通り魔 1
タークと老人はバラバラにもぎ取られ冒涜された死者の魂を灰に変え川に流した。岩橋の霧はすっかり澄んでいたがそれが逆に騎士の広大で仄暗いささくれだった領域を暗くとざす。森は虫の息遣いすら聞こえようという静けさで、そこにさす曇り空のペレイデスが聴覚を剥ぎ取っているのではと思えるほど。
ガリカへ向かうという事が最善なのはもちろんのことだが今はそれが少し恐ろしい。強大で不気味な邪神が村と港町を結ぶこの自然豊かな小径に出るということ、意思を持ち人を確実に殺したであろうこと。先刻の戦闘を思い起こすとあの不気味にぼやぼやと動く針に捕捉された公爵や令嬢の手足が手招くように脳裏で不思議に奇妙に鮮明に想像できてしまうのだ。
「ご老人、あのような魔族を見たことはありますか?」
「いや無いの、見ておったらとうに殺されとるわい」
「ああいった手合いが跋扈するようになったのですか?」
「そうじゃ」
二人のその後の沈黙は深い。その後、川を見、岩橋を見て老人は解体された人片を思い出したのか真っ青になって胃に収まった村の思い出をばしゃ。と吐き出す。今更ながら実感したのだろう。気の弱い老人が村から出た時の大袈裟な態度やまなじりの厳しさの理由も今更、タークにも理解できた。
老人があらかた吐き尽くして、腹を空にしたあとタークはクアを唱えてやってそれで口を濯がせた。魔獣の鼻はどんなものでも嗅ぎつけ寄ってくる。それが恐怖に震える弱い老人のものなら尚更である。気丈なデルやルビーもあのおどろおどろしい者を目の当たりにすればきっと瘴気に当てられて同様の有様を見せたことだろう。ここは急いで港町に向かうのだ。
精神的に疲れ切った老人を荷車に乗せてやりタークは旅を再開した。旅というほど長い道程ではないと村の者たちは言っていたが警戒を常に厳にして歩くというのは旅以外に他ならない。木製の荷車が老人と荷物でぎぎ。と軋む。すっかり荷物になった老人が、騎士に苦労かけている空気を厭わしく思ったのか口を開く。
「おっ…と!若いの、だいぶ鍛えられたのだな…このような重い荷を引いて疲れ知らずとは恐れ入った」
「いえ…馬がいればそれに引かせて楽をしたいですよ…ご老人も案外重くていらっしゃる」
「お主も案外口が悪いな…ふぉふぉ」
「しかしご老人よ。はぐらかしてばかりの私がいうことではないでしょうが貴方は高位神官ですねそれもエガの」
邪神と戦う前から感じていた土の魔力の匂いと先程吐き出された気とが、確かな確信をタークにもたらした。戦場の従軍神官を幾人と見知っていたタークでなければおそらく判別しようがないことではある。どの属性でも言えたことだが最上位魔法を放つことのできるものは異様な魔力の香りがするのである。
「なんじゃ…知っておったのか…」
「魔力の気配がそう告げたのです。あなたはなぜそれを隠したのですか?場合によっては旅中の背信として斬り捨てられてもおかしくはないでしょう」
「……」
「ご老人?」
「…逃げたのじゃ」
「あのような魔が彷徨っていたのなら逃げたというのも引け目を感じることではないでしょう?」
「そうではない。わしは高位神官として魔の海を払うための大戦の戦列に並ぶはずであったが家内を連れて逃げた。アルウェンシスを守るため戦わねばいけない使命と神に背いた…」
「信徒を置き去りにし貪り喰わせた罪悪感ですか」
棘の男を睨むような皺深い老人の眼梁には落ち始めてきた日の影が重なり暗くなり始めた。後悔だろうか、しかしタークに責められるような話でもない。それもそうだ。災厄の顕現した際に英雄とも呼ばれた者が不在というのはおかしい。逃げたと捉えられてもおかしくない時分に次元から切り離され時飛ばしに遭ったのだ。老人は騎士の発する自戒の気を察したのか、辛気臭い神官独特の表情を人懐っこい老人に戻した。
「ガリカはあと少しじゃ…そこで話を聞けばわしの愚かさも知ることになるじゃろう」
「あまり自分を責めないことですご老人。人を救えると思い上がって死ぬよりはましだと私は思います」
「…お主を見るとカビ臭い懺悔室を思い出すわい」
老人は毒付いて開き直り、ごろり。と荷車に体を横たえる。空の色彩は紫と赤のグラデーションを濃い雲に反射し始めた。西の果ては光り輝く血の半円が沈み込み生暖かい湿った風がビオイデスを靡かせる。




