牛頭
全力で通路を駆けた。戦場が近づくにつれて、戦いの音や悲鳴が大きくなる。
ドンッ!
突如、通路の奥から重い衝撃音が響いた。
一瞬遅れて、足元がわずかに揺れる。
何かとてつもなく重いものが、岩の床を踏みしめている。そんな音だった。
ドンッ!
今度はさっきより近い。空気そのものが、押されるように震えている。
通路の奥は暗い。ランプの光は届かず、ただ黒い穴のように口を開けている。
俺たちは巻き上げられた土埃の匂いがする曲がり角を抜け、開けた空洞に出た。
中層最奥の広く薄暗い空洞。その中央に巨大な影が立っていた。
「……っ」
思わず息を止める。
凛も足を止めた。さっきまでの軽い足取りが嘘のように消え、短剣に添えた指先へ静かに力が入る。
最初に見えたのは、二つの赤い光だった。
ぎらり、と濁った赤が闇の中に灯る。
目だ。
そう理解した瞬間、背中を冷たいものが走った。
そして、次に突き出てきたのは、異様なまでに発達した胸板だった。筋肉の塊のような肩は、人間とは比べものにならないほど分厚く、両腕は、岩でも引きちぎれそうなほど太い。
そして、その上に乗っていたのは――牛の頭だった。
黒々とした剛毛に覆われた顔面。ぬらりと濡れた鼻がランプの光を鈍く返す。額の左右から湾曲して突き出た二本の角は、一目で凶器と分かるほど禍々しい。
ずしり、とそいつが一歩踏み出す。
床が鳴った。
踏みしめた場所の岩が砕け、小さな破片が跳ねる。
頭の角まで含めれば、三メートル近くあるんじゃないかと思えるほどの威圧感。
右手には、巨大な戦斧が握られていた。
鉄塊みたいな斧だ。直撃すれば終わる。
「グ……ォォ……!」
獣臭さと、よだれと血が混じったような、生臭い匂いが鼻をついた。
腹の底から漏れた狂気の塊みたいな咆哮に、鼓膜がびり、と震える。
「……ミノタウロス」
喉が張りついて、声が掠れた。
探索者なら誰でも知っている、中層の壁。
下手なパーティなら、遭遇した時点で終わりだと言われる怪物。
目の前のそいつは、その期待を一切裏切らなかった。
そして今、そんな化け物と戦っているのが——
シーカーズだった。
「みんな下がれ!」
坂城が踏み込む。鎧の砕けた右腕からは血が流れ、力が入らないのかだらりと垂れ下がっている。
どうやら右腕にミノタウロスの攻撃を受けたらしい。
残った左手に剣を持ち替え、必死に切り掛かる。だが力が入らないのか、ミノタウロスの分厚い筋肉の前には薄皮一枚がやっとだ。
「くそおおおっ!」
続けて目を狙った刺突も、ミノタウロスの右手が弾き飛ばし、カウンターで左のボディブロウを喰らう。
「がはあっ!」
腹の鎧は無惨にもひしゃげて留め具がはじけ飛び、その勢いのまま胴体とお別れをした。本体の坂城は、咄嗟に後ろに飛び退いてダメージを減らしたが、そのせいで十メートル以上も吹っ飛んで、岩壁に頭を打ちつけた。
「ぐっ!」
岩壁に叩きつけられた坂城の体が、大きく揺れる。
そして、そのまま壁にもたれかかるようにして、沈み込んだ。
普通ならここで終了だが、ダンジョンにレフェリーはいない。死合は続く。
「坂城!」
ひなのが駆け寄るが、坂城に反応はない。
「くそっ!爆ぜろ!」
ボンッ
ひなのが坂城を庇う様にミノタウロスの顔面を狙って火球を放つが、びくともしない。
ミノタウロスには火炎耐性がある。火魔法を得意とするひなのとは、すこぶる相性が悪い。
ミノタウロスは、目の前の相手に対して、格の差を見せつけるように雄々しく地面を踏み鳴らした。
ドンッ!!
ビリビリとした振動と共に、空気が震える。
十八番の魔法も効かないままに威圧され、ひなのの顔が青ざめる。
逃げることも忘れて天を仰ぐように、震えて牛頭を見つめていた。
「ヤバいな」
既に前線は完全に崩れている。盾役はいない。坂城は腕をやられている。残りのメンバーは距離を取るだけで精一杯だ。
「…チッ」
俺を横目で見ながら、凛が舌打ちした。
そして同時に、太ももに巻きつけたホルスター状のポーチから二本のナイフを引き抜いた。
「神谷さん、貸しです」
「今度、ご馳走してくださいよ」
言うや否や、凛の指からナイフが弾かれた。
ナイフは一直線に空を切り裂き、次の瞬間。
ミノタウロスの右眼に、刃が突き立っていた。
「グォッ!?」
死角からの突然の攻撃に、ミノタウロスが少したじろぐ。
だが、まだ浅い。
すかさず、もう一本のナイフを弾く。
カーーーン!
