湊視点(中)
「年末年始は葵の実家にお邪魔させてもらっていて……。親父も子どもたちが帰って来るとなるとはりきり過ぎるから、むしろ帰ってこなくていいと言ってくれていた。半年ぶりだけど、おふくろ大丈夫かな?」
「まあ、お兄ちゃんは社会人になりたてで、いろいろ大変なこと、分かっているから、お父さんもお母さんも気を遣ったんじゃないの? 私は大学生だし、ちょいちょい顔をだしていたけど……。お母さん、多分、お兄ちゃんが知るお母さんとは違っているかも」
「え……」
「でもお母さん、それでも笑顔で元気アピールするから、お兄ちゃんも変にショック受けず、『おふくろ、ダイエット成功した?』とか明るく接してあげて」
入院している大学病院に陽菜と一緒に向かう時、初めてそんな言葉を言われ、俺は冷や水を浴びた心地になる。そしておふくろに会うと――
すっかり変わったおふくろの姿に言葉が出ない。それでも何とかお見舞いで持参した温かいウールのショールを渡すと……。
「ありがとう、湊! 病衣ってぺらぺらだから、寒くて! これ、大切にするわ!」
その姿から想像できないほど、声だけは明るい。でもそれが逆に痛々しくもあり――
「あ、俺、飲み物でも買ってくるわ」
そう誤魔化して病室を出ると、トイレに駆け込み、個室で泣くことになる。
メールやメッセージアプリだけじゃなく、もっと実家に顔を出せばよかった。仕事もしているから大丈夫なんだろうと思っていたけど、まさか……。
そこからは俺も頻繁に実家に戻り、おふくろを見舞うようになる。葵のことも紹介し、一緒に食事をしたりもした。
「陽菜、おふくろ、昨日で抗がん剤治療、終わったよな」
「うん。ようやくだよ。長かったよね。手術したらそれで終わりではないって初めて知った。それに抗がん剤治療で使う薬って、相当強いらしくて、治療が終わっても二年間は副作用が出るかもしれないって……。お母さん、『大丈夫、大丈夫。ちゃんと治して、また晩酌するわよ~』なんて言っていたけど、ほんと、大変だったと思う」
「だよな。おふくろは病人扱いされたくないと、自分でできることは自分でしていた。それでも親父がサポートする機会も多かったと思う。おふくろも親父も、この一年以上、頑張ったと思う」
「本当にそうだと思う」
「だからさ、疲れを癒してもらうために、温泉旅行でもプレゼントしないか?」
「あ、それいいかも!」
陽菜と奮発し、高級旅館を押さえ、プレゼントすると、両親は大喜びしてくれた。そしてこの旅行の後から、母親は次第にいつもの元気を取り戻し、また日常が戻る。そう思っていたら――
「転移していたんだって」
「え……」
陽菜からそれを聞いた時、ゴールしたと思ったのに、振り出しに戻された気分だった。
振り出しに戻された……なら良かった。
でも今回はそうではない。転移した箇所は複数あり、体力だって最初の頃に比べると落ちていたから……。
人生百年時代って言われているのに。おふくろはその半分とちょっとでこの世から旅立ってしまった。
おふくろは……最後まで泣き言は言わず、闘い抜いたと思う。
息を引き取ったおふくろを前に俺は思った。
「癌の野郎、なんでおふくろなんだよ。こんな体に巣くったって得られるものなんてないだろうが! 共倒れで終わるなら、大人しくしていればよかったんだよ!」
痩せ細り小柄な体がさらに小さくなった状態でこの世を去ることになったおふくろを見て、俺は癌に対して激しい怒りを覚えた。
俺はこうして悲しみより、癌の理不尽さに怒りを感じていたが、親父は……深い悲しみと絶望に包まれていた。
親父とおふくろはまさにおしどり夫婦だった。比翼の鳥、連理の枝。このまま親父はおふくろの後を追ってしまうのではと不安になった。
「でも湊くんのお父さん、言っていたよ。『嫁から子どもたちのことを託された。任せとけと約束している。だから頑張らないとな』って」
「葵……」
「湊くん。私たち、付き合って三年は経つよね。少し早いかもしれない。でも一緒に暮らさない?」
「同棲する……ということ?」
「その先でも」
「え、それって……!」
プロポーズは男からする……みたいな昭和気質があるわけではないけど、葵は俺を立ててくれた。プロポーズしたらOKするよのサインを出してくれたので、俺は迷わず準備する。つまり指輪を購入し、夜景の素敵なレストランを予約し、葵にプロポーズしたのだ!
