8
嫁に抱きつかれたのは嬉しいが、すぐそばには王太子がいるのだ。王太子がいるということはもれなく近衛騎士も控えている。侍女やメイドもいるわけで。
公衆の面前でイチャイチャすること、嫁は昔から苦手だったはず。
「おい、綾香、落ち着いて」
「だって涼ちゃん、死にそうだったんだもん!」
嫁は号泣状態で、俺は「この通り、生きているから」と背中を優しくポンポンして宥める。
「では我々は退出しようか」
王太子はそう言うと近衛騎士を連れて出て行く。侍女やメイドも残ると思ったが、彼らも退出してしまう。
その結果、嫁と二人きりになった。
あの王太子、散々未婚の聖女が……と言っていたが、これはどういう風の吹き回しだ!?
それも気になるがそれ以上に気になるのはこれ!
「おい、綾香。お前が俺を救ってくれたのか?」
「うん。そうみたい」
「つまり本当に綾香は聖女……なのか?」
「そうなの。ビックリだよね」
嫁によると俺がこのままでは死ぬと分かった瞬間、全身全霊で主に祈った。せっかく夫に会えたのに、再会して即別離なんて酷すぎる。だから俺のことを救いたいと強く思ったという。
「そうしたらなんかパーッと明るい光に涼ちゃんが包まれて……。でもね、何か起きているけど、私の頭の中は『涼ちゃんが死んじゃう!』ってことでいっぱいだった。蒼白だった顔色が瞬時に戻っていたのに。血色が良くなって呼吸も安定しているのに。誰が見ても涼ちゃんが元気になったって分かる状態だったのに、気がつかず泣き叫び続けちゃって……。そこへ王太子殿下と美咲ちゃんが駆けつけて教えてくれたの。涼ちゃんは生きている。傷も治っているって。美咲ちゃんが『今は眠っている状態だから、無理に起こさずに休ませよう』と提案してくれて、その間に王太子殿下が馬車を手配してくれたの。それで宮殿に戻ってきたのよ」
そこで落ち着いたらしい嫁はベッド脇に置かれていた椅子にちょこんと座る。
「なるほど。光がパーッってまさに異世界ファンタジーだな。聖なる力。まさにそうだと思う」
「ね。だから私、本当に聖女だったみたい!」
「まさか綾香が聖女とは……。それで、ここは綾香が読んでいたウェブ小説の世界だよな? 俺は無名のその他大勢……要はモブだ。綾香は今は聖女だけど、そもそもこの世界に来た時は……二人目の偽りの聖女、つまり悪女だったんだよな?」
「うん。そうなの。私は天に召されたと思って目覚めたら森の中。そこでアルト村の人が私を発見してくれたの。今から五年前よ」
「ちょうど綾香が亡くなった時だな。それで五年間アルト村で生活していたのか?」
嫁はこくりと頷く。
「アルト村と聞いて、すぐに小説のことを思い出した。でも偽りの聖女の名前は綾香なんかではなかったでしょう。よりにもよって火あぶりにされちゃう悪女に転生? 転移……ではないわよね。私、十代の姿だし……。というか涼ちゃんも別人だよね?」
「そうだな。どうも俺と綾香の時間軸はズレているというか……。俺は今、十九歳だ。で、多分、十九年間この世界で生きていた。そして前世の記憶が突然覚醒した感じだ。俺からしたら、いきなり死んだと思って目覚めたら、見知らぬ人間の体の中!?みたいだったけど、実際はそうではなかった。そこら辺は……よく分からん。まさに異世界のファンタジーだ。ご都合主義ってやつ? 誰の都合か分からんが」
「でも時系列的には私が死んでから五年後に涼ちゃんも死んじゃったんだ」
嫁がしょんぼりした顔になるので、その頭をぽんぽんと優しく撫でる。
「『湊と陽菜が結婚するまで頑張ろう!』だったからな。それで陽菜が結婚式を挙げた日の夜、泊まっていたホテルの部屋で後頭部に激しい痛みを感じて……。ぽっくりだったよ」
「ええっ、そんなお祝い事があった日に!」
嫁が仰天して目を丸くする。
「本当に陽菜には申し訳ないことをしたよ」
「でもまあ、親族一同集まっていたから葬儀はやりやすかったかしら? それに結婚したばかりで試練を乗り越えたら、二人の絆は強くなるはずよ」
「やっぱり綾香は前向きだな」
「だって涼ちゃん、死の瞬間なんて自分では選べないもの。主の御心のままに、だから! 陽菜も苦笑しながら『もうお父さんってば』って言いながらも許してくれるわよ」
そこでしばし陽菜の結婚相手のこと、結婚式の様子から始まり、湊の嫁さん、湊の結婚式の話になる。
