第五話 里外れの小屋
長老の許可を得た後。
迅とリュネは里の中を歩いていた。
もっとも。
歓迎されている訳ではない。
すれ違う月族たちは露骨に距離を取った。
「あれが甲虫族か」
「赤目だったぞ」
「本当に生き残りがいたなんて……」
ひそひそ声が聞こえる。
迅は特に気にしなかった。
いや。
正確には慣れていた。
学校でも。
会社でも。
警察でも。
スクールカーストにはじまり、
出世と他人を見下すための派閥がつくられ、
お偉いさんの意向に逆らえず、自分の正義を執行できない。
そして、その枠から外れた者はみな揃って変人扱いだ。
さらに、人は勝手に噂を作る。
変人の良い噂には下方修正が入り、
悪い噂には、上方修正が入る。
見たいものだけを見る。
信じたいものだけ信じる。
だから今さらだった。
だが。
「……」
隣のリュネは違った。
視線を受けるたびに肩が小さく震えている。
(閉ざされた空間での事象だ。会社より学校生活に近いものがあるかもしれない)
迅は気付いていた。
向けられている視線の一部は自分ではない。
リュネに向いている。
「おい」
「なに?」
「人気者だな」
「嫌味?」
「違う」
迅は前を見たまま言った。
「俺の知る人気者もあんな感じだった」
「絶対違うでしょ」
即答だった。
迅は少し笑う。
その反応だけで十分だった。
◆
やがて里の中心部を抜ける。
「なぁ」
「なに?」
「この里は何人規模の里なんだ?」
「700人ぐらいよ」
「そうか」
(考えていたより人数が多い。それなのに、この閉鎖的な雰囲気。種族の性質か?)
迅が考えていると、
巨大な樹上住宅も減っていく。
代わりに人の気配も少なくなった。
「ずいぶん外れだな」
「長老様が用意してくれた場所だから」
「なるほど」
迅は辺りを見る。
確かに里の外縁部だ。
少し先は森になっている。
「追い出されたとも言う」
「言わないの!」
リュネが即座に否定した。
「そうか」
「そうよ」
だが迅は割と本気で納得していた。
「そういえばお前家族は?」
「今は一人よ」
リュネは少し顔を伏せた。
迅はそんな姿を見て、話を変える。
「そうか」
「この貰った服、誰の服なのかと思ってな」
迅が支給された服は
濃紺の上衣
深緑のズボン
革靴
黒い外套
地味な森人風の服装であった。
迅にとっては見た目などどうでも良かったが、人間の尊厳を復活させてもらったのだ。
礼の一つでも言いたかった。
「それは、長老の森歩き用の予備よ」
「そうか、長老は悪い奴ではなさそうだな」
「そうね、ただ立場ある方だから色々あるわ」
リュネは、長老に対して悪感情は無さそうだが、何か含むところがありそうであった。
◆◆
しばらくして。
一軒の小屋が見えてくる。
木造で小さい。
見張小屋のイメージだ。
だが意外としっかりしている。
「ここよ」
「ほう」
迅は中を覗いた。
小屋の中には簡素な木製の机に椅子、寝台が一つ。
寝台には、
獣毛を詰めた寝具と、
薄い毛布が置かれている。
豪華ではない。
だが二十年間、
暗闇の中で過ごした迅にとっては
それだけで十分だった。
柔らかな寝具に身体を沈める。
天井がある。
風を感じる。
誰かの生活の匂いがする。
それだけで胸の奥が少しだけ温かくなった。
さらに暖炉がある。
十分すぎた。
迅は暖炉を見て思う。
昔なら、こんな暮らしも悪くないと思ったかもしれない。
「思ったより良いな」
「長老様が使っていいって言ったんだから」
「なるほど」
迅は部屋の中へ入る。
そして。
寝台を見て座る。
沈む。
「柔らかい」
「……普通の寝台よ」
「そうか」
迅はしばらく黙った。
そして。
ぼそりと呟く。
「ふ、ベッドなんて代物で眠れる日が来るとはな」
リュネが固まる。
冗談ではない。
この男は本気で言っている。
その事実を知っているから。
「……そう」
それしか言えなかった。
迅はそのまま寝転がる。
天井を見上げる。
木の匂いがした。
暖かく静かだ。
ただ、無があるだけじゃない。
温もりがある静けさだ。
さらに誰かがいる。
それだけで。
胸の奥の冷たさが少しだけ薄れた気がした。
だが、
「じゃあ私は戻るから」
リュネが言う。
迅は起き上がった。
「そうか」
「また明日来る」
「わかった」
それだけだった。
だが。
リュネはなぜか帰りづらかった。
「……」
「……」
沈黙。
迅は首を傾げる。
「どうした?」
「別に」
「そうか」
また沈黙。
そして。
「本当に大丈夫?」
思わず聞いていた。
迅が目を瞬かせる。
「何がだ?」
「一人で」
「長い間一人だったぞ」
「それは聞いた!」
リュネは思わず叫んだ。
迅は少し笑った。
ほんの少しだけ。
「心配するな」
「?」
「お前のおかげで飯と暖かい寝床は確保できた」
「……うん」
「十分だ」
その言葉に。
リュネは少しだけ胸が熱くなる。
感謝されることに慣れていなかった。
だからこそ。
少し嬉しかった。
「また明日」
「ああ」
(また明日……悪くない言葉だ)
リュネは小屋を後にした。
◆
一人になった迅は窓の外を見る。
夕暮れだった。
赤い光が森を染めている。
「綺麗だな」
誰もいない部屋で呟く。
返事はない。
当たり前だ。
だが。
今日は少し違った。
二十年間。
何も無かった。
暗闇だけだった。
それなのに。
今日は誰かと話した。
名前を呼ばれた。
飯を食える。
寝床がある。
それだけで、
「……悪くない」
その時だった。
コンコン。
小屋の扉が叩かれる。
迅は顔を上げた。
「?」
こんな時間に誰だ。
リュネではない。
足音が違う。
迅は静かに扉へ向かう。
そして開けた。
そこに立っていたのは、
黒い外套を羽織った一人の月族の青年だった。
青年は迅を見る。
赤い瞳を見る。
そして静かに言った。
「単刀直入に聞く」
その目に敵意はない。
だが警戒はあった。
「お前は本当に何も覚えていないのか?」
迅は目を細めた。
里で初めて。
まともに話しかけてきた相手だった。




