通り魔 2
夕暮れはとうに過ぎて淡くぼやけたノテノールが天上に分厚い雲間から半身だけを踊り出している。今はセケスとセプテの間の雨季という時節なのだ。キプリスとカナリウスがひととき連れ立って古い神の葬式に行くと陰気なスコルフが雲を傘にして現れるという。
誰もこの季節が好きとは言わないだろう。雨に打たれて帰るあの疲れた気分を誰もが一度は味わったはずだし不動のエガすらもびしゃびしゃに濡れて不機嫌に身体を動かし山崩れを起こす。魔獣も巣穴に隠れて寒かったりじめじめしたりを繰り返すこの湿っぽく気分の落ち込む雨季は耐え難いらしい。
人と魔の大戦から六周刻が経ったアンティウム暦1158周刻のこのモンソニア連峰のガリカへ向かう小径も小雨が降ったり止んだり苛立つというものだ。老人はタークの張ったパリエースのドームの中で居心地悪そうに寝返りを打っていびきをかいている。がらごろと進む荷車の上で寝られるというのはタークには羨ましく思えるがどうもこの湿気が休むという選択肢を遠ざけていくのである。
カランコエ村を出てから一日が経とうとしているがビオイデスの中にしまわれた宿でデルとルビーは寝ているのだろうか。当座の間は確認するのもやめておいてガリカでいよいよという時がくれば出してやり、栄えているという石造りの町を観光させてやれば驚くだろうし喜ぶだろうとタークは考えた。
ぬかるんだ土道がタークの擬態した執事の革靴を汚す。時折周囲の森からは巣を持った鳥の鳴き声が高い落葉性の高木の上から聞こえるがやはり鳥たちも不機嫌そうであった。そろそろガリカが見えてくる頃合いだが連峰西端の緩く丘となった地形と夜の視界では捉えられるわけもない。
タークはとりあえずこれ以上陰鬱な考えを巡らすのはやめにし、星の海を想った。白く染められたファイルヘンブラフ邸もその土台に重ねて考えうるだけ美しい物を集めて前向きに。さざめく波の音が聞こえ始めピレナの大海が近くにあることがわかるまで。
かなり長い間、夢想していたらしい。目を開けば半ば薄い月の光刃が海の西端に大きな剣先を向けてはじめ、潮と樹々の潤った芳醇な濃い香気がタークの気持ちを優しく包んでいる。この雨季に今まで感じたことのない平穏な気持ちに騎士はまどろみかけたが少し小さな違和感を感じた。
暗い森の先のさざめきと険しい連峰の交わる百五十刀ほど前方に何かが見える。嫌な気配ではないが戦場で見合うような剣気の人影。影はランプでももっているのかゆらゆら揺れて銀色の反射をあたりに振り撒いている。
(騎士か?それともガリカの歩哨かなにかか…)
山賊や浪人程度であればタークには苦戦する由もないのだが老人がいるのでは話は変わってくる。しかしこちらの殺意に気取られていきなり斬りつけられるというのも癪なことだ。しかし戦闘というそもそも面倒な事柄を避けるというのがタークの考えうる最善というか望むところである。
次第に止まっていた影に灯りもなしに近づいていた荷車だったがようやく向こうもこちらを察知したのか急いだように影を乱しながら接近してくる。タークは目を出来るだけ細めて影の正体を知ろうとするが、それを中断させるように影から呼びかけがあった
「おーい!!行商人かぁあ!」
ずいぶん臆病なことだ。こんな遠くから呼びかけて正体を見極めようとするのは。そんなことを騎士は思ったが大声もあげる気にならずそのまま早足に荷車を引いて駆けていく。ぬかるんだなだらかな傾斜の泥を木製の車輪が小さく振り撒きながらついに三つの影に直面する。どうやらガリカの歩哨のようだ。三人が三人とも同じバケツのような兜と鎖帷子で似た背格好で誰が喋ったのかも分からない。
「おいおいアンタ!まずいぜちゃんと答えてくれなきゃ」
「だいぶデカイ兄さんだ。こっちから兄さん達の荷車をみたら魔物に見えるくらいでよ。返事くらいしてくれねぇと肝が縮んじまうよ」
「そうだぜ全く…魔獣だけじゃなくてこの辺は貧乏な盗賊もいるんだ。おいその荷車のじいさん死んじゃいねぇよな?」
ランプの小さな光の波長が荷車の老人を照らし出して歩哨どもは慌てたようにガシャガシャ音を立ててのけぞる。タークは説明するのも面倒だったがしょうがないので嘆息をして老人との関係、ガリカへ向かう目的を話した。
その話の応酬のなかで聞くところによると彼らはノル、アラタ、オレオという三人兄弟で、兜を脱いだ顔も背丈も声も似ているというのが強烈で他の小話を忘れてしまうほど印象に残った。ガリカは近い。