「二人とも素敵な青年、お嬢さんに成長できたのね。涼ちゃんのおかげだわ」
「そんなことないさ。綾香がずっと頑張って育ててくれたおかげだよ。俺は……たいして子育ての協力も出来ず、申し訳なかった」
「なーに言っているのよ! あんなに広くて素敵なマイホームを頑張って手に入れてくれたじゃない。毎年夏に家族旅行に連れて行ってくれた。子供たちの行事にも参加してくれたわ。いいお父さんでした。涼ちゃんは!」
「綾香……」
照れ臭くなったところで扉がノックされる。嫁が立ち上がり応じると、昼食が運ばれてきた。
コンソメスープらしきいい香り、パンの香ばしい匂いに一気に食欲が湧く。
「ベッドにいるけど、腕の傷も脇腹の傷も治っているし、俺、怪我人ではないんだよな」
「涼ちゃんは私の聖なる力で完全復活! こんなに便利な力が元の世界にでもあったら、ね。私も長生きできたのに〜」
嫁はあっけらかんとそう言うが、その言葉にはとんでもない重みがある。
この世界は医療水準がとんでもなく低い。だからこそ、聖なる力が必要、なのかもしれなかった。
そうであったとしても。
もしもこの力があれば嫁はあんなにボロボロの体になり、痩せ細って旅立つことにはならなかった。もちろん、医療関係者は最善を尽くしてくれた。俺が彼らに心から感謝を伝えたのは事実。それでも最期の時、嫁が繋がれていた沢山の機器のことを思い出し、涙が出そうになる。
「涼ちゃん」
俺は涙を我慢し、口をへの字にして嫁を見る。
メイドは既に料理をベッドテーブルに置くと、退出していた。俺は我慢できず、「いただきます」で食べ始めていたが……。
「過去に戻ることは出来ないから。前を向いて生きて行きましょう。この世界、私が悪女にならなかったら、何か起きるのではないかと不安だった。でも美咲ちゃんはちゃんと聖女と認められ、私は生きて悪女にならずに済んでいる。それは……きっと涼ちゃんのおかげだと思う」
「そんな……俺は小説の世界の正しさより、綾香を生かすことばかり考えて、無鉄砲な行動ばかりとってしまった。綾香が今も生きているのは……綾香が常に正しく行動しようとしたからでは?」
「え……」
「綾香はさ、元の世界でも仕事では後輩をサポートして、上司の要求にもちゃんと応えて成果を出していた。その上で、子育ても旦那の世話も家事も、ぜーんぶ頑張っていたんだ。さすがにそんな綾香を悪女にさせるのは忍びない……とこの世界の主は思ってくれたのでは?」
これには嫁は「あは! 涼ちゃんすごい発想! でもそうなら嬉しいな」と笑顔になる。
「お互いの転移みたいな時期がずれているのも、主の采配の結果だろう。癌になっても最期まで生きようとした。真っ直ぐに生きたのに、当たらないでいい悪魔の宝くじに当選してしまった綾香のことを……主が救ってくれたんじゃないか。悪女にならなくてもいい。愛する旦那様にも会わせてあげようって」
「そうなのかなぁ。私、一度も神頼みなんてしたことないんだけど」
「え、そうなの!?」
驚く俺に嫁は元の世界の俺に話していないことを打ち明ける。
「うん。おばあちゃんがね、子どもの頃、教えてくれたの。神様には願い事をするのではなく、まずは感謝。次に自分はこう頑張ります、見ていてくださいねって伝えると。だからいつも参拝すると『涼ちゃんを支えて良き妻になります』とか『湊と陽菜がすくすく育つよう、たっぷり愛情あげます』とか宣言していたわね。神様に約束したから、有言実行!みたいな」
「それは綾香らしいな。……それに比べると俺は完全に神頼みだったからな……。やっぱりこの世界に転生できたのは、綾香のおかげだよ! 神様がくれた特大ボーナス!」
結局、嫁が聖女ではないと言い出したのは、黒幕に脅されていたのは勿論、この世界の正しい流れにしないと何か起こるのではと不安になったからだった。
そんなこんなを話し、俺は非常に重要なことを思い出す。
「綾香は聖女だった。そしてあのヒーローである王太子は……綾香と結婚したいと言っていた」
「ああ、その件だけど、実は……」
お読みいただき、ありがとうございます!
ようやく夫婦らしい会話ができました~
そして王太子の件は……?
続きは明日公開です!
ブックマーク登録でお待ちくださいませ☆彡




