正直、この葵へのプロポーズがあったから、俺はおふくろの死という悲しみの沼から這い上がることができたと思う。
そしてプロポーズから一年後。双方の親族にも挨拶をして、式場を予約し、準備を進めて……。無事、葵と俺は結婚することができた。
俺と葵は仲睦まじい夫婦になれたと思う。親父も葵のことを気に入ってくれて、よく三人で母親の墓参りに行って飯を食ったり、買い物に行ったり、小旅行を一緒にしたこともあった。そうしていたら陽菜にも素敵な相手ができて……。
「お父さんには結婚が決まったら報告する」
「それまでは秘密なのか?」
「うん。まだ秘密。お兄ちゃんは葵さんと交際スタートしたら報告していたけど……。恥ずかしくて私は無理!」
なんて言っていたけど、交際して半年でプロポーズされ、同棲がスタート。それから一年後、結婚式を挙げ――
「やっぱ男親にとって娘が嫁ぐのは、感慨深いのかなぁ」
「それはそうだと思うわ。何より陽菜ちゃんのお義父さんへの手紙。あれを読まれたら……。男泣きも当然よ」
「そうだよなぁ。俺も泣けたもん」
「みんな泣いていたよ」
「子ども二人が無事結婚して、親父も肩の荷が下りたかな」
「そうだと思うわ。……ねえ、湊」
「うん、何?」
「お父さん、今晩、ホテルに泊まっているのよね? 陽菜ちゃんたちが式を挙げたホテルに」
「そう」
「電話でもしてあげたら?」
「なんで?」
「寂しいかなって」
「あ……。いや、でももうすぐ零時だよ。……寝ているかもしれない」
「そうかなぁ。なんか娘が嫁に行き、寂しくて眠れないイメージが」
「どうだろう? 気疲れもあるだろうし、爆睡かもしれないぞ」
「まあ、そうかしらね」
もしもこの時、葵の言葉に従い、親父に電話していたら……。
親父が部屋で倒れていたことに気づけていたかもしれない。
でもそうはならず――
「じゃあ、出るか」
陽菜の結婚式の翌日は月曜日。共働きなので、葵と俺はこれからまさに仕事に向かうところだった。
「湊、お弁当、持った?」
「持った、持った。でも葵、そろそろ食べ物が傷みやすい季節になるし、弁当、休みでいいよ。また秋になったら、愛妻弁当頼む!」
「そうね。食中毒怖いもんね。その分、夜の晩酌は美味しいもの作るわ!」
「いや、葵も仕事忙しいんだし、無理するなよ。今週は俺が晩酌当番する」
「え、いいの?」
「勿論だよ。俺、こう見えて料理作るの苦手じゃないから」
「料理男子、万歳!」
玄関で葵と少しイチャイチャしていると、スマホが鳴る。
スーツのズボンのポケットからスマホを取り出し、確認すると――
「うん? 陽菜? どうしたんだ、新婚さんが朝イチで。まさかの夫婦喧嘩!?」
「まさか、それはないでしょう。というか、早く電話、出てあげて」
「うん」
そこでスマホに出て陽菜から言われた言葉は――
非現実的で、俺は「えっ……」の言葉の後が続かない。
「どうしたの、湊?」という感じで葵が口パクしているのを、呆然と眺めるしかなかった。
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明るい朝に届いたその連絡は――
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