エピローグ
「こちらの席はあいていますか?」
穏やかな声音に、マリアは顔を上げた。地味だけれど、どこか折り目正しい容姿をした紳士が瞳に映る。ちょっと下がり気味の眉が、頼りなさそうな雰囲気を醸している人だと思った。
何故か首がつるような感覚がして、初めて気づいた。
「…背が」
「え?」
紳士の問いかけに頬を熱くすると、パッとマリアは目を伏せた。ぼうっとしていたせいで、余計なことまで口を滑らせてしまった。
「いえ、あの、背がお高いのだなぁ、と思って…。忘れて下さい」
自慢でもないが、婚約者はたくさんいたのだ。ただ、目の前にいる人ほど長身な男性はいなかったので、ちょっと新鮮な驚きだった。重苦しいドレスを手で払い、ソファの隅に座り直す。
「どうぞ、席は空いております」
ここでニコ、と笑いかけたりしないのがマリアだ。小さな子供ならともかく、いい年をしてお世辞の一つもできないのは問題だと分かっている。それでも変われない。だから愛想のない、可愛げのない淑女だと愚痴られたりもする。
けれど長身の男性は、マリアの素っ気なさを気にした風もなく、隣に腰を下ろした。何度かチラチラとマリアに視線を向け、躊躇った後、口を開いた。
「今日は、どちらから?」
冗談でしょう、と言いたくなる。
まさかこの男性は、マリアは婚約破棄されたばかりの侯爵令嬢だと知らないのだろうか。この場にいる誰もが、知っていておかしくない醜聞なのに。先ほどから、マリアを遠巻きに眺めながら、噂話に花を咲かせる紳士淑女があちらこちらにいる。
「友達の、付き添いです」
「そのお友達は?」
遠く、フロアの中央で堂々と振る舞うエミリアに目を向ける。マリアの視線に気づくと、エミリアは艶やかな笑顔を浮かべ、胸元で小さく手を振った。
立て続けの婚約破棄に、ふさぎ込んでしまったマリアを連れてきたのは、彼女だ。一緒にいてくれると言ったけれど、マリアは断固として反対した。結婚相手が必要なのは、マリアだけではない。せっかくのチャンスをふいにさせたくはない。
「彼女です。主催者様と歓談してるようですわ……なんと言いましたか、確かミスター・グレイ…?」
「ハロルドか! 奇遇だな、俺の友ですよ!」
「そうですか」
興味もなかったので、自然と突き放すような相槌になる。言ってから、マリアはやってしまった、と後悔したが、今度も男性は気分を悪くしなかったらしい。
「あ、失礼、まだ名乗っていませんでしたね」
(うそ、まだ会話を続ける気だわ!)
これはとてつもなく器が大きいか、それとも空気の読めない天然か、はたまた両方か。どちらにしろこれまでの婚約者にはいないタイプに、瞬きをした。
目の前にすらりとした指が五本、大きな掌が向けられる。
「はじめまして、ミス。アーサー・ストウナーと申します。……よ、よろしければ、ダンスを申し込みたいのですが」
この場で大の苦手なダンスなど、できる訳がない。それなのに、はい、と答えそうになってから、マリアは大切な事実を思い出した。
「……ミスター・ストウナー、本日の舞踏会は、先ほどの一曲で終わりのはずですわ」
「あ」
間抜けな顔となったアーサーに、マリアは笑いをこらえながら、お辞儀をする。
「どうか、次回お会いした時はよろしく申し上げます」
全く不覚だが、婚約破棄をされてから初めてマリアは心の底から笑いそうになっていた。アーサーと名乗った、初めて知る人にマリアは感謝した。
「私の名前は、ノルデンです」
「……その先は、教えていただけませんか」
姓ではなく名前を、と言われているのだ。社交界でみだりに名前を呼ぶことはないと、アーサーも承知しているだろう。けれど躊躇いながらも、真っ直ぐに問うので、マリアの心はまた動かされてしまった。
「……マリアです」
突然そっとマリアの手を取って、アーサーは腰を折った。
「ありがとうございます。ミス・マリア。え、ええと……よい、夜をお過ごしください」
そうして、あまり慣れていなさそうな仕草で、手の甲にキスをした。
***
瞬きをした瞼越しに、白い光が広がる。夢から段々と抜け出しながら、マリアは、向かいのソファに横たわる夫を見つける。
(……思い出した。あの時、優しそうなひとだわ、って思ったのよね)
ずっと昔から好きだったと言ってくれてから、マリアはろくな返事をしていない。恥ずかしくて仕方ないけれど、今になって、ようやく気づく。
(私だってあの時からアーサーに、惹かれていたんだわ)
もぞもぞと、恥ずかしさを抱えながら、マリアはベッドから腕を出す。伸びをして起き上がると、髪をふわふわとさせたまま、カーテンを一息に引いた。こぼれ落ちる眩しい太陽の光に、アーサーは寝返りを打つ。
「旦那様」
「う、ううん…マリア、あとちょっとダケ……」
「起きなさい、アーサー!」
「はっ、はい」
バネ仕掛けの人形のように、夫は勢い良く起き上がった。やっぱりヘンな人だと再認識しながら、マリアはふわりと微笑んだ。
「おはようございます、旦那様。今日は一緒に大学に行く日です」
数分後、朝靄が眩しい部屋には、マリアの淹れたコーヒーの香りが漂っていた。
なんとなくではありますが、これにてエンドです。
せっかくなので、その内、活動報告でも書きたいです。お暇でしたら、覗いてみてください~。
ブクマ、評価、読んで下さった方々、本当にありがとうございました!




