湊視点(後編)
人生百年時代と言われている。それなのに俺の親父とおふくろは、その半分とちょっと、半分は超えていたけど、百年はまだまだという年齢で亡くなってしまった。
しかも親父はホテルの部屋で倒れ、誰かに看取られることなく、一人で息を引き取ったのだ。
「葵が電話したらと言った時、俺が電話していれば……」
「湊、それは違う。そこで電話しても手遅れだったと思う。だってお義父さんの死亡推定時刻は二十二時過ぎよ。絶対に、湊は何も負い目を感じる必要はない」
「でもあんなに冷え切った親父じゃなく、まだ温かみのある親父に会えたかもしれないのに」
「たらればの話をしても無駄だよ、湊。もう起きてしまったこと。前に進むしかない。お義母さんの時の喪主はお義父さんだった。でも今回は湊が喪主になるんだから、ちゃんと送り出してあげよう。それに……お義父さん、死に顔が笑顔だったんだよ? みんな驚いていた。きっとお義母さんが迎えに来てくれたんだよ」
この時の俺は心底思った。結婚していて良かったと。葵は心から俺を支えてくれた。もし俺が独身だったら「あの時、こうしていれば……」を繰り返してしまい、負のループにハマっていたと思う。
そして人生初の喪主として、俺は親父を見送るため、動き出す。
◇
事件性は薄いとされながらも、ホテルの一室で亡くなったことで、病院で息を引き取ったおふくろとは違い、いろいろな手続きがあった。それでもようやく親父の遺体が入れられた棺を受け取り、お通夜、葬儀へと進んでいく。
その間はいろいろと考え、決めることが多く、結婚式ほどではないが、忙しかった。同時進行で役所への手続き、保険、もろもろの解約対応などもある。悲しむ暇は……本当にない。
喪主として何度も挨拶の言葉を述べ、そしてこれが本当に最後の挨拶となる。
「本日はお忙しい中、故人のためにお集まりいただき、誠にありがとうございます。火葬の順番を待つ間、ささやかではございますが、お食事をご用意いたしました。どうぞ故人の思い出などを語り合いながら、召し上がってください。故人も皆さまに囲まれ、喜んでいると思います。本日は本当にありがとうございました」
この場にいるのは親族と本当に親父との親交の深かった人ばかり。それもありビールや日本酒、焼酎に加え、斎場に頼み、特別にレモンサワーを用意してもらっていた。
「ああ、そうだよね。瀬戸原さん、飲みに行くといつもレモンサワーだった」
「そうそう。ビールの後は、レモンサワーで、でも一口飲んで『やっぱり嫁が作る生搾りレモンサワーが一番うまい』が口癖だった」
「そうだなぁ。今頃、嫁さんとよろしく一杯、レモンサワーを飲んでいるんだろうね」
レモンサワーのおかげで、それまで会釈程度だった人たちが打ち解けて話し出す。しんみりからドッと笑いも起きる和やかな食事の席となった。
「湊も一杯くらい飲んだら?」
「え、でも俺、喪主だし……」
「最後の挨拶もちゃんとできた。もう肩の力、抜いていいと思うわよ」
「!」
「お義父さんが亡くなった――ってなってからずっと、ものすごい張り詰めているわよね、湊」
「それは……」
「夜も熟睡できていないでしょう。よくそれでここまでもったと思うわ。帰りはマイクロバスで駅まで送ってもらえるし、そこからは電車で一本、たまにはグリーン車でも利用して、居眠りして帰りましょう。だからレモンサワー。いただきましょう」
「……そうだな」
そこで飲んだレモンサワー。実家に行く度におふくろが作って出してくれた生搾りレモンサワーとは全く違う。でもレモンの爽やかな香りとほろ苦い味わいに、親父、おふくろ、陽菜と四人の団らんの日々を思い出してしまう。
おふくろも親父も。早すぎるよ。人生百年時代、全然謳歌できていないじゃないか。
鼻の奥がツンと熱くなり、目頭に熱を感じる。
さっき散々泣いたのに。涙はいくらでも湧いてくる。
「葵、俺、ちょっとトイレ」
「あ、うん。トイレ、出て右側の壁沿いだから」
「おう、ありがとう」
