に来てくれて、ありがとう…」
長い…!久しぶりの投稿、読んでくださってありがとうございます。
ちょっとひと段落つきそうな感じもするので、この作品について、近い内に活動報告にでもツラツラ書きたいです。
おひまでしたら覗いてみてください〜。




