第四話 居場所のない者たち
迅を庇うように。
リュネは一歩前へ出た。
胸の奥では怖さが渦巻いていた。
それでも足だけは止まらなかった。
「待って!」
その声に里の者たちが振り向く。
だが向けられる視線は冷たい。
「リュネ、下がれ」
「危険だぞ。里の中には入れられん」
「甲虫族だ」
誰も迅本人を見ていない。
ただ甲虫族という言葉だけを見ている。
迅は少しだけ苦笑した。
どこの世界も同じらしい。
胸の奥に、何度も味わった疎外感がかすかによみがえる。
「リュネ」
迅が小さく言う。
「下がれ」
「嫌よ」
「面倒に巻き込まれるぞ」
「もう慣れてるから」
強がるように言ったその声は、わずかに震えていた。
その言葉に迅は少し眉を動かした。
だが次の瞬間。
「どうせまたリュネだから庇ってるんだろ」
誰かが笑った。
「相変わらず変わり者だな」
「近寄るなって言ってるのに」
「気味悪いんだよ」
その言葉に迅の目が細くなる。
向けられているのは自分だけではない。
リュネにもだ。
リュネは俯いた。
ぎゅっと服の裾を握り締める。
慣れている。
そう言った。
だが慣れるはずがない。
傷つかないはずがない。
そんな顔だった。
「おい」
人を庇うことが、
変わり者で、気色が悪いだと?
迅が口を開いた。
里人たちが睨む。
「なんだ」
「一つ聞いていいか?」
「何だ」
「こいつ、お前らに何かしたのか?」
静まり返る。
「何?」
「何か迷惑を掛けたのか?」
誰も答えない。
迅は続けた。
「人を嫌うのは勝手だ」
「だが理由もなく嫌うのは趣味が悪い」
「それを差別と言うんだ」
「見て見ぬふりする奴も同罪だ」
そしてそれが虐めにつながる。
その場の空気が凍る。
「貴様!」
男が怒鳴った。
だが迅は平然としていた。
警官時代。
もっと酷い人間を何人も見てきた。
今さら怖くもない。
それよりも、隣で俯く少女の方が気になった。
「少なくとも俺は」
迅はリュネを見る。
「こいつに助けられた」
「飯も服も無かった俺を放っておかなかった」
「だから、助けるために動いた」
「それを笑う理由が俺には分からん」
リュネが目を見開く。
胸が小さく跳ねた。
そんな風に言われたことはなかった。
誰かの役に立ったと。
感謝されたことなど。
ほとんど無かったから。
熱いものが込み上げてきて、慌てて唇を結ぶ。
「だから」
迅は肩を竦める。
「俺はこいつを悪く言う奴の方がどうかしてると思うぞ」
再び静寂。
そして。
「……変な奴だな」
里の誰かが呟いたその時だった。
「何の騒ぎだ」
低い声が響き、人垣が割れる。
現れたのは長老だった。
長い白髪を揺らしながら歩いてくる。
周囲は一斉に頭を下げ、長老は迅を見た。
そして。
リュネを見た。
最後に里人たちを見回す。
「またか」
小さく呟く。
その一言だけで空気が変わった。
「長老様」
「リュネ」
「はい」
「甲虫族が現れたと聞いてきてみれば、身ぐるみを剥がされた男……大体の察しはつくが」
「リュネ……お前はまた損な役回りを選んだな」
迅は片眉を上げた。
何やら、長老は勘違いしてそうだが、
それより、
また損な役回りという話の方が気になった。
迅はリュネを見た。
リュネは何も答えない。
答えられない。
否定できないことが、少しだけ苦しかった。
長老は小さく笑った。
「だが」
そして迅を見る。
「お主も変わった男だ」
「そうか?」
「普通は自分の心配をする」
「俺は元々そういう性格じゃない」
「そうか」
「では、話を聞こうか」
「わかった」
長老は頷いた。
迅は自身の状況を簡潔に説明した。
そう、とても簡潔に。
「話と言ってもな」
「俺は、名前以外なにもわからない」
「気が付いたら、羽化してた」
「ふむ、おぬしが甲虫族だということは?」
「リュネに聞いた」
「王の血統の話は?」
「里の奴らが騒いでたな」
そして長老が杖を鳴らす。
ゴン。
音が響く。
「この者を里の中に入れることはできぬ」
「長老様!」
「素性がわからぬ者を、手放しに里を歩かせる訳にはいかぬ」
「だが、放置して何かあっても目覚めが悪い。里の外れにある空き小屋を使うことを許す」
里人たちがざわつく。
「衣服や最低限の生活用品はこちらで用意しよう」
「ただ、余計な騒動を起こすでないぞ」
(族長会議が近いというのに……)
「長老様……」
「異論は聞かぬ」
里人たちが黙る。
「リュネ」
「はい」
「お前が面倒を見ろ」
リュネが驚く。
「私がですか?」
「そうだ」
長老は少しだけ笑った。
「お互いにしか分からない事もあるだろう」
リュネが固まる。
長老の言葉に、
胸が少しだけ痛んだ。
迅の孤独を知っている。
いや、
知ってしまった。
だからこそ、
放っておけなかったのかもしれない。
迅も固まる。
だがすぐにリュネを見て、どこか納得したように頷く。
「なるほど」
迅だけ納得した。
「お前友達いないのか」
「違うわよ!」
反射的に叫び返す。
その声には照れと悔しさが混ざっていた。
リュネの叫び声が里に響いた。
その瞬間。
長老だけが小さく笑った。
だがその笑みはすぐに消える。
老人の視線は迅へ向いていた。
その奥には僅かな警戒が残っている。
甲虫族。
王の血統。
そして記憶喪失。
偶然にしては出来過ぎている。
(ただ、王国の手の者でなければいいがな……)
長老は心の中で呟く。
数年前。
月族の若者が何人も王国へ流れた。
仕事と
金と
未来。
そして、栄光の為。
様々な理由で森を離れた。
そして帰って来た者は少ない。
帰って来ても別人のようになっていた。
森より王国を信じ。
家族より王国を優先する。
そんな者もいた。
(あの子らも、最初は普通だった)
長老は小さく息を吐く。
だからこそ慎重になる。
善人に見える者ほど危険な場合がある。
だが。
迅を見る。
今のところ。
嘘を吐いているようには見えなかった。
少なくとも、
リュネを庇った行動だけは本物だった。
だからこそ。
長老は気付いていなかった。
その日、
里に本当の災いが近付いていたことを。