ガタガタとパイプ椅子から立ち上がり、近くの席の人に「ちょっとトイレへ」と言いながら、出入り口の扉の方へと向かう。ドアノブを掴み、開けようとすると、勢いよく扉が開けられ、陽菜と鉢合わせする。
「お兄ちゃん!」
「どうした、陽菜?」
「ちょっと、来て!」
俺の腕を掴むと、陽菜はぐいぐいひっぱり待合スペースの長椅子へと向かう。
「なんだ、なんだ、何かあったのか!?」
「あったのよ。お父さんとお母さんからメッセージが届いたの!」
「メッセージ?」
「そう。これ、見て!」
長椅子に座った陽菜は黒い鞄からスマホを取り出す。それはおふくろのスマホであり、親父が最後まで握りしめていたスマホだ。
「ほら」
陽菜が俺の方にスマホの画面を向ける。
表示されているのは両親のツーショット写真。いつ撮ったのか。二人ともとても若い。そしてその写真には文字があり……。
『会えたよ』の文字。
「えっ……」
「なんかね、バイブ音が聞こえた気がしたの。それで慌てて起動したら新着通知が出ていたの。でもよく見ると、それは古い日付。だから今、届いたわけではないのよね。でもともかくそこでスマホを起動したら、この写真がいきなり表示されたの。それでこの文字よ。これってお父さんがお母さんに会えたと私に伝えてくれたのだと思わない?」
陽菜の表情は真剣そのもの。
「いや……まさか」
「じゃあこの『会えたよ』ってどういう意味? 誰にこの写真を見せるつもりだったの? 絶対これは、みんなが『二人は会えたのかな』って言っているのをお父さんとお母さんが気付いて、『ちゃんと会えたよ!』って教えてくれたのだと思う」
そんなことあり得ないと思いつつも、陽菜があまりにも真剣なので、もしかしたらと思えてしまう。
「……そんなこと、あるのかな」
「あると思う」
陽菜は自信たっぷりで答える。
「陽菜って霊感とかあったっけ?」
「ないよ。一度も幽霊とか見たことないし。心霊体験もなしだよ。これはそういうオカルトな類ではないと思う。これは……奇跡だと思うわ!」
「奇跡……」
「うん。お父さんとお母さん、天国ではきっと若返って、出会った頃の二人にでもなっているんじゃないのかな。まだ私たちが生まれる前の若い二人。笑顔でレモンサワーで乾杯していそう」
「……そうだったらいいよな」
「そうだと思うよ。あ~、よかった! お父さん、あんな形で亡くなっちゃったけど、これは不幸な死だったわけじゃないんだよ。何よりお父さんの死に顔、めちゃくちゃ笑顔だった。やっぱりお母さんと再会できて、幸せいっぱいなんだよ」
そこで陽菜は憑き物が落ちた様な清々しい表情になる。
「これからは私、仏壇に手を合わせる時に『お父さん、お母さん、天国で仲良くやっていますか?』と聞くようにするわ。木曜日の夕方はレモンサワーを供えてね」
両親は共働きだったから、晩酌できる日が限られる。平日は木曜日の夜、そして週末。そこはレモンサワーで乾杯が両親のルーチンだった。
「陽菜も木曜日は旦那さんと乾杯か?」
「へへ。そう。瀬戸原家の伝統、しっかり受け継ぐわ」
「そっか。俺も……そうするかな。葵、ビールは苦手だけど、レモンサワーは飲めるからな」
「そうだよね。葵さん、蜜柑が好きで、柑橘系が好きって言っていたよね」
この時の俺はまだ知らない。この日からそう遠くない未来で、葵がお酒を飲めなくなることを。
そう、悲しい出来事の後には、楽しい出来事も待っている。
親父を見送った三カ月後に、葵は新しい命を授かることになるのだ。
「瀬戸原様、まもなく収骨の準備が整います」
職員が声を掛けてくれる。
「分かりました」と応じ、陽菜と俺は立ち上がった。
お読みいただき、ありがとうございます!
これにて湊編は完了です~
次回は、嫁が大好きな俺の後日譚をお届けします!
が、作業が追いついていないので
お盆時期に公開できるよう、頑張ります~!
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