今度は甲高い音が弾けた。
刃は最初のナイフの柄に叩き込まれ、目の奥へとめり込んだ。
押し込まれ、奥へ食い込む。
「グウウアアアアァァ!!」
右目の激痛により、ミノタウロスの意識が完全にひなの達から外れた。
俺は凛の神業に目を奪われたが、すぐさま頭を振って、力の限り坂城達に叫んだ。
「今すぐ離れろ!距離を取れ!こっちに逃げろ!」
突然の事に、呆然とミノタウロスの様子を眺めていた坂城達だったが、その声でハッとする。俺の声でやっと、こちらに気が付いたらしい。
「坂城!」
俺は坂城に向けて走りながら、声を上げて駆け寄った。
「……なんで」
だが、俺を見た坂城がおかしい。血の気の引いた様子で、顔を歪めた。
「なんでお前がいるんだよ!」
「来るな!役立たず!」
怒鳴り声が響く。
「来るなって!早く逃げろ!」
その瞬間、ミノタウロスがゆっくりと動いた。
この隙に乗じて、畳み掛けようとしたパーティの一人が鉄槌を振りかざした。
「うおおっ!」
ドンッ!!
鉄槌が、空しく中を舞った。
振り下ろした鉄槌より早く、牛頭の剛腕から横薙ぎの拳が繰り出された。
戦士の身体はピンボールのように弾き飛び、岩壁に叩きつけられた。
「林!」
坂城が叫んだ。重鎧を着込んでいるので、辛うじて死は免れたようだが、今の一撃で、ミノタウロスはこの場において、自分が最も強者である事を思い出したようだった。
俺は坂城の前に立ちながら、辺りを見回す。
ひなのを含め、まだ戦えそうなメンバーは数人。
しかし、軒並み戦意を喪失してしまっていた。
撮影係も配信どころではない。カメラを放り出して岩陰に隠れて震えている。
裸足で逃げ出さないだけ、マシな方か。
いずれにしろ、このままでは全滅は時間の問題だった。
「神谷、何やってんだよ!」
復帰した坂城が、後ろから俺の肩に掴み掛かった。
「お前じゃ無理だ、分かんないのか!逃げろって言ってんだよ!」
俺は坂城の顔を見た。やっぱりか。
顔面蒼白で装備はボロボロ。腕も血だらけ。
そんななりでも、こいつは自分より、周りの心配ばかりしている。
思わず、笑いそうになった。
「漢だよ、お前は」
その時だった。
「良いじゃん、坂城」
ひなのが俺の言葉を遮って、坂城を静止した。
「せっかく助けに来てくれたんだし、任せようよ」
…ニヤついているが、態度にいつもの余裕がない。杖の先端の魔法石もどこかに吹っ飛んでいるし、服もボロボロだ。
ひなのの冷酷な提案に、坂城がますます青ざめる。
「ひなの、お前何言って—-」
「だからぁ!コイツを囮にして逃げれば良いじゃん!なんで分かんないかなぁ!」
「どうせ役に立たないんだから、最後くらい役に立って貰おうよ!」
ひなのは恐怖でパニックになっていた。取り繕うのも忘れて必死だった。
俺たちのやり取りを横目で見ながら、言わんこっちゃない、と凛が軽くため息をついた。
だが凛の目は俺たちではない、どこか遠い所を見ているようだった。
何となく分かった。
ひなのは明確に、死ね、と言っている。だが不思議と怒りは湧いてこなかった。
憐れにすら感じた。
「ひなの、いい加減——」
坂城が口を開いた瞬間、
ズン。
ズン。
巨大な体が踏み出す。ミノタウロスがこちらにターゲットを変える。
ズンッ!
地面が揺れる。
凛が短剣を構え、一歩踏み出そうとした。
俺は坂城とひなのを交互に見ながら軽く手を上げて、制止した。
「まあ見てろ」
そして凛の横に立つ。
「見苦しい所見せちゃったな」
「…どうでもいいです」
凛が短剣を静かに構え直した。
俺は迫ってくるミノタウロスを見た。今からコイツとやり合うのか。だが不思議と怖さはなかった。
「さぁ来ますよ」
ミノタウロスとの戦闘が開始した。
「面白かった!」
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